2013年4月21日日曜日

【映画】銀河ヒッチハイクガイド



あらすじはあるようでないので書きません。
なんでしょう、感想がまったく出てこないのに観終わって結構面白かったなと思ったのにどこが面白かったのかいまいち覚えていない。ズーイーデシャネルは相変わらず顔はいいんだけどむかつく不思議ちゃん役で(イエスマンもアウターゾーンも500日のサマーもそうだった)、映像も結構きれいでよかった。マシンの作りとかも魅力的だし宇宙人のデザインも今までにない感じ。でもこれはSFというよりコメディ...なんじゃないか?
人類の創造は神じゃなくてどっかの国の製造主がいて全部作っていたら?しかも地球が破壊されて故郷がなくなったら>という話。まず思ったのは外人はほんとに自分の国が脅威にさらされる話好きだなってのと、これ何も考えずに見なくていい奴だと開始5分で気付く。子供に見せるにはむずかしいブラックジョークみたいなのもあった気がするけどやっぱこれ子供向けだーーー!
さりげなくジョンマルコヴィッチが出てて非常におもしろい。うつ病のロボットの声がスネイプ先生のアラン・リックマンだそうで仕事を選ばないいい人だと感じました。

【映画】デスプルーフinグラインドハウス

クエンティンタランティーノ監督のカーアクションスリラー。
グラインドハウスとはエクスプロイテーション映画(文字通り客から搾取するために考えられたB級映画で、黒人向けに作られたブラックスプロイテーションやエロスを題材にしたセクスプロイテーションなどがある)B級ホラー、カンフーアクションなどセンセーショナルな映画を二本立てで上映していた映画館を指す。今ではあまり見かけなくなったがかつて栄えていた繁華街にたまにある。アメリカではドライブインシアターなどが主流。余談だが私が通っていた高校(黄金町)の周りにもポルノを中心としたものや、聞いたこともないような映画が二本立てで放映されていた映画館があった。
本作はロバートロドリゲス監督のプラネットテラーと二本立てで、映画オタクのタランティーノが当時の雰囲気を出すためにわざと偽のCMをはさんだり上映中スリキズや画像ノイズ出したりして(B級なのでフィルムが大量生産されず映画館同士で同じものを使いまわしスリキズがだんだん増えていった)当時の雰囲気を醸す遊び心あふれる作品となっている。


あらすじ
テキサスの地元ラジオ局の人気DJジャングル・ジュリアは、長年の親友シャナの運転する車で、久しぶりに街にやって来た友人アーリーンと共に出かけた。しかし、怪しい車に乗った男がジュリアたちの前に何度もあらわれることにアーリーンは気付く。彼は、女の子たちが向かったバー「テキサス・チリ・パーラー」にも現れ、スタントマン・マイクと名乗り、ジュリアがラジオで放送したことについて、アーリーンに話しかけてくるのだった。怪しみながらも、個性的なマイクとのやり取りを楽しんでから、アーリーンとジュリアたちはバーを出て、ラナの運転の車に乗り帰路に着く。マイクも、パムと約束したために彼女を送ろうとしていた。マイクは自分の車を、カースタントのための耐死仕様デス・プルーフ)だとパムに話す。そして発車させたとたん、マイクはおぞましい本性を現し、女の子たちは、みんな悲惨な目に遭うことになった。
オースティンから14ヶ月後のレバノンにマイクはあらわれる。映画業界で働くキム、アバナシー、リーの3人はニュージーランドから来た仲間のゾーイを空港に迎えに行ってから、4人で仕事の合間の休みを過ごそうとしていた。そしてスタントウーマンであるゾーイの希望で、レバノンで売りに出ているという或る中古車を見に農家に行くことになる。それはゾーイの憧れの車で、440エンジン搭載の白の1970年型ダッジ・チャレンジャーだった。オーナーから許可を得たゾーイは、キムとアバナシーを伴って試乗するが、マイクがマッスル・カーで絡んでくる。何とか危機を脱した3人に、マイクは機嫌良く別れを告げるが、ゾーイたちは、やられっぱなしになるような甘い女ではなかった。
(引用元:ウィキペディア)



今作でもタラ特有の車内での意味のない話を延々と続けるシーンが多くあり、マニアにはたまらない物となっている。ガールズトークということで男に対する内容のない女子の会話がうまく描けている。(パルプフィクションでは男同士であるために女の話だったり食い物の話が多かった。)
意味のない話なのだがなぜかしっかり聞いてしまうし毎度話の内容を覚えてしまうのでタラマジックに気づかないうちにかかってるのかもしれない。しかし現実に我々が話してることは外部の人間にはどうでもいいことなのだしそれを映画でやってのけるんだからある意味タランティーノは恐れ知らずなのかもしれない死それが何よりも魅力なのだ。
グロ描写も相変わらずで、男たちの眼差しの先にあったDJの生足はデスプルーフに引きちぎられて地面にバウンドするし、お高くとまってるバラフライの顔面はカスタムされたタイヤに嫌というほどぐちゃぐちゃにされる。しかも衝突のシーンはご丁寧に四回もリプレイされ、ギャルたちの死にざまはしっかりと確認できる(欲していない)。

特殊性癖が描かれる映画は今までにもいくつかあったが、自分の装甲車でギャルを引き殺すことに快感を覚えるタイプはおそらく初めてだろう。どこがたまらないのか全く分からないが事故って自分も大怪我しているのに14カ月後懲りずにまたやろうとするんだから性の力は偉大である。少し前に全裸で皇居の堀を超えて石塀を登っていた外人がいたがあれもちょうどそんなところか。

しかしタランティーノは最後にちゃんとスッキリさせてくれるから安心して観れる。多分本人は自分の映画大好きなんだろうな。拳を上げてやっちゃえやっちゃえ言ってるのが目に浮かぶ。自分の映画なのに。本作もやられっぱなしじゃなく最後に強い女子がスタントマンマイクをぼこぼこにする。ちょっとこれが意味するものが何だったのかわからなかったが清々したのは確かだ。
ただ一つ残念なのは、ダイハードで娘役でも出演しているメアリー・エリザベス・ウィンステッドがなぜか全然出てこないし最後は一緒に車に乗ってすらいないしあのあとどうなったかも描かれていないので許しがたい。
 

 めっちゃかわいいのに。

2013年4月14日日曜日

【映画】善き人のためのソナタ

 
 
 
今更だけど。
冷酷なるスタージ(東ドイツの国家安保部隊)のキャプテンが、彼とは正反対の生き方をしている芸術家たちのくらしを監視するうち、しだいに思想がゆらいでいく。
ドレイマン(芸術家)とジーランド(キャプテン)の、体制におもねるのか自分の才能を信じるのか、その狭間でゆれる悲恋が一応本筋としてあり、それを彼らに嫉妬しつつも監視をするウィーズラーが、しだいに自分の理想は社会主義やスタージへの忠誠ではなく、彼らのような自由な生き方であると思い直し、自らの身を呈して彼らを守るため勝負にでる。
 

東ドイツが独裁国家だった暗黒の時代、政府は保安という名目のためなら手段を選ばず言論統制を芸術家や出版社に行っていた。それは盗聴であったり買収であったり。バイオレンスのシーンは一切無いが、無言の暴力が存分に描かれている。
盗聴は当時一般的であり、音楽を流して妨害したり外で会合を行うなど市民はあらゆる手を使って政府の監視を避けていた
ドライマンもまた監視されている可能性があったため、友人を西ドイツへ逃亡させるというガセを流し本当に政府が動くか盗聴をチェックした。しかし西ドイツへはなんなく行く事が出来、盗聴はされてないと確信していた。そこで彼らは東ドイツの自殺者の現状を世界に知らせる為に極秘に執筆し始める。使わない時はタイプライターを敷居の下に隠し密かに執筆を続けた。
しかし実際は監視は最初から行われており、情が移りつつあるジーランドが今回だけはと見逃したために作戦は成功した。そのためドライマンたちは監視がされていないと信じ執筆を始めてしまう。
結果としてジーランドの無言の保護もあり雑誌は西ドイツで発売され話題となった。当然スタージの上官はジーランドを疑い始める。最後に至るまでジーランドの裏切りは見抜かれていたが上官も人の子であるため銃殺にせず手紙開封職というパートのおばちゃん的業務に左遷する。しかしそれから4年たってベルリンの壁が崩壊する。ジーランドはもうここにいる意味がないと感じたのかふらふらとその場を後にしビラ配りの仕事を始める。その姿を自由になったドライマンは車の後部座席から見ていた。情報管理室で登頂の記録を調べたところ自分を保護していたのはジーランドだったということを知り、礼を言おうとする。しかしその姿を見て無言のまま立ち去る。今の彼にどんな言葉をかけても伝わらないだろうと感じたのだ。
それから二年経ってジーランドは相変わらずビラ配りをしていた。書店の前を通り過ぎるとドライマンの新作著書がでかでかと広告されていた。長年監視を続けたドライマンの才能はジーランドにとって痛いほど理解していたため、内容が気になった。本を手に取るとタイトルは善き人のためのソナタ。ジーランドが心を動かされたあの曲だ。そしてページを開くと”HWK ××7に捧げる”と表記されていた。これはジーランドのコードネームである。
本をカウンターに持っていくと店員はプレゼント用ですかと聞き、ジーランドは「いや、これは私のための本だ」と答える。
この最後のやり取りのために前の130分があったといっても過言ではない。それほどこの一言ですべてが報われグレーをイメージさせる話の内容と禿げとヘッドフォンを破壊するような一言だ。
名作といわれる所以がわかる非常にいい作品。
 
しいて言うならばジーランドが善き人のためのソナタを聞いて心を動かされたのならばもっとダイナミックな撮り方をしてもよかったのではと感じた。ただ作品全体を通して穏やかな恐ろしさが漂う映画なので監督がダイナミックな撮り方を嫌ったのだろうと感じた。
 

「レーニンはベートーヴェンの“熱情ソナタ”を批判した。 “これを聴くと革命が達成できない。この曲を聴いた者は……本気で聴いた者は、悪人になれない”」
 


 

2013年4月5日金曜日

【映画】クラウドアトラス






1849年、太平洋諸島。若き弁護士に治療を施すドクター・ヘンリー・グース(トム・ハンクス)だったが、その目は邪悪な光をたたえていた。
1973年のサンフランシスコ。原子力発電所の従業員アイザック・スミス(トム・ハンクス)は、取材に来た記者のルイサ(ハル・ベリー)と恋に落ちる。そして、地球崩壊後106度目の冬。ザックリー(トム・ハンクス)の村に進化した人間コミュニティーのメロニム(ハル・ベリー)がやって来て……。


いつの間にかウォシャウスキー兄弟からウォシャウスキー姉弟になっていたふたりとトムティクバ監督の三人によるドラマやアクション、ミステリー、ファンタジー、ラブストーリーなどさまざまなジャンルを内包して描く壮大なスペクタクルSF。
鑑賞してまず感じたのは、クリストファーノーラン監督の傑作"インセプション"と同じ多層構造で物語を複雑化するものの、最後にはすべての物語が繋がり収束するだろうという予測だったが、インセプションと違い、クラウドアトラスはそれぞれの時代を生きる人間たちは本質は同じでありながら全く別のキャラクターであるため理解するのに記憶力と柔軟な脳を必要とすること、また一度観ただけではすべてを把握することは不可能であるということだ。


クラウドアトラスに存在する各時代は以下の通り

 1. 1849年の南太平洋
 2. 1936年の英国
 3. 1973年のカリフォルニア
 4. 2012年の英国
 6. 2144年の韓国ネオ・ソウル
 7. その数百年後、世界大戦後のハワイ島~宇宙

これらの時代をコマごとに交差し物語は進んでゆく。

クラウドアトラスで最も評価すべきが幾つもの時代が交差するにもかかわらずすべての因果関係がしっかりと繋がっており、また一つ一つの時代が濃密に作られていること。
例えば2144年のネオソウル一つだけ見ても、ソイレントグリーンのような文明の過剰発達により生産のあるべき姿が脅かされ政府に民間が決起するなどちゃんとしたストーリーが出来ており、バラして観ても楽しめるぐらい作り込まれている。
補足。ソイレントグリーンでは文明の発達により温度が上昇、地球に植物が生えなくなり食べ物が確保されず、ソイレントグリーンと呼ばれる非常食を食べていたがそれの原料は老人ホームで死んだ人間だった。そのためクラウドアトラスでも2012年に作家が兄に強制的に老人ホームに入れられた際に”Soilentgreen is people!”と叫ぶのだ。そして2144年のネオソウルではソイレントグリーンと同じような恐るべき現実をソンミは目撃することとなる。要チェック。

次に評価すべきはキャラクター。クラウドアトラスに登場するキャラクターは一つの時代だけでも平均して約10人。6時代あるので60人だ。しかし俳優一人が六役こなしていたりするので意外と混乱する事はないし、これ誰々じゃん!など俳優を発見するという楽しさもある。ヒューゴの分かりやすさは尋常じゃないがヒューグラントの絶妙な特殊メイクが意外と気がつかない。(この二人は全時代に登場)ペドゥナの白人はちょい無理を感じたが。
これだけのキャラクターがいるアンサンブルキャストは多分今までにも類を見ないだろうが、個性が一人一人あるので混乱する事はないだろう。

あと感じたのは1億ドルという半端じゃないバジェットを感じさせるクオリティ。映像美はもちろんのこと、俳優の演技は妥協が一切感じられないし、衣装や都市のデザインから小物、音響、撮影技法まで細かくウォシャウスキーのこだわりが感じられる。移民、それもヒスパニックや朝鮮系を近未来に出すのはもはやウォシャウスキーの特色とも言えるが各時代に救いようがあるあたりはランローラランの監督であるトムティクバの色が感じられた。撮り方も独特なシーンがあると感じたが撮影はランローラランのフランクグリーベなのね。横スクロールだったりスターウォーズのような荘厳なショットが多く見応えがある。



奴隷解放運動、 市民運動、 レプリカント解放運動、 惑星移住を通して、 弱肉強食と愛の戦いが描かれる。すべての要は愛であり、愛はあるべき序列を破壊し、次なる未来を映し出す。 境界線は越えるためにある、 境界を越えることを想像すればそれは可能になる、 と。 そんな宿命を持った者には流れ星のアザがある・・。流星のアザこそが時代のキーであり、時代の未来なのだ。
命は自分のものではない。子宮から墓場まで人は他者とつながる。過去も現在もすべての罪が、あらゆる善意が、未来を作る。ペドゥナが革命の前に言う言葉だ。本当にその通りだと思うし、その言葉のきっかけは2012年に老人が作り上げた作品の映画化、またペドゥナはその後革命の母として2144年には神として讃えられている。日常の思わぬところにキーは落ちている。そんな事は当たり前だと分かっていても、意外と気が付かない。すべては因果関係で繋がっており、またそれは生まれた瞬間から決められたストーリーなのだ。私が今コーヒーを飲む。このコーヒー好きは彼女の影響だ。眠れなくなったので勉強をする。結果としてテストは受かり、仕事をする。仕事の業績が良く管理職に就く。すべてはコーヒーが好きでなければおきえなかったかもしれない。しかしコーヒーを飲んだのは偶然ではなく必然なのだ。
命は自分のものではない。子宮から墓場まで人は他者とつながる。過去も現在もすべての罪が、あらゆる善意が、未来を作る。
それを考えてから再びこの言葉を読めば意味は理解できるだろう。


一言で言うならばこの映画はすべての店の質がとんでもなく高いフードコートみたいなもの。
三ツ星フレンチから金賞を取った中華、ミシュランイタリアン、銀座の寿司屋。
それぞれが完成されていて究極。それが同じフロアで楽しめる。さらに言うならばそれぞれのシェフは全部同じ人。それがクラウドアトラス。間違いなくSF作品の歴史を変えるような偉大な作品であるし、かつて存在したSFの良いところを少しずつ生かしたような名作。この映像美は映画館で観る事をオススメする。ただ三時間と非常に長いので事前にトイレに行っておく事をオススメする。