2012年12月6日木曜日

【映画】ダージリン急行



父を亡くして以来分裂してしまった三兄弟がインドでの旅を通して再び団結する話。
あらすじとしてはそれだけで充分なくらい簡素なものだけど、内容は濃い。別に誰も死なないし、大どんでん返しもないし、実は父さん生きてた的なB級オチもない。なにをしたってわけではない。添加物と油で誤魔化したファーストフードがハリウッド映画だとしたら、この映画は出汁を充分にとったお吸い物と言ったところか。
まず各々のキャラが濃い。このストーリーは一貫して誰も笑わず、ろくな冗談も言わず、相当シュール。しかもあまり喋らない。三兄弟意外も無口な車掌さんやらチョイ役のナタリーポートマンなど、面白いキャラクターがたくさん。
それぞれが持ち味があって、それが存分に魅力を放出している。

次にカメラワーク。もはやアート作品なんじゃないかと錯覚するような美しい撮り方。独特な視点で、独特な間を見事に作り上げている。緩やかに流れる時間を優しく静かに映す。
帰国を辞めてインドにとどまる事を決心するシーンは会話はないしカメラはスライドするだけだが、それだけで十分過ぎる程伝わってくる。
そしてそのカメラワークを引き立たせるのがインド独自の鮮やかな配色。青やピンク、白が画面にこれでもかと散りばめられていて目の癒しに。
謎めいた複雑な教訓が含まれてるわけでもなく、頭をフル回転させて考えさせられる映画でもないのに、観た後になんだかすごい映画を観たという気にさせる。

最後に母を出会い、言葉を交わさずにこれまでを振り返るシーンがある。ナタリーポートマンは相変わらずホテルで楊枝をくわえ、ダージリン急行の車掌は殺したはずのヘビを飼ってたり、電車に乗り遅れた男は無事何時間後かの電車に乗れてインドを満喫している。この瞬間にも彼らは彼らの人生を歩んでいて、その人生は一つの電車にゆられて。どのような生き方をしても、進んで行くしかないのだと、言葉なくして三人は感じ取る。とても心に響くいいシーンだった。
無駄なシーンを極限までカットし、間と空間が観客に物語を考えさせる事に見事成功している。映画とはドキュメントでない限り言葉はいらない。娯楽でしかないのだから感じ方は受け手の自由だ。それを体現した心の癒しとなる文字通りいい映画。

【映画】メタルヘッド





自動車事故で母という大きな存在を亡くした少年TJは無意味で灰色な毎日を送っていた。学校にいけばいじめられ、家に帰れば無精髭を伸ばした空気の抜けた風船のような父親が無言でソファに座る。二人を励まそうとするのは祖母だけだったが、祖母の語りかけは二人の耳を通過するだけ。まさに生きるしかばね。

そんな、死んだも同然な毎日にロン毛のメタル野郎が突如加わる。TJが憂さ晴らしに投げた石がメタル野郎の仮住居(人んちの空家)の窓を割ったためだ。
メタル野郎は家に居座りチャンネル権を奪い問題ばかり引き起こす。しかし彼の登場から生活は徐々に変わってゆく。父と子は久しぶりに本気になって喧嘩をし、TJは汚い言葉を使うようになる。二人は事態はますます悪くなっていると思っていたが、事態は良くなっていた。

メタル野郎は二人に希望を持てと言ったわけでもない。励まそうとしたわけでもない。ただそんな糞みたいな人生楽しいか?と罵倒しただけだ。それが彼なりのやり方であり結果としてそれは成功だった。

ある時祖母が死ぬ。あれだけ毎日語りかけていたのに、あれだけ時間と余裕があったのに無視していた父と子。死とはもう戻らない事を再び思い知らされる。
またしても何も出来ずニヒリスティックになる二人。なにも成長してねぇじゃねえか。そんな面持ちで家を飛び出すメタル野郎。
葬式でメタル野郎はスピーチをする。それは万人が涙する心揺さぶる話ではなく下品な物だった。しかし最後まで彼なりのやり方を通した結果父と子はついに気がつく。いつまでジメジメしてんだと。祖母の散歩の約束を果たせなかった二人はメタル野郎と共に棺桶を運び散歩する。これぞメタル。
ここでいうメタル野郎はイエスキリストの現代版である。現代版といってもR指定の一番ダメなイエスキリスト。ロン毛でヒゲで上半身裸の姿はすごいイエス。笑

欲を言えばもっとメタル色を出して欲しかったが、コメディになりかねないのでこれくらいが正解か。

2012年11月24日土曜日

【音楽】Anaal NAthrakh - Vanitas

音楽で最も崇高であり邪悪でありもっとも愛しているアナールナスラックの7枚目がついに。
ついにといっても一年ごとにコンスタントリーに出しているので待った感じはしないが出し惜しむことなくリリースしてくれるのでとてもうれしい。
 
タイトルはヴァニタス。相変わらず芸術面をかなり意識しているようで。ヴァニタスとはおもに静物画に髑髏やろうそく、時計など死を連想させるようなものを描き、この世のはかなさやいかなるものもいずれは死んでしまうという悲しさを表したもの。
かといって近作がフューネラルドゥームのような重たい暗いものになっているわけではない。
むしろ前作パッションに比べよりグラインド色が強くなり、また同時にメロディアスになったと感じた。それが結果としていい方向に動いている。サイバーな部分も多いし今までの作品よりもいろいろなことに手を出している感じがして非常に面白い。前作が単調だったためにかなり際立っている。いわば人生を悲観しているというよりもとてもきれいで希望に満ちているものではないが邪悪なパワーを感じる。
ノイズの轟音がけたたましく鳴り響くような曲はあまりなく、どの曲もエシャトンのような美しさと聴きやすいデスメタル的重さと、おなじみのサビのオペラ調のクリーンヴォイスでかなりきれいに仕上がっている。前々作よりも初心者がとっつきやすいのではないだろうか。

そしてもっとも思ったのは何らかの怒りがたまりにたまっているときに聞くとかなりストレス解消になる笑

9.5/10

2012年11月22日木曜日

【映画】裏切りのサーカス





マルホランドドライブといい複雑な伏線が大量に張られた映画はなんとも好奇心を煽り、純粋に面白い。とはいえこれはリンチとは違い、芸術で完結しておらず、全て伏線が回収されるあたり名作を映画化しただけある。

東西冷戦下、イギリスとソ連の諜報機関、MI6(通称:サーカス)とKGBは水面下で様々な情報戦を繰り広げていた。

長年の作戦失敗や情報漏洩から、サーカスのリーダーであるコントロールは内部にKGBの二重スパイ「もぐら」がいることを確信。「もぐら」に関する情報源さと接触するため、ジム・プリドーをハンガリーに送り込むも作戦は失敗。責任をとってコントロールと彼の右腕であったジョージ・スマイリーは引退を余儀なくされる。

退職後ほどなくコントロールは死去。ほぼ同時期に実働部隊であるスカルプハンター(通称:首狩人)のリッキー・ターの元に「もぐら」の情報を持つKGBのイリーナが現れる。恋仲になった二人はイリーナをイギリスに亡命させるためロンドンのサーカス本部に連絡するが、一日後にイリーナは何故かKGBに発見され連れ去られてしまう。サーカス内部に「もぐら」がいることを思い知ったターはイギリスへ戻り、スマイリーに忠実であったため左遷されたターの上司ピーター・ギラムに報告。事態を重く見たギラムは政府の情報機関監視役であるオリバー・レイコンに連絡し、レイコンにより引退したスマイリーが「もぐら」探しを命じられることとなる。

「もぐら」と目されるのは4人の幹部。現サーカスのリーダーであるパーシー・アレリン、アレリンを傀儡とし実権を握っていると噂されるビル・ヘイドン、勇敢だが愚直なロイ・ブランド、日和見な性格のトビー・エスタヘイス。彼らは「もぐら」を探していたコントロールによってそれぞれ「ティンカー(鋳掛け屋)」(アレリン)、「テイラー(仕立屋)」(ヘイドン)、「ソルジャー(兵隊)」(ブランド)、「プアマン(貧乏人)」(エスタヘイス)とコードネームを付けられていた。またスマイリー自身もコントロールにより「ベガマン(乞食)」として候補に含まれていたことを知る。

4人の「もぐら」候補の過去、KGBの大物スパイであるカーラとスマイリーの関係、作戦の失敗で死んだとされるプリドー、スマイリーと妻アンの関係。情報を集め着実に真実に近付くスマイリーの前に現れる意外な「もぐら」の正体とは。


公式ホームページにも必読として本作のあらすじが掲載されている。必読と称しているあたり、この物語がいかに難解なストーリーかが伺われる。事実、一度で理解するのはかなり難しい。登場人物はコードネームに加えアダ名が付けられている。さらには東西が交互に出てくるので、IQの高さが求められる。実際私は英語が話せるチンパンジーレベルの脳なので解説を読み再び映画を見直すまで理解出来なかった。しかし今や映画公開から3ヶ月でDVD化される時代。何度も見て理解しろ、一度で理解出来たら良くできました!くらいの作り方だと見て感じた。全体的に無駄な部分をかなり端折っており、サーカスのチーフであるコントロールが死ぬシーンは2秒で終了した。(しかもグラスが落ちて割れるという表現のみ)
それだけ無駄を省かねばこのジョン・ル・カレの名作を映画化することは許されなかったのだと感じ取れる。
物語が複雑であるということは問題ではなく、むしろこちらを引き込むという点で大きくプラスとして働いている。

またこれは同じスパイ大作007と違い、危ないセクシー女優も出てこないし(イリーナはロシア訛りでとてもボンドガールとはいえない)、火薬とガソリンを大量に使った痛快な脳筋映画でもないため、役者の演技が試された。結果としてゲイリーオールドマン(ダークナイトのゴードン警部補)の演技は私が見てきた映画界の巨匠と比べてもダントツに世界に引き込む名演だったといえる。話し方や間の取り方、表情の微妙な違い、目線のやり方など、まるで当時の緊迫した暗雲の立ち込める冷戦下にいるかのような気にさせた。

またそれはゲイリーオールドマンに限らず、コリンファースのミステリアスなイメージやトムハーディの若く無鉄砲で純粋な役も見事巧みにこなしていた。爆薬やエロティック、バイオレンス、カーアクションなくしてここまで興奮させられたのは初めてかもしれない。
音楽や効果音にも優れていた。あくまで当時の流行りの曲や(ツイストやファンクなど)クラシックを使い、現代の要素を一切含まずその時代を楽しめた。効果音といえばゴッドファーザーのコルリオーネファミリー結成のためのレストランでの銃殺のシーンで電車の轟音がアルパチーノの心情を表していて感激したのだが、裏切りのサーカスにおいても同じ手法が取られている。選曲がいかに大事か、ここでハンスジマーでも使っていたらおかしなことになっていただろう。
そしてなによりスーツがかっこいい。サーカスのメンバー全員が彼ら独自の個性を表すスーツを着ていて、常人ではない特別な仕事をしている人間というオーラを醸していた。灰皿やファイルなど小物や小道具においても細部に至るまで当時を再現しているかつとてもオシャレで感心していたがあとで分かったことだが、オシャレ男子の金字塔ポールスミスが視覚に訴える部分で加担していたらしい。さすが金字塔。ストリートファッションと安いブランド古着しか着ない私の心が揺らぎかけた。こんなステルスマーケティングもあるのね。

ここまで長々と語り尽くして分かるとおり2012年最も見応えのある映画であったと言っても過言ではないし何度も観たくなるサスペンスだと思う。しいていうならば、特にグロテスクでもないし脳天をリボルバーでぶち抜いて壁に脳みそがへばりつくぐらいなんだからR15にする必要はないと思う。あるいはこれは15歳未満に見せると憧れるスパイキッズが大量生産されることをGAGAが恐れたか?

10/10点

2012年11月21日水曜日

【映画】イングロリアスバスターズ




暴力いを一番間違えた方向で戦争映画というテーブルの上でめちゃくちゃにこねくり回して、最後にツバを吐いて笑い飛ばす。そんな映画。
タランティーノがいかにガキで好奇心旺盛で映画好きかがわかる。

舞台は人類史上最悪のシナリオ第二次大戦中。ナチスドイツがその強大な力を思う存分振りまいていた時代、もちろんそれを良く思っていない国は多くあった。
ただこれをナチスドイツに対する復讐劇と言ってしまうとこの映画の説明にはならない。
この映画の魂胆はよくあるナチスドイツに対する批判ではなく、殺しあいをする当時の人間達を、まるで喜劇かのように面白おかしく映した。
昔こんな奴らがいてな?こんなバカなことやってたんだぜ?ぐらいのノリである。

どちらのサイドに対しても批判を込めている。食い方がきたなかったり、喋り方が腹立たしかったり、怒ったり笑ったり忙しい人物像を見事に描いている。また当時の人間がすぐに敵にアダ名をつけたりする部分も笑いに変えている。もはや何のための戦争なのか。お前ら殺しあいがしたいだけだろ?
まるでソファに座りながらテレビに映る惨劇を笑い飛ばすようなノリ。タランティーノは偉大。
頭の皮を剥がしたり額に卍マークを切り込んだりグロいというより痛いシーンがあるがここまでくるともはや痛快。
あと音楽のチョイスがいいね。

7.5/10

2012年11月19日月曜日

【映画】フルメタルジャケット




戦争は良くない。反戦。平和。秩序維持。
それまでの戦争映画といえばそんなメッセージを生地に練りこんだものや、大胆にも上からちりばめたようなものばかりだった。

では、キューブリックが戦争映画を作るとどうなるか?

キチガイが沢山の白装束が戦う話になるか?あるいは敵は出てこなくて、しまいには気がおかしくなる話か?
ところがどっこい
キューブリックは戦争をなんにも色付けせずあるがままに伝えた。宗教的背景も時代背景も存在しない。ここには鉄の塊と、肉の塊と、無慈悲な若者たちの活気のみである。
たんたんと戦争を語っている。汚い言葉を連呼する鬼教官と、それに機械的に従い殺人マシーンへと変わっていく普通のアメリカの若者と、それに適合出来ず自殺するマイノリティ。戦争にはヒーローも感動のストーリーも奇跡的な救出劇もない。映画とは本来戦争を美化し、もしくは批判し、何らかのメッセージを込めて体現するものであった。そうでなければディスカバリーチャンネルが特集組めばいいわけだから。しかしこの映画にはとあるどっかの星で、こんなバカどもが糞真面目に人を殺しあう世紀末黙示録があったとしたら面白くねぇ?ぐらいのノリで、ただ眈々と若者が殺しあう映画を生み出してしまった。それがもっとも残酷であり、そしてもっとも残酷なのは現実である。キューブリックなりの戦争映画。

9/10点中

【映画】アンチクライスト




賛否両論あった作品。完成披露試写会の時はスタンディングオベーションとブーイングが同時に沸き起こったらしい。果たして私はどちらのサイドか。

セックスの最中に幼いこどもを亡くした夫婦は哀しみにくれるが、夫のセラピストは悲嘆から抜け出せない妻を治療しようとする。様々な心理療法を試し、結果妻の不安の源は「エデン」についての妄想にあり、前年、論文執筆のために妻が訪れた山小屋に夫婦でいく。そこで夫は、虐殺の歴史を研究していた妻が人の心の中の悪に魅了されて抜け出せなくなっていたことに気づく。

この映画は
悲観
苦痛
絶望
の三章に別れておりまるでオペラのようだ。
タイトルが物語る通りにキリストに関する事項があくまで暗示として隠されており、非常に複雑である。
妻が語る恐れる場所Woodsの中にあるフィールド"エデン"。
これはいうまでもなく現代におけるアダムとイヴの試練を映した映画であるといえる。
心理療法の最中に示したエデンの小屋は本当に存在した。
恐ろしげな小屋はまるで今にもチェーンソーを持った男が人の皮を被って出て来そうだが幸いここには何もない。
道中鹿を見かける。鹿の尻には流産した子鹿がだらりとぶら下がっていた。まるで子供を亡くした男を小馬鹿にするかのように。
苦痛の章ではキツネが自分の身体を食っているところに遭遇する。これは苦悩に苦しみ自らの身体を自責する罪を象徴している。
絶望の章では埋められていたカラスが泣きわめく。結果夫は妻に見つかり殺されかける。
この三匹の使いが果たしてキリスト教におけるどの役割を果たすのか考えたが、キリスト教で言う三人といえばまず東方からの三賢人が思い浮かぶ。没薬と乳香と黄金を持ってイエスの誕生を祝し警告をする者だ。しかし劇中における三匹はとても賢人というイメージではないし逆に考えれば妻が悪魔であり、それを祝す三賢人なのかもしれない。
また妻は夫を生贄に捧げようとする。魔女が行う崇拝のやり方だ。妻はジェノサイド研究をしており、フェミニストでもあった。よって後半における妻とはもはや完全なる魔女に化けていたのだろう。

カメラワークは非常にいい。会話の途中で森林を映したり絶妙なスローモーションがとても芸術的だ。ぼかし効果もミニシネマ的でよろしい。

問題は話が壊滅的につまらない。あぁそうですかといったところ。おまけにバイオレンス表現が異常にリアルである。ラストの首を絞めるシーンは数多くのスプラッタを見てきた私でも不快であった。
言いたい事はわかる。キリスト教史批判であったり現代精神分析が招きうる問題への警告であったり。
これは大衆文化的映画ではなく実験的なものだと思えば幾分傷は和らぐのだが。

4/10点中

2012年11月18日日曜日

【映画】シャイニング

スティーブンキングの名作をキューブリックが監督しジャックニコルソンが演じるというそれだけですでに恐ろしい(資金的に)映画。

実際AFIが選ぶ究極のホラー映画に選ばれた。
山奥の豪華なホテル。冬季期間中ここの管理人を任された主人公は小説を書くのに絶好の機会だと思い家族と共にこの悪魔城にやってくる。
閉鎖的な空間とそこに住まう地縛霊的な何かなのか邪気にやられ主人公は気が狂い家族を殺そうとする。。。

シャイニングと言えば一番有名なのは斧でドアに切り込みを入れそこから顔を出すシーンがあまりにも有名だ。
実際一番怖いのはあそこではない。キューブリック独自の理解するのに苦労する表現だ。エレベーターが開くと大量の血が流れ出て来たり、双子の女の子の霊が佇んでいたり無機質な聴覚班が存在する。
アメリカのホラーと言えばグロテスクな特殊メイクか血の惨劇、もしくはハンディカムを使ったリアリティ溢れる感じに撮ったものが主流であるがシャイニングを見返すとそれらはすべてまやかしであり、大衆化したホラー映画作成の真の恐ろしさを味わう事となる。
人間の内なる恐怖と霊的な恐ろしさ、何者か分からない不気味さを兼ね備えた今作は究極のホラーと言える。
劇中でジャックニコルソンの気が狂いタイプしまくる"All works and no play makes me a dull"は私が大好きな言い回し。
9.5/10

【映画】パッション



イエスキリストの生涯をメルギブソンが監督。美しくキリスト教信仰をさらに濃くするようなものではなく、極めて冷静に客観的に出来事を記録している。映画公開当初アメリカの神父がこの映画を観て亡くなったのは有名だ。

なぜこの映画が賛否両論を呼ぶか?なぜならとにかく非人道的であるから。サタニックなブラックメタラーであれば泣いて喜ぶようなおぞましい内容である。
まずイエスキリストの拷問のシーンが凄まじい。痛みがこっちまで伝わってくる。磔のシーンなど黒い太陽731と張れるレベルである。下手なグロテスクを露骨に出すようなsawなんかと比べればよっぽど見るに耐えない。
途中退席した人が数多くいるというのだから、客の心に強く響いたという点ですごい映画なのかもしれない

5/10点

【映画】ドラゴンタトゥーの女




デヴィッドフィンチャーによるミレニアムのリメイク?というよりUS版というべきか。ファニーゲームUSAみたいな立ち位置。
ミレニアムが絶賛されただけあって果たしてフィンチャーの方はいかに?と期待していた。結果個人的にはどちらも素晴らしいものであったと言える。
フィンチャー作のドラゴンタトゥーはダニエルグレイグとルーニーマーラを起用した事により007臭がしないか不安であったがダニエルクレイグがありがたくも期待を裏切ってくれ(?)なんとも頼りない女癖の悪いおじさんを演じ切った。
一方でルーニーマーラといえば美しい才女というイメージだったが見事にアングラ感満載のサイバーテクノ好きそうなレズビアン天才ハッカーを演じ切った。
この話は弾丸が飛び交うようなプラトニックストーリーでもないし現行して殺人が起きる話でもない。わかりやすくいえば30年前の草津温泉湯けむり殺人事件を追え!みたいなもんだ。なので求められるのは完全にキャストの演技力と原作をいかにリアリティを出しながらも興味をそそる内容にするかが肝である。
事実デヴィッドフィンチャーはそれをうまくやり遂げたわけだが。
長らくお茶の間でせんべいと共に犯人探しをしている我々にとってこの手の殺人事件の犯人探しは容易だ。犯人は登場した瞬間分かった。てか犯人ヅラしすぎ。
多分犯人が誰かは問題ではなく過程に重きを置いたのだろう。
批判するならばお色気が品がない。アングラ感満載のルーニーマーラだから仕方がないのかもしやないがモザイクを入れるのはどうかと思う。正直あそこでは笑えた。全体を通して暗い話だからあそこでモザイクを入れる事によって笑をとるつもりだったのかもしれない。そうだとすれば彼は究極のコメディアンである。

8/10点中

【映画】冷たい熱帯魚


園子温監督はどうやら自分の妻が他人と性交するのを見て興奮するタイプの人間らしい。園子温作品を結構見てきたし他の映画で神楽坂恵を観たが性交しすぎである。
正直それくらいしかこの映画は記憶にない。大元となった事件は興味があったので内容はなかなか良かったがとにかくいちいち交尾させるのが良く分からない。死体を解体する廃屋にマリア像やらろうそくが沢山あるあたり、社本がだんだん悪魔に変わって行く事を暗示しているのだというのは大体わかった。交尾しまくるあたりもベリアルだかルシファーにでもなってんだろうなとは思った。しかし隠喩が隠せてないという致命的な事態。もはやここまでくるとこれは園子温だからと開き直って見るべきなのかもしれないがもっと賢いやり方があるんじゃないか?
本当狂うとかセックスとかアンダーグラウンド好きだよな。
でんでんの演技力は非常によかった

【映画】悪の教典

生まれつき人の痛みや感情を理解する能力の劣っていた主人公蓮見はシワの多いハイレベルな脳を持ちながら行く先々で気に食わぬ人間を殺していく。
教師になった今、生徒や周りの人間からは明るくスマートで面倒見のいい教師のイメージを植え付けていた。
しかしある事を皮切りにだんだんとボロが出て行き、自分の本性がバレかける。結果蓮見は文化祭の夜、自分のクラスの生徒全員を殺す決意をする。

貴志祐介の原作を読んだ時の私のイメージでは主人公蓮見誠司は谷原章介が適役だったので伊藤英明のチョイスは正直謎だったが、観た後思えばそんなに配役については気にはならなかった。ただあまりに表情が変わらなすぎて猟奇性はあまり感じられず。
他の面々は今絶頂期のヒミズの二人。サイコジャパニーズサスペンス御用達の吹越満。冷たい熱帯魚ではだんだんと悪魔に変わっていく社本の役を熱演。あとはチョイ役で山田孝之などなど。

そして相変わらず三池監督は血糊と塩化ビニールが好きなようで、後半はディズニーシーのパレードばりに血が吹き出していた。彼なりのジョークなのだろう。もはやあそこまでいくとグロテスクという概念はなく寧ろ清々しい。三池芸能というべきか。
13人の刺客ではゴローちゃんの生首が便所にゴールインするという痛快なラストを観れたので今回はどんな終わり方をするのかと思いきや、序盤に出てきたカラスが生存者二人と照らし合わせるなんぞなんともらしからぬ終わり方をする。
なんなら伊藤英明が猟銃自殺、吹き飛んだのどちんこが水道にホールインワンするなどというバタリアン的ジョークを組み込んで欲しかったが。

まぁ感想としては単調に話が進んで行き特に隠されたメッセージなどもなく淡白な映画だった。真っ赤だけど。
一番笑えたのはエンドロールでいきなり見当違いなEXILEが流れだして椅子から転げ落ちた事ですな。劇場にいらっしゃっていた客層が若いカップルばかりで驚いた。あんな血のオンパレード見てからラブホテル何ぞ行っても殺されるんじゃないかという焦燥感しか湧き起こらずたいして盛り上がらないのでは?果てはそれに興奮するサブカルカップルだったか。いずれにせよ隣が某お笑い芸人だったために最後にダメ出しした時はカップルはクソだと痛感した。
6点/10点中

2012年11月5日月曜日

【映画】最強のふたり

もともとミニシネマであったものの好評により全国的に公開されたフランス産の最強のふたりを鑑賞。
遺産は大量にあるもののパラグライダーの事故により首から下が半身不随となってしまった資産家がスラムの青年を介護に雇い第二の人生を歩む話。
映画は全体的に焦る様子もなく穏やかでスムースに回想や幻想もなく話が進む。それはとても心地よく観ていて楽だ。
話は一貫してシニカルな相対主義をとっている。若く自由の身ではあるが金はなく家族は貧しく深夜にたむろするくらいしかやることがないドリス。一方で金も住処も保障されているが首から上の娯楽だけのフィリップ
お互いの共通点といえばこのくそみたいな人生と社会からの離脱だ。人間は弱い。コーヒーが飲みたいと思えばコーヒーを飲み飲み終われば今度はマフィンが食べたくなる。そして眠くなり....zzz
体があればどこかに行こうという欲が湧き、金があれば何かを買おうとリンクする。この映画の魂胆にはあるべきものに感謝せよということなのだろうか。

しかし劇中でドリスとフィリップはとても満たされている。お互いの足りない部分をカバーし、お互いの知らなかったことを経験する。そしてあんな不良をなぜ雇ったという知人の問いかけに対し、彼だけが私を対等に扱うと。
介護のあるべき姿とはこういうことなんだと思う。現状としては自分より劣った人間が不平不満を言えば当然腹が立つ。結果介護者によるいじめが蔓延している。ドリスはフィリップを障害者だと思っていない。投げ返してこいと雪の球を投げつけたり新しい友達くらいにしか思ってない。これが介護のあるべき姿である。

心から笑える箇所がたくさんあり、初めて劇場で声を出して笑ってしまった。感覚のない足にお湯をかけてみたりフィリップのひげで遊んでみたり。まるでその場に一緒にいて笑っているかのように錯覚させる撮り方も素晴らしい。


この映画を見てゾンビ映画ばかりとりこんでいたカビだらけの脳がすっかり浄化された。死ぬことを恐れて生きるのではなく目先のことを楽しもう。生きる活力となるそんな映画。

9/10点中
 

2012年10月25日木曜日

【映画】もしも昨日がえらべたら

はじめに言います。泣けます。
ネタバレしても泣けます。それも笑と感動を交互にいれてくるから罪な映画です。
心温めますか?なアダムサンドラー映画の中では一番泣けるかもしれない。101回目のプロポーズはいい映画だけどそこまで泣けないし。
仕事に家族に人生を生き急いでる不器用な男がある時謎の博士に万能リモコンを授かる。そのリモコンはなんと文字通りなんにでも使える。口うるさい妻の姉をミュートにすることも出来るし、一時停止して近所のガキを黙らせたり、なかなかウンチをしない飼い犬を早送りしたり…。すっかりリモコンの虜になった男は仕事をすぐ終えたいがために早送りしまくる。気づくと自分は老いはて、妻は出て行き、子供達は大きくなって出ていっていた。大切な時間をも早送りしてしまった男は、父の死に立ち会えなかったことを激しく後悔する。そして自分の死。ラストはハッピーエンドなのでご安心を。
ありがちな内容だようだけど、意外となかったシナリオで、意外と予想がつかない展開でのめり込んだ。アダムサンドラーじゃなきゃこの役は無理だったろうなー。ちなみに笑えるシーンも結構多くて本当にいい映画。
9点/10点中

2012年10月24日水曜日

【映画】テキサスチェーンソー



マイベストムービーです☆
澤選手の名言である。モンティパイソンばりのブラックジョークである。猿が猿の映画を薦めるとは。
そんなことはさておきこの映画は私の短い薄い生涯見た映画でも5本の指に入る。
死霊のはらわたのリメイクとして作られた今作は原本に負けず劣らずのおぞましさとクオリティでスプラッタファンからの支持も高い。
テキサスの田舎へ旅行へ行った大学生達がテキサスのど田舎に驚愕する。コンビニはないし石のようなばあさんが店先で固まっておる....
のではなく田舎にある独特な風習とか社会の目から避けられた者達の恐ろしい慣習などをリアルに描いた映画。タイトルからお分かりの通りチェーンソーが出てきます。説明は以上です。これで充分です。

正直なぜあれだけスプラッタムービーとホラームービーがある中これがダントツに好きなのかは自分でも分かりかねないが、多分それはチェーンソー男の人の皮を被っていてチェーンソーを振り回すという恐ろしいビジュアルと、舞台が煌びやかなニューヨークではなく娯楽といえば家畜をペッティングするかテレビのワイドショーを観るしかないようなアメリカに多く存在するど田舎である事が私の心をゆすぶるのだろう。
多分舞台が日本であっても相当怖いと思う。舞台が青森の田舎で仮面をつけた男が包丁を持って夜中に「わりーこはいねーがー」なんて言って押し入ってきたらと考えると…あれ?

一番の見所は最初のヒッチハイクした女の子が自殺した理由が一番最後にわかる事。この話は輪廻してるんだ…!とわかった瞬間この映画の虜になるであろう。
9点/10点中

2012年10月18日木曜日

【映画】マルホランドドライブ

デヴィッドリンチ監督の作品は理解しようとしても理解できないものが多々あるから、理解しようとしてはならないと言われる。芸術として見るか自己の解釈で判断させるという挑戦的な作品が多い中このマルホランドドライブは理解出来るサスペンスと言われる。と言ってもアベレージから見れば全く意味がわからないものなのだが。
舞台は映画と金と殺人が渦巻くハリウッド。主人公のベティは田舎町から女優になるためハリウッドにやってくる。大女優の叔母を持ち、その遺伝子を受け継いでいるのかオークションは大絶賛、出だしは好調だった。
時同じくしてリタはハイウェイの途中で殺されかけたところをなんとか逃げ、ベティと遭遇する。リタは頭を強く打っており、記憶を失っていた。リタの記憶を修復する手助けをするためベティは手を貸す。だんだんと謎が分かりかけてきてリタとベティは愛し合う。このままでいたい。そう願っていた。
ある夜訪れたクラブシレンシオ。そこで繰り広げられる演奏会はすべて録音であり、虚偽演奏である。そして支配人らしき男が一言、この物語はまやかしです、と。
ここまでが現実ではなく回想だとしたら?人々は混乱する。
通常映画というものは現実のストーリーを流し、キャラクターを理解させてから回想や過去のシーンを流す。しかしそれが逆だとしたら?
ここがマルホランドドライブを理解するある種の要で、これさえ分かれば"理解する事の出来ない芸術という名のついた意味のない無駄な時間"ではなくなる。もっともリンチ作品よりピーウィーの大冒険なんぞを観る方がよっぽど無駄な時間である。
前半の膨大なシナリオはすべてベティの妄想、理想世界であり、こうあって欲しい事が描かれている。カウボーイの死神に起こされてからの後のシナリオが認めたくない現実である。
例えば理想の部分ではリタは自分を頼らなければ生きていけず、自分のことだけを愛している設定だが、後半の現実の部分ではリタは映画監督と関係にあり、自分への愛はすでになく、婚約までしている。さらにはベティは役者ではモブキャラで、スターの道は無い。
妄想の部分は物が不完全である事から理解する事が出来る。例えばダイナーで自分の恐ろしい夢の話をする男が席を立つと机にはもはや何も置かれてなく、不自然である。
また自分の恐ろしい夢の話をする男が言っていた黒い恐ろしい何かとは、ベティの心にあるわだかまり、妬み恨み、心の悪の部分を凝縮した物体であるといえる。ちょうどダークナイトのジョーカーのポジションになると言おうとしたが残念ながら病院を爆破するようなことはしない。
初めて観たデヴィッドリンチ作品がラビットだったために完全に今作を観るのをためらっていた。だがこれだけとっつきやすい物だと分かれば全部観てしまおうと思い他の作品も観たが、イレイザーヘッドで度肝を抜かれた上にまたためらうこととなった。
マルホランドドライブで得た事といえば他の映画を観ても無理難解だと思うストーリーがなくなった事。よっぽど裏をかいた映画でなければ大抵は難なく観れる。ありがとうリンチ。

∞/10点中

2012年10月17日水曜日

【映画】ダークナイト

19世紀に生まれて以来多種多様な技術が生まれ、映画はもはや娯楽ではなく時代を象徴する遺物となった。その200年もの歴史において最高傑作ともいえる作品がこのダークナイトであるといえる。
莫大な資金と豪華なキャスト、設備、技術、シナリオ、ハンスジマー。笑
今後100年これほどの衝撃を生む映画はないと私は自負している。

もはやあらすじなど語ること自体が愚の骨頂であるといえるが、このブログのLAWであるためそれに従う。
前作ビギンズでバットマンの完全体となったバットマンはもはやその地位を揺るがすものはないほど強大なゴッサムの守護神となっていた。ゴッサムの秩序は保たれマフィアはグループセミナーを昼間から開きバットマンを恐れながら生きていた。人間というものはガチガチの規則に縛られれば縛られるほど反骨する生き物である。1980年代のイギリス強攻政治がいい例で縛り上げた結果ロンドンパンクが生まれた。その結果は私にとって良い結果となったわけだが。
ゴッサムシティも縛り上げた結果、諸悪すべてを凝縮しろ紙でこしたような悪の塊が生まれる。ヒースレジャー扮するジョーカーだ。

映画のテーマといえば、「正義と悪という分節は、恣意的なものに過ぎない」という徹底してシニカルな相対主義である。
ジョーカーは人間ではない。顔はなく過去の経歴もなく自分が語る過去のストーリーはでたらめで、あれは人間の形をした悪の塊である。もはやゴロツキのような威圧や金で収まる悪ではなくなり、町が燃え上がるのを見て喜ぶような悪が台頭するようになってしまった。追いつめられたバットマンは町中の携帯をハックしてジョーカーを見つけ出す。もはやどちらも悪でありきらびやかな正義など跡形もない。ゴッサムの希望と言われたハービーデントも最後は私怨に負けて復讐鬼と化す。
人はひと押しで悪へと落ちる。ジョーカーはそれを証明するため人間界に現れた混沌の使いであった。

10/10点中

2012年10月5日金曜日

【映画】ダークナイトライジング


映画公開までこれほど心待ちにした映画はスターウォーズ以来だと思う。クリストファーノーランによるバットマンシリーズの最終作。
混沌を擬人化したピエロを逮捕し正義が悪になった瞬間を見届けヒーローごっこを引退したコスプレ男が母のネックレスをネコババされブチ切れ、ムキムキになって極度の民主社会にする話ではない。これはアメリカの煌びやかな幻想リアリティをひっくり返し終焉を危惧した映画である。
すべてにおいて完璧といえば大ホラ吹きになるが、あまりに完成しすぎている部分がある。ただ部分がある、という話であり、それを差し引いたその他は完璧であるといえる。
興ざめするようなCG加工丸出しのようなシーンはなく映像技術においては最新鋭なのであろう。
バットのシーンや警官と暴徒の乱闘のシーンは実際に役者を使って撮っておりノーラン監督のリアリティを求めるハングリー精神に感服である。
大抵規模がでかくなると最近の映画はCGを使う。これをノーランは逃げだと感じたのだろう。
序盤ではハンディカムを使いリアリティのある映像を撮っていたのにもかかわらずラストの正体がCG丸出しのクローバーフィールドなんかが良い例で手を抜けば映画全体の質が下がるしCGに力を入れれば不自然な金のかかったB級映画のようになる。Battlefieldとかね。アバターみたいなもう開き直ってFF映画みたいにしてしまえば話は別だが、ダークナイトを撮る上で少しの欠陥もノーランは認めなかった頑固さがそこから伝わった。
今作のテーマは希望。希望と聞くと甘酸っぱい商業生産的ジャパニーズファッキンポップのリリックを思わせるクサさであるが、今作における希望とは光溢れるものではなく光溢れるものを下から眺める物を指す。空は見えるのに出ることの出来ない"奈落"、自由はあるが原子力爆弾を背負ったゴッサムシティ。ベインは人々に希望を与え殺す。前作のジョーカーが混沌、恐怖を与え殺すのに対し希望を与える方がより残酷であり非人道的だ。
日本の地方に伝わる伝承に犬神というものがある。犬を地面に埋め、首だけ出す。届かない距離に餌を起き見えるのに食えないもどかしさを味わせその後首を落とす。犬には強烈な恨み怨念が宿り村を一つ崩壊させるほどの邪悪なものとなる。
もちろんゴッサムシティの人間が怨念の塊となったわけではないが爆破した場合を想像しふと思い出した。
シリアスなシーンが多い中最高に笑えるのがあれだけ丁重に扱っていた原子力爆弾を緊急事態になったとたん振り回し容赦なく爆撃しおっこどした上に、中からゴードン警部補が小指でも打ったレベルの痛さで現れたことである。あれだけ対物ミサイルの砲弾を上から浴びて四回くらいの高さから落っこちて、「いてててて」レベルの痛さですむものならもはやゴードンが一番強いのかもしれない。犬に腕を噛まれて腫れ上がるどっかのコスプレ野郎とは大違いである。
それと全米で公開当初ベインが何を言ってるのかわからないという声が多く上がった。なぜあんなに聞こえづらいマスクを口に装着しながらロシア訛りの英語で話すのか。おまけにバットマンの病み上がりみたいな声も前作よりパワーアップしており二人の会話はもはや字幕をつけるべきである。どうせなら右下に手話のお姉さんも入れるべきである。
このように文句一つない映画である事は確かだが欲を言うとヒロインは垂れ目じゃなくつり目のブロンドを選ぶべきだぞノーラン。