2013年5月29日水曜日

【映画】ビルカニンガム&ニューヨーク



青い業務用ジャケット(まさにブルーカラーが着る20ドルのやつ)を羽織って、チャリでニューヨーク中を駆け巡り、これぞと思った服装をした人を撮る。それはセレブであろうが一般人であろうがファッショナブルであれば問題ない。彼は金持ちに何ぞ興味がないのだ。
彼の名はビルカニンガム。御歳なんと84歳。アマチュアのカメラマンでニューヨークタイムスのファッションコラムを持っている。彼のストイックさは尋常じゃなく、家は簡素で食べものも安いファストフードに99セントのコーヒー、雨の日も風の日もボロボロになったつぎはぎのポンチョを着てファッショナブルなニューヨーカーのスナップを撮影する。
そのストイックな精神でスナップは50年以上続けられてきた。しかし彼の正体や家族、バックグラウンドやストイックさの秘訣などは今まで謎だった。それを紐解いていくというスタイルのドキュメンタリー。

彼はカーネギー・ホールの階上にある古いスタジオに住んでいる。古くからコンサートホールとして知られマンハッタンのランドマークであり、芸術家たちの巣窟であった。しかし改装工事によりビルを含め住人達は立ち退きを命じられている。ビルが住むスタジオにはキャビネットが所狭しと並べてあり、その中には何十年分というストリートスナップの歴史がすべて捨てずにとってある。パソコンのデータに変えたらミニSD一枚、それも5ギガ位で収まるだろうが彼はあくまでアナログにこだわる。カメラもデジタルではなく未だに手巻きのフィルムカメラだ。
ストイックでアナログ派というと頑固で気難しいじじいというイメージだが、彼は非常に気さくで、よくジョークを飛ばす。それに幸せそうなくしゃくしゃな笑顔でニューヨークタイムスの若手社員をディスりまくる。
彼の活力の源は一体何か。
おそらく子供と同じで新発見の毎日なのだろう。人々は日々新たなファッションに挑戦し町へ繰り出す。もちろんそうでないコピーのような面白みのないファッションがほとんであるが、ごく一部オリジナルのそれもずば抜けたファッショナブルな人間がいる。その埋もれた花を探し出しスナップすることこそが彼が仕事を愛するもっともな理由であり、84歳でチャリをガンガンに漕ぐことができる理由である。それも燃料は99セントのコーヒーだけ。
プラダを着た悪魔でおなじみ、ファッション誌ヴォーグのアメリカ版鬼編集長アナ・ウィンターは、まだ若いころからビルに写真を撮ってもらっており、「ビルのために毎日、服を着るのよ」とまで言う。ここで19歳の頃の写真が映し出されるのだがアナは19歳からずっとボブなのね....。つうか今63歳ってまったく見えんな




「ファッションは、生き抜くための鎧だ。手放せば、文明を捨てたも同然だ」
これはビルの言葉であるが的を射ていると思う。ファッションはいつだってその時代のカルチャーを反映させてきた。ベトナム戦争時代のミリタリージャケットにラブアンドピースをあしらったり、戦後無駄が許された50年代にはエッジの利いたフォルムのワンピースが流行ったりとたかがファッションされどファッションだ。今自分は鎧を着て戦っているか?と思い返せば一概にうなずくことはできない。恥ずかしながらパーソナリティのないスタイルだ。しかし最近の原宿系であったりゴスロリもまた良いとは言えないだろう。ファッションにおいても中庸の妙は存在するであろうから。


感想。
なんだか観ていて途中からビルが神様かなんかに見えてきた。あくまで彼の前では誰もがフェア。金をかけたセレブが私を撮ってと言ってもそれがビルのアンテナに反応しなければ無視するだけ。逆に労働者やマイノリティであってもその着こなしが優れたものであればビルのフィルムに収まるのは間違いない。実際インタビューで信仰についての質問について彼は今までのテンポと打って変わって押し黙ってしまう。ホントに彼は神様なのかも。
信仰に関してはここでは詳しく述べていないので何とも言えないが、戦争の経験や、女性に今まで一度も興味を持ったことがないことやいつも一人ということからみて、彼の支えは神。神の存在が彼をファッションに夢中にさせる余裕を生み出す。


ファッションから学ぶ事はファッションの中に限らず、ライフスタイルであったり、生きる活力にリンクするということ。また報道のあるべき姿であったり、ムダをしない事に関しても、彼からとても学ぶ事が多かった
二時間ほどのドキュメンタリーで落ちも感動もないが、そのまっすぐな姿勢に感動する。長さを全く感じさせない道徳的作品。

2013年5月22日水曜日

【映画】ハッシュパピー バスタブ島の少女

BEASTS OF THE SOUTHERN WILDが原題。こっちのが内容を的確に表しててよくねえかぁ?まあでも日本人は長い英文は読む気が失せて読まないからね。
こちらの映画、アカデミー賞4部門ノミネート。おまけになんと文科省選定映画だそうな。
→教育上価値が高く、学校教育又は社会教育に広く利用されることが適当と認められるものを選定し、あわせて教育に利用される映像作品等の質的向上に寄与するために、教育映像等審査規程に基づいて映像作品等の審査を行っています。
要はどうとく的によろしい内容だから見るべしとお国が言ってるわけだ。
他に選ばれた作品を見てみると大地震だ逃げろだとかよもぎだんごぺったんだとか正倉院だとか図書館でじじいか親子連れがチョイスして観ているかのような作品ばかり。
そんな教養のための子供のための日本の未来のための素晴らしい映画かと聞かれればそうでもない。後半部分は合ってるが前半は100パーセント同意できない。なぜならあまりにも現実的で残酷な原題が抱える問題をクリアに映しているから。



やがて温暖化により水没してしまうと言われている島、バスタブ島。ハッシュパピーはそこに父親と住んでいた。ある時嵐が来て村のほとんどが水没、村人は逃げだし、残った人間はわずか。おまけに父ちゃんは心臓の病気でぶっ倒れ、さらには国の管理局のお役人が立ち退き命令を出す。

少女ハッシュパピーはまだ六歳。六歳にしてサバイバルの術を父親に叩きこまれ、死を目の当たりにし、現実と一人で戦う。それはまるで通過儀礼を思わせる。人は誰でも成人になる際に今まで子供として守られていた共同体を出て、たった一人で過酷な世界と対峙しなければならない。アボリジニの少年はたった一人で砂漠を放浪し、マサイ族はライオンを狩り子供の殻を捨ててイニシエーションする。それは遥か昔から続き、近代以降では兵役、現代では就活がそれに当たるだろう。しかし現代において死ぬことはまずない。自分を否定されたと感じ自殺してしまうパターンはあるだろうが、命を犠牲にするような通過儀礼ではない。その甘えこそが現代に様々な問題を生む原因だ。別にシャチ狩りをしろというわけではないが、いつからか我々はin to the wildすることを忘れてしまった。
しかしハッシュパピーはこんな舐め腐った、なよなよの現代にまるでハンナのごとく強く生きる(殺人マシーンではない)。それゆえに彼女は六歳とは思えないほど世界の仕組みを理解する。
例えばラストシーンでのセリフ。
私は世界のちいさなかけら。でもそれくらいでちょうどいい。
これはおそらくフラクタルのことであり、石油コンビナートを目の前にし氷河がとけて水面が上昇しているのを生きていく上で感じ取った一言。授業では教えてもらえない教養だ。

ハッシュパピーはあまりバックグラウンドであったり説明がない。場所はアメリカ南部の島で、あたりは湿地帯で、目前には石油コンビナートが並ぶ。父親が「世界で最も美しい眺めをブチ壊したがって」と嘆くことから、おそらく彼らは石油会社の採掘拡大のために立ち退きを命じられているのだろう。ルイジアナ南部の湿地消失量の約10%は,メキシコ湾沿海部における石油やガス探査や採掘用の人口運河ネットワークの開削に起因すると推定されていることからこの場所が選ばれたと考えられる。
今は存在しないオーロックスを出すところや全体的に幻想的な映し方からしてハッシュパピーがまだ子供で、現実をおとぎ話とリアルの半々で見ているということなのだろうが、では果たしてオーロックスは劇中で何を表すのか。オーロックスとは太古の昔人々が恐れていたイノシシのような獣。
巨大で立ち向かうことが困難だが、人々は知恵を使って勝つ。
現代において、おそらくそれは現実。彼女にはまだ仮想の生物、それも醜く仲間同士で食い合うようなものだが、我々にとってそれは過酷な現実のことだ。しかし彼女は家族を守るという使命感や責任感によって獣を追い払う。その姿、顔立ちはもはや少女ではない。オーロックスに対峙する前にハッシュパピーは母に会う。母とは顔を合わせた事がなく父の話でしか聞いたことがなかった。母は美しさのあまり湯はすぐ煮え立ち、ワニをショットガンで撃ち殺してから揚げにするようなワイルドさを兼ね持つ母ちゃんだったと。シュワルツェネガーミタイナカアチャンダネ。その父の話をずっと覚えていたハッシュパピーは母に会いに行き、ワニの唐揚げを作ってもらって病床の父に食べさせる。正直このシーンどっからどこまでが幻想なのかわからないが、とりあえず父はワニ食って死ぬ。父との死別も経験しハッシュパピーはもはや完全なる大人になった。
ハッシュパピーという小さな女の子の成長が世界をも揺れ動かす、そんな風に感じた。


話はとてもすばらしい。現実的でありながらも絵本のように丁寧に包み、それでいて力強いメッセージを感じた。しかし途中でだれる。監督がまだ無名で脚本がうまく映像化できていないのかもしれないが、少し時間を気にする隙ができてしまった。淡々と湿地帯の人々の暮らしを映しすぎたのと、ストーリーラインをうまく客につかめさせなかったのが原因だろう。途中お偉い達の会議のシーンとかを挟んで対比させたりしたら分かりやすくてエッジが出たかもしれない。
オープニングのお祭り騒ぎからのタイトルの出し方はタイミングといい色彩といいパーフェクトあの興奮を持続させることができれば満点だった。
ちなみにハッシュパピー役の女の子はリアーナ似の美人。






観終わって感じたこと
石油はいつの時代も悪だね!!






2013年5月18日土曜日

【音楽】OFWGKTA-WOLF

普段はヒップホップは聞いたとしてもCypress Hillかクラブ系でたまに入るライムくらい(ピットブルとか)でほぼ聞かないと言ってもいいのだが、昔は結構チカーノラップだとかウェッサイは聴いてた。そんなメタルとハードコア中心の私が4世紀ぶりにヒップホップのCDを買うなんてことは(しかも新品で)前にも後にもこれが最後だろう。なぜなら好きなバンドですらユニオンで半額以下で買うのだから。
なにがそこまで原動力となったのか。
まず彼らの見た目のインパクトにやられた。ビジュアル。それはファッションしかりPVのクオリティしかりすべてにおいて狂ってる。
一般的なヒップホップのグループのアー写といえば腕を組んだステロイドギンギンな黒人が並んでたり、ウージーやらAKを構えてブリンブリンな水着ねえさんとハマーに乗ってる写真が多いが、いったい全体これはどういうことだ。boketeの題材になってもおかしくない。てかどんな生き方をしてても人生の中で写真撮られる前にこんなジャンプする機会はまずない。
まんなかでゴキダッシュみたいなのしてるのがリーダーのタイラーザクリエーター。この見た目に反してかなりどすの利いた低音ラップでかなりクール。
しかも彼ら俺と同じ年齢層なのだからびっくり。AKBとタメくらいといえば分かりやすいだろう。しかしその若さと見た目のキチガイっぽさとは違いPVの内容やリリックはかなり反社会的なものとなっている。若者の将来の見えないやるせなさやアメリカの闇など、まるでイギリス王政時代のセックスピストルズのようなメディアアンチヒーロー。
タイラー単独の“ヨンカーズ”のミュージック・ビデオが世間の目にとまり一躍大ヒット、レーベルの引っ張りだことなったようだ。なんせリリックの内容は精神病のカウンセリング、ラップ中にゴキブリ食って吐いたり最後には首つったりまじでSWAG(ヤバい)。
 
 
バイオはこの辺にしておいて内容。
ロービートに乗せてラップする曲が多いがどの曲もちょっとおかしい。女の声のSEを入れたりメロウなメロディをいれたり、不快なリズムコードであったり、それでいてハートフルなオルゴールの音色みたいなのを入れたり。DOMO23は割と従来のヒップホップ的ではあるが他は不安になるようなヒップホップ。というよりは実験音楽というべきか。
ANSWERなんかはメロウで泣きなイメージの割といい曲だ。48では唯一R&B色が強い。そして今回一番話題となったシルバニアファミリーPVのIFHYは聴いてるとホントに不安になる。単音が延々鳴り響く中ラップする。途中でシンセが入るがそれもまた不揃いで不気味だ。GREEKといった感じの不気味ではなく(ミスフィッツ的)まさにODDだ。
そしてMTVでも披露していたRUSTY。へヴィでかなりクール。
 
そんなわけでヒップホップ好きでなくても異色の音が欲しいと感じたのであれば迷わずチェックすべき。生きていく上でのしきたりとか体制とかそういうのがどうでもよくなる一枚。



2013年5月16日木曜日

【映画】ウォッチメン

世界的にベストセラーかつロングセラーの書物といえば?『聖書』だ。
じゃあもっとも難解な書物は?個人的にはニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』だろう。

ではアメリカンコミックで最も難しいのは?
間違いなくウォッチメンだろう。
何が難しいって、普通アメコミってのはアメリカのどっかでこんなヒーローがドンチャン騒ぎしたらヤバくね~くらいのノリだが、ウォッチメンは現実の世界にヒーローがいた場合彼らがもたらす影響と悲劇を描いているためにある。しかも一番ややこしい時代である世界恐慌からベトナム戦争あたり。バックグラウンドや政策などがわかっていないとこの物語を理解するのは非常に難しい。原作を読んでいても途中で頭が痛くなる(アキラの限定盤並みに分厚いのに中身は攻殻機動隊並みに難しい)。
そんな初っ端から躊躇するような難解なノベル、ウォッチメンだが他のアメコミのルーツでもあるし、ヒューゴー賞を取った唯一のアメリカンノベルとして有名なので是非興味を持ってほしい。

では内容。
自警団ミニッツメンは戦時中、非公式ではあるが犯罪者を軒並み逮捕し活躍していたが、その二世として生まれたウォッチメンはコメディアン(お笑い芸人ではなくバットマン的な命名)の数々の横暴からラブアンドピースを訴える市民に敵対視されヒーロー活動を政府によってマンハッタン以外は禁止令が出される。
それからしばらくして、ウォッチメンのメンバーであり初代から活躍し、ケネディ暗殺にもかかわったコメディアンが何者かにより暗殺される。アホみたいにスピーディで馬力があるやつに自宅警備中にフルボッコにされる(この時点で誰かわかっちゃう)。そこでかつてウォッチメンの一員であったロールシャッハはこれをヒーロー狩りだとみなし、禁止令を無視し独自に調査を始める。はたして犯人は...?(早くて馬力あr)





約三時間の「どうとくのじかん」みたいな映画なのでダイジェストで説明すると、話は大きく二つに分かれており、Dr.マンハッタンっつう原子分解を間違えて自分にしちゃって、結果として神に近付いちゃった青い露出狂が、最強すぎて向かうところ敵なしなのでアメリカはここぞとばかりにマンハッタンを利用する。例えばマンハッタンを使えばベトナム戦争勝てんジャン!ってことで試しに導入したらベトナム人がマンハッタンを神だと勘違いし崇拝しだす。それを知ってビビったソ連はチェゲバラと組んでアメリカを共に叩こうとする。でもマンハッタンは元はといえば人間なので人間的な一面もあり、謎の組織に精神的ダメージを与えられリーブミーアローンして火星でアルティメット座禅する。
一方でロールシャッハは犯人の核心に近づいて、あと一歩ってところで罠にはめられムショ行きになるが、二人のコスプレカップルに救われ犯人を追いつめるみたいな話。



ロールシャッハといえば誰もが知るインクのシミが何に見えるかによってどんな思考を持っているか判断する心理テストのことだが、思うにこれはストーリー全体を通してのロールシャッハなのだろう。

オジマンディアス派のあなた.....多少の犠牲は仕方がない。長期的な目線で解決策なのであれば迷わずそちらを選択。CEOタイプ。

ロールシャッハ派のあなた....世界を敵にしようが自分の正義は決して曲げない。プライド高き一匹狼タイプ。

ナイトオウル派のあなた....一般的な人。世界のどこかで地震が起きようがチェチェン紛争が起きようがテレビの前で傍観しセックスをする。

Dr.マンハッタン派のあなた....神

これは別にスッキリ占いではない。どのキャラクターの視点でエンディングを考えたかによってこの映画の評価自体が変わってくる。本当の正義などないし、正義もまたよどんでいて煌びやかなものではない。正義の反対はまた違う正義というように、ロールシャッハの視点で見ていたからオジマンディアスが敵に見えたが彼もまた正義なのだ。そしてこれが現実でありウォッチメンが現実と絡めている理由はここにあるのだろう。ソ連もアメリカも各々正義だ。しかしいつの時代も勝ったものが正義で負けた者は永遠にその一族、血筋、国すべてを憎まれる結果となる。ウォッチメンでそのスケープゴートに選ばれたのは無敵で無限の力を持つマンハッタンであり、彼もまたそれを理解し火星に帰る。


マンハッタンはだと私は考えていたが、多分超人だろう。ツァラトゥストラでは神は死に、山の頂に賢人の教えをもらいに行く。そしてまた山を降り、人々に神のいない世界、超人という存在の意義を説く。まさにマンハッタンと同じだ。しかしそう考えると疑問なのは神を何よりも愛しキリスト教原理主義みたいな血の気の多いアメリカ人が、神の存在しないウォッチメンを評価するのはいったい全体どういうことなのやら。
でもアメコミのほとんどはベースはユダヤ人だしエルビスもユダヤ人だしあんま気にしてねーのかな実際。


ザックスナイダーが最高傑作と言われるウォッチメンを映像化、それも完ぺきに映像化したことによりサムライミのスパイダーマンに始まるアメコミブームは脱構築の段階にまで歩を進め、もはやムーブメントのサイクルが一巡した感があり、爛熟期を迎えている。さえない青年がアメリカを救って金髪美女を救えば金が入るフィルムはもはや飽きられ、結果としてヒーロー自身の苦悩や単なる金や世界征服目的の為の悪ではない異常快楽犯が敵役となりヒーロー自身も悪事に傾倒させるような一辺倒にはいかないフィルムにまで至った。ウォッチメンはそのすべてを含んだまとめであると言えよう。今再びスパイダーマンを見てみるとどうだろう。まーつまらないというか子供だましというか。我々のニーズももはや真骨頂に達したのだろう。ただ手の付け根から糸出して緑の敵を倒すだけの脳筋映画はもはや売れない。個人的にSPAWNは好きだけどね。
またザックスナイダーの良さはちゃんと血を出してくれる。それもリッターで。どこぞのノーランは強化ガラスに顔を叩きつけようがショットガンで撃ち殺そうが空気銃なの?ってくらい血を出さない。人間は殴れば面膜が裂けて血液が傷を修復するのはもはや生理現象なのであるし映倫の目が怖いのであればアメコミなんて撮る資格はない。ザックスナイダーとロメロはその点ではプロ意識がしっかりあって頼もしい。それも300に続き地味に痛い系物理ショックが多い。囚人の腕をチェーンソーでブったぎったりby仲間、金髪秘書の脱毛済みのふくらはぎに弾丸が貫通したり(地味じゃないか)細かいグロに配慮が行き届いている。すばら。
しかし成熟し切ったアメコミ産業を次はどう料理するのかヲタク監督ザックスナイダーよ。




スーパーマンアイアンマンアベンジャーズ最高!!9/10公開!みてね~!みたいなアメコミ好きにはあまりお勧めできない。アクションよりサスペンス色のが強いし、なによりあんますっきりしないから。よりかはダークナイトとかロードトゥパーディション、ヒストリーオブバイオレンス派の人のが楽しめるだろう。

劇中で使われていた覚えが一切ないが予告のスマッシングパンプキンズ使うあたりハイセンスだとおもいましたまる

あとニクソンの鼻でかすぎ。

2013年5月8日水曜日

【映画】ヘルボーイ ゴールデンアーミー

 
 
パンズラビリンスでおなじみ今年もホビットでその名を世に轟かせた巨匠ギレルモデルトロ監督によるアメコミの名作ヘルボーイ映像化2作目。今年公開の「だいかいじゅうvsぼくがかんがえたろぼっと」みたいな雰囲気のパシフィックリムは期待大だし、日本が誇る漫画化浦沢直樹の名作MONSTERもデルトロが監督するということで今後とも目は離せないだろう。

さて今作のストーリーはヘルボーイの少年時代に聞いたおとぎ話がベース。
「遠い昔、人間と獣と魔物との戦いがあった。惨状を嘆き哀しむ妖精の王バロルは、ゴブリンの鍛冶職人から“疲れを知らぬ無敵の軍隊”ゴールデン・アーミーの設立を要請された。ヌアダ王子の進言もあり、王は軍の製造を許可。完成したゴールデン・アーミーを操作するため、王は魔法の王冠を手にした。出撃したゴールデン・アーミーは人間たちを殲滅するが、その強大さに後悔した王は停戦を宣言、王冠を三つに分けた。その一つを人間に与え、二つは自身が保持した王は、停戦の条件として、人間は街に、魔物は森に住み、停戦は世界の終わりまで守るよう告げる。王子は、強欲な人間を信じられず、民に求められるその日までと去っていった。ゴールデン・アーミーは地中深くに封印され、再び王冠が一つになる日を待っている」

それから何年もたち人間の欲が留まることを知らず暴走する様に見かねたヌアダ王子はゴールデン・アーミーの復活を決意する。超常現象捜査防衛局(BPRD)のヘルボーイ達はこれを阻止するべくクリーチャーと戦う。


ストーリーは別に捻りもないしありがちなのだが話のテンポは非常によろしく観ていて心地よい。戦闘シーンなんかはマトリックスと張合えるくらいのアクロバティックさ。ヌアダ王子屈強すぎ。
また全体を通してコメディタッチで描かれている部分が多く、最近のシリアスでもはやアメコミとは思えない重々しいマーベルものに飽き飽きしてきているのであれば是非見るべき。裏切りもないし混沌とかカオスがテーマなわけではないので心をブランクにして楽しめる。

またキャラデザが最高。前作よりもはるかにクリーチャーが多く描かれていたり、メインベース外でのキャラクターが凝った作りだったりバリーソネンフェルド監督(MIBシリーズ)を思わせる遊び心。前作はいったい誰が作ったんだ...くらいの変わり具合。ヘルボーイからエイブまでCGを使わず特殊メイクをかなり頑張ってるからかCGがあまり浮かずによくあるB級映画みたいなチープな作りに見えないのが素晴らしい。個人的にゴールデンアーミーに戦いを挑みに行く途中の死神のデザインが最高。心は塵と砂にあふれてるそうです。声もインドネシアのブルータルデスメタルみたいでクール。
デルトロは目をつけないのが主義なのかパンスラビリンスでもこんなのがいたような。コンスタンティンにもいたような。EAのゲームダンテズインフェルノにもこんなn
口調とか話の内容がTESシリーズのデイドラっぽくてもうね。ノクターンみたいな小さき者に興味がない感じ。
 
あとはエルフの王ね。寝る時どうすんだこれ
こいつは息子にブっ刺されて死にます。


メンインブラックとロードオブザリング足して二乗したような面白さなのでホビット気にった方やダークナイトで萎えた方デルトロを愛してやまない人は控えめにいって必見です。


 


2013年5月3日金曜日

【映画】マシニスト

WHO ARE YOU?
機械工のトレバーは365日にわたって不眠に苦しんでいた。目を閉じてもなぜかすぐに起きてしまう。体はやせ細り他人にはこのままだと死ぬと言われる始末。食欲もなく睡眠もできぬ彼は行きつけの娼婦に一時的な快楽を求めることで生きながらえていた。人間関係も歪み始める中、彼の周囲に奇妙な出来事が頻発する。謎の人物アイバン、原因不明の事故、そして留守中に自室内に張られているメモ、冷蔵庫から流れる大量の血。誰かが自分を陥れようとしている。身の危険を感じた彼は真相究明に走るが、その先には思いもかけない真実が潜んでいた。


ゴッサムシティを夜な夜なコウモリのコスプレで飛び回り、ピエロから住人を救ったり核爆弾から町を救ってる男が実はこんなガリガリの煮干し男だったら、多分あれはコメディ映画だったろう。残念なことにこちらはあのヒーロー映画とは別だがクリスチャンベールの俳優魂や恐ろしいものよ。この映画のために4ヶ月間毎日りんご1個とツナ缶1個で30kgも減量したらしい。これは今すぐ全アメリカ人およびデルトロにやらせるべき。そのうちマシニスデッドとか言って餓死する人が続出したりして。


本題。ストーリーは冒頭にクライマックスを持ってくる今では割とありがちなフラッシュフォワード。正直、幻覚だろうが妄想だろうがマルホランドドライブを見てしまえばどんな映画も構造が単純に見えてしまう。よって序盤でベールが何かしらした犯人だということは把握。 メメントに近い物があると思うのだが、罪の意識から目をそむけていたが最後すべてを理解しGo to JEILという流れ。汚らしく歯をぎらつかせ派手なブーツと赤いスポーツカーを乗り回す幻覚は自分の直視したくない現実の姿であり、マリアとニコラスという超神聖なネーミングの親子は理想であり、読んでるドストエフスキーの白痴は自分への戒めおよび愚かさを表すもの、ふと見る時計はいつも1:30であり、ルート666アトラクションはあの日の回想....パズルのピースを集めながらもベールは何者かにハメられていると勘違いし周りの人間を疑い、すべてを拒絶し、やがて自分を受け入れる。WHO ARE YOU?最初のこの言葉はまぎれもなく自分に向けたものであり、事故以来潜在的に感じてきたこと。

今までいつも二手に分かれた道は左を選んできた。それはあらゆる時も逃げであったり、地獄であったり、現実を受け入れない自分の選択であった。しかし最後に自首するシーンでは右を選び、シーンは今までと違いコントラストの薄い白っぽいシーンが増え、やっと眠りにつくことができる。

ひき逃げという一つの事件を境に華やかな人生を罪の意識(無意識下の意識)によってここまで堕落したものにしてしまうという恐ろしさをうまく描いている。
ルート666のアトラクションは個人的に再現してほしいレベルのクオリティでした。ネズミの王国でやってくんないかなルート666。

【映画】ダウト

疑いとは確信と同じくらい強力な絆になりえる....



1964年、NY。厳格なカトリック学校の校長シスター・アロイシアスは、まだ年若い教師であるシスター・ジェイムズに、全ての事に疑惑をもって当たれと厳命していた。そんな折、進歩的で生徒達の人気も高いフリン神父が、黒人少年ミラーと性的な行為を行なったという疑いをジェイムズは持ち、アロイシアスに告白する。僅かな証拠からその疑いが確信に変わるのを感じたアロイシアスはフリンを問い詰めるが、フリンは単なる勘違いであると具体的に証明し、ジェイムズは疑いを解く。しかし「神の意に沿う行為を為すためには、神より遠ざかる手段をとることも辞さない」との信念を持つアロイシアスは、執拗にフリンの「罪」を追求してゆくのだった。



ボールペン使うな髪留めするなと口うるさい細かい校長を演じるのはご存知マーガレットサッチャーで鉄のオババを演じたメリルストリープ。質素で固い保守的な時代遅れのカソリックのイメージを体現化した演技。

一方で時代に合わせた新しい子供受けもいい革新的なやり方をする院長はカポーティでおなじみのフィリップホフマン。
子供たちに愛され身近であるがゆえに鉄の女に疑い(ダウト)をかけられる。

全体を通してあからさまにメリルがヒステリーの頭おかしい婆みたいな撮り方がされているがそれは最後の最後で挽回される。


風が吹くシーンは何かが動く、変わる風潮である現れであった。老婆だらけのシスター、黒人少年の母に言われた衝撃的な言葉など、主人公が変わるべきか、もしくはこのままの体制を保持するべきか揺らがせるような強風がたびたび吹く。
しかし最後の最後までメリルストリープは自分の直感を信じ院長を疑う。しかもそれは各省がなかっただけでなく、嘘を交えるほど危険な説得であった。
結果としてその疑いは事実であったのだが、疑うことの苦痛から解放されたメリルストリープは崩れるように泣く。鉄の女の涙再び。疑うということは信じるよりも難しく、非常に息苦しいものだ。

この映画を見て感じたのは疑いを持つよりは信じることの方が楽ということではなく、キリストを信じてこそみたいなことでもなく、年功序列のような古い考えを持ったやり方はどうも陰気くさく狂信的であると感じた。それくらいどうでもいいことを考えてしまうほど今見るべき映画ではなかった。

考えさせる映画である