2013年6月29日土曜日

【雑記】明日から使える映画のセリフ

今やどこの国に行っても、英語さえ話せれば食いつなげる便利な世の中になった。かつて世界は交易の際、仲介する通訳がなければ、よその国とコミュニケーションをとることは不可能であったし、言葉はいわば文明を育てる力だ。バベルの塔でもあるように、言葉をごっちゃにされることはわれわれにとって一番の恐怖。日本でも戦後英語に対する教育はGHQにより強制され、今では外国人講師を招くなどしてかなり重要視されている。それ自体は非常に良いことだし企業に入るにあたっても英語ができるということは、大きなスキルとして欲されているのでこれからも伸ばしてしていくべきだろう。
しかし日本の英語教育を受け、抜群の成績と学年一位の成績を取った人間が、アメリカにほっぽり出されたとして生き延びることができるかといえば、それは不可能だ。高校卒業時点の英語力は、おそらくアメリカの5歳児にも及ばない。事実、学校の成績はオール5、受験勉強でも鍛え抜き英語には自信満々だった友人A君はアメリカでコテンパンにやられて帰ってきた。本人曰く、何も話さなかったというがそれも無理はない。学校で教えられる英語は形式的な読む英語であり、生活で使う英語ではない。TOEICや英検といったような試験で使う英語でしかないのだ。日々生きていく中で、助詞や定冠詞、命令文など意識して話すだろうか?主語がどこにかかるかを意識して話すだろうか?意識して話すことはまずない。学校英語は生きる上で力にはならない。
ここまではもはや周知の事実。ではアメリカの五歳児と圧倒的な英語力の差を生んだのは何か?
それは環境。当たり前かもしれないが当たり前ができていない。身の回りの物が英語で言えるかどうかが大きな差を作った。シャーペン、はさみ、ゴミ箱、棚、廊下、天井から始まり道路、住宅街、線路、港など生活するにあたりそれらの単語を理解することは必須といえる。救急車をアンビュランスと言える人は実はあまりいない。身の回りの物を英語で言えるということはすなわち生きるための手段を会得しているということであるし、先端恐怖症とか議会制民主主義なんてものの英語は生きていく中で使うことはまずないので頭でっかちの英語は生きていくとしたら即死。
逆にいえば学校英語ができなかった人でも気負いすることはない。英語圏にいく場合一番必要なのは話すという気合だけ。文法もいらない。今からでも遅くない!さあいまあなたも!すぐこちらにお電話を!××-××××!!!

ここまで長々と英語について語ってきたが最終的に言いたいのは、映画のセリフを覚えて旅行なり商談で使ってしまおうぜってワケ。ただし責任はとらないけどね。独断と偏見でクールなセリフをチョイスしたので是非覚えて使ってください。ダイハードになろうぜ。



Lesson1

Go ahead,make my day. (ダーティハリー 1971年)
「やれるもんならやってみな」

痴呆症のおじいちゃんみたいな扱いを受けているクリントイーストウッドも、かつては44マグナムをぶっ放し、黒人悪党に制裁を下すヒーローだった。これはとあるダイナーで強盗が店に押し寄せ、居合わせたイーストウッドが悪党に向かって言うセリフ。ワイルドで西部劇の匂いもほんのりさせる
最高にクールなセリフ。使う場面としてはハンバーガーショップでスーパーサイズにするかどうか聞かれた時。確実にスーパーサイズにされる,,,,
ちなみにニクソン大統領はこのセリフを気に入って何度も言っていたので、その世代のアメリカ人にはウケがいい。


Lesson2

Freaks! (ダークナイト 2008年)
「化け物め」
ダークナイトで有名なセリフといえば"why so serious?"だが使う場面が職場くらいしかなさそうなので今回は割愛。こちらはおなじみジョーカーに対して黒人マフィアが厨房で言い放つ言葉である。劇中ではジョーカーが、俺みたいな金玉を取ったやつは玉を取られることはないがねみたいなセリフを言い、それをこのフリークス!で笑いを取るという、いわば突っ込み。使い方としては、身の上自慢だとか意味分かんないことばっか言って周りが若干引いてるにもかかわらず話し続けるKYに対して、一言FREAKS.といえば爆笑を誘えること間違いなし。そのかわりKYは以降いじられキャラになることは間違いない。freaksとは昔サーカスなどで見世物小屋にいた奇形の人々や障害を持つ人々のこと。あまりいい表現ではない。


Lesson3

Soylent Green is people! (ソイレントグリーン 1973年)
「ソイレントグリーンは人肉だ!」
SF好きな人にはひそかに人気な映画ソイレントグリーン。知らない人が大半だと思うので簡単にあらすじを説明すると、極度の文明発達と乱獲で温暖化が進み野菜や食べ物は一切とれなくなった未来、人々はソイレントグリーンと呼ばれるプランクトンから作られた人口食物を食べていた。しかしその工程に疑問を抱いた主人公はその工場に潜入するとなんとソイレントグリーンは人から作られていた、という話。その時主人公が叫ぶ言葉がこれなのだが、最近だとウォシャヲスキー監督のクラウドアトラスで老人ホームから逃げ出す老人がこのセリフを叫び再び話題となった。使う場面としては当たり前だったことが実は違ったなんて時に使うのがよろしい。例えば、俺実はお前の父親なんだと言われたら「嘘だー!」じゃなくて「ソイレントグリーンいずピーポー!」で。


Lesson4

Do you see me? (ノーカントリー 2007)
「俺の顔を見たか?」
その顔を見たものは確実に死ぬと言われる殺し屋シガー(見た目は寝不足のふかわりょう)が言い放つセリフ。口裂け女のわたしきれい?なんて比じゃない。誰かにチクろうものなら水素ボンベで脳みそを吹き飛ばされるかサイレンサーつきのショットガンで音もなく殺されるのだから。使い方としてはつまみ食いを見られた時や銀行強盗の時だね。とびっきり目をひんむいた顔で言うのがポイント。


Lesson5

Do you maggots understand that?(フルメタルジャケット1987年)
「分かったか、ウジ虫ども!」
おなじみハートマン大佐の人権ガン無視セリフ。軍隊訓練というのはこういった汚い言葉や罵声を浴びせられ、自分という確立したアイデンティティを一度ゼロにしてから殺人マシーンにするという、いわゆる洗脳なんですわ。これ以外にももっと下劣でドイヒーなセリフがたくさんあるが一番これがセーフってことで。(これでも結構アウト)使い方はマジで気をつけてもらいたいのだが間違えても米軍に向かって言わないように。いいか絶対にだぞ?絶対にだ。



以上5つのセリフを上げたがどれもとてもユースフルなものだし、これさえ知っていれば学校英語何ぞ寝ててもアメリカで生きていける。大事なのはスピリッツ。おベンキョじゃない。伝えようという意思、姿勢、態度。それさえあれば国の境目なんて素手で破壊できる。なぜなら僕らは文明人なのだから!!!






2013年6月21日金曜日

【映画】アナライズミー




あらすじ
ニューヨークの悪名高いマフィアのボス、ポール・ヴィッティは対立するプリモ・シンドーネ・ファミリーとの対決を目前に控えたある日、突然パニック障害に陥ってしまう。
ポールは腹心のジェリーの紹介で、精神科医ベン・ソベルの治療を受ける事になるが、ベンにとってはまさに災難、ポールの治療を何にもまして最優先させられるハメになり、果てはかねてから予定していたローラとの結婚式までもメチャクチャにされてしまう。
だが、ベンは治療を続けるうちに、ポールが少年時代に父親を目の前で殺されていた事を知り、これが彼のトラウマになっているのではないかと確信する。

マフィアのボスがPTSDになってそれをみんなに悟られないよう精神科医にカウンセリングしてもらう映画なのだがこれまたスンゲー面白い。
ちょくちょくクスッとなるポイントがあり、なかでもゴッドファーザーのパロディが秀逸。フルーツ屋の前でマーロンブロンドが撃ち殺されるおなじみのシーンだが、デニーロじゃなくて精神科医がうたれるっていう笑  しかも縁石に座ってパパ、パパ...と嘆く。いやおれお前だから!!
しかもデニーロの父はレストランで食事中に撃ち殺されるという設定なのだが、なんだかごっちゃんなってんぞ??
車にぶつかったらトランクから人質出てきたり、教会のシーンもイタリアンレストランで飯を食うという王道のスタイルも素晴らしい。
アナライズユーという続編も出るくらいヒットしたコメディ。必見です。

PS
ちなみにグランドセフトオート5の新PV(マイケル編)はアナライズユー的なカウンセリングのPVであった。おそらくこの映画をイメージしているのだろう。なぜならマイケルも元マフィアで引退し刺激のない日々とダメ家族にうんざりしているという設定だから。しかしGTAでは最後カウンセラーが「思うに新しいセラピストが必要だ」と言って終わる。映画と違って皮肉だね。(しかも心なしか顔似てる)
http://youtu.be/SgmxEdYmGAA
GTA楽しみ!

【映画】ヒストリーオブバイオレンス



ヒストリーオブバイオレンス鑑賞。裸のランチでおなじみクローネンバーグ監督による同名DCコミックスの映画化。ロードトゥパーディションもそうだがコスプレだけがDCコミックスだけじゃない。誰かを救うかどうかでアメコミは決まる。

アメリカの田舎町でダイナーを経営するトム(ヴィゴ・モーテンセン)は、自分の店に押し入った強盗を華麗な裁きで見事倒し、人々の命を救う。その勇敢な行動がやがてマスメディアに取り上げられたことで、トムの見覚えのない片目の男カール(エド・ハリス)が店にやってきてトムを脅しはじめる。家族を救うために戦うトムだが次第にトムの過去が明らかになってき、妻はトムとの接し方に戸惑う。忘却のかなたに封印した過去の自分を呼び起こしすべてを終わらせる。


アメコミだって知識は正直後で聞いた方がいい。テンポが非常に悪いし全体的に暗いから。アクションシーンももちろんあるが会話がほとんどなのでヒストリーオブバイオレンスあらためドキュメンタリーオブバイオレンスでも問題ない。ディスカバリーチャンネルでやっても違和感ない。
じゃあ何が面白いのよって言うとヴィゴモーテンセンの演技一択といえる。トムが封印したジョーイの顔を出すときなんかお前誰だよってくらい雰囲気が変わる。周りに取り巻く空気まで変わる。これぞ演技といえる。親の七光りで出る自称俳優は是非見てほしい。これが演ずるということ。
何でかわかんないけどクローネンバーグはヴィゴの尻が見たくて仕方ないのか、イースタンプロミスに続きケツをさらす。前は出てない。
あと息子が(陰部ではなく戸籍上の)ジェシーアイゼンバーグにくりそつでうざい。

この映画最大の疑問は3千万ドルもの制作費をいったいどこにかけたのかということ。あの陽気で見終わったあと開放感とIQの低下をもたらす最高の映画ゾンビランドですら2千万ドルちょっとだ。
確認のためにもう一回見たが金がかかってそうなのは①エドハリスとウィリアムハートのギャラ。二人とも大して出てこないからあまり有力じゃない。②特殊メイクの費用。割と高クオリティなグロさなのでままあかかってるだろうが技術料材料費開発費含めて1000万いかないだろう。300みたいにバッタバッタきりまくる映画じゃないし。③となるとやっぱDCの版権。コンテンツ料ってのは目に見えないがすげえたかい。それにサムライミのスパイダーマンを皮切りに始まったアメコミ映画化ブームで版権の値段は軒並み上がったのだろう。

ヒストリーオブバイオレンスというよりは冷たい食卓みたいなタイトルのが似合いそうな内容だが俳優の演技はすばらしいのでアメコミと思わず是非一度見てみて。

2013年6月14日金曜日

【映画】隣の家の少女

女子高生コンクリート事件は日本中が震撼した。犯人はすでにムショから出てしかも再犯まで犯すという胸糞の悪さだが、これは日本に限らず残念ながら人間の心の奥深くにある残虐な精神はアメリカにもあった。実話を元にした映画がこのガールネクストドアだ。Jpopグループとはいっっっっっさい関係ない。日本とブラジルくらいの距離の関係なさ。いや月とt


1958年、小さな街で暮らすデイヴィッド(ダニエル・マンチ)の隣家に、ニューヨークから姉妹が越して来る。二人は家庭の事情で叔母(ブランチ・ベイカー)の所に預けられており、デイヴィッドはすぐに姉のメグ(ブライス・オーファース)と打ち解ける。だが、次第に彼はメグが叔母とその息子たちに虐待されていると気付き始め....


まさにこれこそヒストリーオブバイオレンスというタイトルをつけるべきだと思うが、憎くもない普通の女の子をこうまでして虐待するか??集団心理とか心の奥底にあるバイオレンスの芽は摘まないと悪の華になる。
まず母ちゃんガキにビールあげすぎ。50年代のアメリカは成人が13歳くらいなのか?
あと子供がコンフェッションとかいうか?子供が娼婦だと分かるようにキズをつけてやりたいとかいうか?ジョンゲイシーもびっくりのシリアルキラー候補生だわ。と思いながらも大人のエゴでキッズがやらされてるのを考えるとまあ言うかって感じで
犯罪は人数が増えればばれる可能性もどんどん上がる。しかも子供が相手となれば長くは続かないだろう。しかしまさかのシリアルキラー候補生だらけで(全部で八人くらいのガキ)全くばれない。恐ろしい世の中よ。君は目の前で女のあそこが焼かれるのを見て平然としていられるか?まさにここは地獄の黙示録なのだ。



映画というものは起承転結で構成されなければならない。そこに感動であったり恐怖であったり様々なエッセンスを組み込んで、観終わった後に映画はいい物だと感じるのが醍醐味だ。
私が大好きなテキサスチェーンソーはまさにこの流れを完全に網羅している。テキサス郊外の田舎で馬鹿な大学生が身の毛もよだつような恐ろしいコミュニティに紛れ込み、一人一人なぶり殺される緊迫感と、レザーフェイスがミスって自分の足切っちゃうみたいなギャグと、なんとか脱出してもまた初っ端にループするといったようなお先真っ暗エンディングなど、映画として完成しすぎている。
しかしこの映画には具体的な筋も明確な恨みもストーリーもなくただ胸糞が悪いだけで終了する。グロが好きな人はソウを好むが、理解できないと思っていたがソウのがまだ面白い。辛いものが好きな人は七味を単体で飲んだりしない。ソウは一応ジグソウが生きることの大切さを歪みきった形で教える道徳映画なのでぺパロニソーセージくらいの辛いちゃんとした料理になってる。しかしガールネクストドアは七味でしかない。
主人公の唯一正常な脳を持った少年が最後全員のこめかみに8ゲージショットガンを浴びせて=完=みたいなテロップが出るデスプルーフ的な爽快感あふれるエンディングならまだ救いようがあった。


私の子供嫌いをますます助長するような後味の悪すぎる映画ただの【JK】拷問してみた【おなご】みたいな中身も味もそっけもない映画。アレンジのしようによってもっといい映画になっていたはずだ。監督はディセントとかサイレントヒルのラストの有刺鉄線三枚下ろしとか見て勉強してほしい。

2013年6月8日土曜日

本当のアメリカ


アメリカに留学にいく大学生が近年増えている。彼らにどうだったと聞くと決まって返ってくる答えは太ったか楽しかっただ。もちろん俺も5キロ太ったし楽しかった。しかしアメリカは恐ろしい国だと同時に感じた。ただ太りたくて楽しみたいだけにアメリカにいきたいのであればこれを読んで何らかの考えることがあればと願う。
ニクソンやJFKなど大統領モノやプラトーンなどを手掛けたオリバーストーン監督による映画『W』を見た。Wとはジョージ・W・ブッシュのミドルネームを取ったもの。伝記作品ではあるがその内容は究極的に中立的で、批判を感じさせず、また冷酷なまでに客観的だ。同情さえも寄せさせる。
ブッシュが何をしたかは政治が好きな人もそうじゃない人も大抵知っているだろうが、一番に挙げられるのはやはりイラク侵攻であり、今では政治が好きな人もそうでない人もブッシュを選んだことは間違いだったと感じていることだろう。しかし選ばれた当初はアルゴアと接戦で選挙人によって勝利するというちゃんとした(裁判沙汰にはなったが)選別方式で大統領になっている。どこで歯車がずれた??
ブッシュの経緯をみてみよう。ジョージブッシュはご存知41代大統領ジョージ・H・W・ブッシュ(以降パパブッシュ)の息子でテキサスで裕福に育つ。学生時代は遊び呆け大学もコネでイェーガーに入り、警察にお世話になったこともあった。ブッシュ家は代々高貴な家系で、女系はイギリス王室に連なる。そんなブッシュ家に傷がつくとしてブッシュはパパブッシュにより様々な職業体験をさせられるがどれもダメ、おまけにベトナム戦争が始まるとベトナムに派遣させられることを恐れまたまたコネで州兵に入る。しかし州兵でもサボってばかりだったようだ。酒に一時は溺れパパブッシュと喧嘩になることもあった。このような行為や怠惰はすべて家系が良すぎるからだと劇中でブッシュは語る。お前はできそこないだと言われ続ける苦悩の末なのだ。ブッシュという名のプレッシャーが重すぎて素直になれない。しかしある時ブッシュは米国聖公会を辞め米国メソジスト派へと変える。それはいわば父に認められなさ過ぎて父(神)を変えるという逃げ。そして神の御声により大統領になれと言われたらしく大統領を目指す。またこのことからブッシュが共和党でキリスト教右派や福音派の票を集めるきっかけとなる。
そして大統領にまで上り詰めイラクに攻め込む。父を見返すために。パパブッシュは湾岸戦争で詰めが甘かったためにフセインを逃し完敗させることができなかった。ブッシュはその敵を討つため、そして周りにいるチェイニー副大統領の石油欲しさが組み合わさって、何万もの死者と、国内の格差拡大と大赤字という負の遺産を残したのがイラク戦争だ。ここまで繋がって初めてイラク戦争を語ることができる。

旧約聖書にカインとアベルという話がある。この兄弟は神に貢物をしたが神は弟アベルの貢物だけを喜んだ。兄カインは激しく嫉妬し弟を殺す。結果兄カインはエデンの東へと追放される。映画エデンの東もそんな内容だ。ブッシュはこれを体現したと言っていい。それも弟一人ならまだしも、4000人以上の米兵と、10万以上のイラク人の命を犠牲にして。
ブッシュは正直私は嫌いじゃない。もちろん好きではないが、あらゆる政策は彼自身が考えてやったことではないからだ。いわば馬鹿すぎて周りの人間に騙され利用され使い古された。



では何がここまで血なまぐさい結果を生んだのか。
イラクに侵攻しなければならなかったのだろうか?
平和的な解決方法は?
アメリカ人の潜在意識にある恐怖がこれを物語る。




イラク戦争、いや911をはじめ2000年以降のテロや、コロンバインでの銃撃事件以降アメリカ人の「自衛」に対する思いは一層強くなったと思われる。自衛として使うのはもちろんだ。
アメリカ人は歴史を見ればわかるが、銃で始まり銃で終わる国だ。平和にボケ尽くした我々にとってそれは考えられないことだがアメリカでは自分の身は自分で守らなければならない。アメリカの治安の悪さはトップクラス。無理もない。なぜならWALLMART(日本でいうSEIYU的なスーパーマーケット)で誰でもそこまで高くない銃をいつでも簡単に買えてしまうからだ。旅行者でも簡単にコルトからSVDクラスのライフルを買うことができる。カナダでも同じように簡単に買うことができるがトロントでの犯罪は非常に低く、起きる犯罪もアメリカ人であることが多いようだ。ではアメリカ人とカナダ人にいったいどんな差が?ファーストフードを食ってるから?いやベジタリアンも多い。移民が多いから?カナダも移民は多い。バンクーバーは中国人が多すぎてホンクーバーと言われるほどだ。答えは歴史にある。


ここでアメリカ史の話を。(参考Brief history of the united state)
イギリスから清教徒たちが英国政府の弾圧を逃れ新天地を目指し航海し、アメリカに旅する。もともと住んでいたインディアン達は何もしてこなかったのにビビって皆殺しにし、どんどん開拓していき、今度はお互いをビビって疑い魔女狩りをする(魔女狩りによりネズミが増えペストの大流行で人口が減少した)。そして今度は13植民地とイギリスがいわゆる独立戦争をして植民地が勝ち、アメリカ合衆国が成立。合衆国憲法が成立され2条で銃を保持することが認められる。これによりアメリカは銃を唸らせアフリカに赴き黒人を連れ帰って奴隷としてタダで働かせる(綿産業など)。結果としてアメリカは歴史が浅いにもかかわらず産業大国となる。しかし黒人が爆発的に増え、アブラハムリンカーン率いる北部と奴隷制賛成の南部で南北戦争が起き、北が勝つ。白人は奴隷時代の復讐を恐れたが黒人は平和を好む人々だったため惨殺などは一切なかった。しかし恐れてやまない白人たちは黒人を狩る闇の集団KKK(クークラックスクラン)を組織する。そしてそれは結果としてNRA(ナショナルライフルアソシエイション)になり黒人の銃保持を禁ずる。また黒人差別や人種隔離政策に怒りを示した黒人は南部を中心にデモを繰り広げる(キング牧師など)。これを恐れた白人は北部へ逃げ、ドアに鍵をかけ、銃で武装し、神だけを信じ、お互いを疑う生活を始める。これが今のアメリカだ。だからこそジャズで有名なニューオーリンズやテキサスなど南部では黒人が多く、ワシントンやオハイオなど北部は白人が多い。


歴史で見て分かるようにアメリカ人に混在するのは恐怖であり、政府はその恐怖を利用してイラク戦争へと踏み出した。「今イラクやアフガンへ攻め込まなければ大量破壊兵器や炭素菌はあなたの生活を脅かします」と。それも恐怖を利用するのは政府だけじゃない。企業もそうだ。銃がないと自分の身は守れませんと脅し銃は飛ぶように売れ、ニキビがあっては好きな子は逃げてくと脅し製薬会社は儲ける。どうだろう例えば日本で就職しないとお先真っ暗ですなんてCMをやって就職率を上げてみるというのは。おそらく自殺者が前年比の2倍越えになるだろう。一見我々の視点からすると、アメリカ人ってタフでまっちょで自信にみなぎってて心が広そうなんてイメージだが合ってるのはタフでまっちょくらい。本当は自信はあってもいつもおびえていて、キリスト教原理主義のような心の狭い人が多い。

視点を変えてイラク戦争の何がいけなかったかを。
もちろんイラク戦争自体は非常にむごい泥沼戦だった。上記に挙げたように官僚の独断と私利私欲により若い兵士だけでなくイラクの人々は沢山犠牲になった。イラク戦争の恐ろしさを伝える映画といえばハートロッカーだったりジャーヘッドがある。大量破壊兵器は見つからなかったことはおろか、国民の信頼は地に落ち大統領史上もっとも支持率の低い大統領となった。
だが問題はそこだけではない。軍事費に莫大な金をかけたことにより雇用対策を野放しにし、結果として貧富の格差は大きく開き中級階層の人間が極端に少なくなった。しかも政府は富裕層や大企業に対して税制を緩和したのだ。第二次世界大戦時は貧富の差は開けなかった。富裕層に徴税したからだ。
これにより政府が規定した平均年収200万円以下は貧困家庭とする貧困家庭が莫大に増えた。これにより生まれたのは肥満と失業。
肥満について。アメリカはコーンでできている。この意味は後で話すとしてアメリカのファーストフードを見たことがあるか?顔よりでかいバーガーに水筒サイズのソーダ、ギットギトのフレンチフライ。しかもこれで5ドルとかだったりする。例えばバーガーを食べたとして、ソーダを飲んだとして、フライを食ったとして、どれを食べても君は同時にコーンを食っていることになる。ソーダにコーンなんて入ってないし、ましてやポテトはイモだろ?と思うかもしれない。しかしコーンを食ってる。
アメリカの農家のほとんどはトウモロコシ農家だ。中部に行ってみれば分かるが延々トウモロコシ畑が広がっている。誰がこんなに食うんだよと思ったが7割は牛の飼料となる。コーンを食う牛は牧草の2倍早く成長する。しかし牛の胃は穀物を食うためにできてないので薬漬にする。牛はどんどん育つからハンバーガーのパテは安く売られる。映画ファーストフードネイションを見るとベクトルは違うがハンバーガーの秘密を知れる。残りの3割のコーンは我々用だ。しかしそのままは食えない。どうするかというとコーンシロップやコーン油になる。コーンシロップは砂糖より安価で手に入るがコレステロール値だったり様々な弊害をもたらす。ソーダにもコーンシロップは入っている。コーン油はフレンチフライを揚げるように使う。
このようにファストフードを安価で食うアメリカ人は無意識にコーンを食い、また普通よりカロリーが高いために成人の3割がスーパーファットとなるわけだ。
子供のうちから良い物を食わせればいいと思うが公立の小学校にはスナック菓子会社がスポンサーとしてつく代わりに校内にスナック菓子を売る自販機を設けるために子供のうちから肥満体質は出来上がっていく。
しかしこれもすべて雇用がないからいけないのだ。じゃあどこかで働けばいいと言えど、町にある小売店はほとんど潰れた。WALLMARTがバンバン建つからだ。WALLMARTの商品は東南アジアや中国などで時給40円くらいの賃金で作らせアメリカで売るためむちゃくちゃ安い。当然周りの小売店は価格競争に勝てず潰れていく。それはまるで爆撃を受ける町のようだ。そして潰れた小売店の店長は仕方がなくWALLMARTで働くことにするがその実態を知ることになる。年収は200万以下、医療保険は正社員にしかなく、しかも保険が必要なさそうな若者を多くとる。これではいくらモノが安くても経済は循環なのだから周りが死滅していくのは時間の問題だ。ワタミよりたちが悪い。恐るべきはウォールマートの脅威はもうすぐそこにある。SEIYUグループはウォールマート傘下だ。


幼い頃夢見ていたアメリカは憧れでしかなかった。ハリウッド、ニューヨーク、星条旗、ステーキ、スケートボード。しかしもはや輝くアメリカは過去の産物になってしまったのかもしれない。宗教、戦争、格差、差別、肥満、銃。いや、私が無知だっただけかもしれない。これらはすべて昔からあった。
おそらく明るいイメージがつきやすいのはメディアで取り上げられるアメリカはいつも東か西だからだ。NYのきらびやかさだったりカリフォルニアの穏やかさ。自由で活気のある先進国的で素敵なアメリカだ。しかしアメリカは広い。それはごく一部で、それ以外はほとんどだだっ広いトウモロコシ畑とキリスト教とファーストフードしかないと言っていいだろう。
私はオハイオ州に2度行ったが大統領選で最後の要であると言われているオハイオ州は糞田舎だった。しかし要と言われるほど人がいてそれだけ影響力があるのだから、やはり本当のアメリカは煌びやかではなく糞田舎なのだ。

話を戻そう。イラク戦争を支持した人々はこの糞田舎にあるといえることが分かった。その引き金とは?恐怖ということも分かった。このやり方が通用するのであれば政府も企業も恐怖を与え続ければいい。しかしアメリカは人種のるつぼ。WASP(ホワイトアングロサクソンプロテスタント)だけではない。現にあと何十年もすれば白人よりもヒスパニックのが多くなっているそうだ。オバマが選出されたこともWASPの地位が危うくなっていることを表しているだろう。ということはアメリカを支える人々は白人ではなくその他がほとんどになる。ならばアメリカの考え方も変わってくるのではないだろうか。日々恐怖しお互いを疑うような生活や国交ではなく、大らかで平和を好むような温厚な国になるやもわからない。あ、でもそうなると多分ハリウッド映画がつまらなくなるね。政府に対する不満が強ければ強いほど芸術は素晴らしくなるから。

2013年6月2日日曜日

【雑記】ゾンビ考察







ゾンビ映画は古くから社会批判の術として使われてきた。その立役者はもちろん我らがジョージロメロであるし、それ以降フォロワーが生み出すゾンビ映画はもはや単なる娯楽産業ではなくなってきている。
ゾンビ映画の軸で主流なのは、「ほんとうに醜いのはゾンビじゃなくて人間」とか、「ゾンビ映画を隠れ蓑に消費文明を云々」とか。どっちも言いたいことは良くわかるし、実際その通りだと思うが正直わかったようなわからんような話だ。
先ず「ゾンビ天誅説」というのは~オブザデッドシリーズで何度もロメロが強調している。神罰だとか煉獄だとか。悪辣で淫奔で、背徳にまみれた現代社会へ向けて射られたインドラの矢。大挙して肉迫するリビング・デッドたちからの遁走が映し出すのは、悪意の連関の中で安寧を貪るテレビの前の我々の姿なのか。傍観とは悪。
確かに地下シェルターで狂気の実験を繰り返すリチャード・リバティはもはや人非人でリビング・デッドよりも劣る者とも言えるかもしれないし、バブはローズ大尉(ランドオブ参照)を退治してくれるし、何だかリビング・デッドはむしろ良い奴らなのかもしれない。ランドオブザデッドのビッグ・ダディは同朋が屠蓄のように虐殺されるのを見て慟哭するのである。更に実際、リビング・デッドは自ら望んでリビング・デッドになったわけではない。篭城戦の渦中の生存者たちは他方で、いがみ合いや憎しみ合いを果てなく繰り返す因循姑息な原罪を背負うひとびとであり、疑心暗鬼に苛まれ続けている不信のひとびとでもある。リビング・デッドはそんなものとは無縁である。
ではリビング・デッドは善か?リビング・デッドの罪業は宥恕されるのか?
質問を変えよう。じゃあ、お前はリビング・デッドになりたいのか?


我々はリビングデッドという非現実的存在を介して我々の悪事を認識しゾンビを善良な物とする。しかし当事者になる事は望んでいない。なぜか?
次に、Dawn of the Deadに於ける消費文明批判について。
確かに、ラストのトムサヴィーニの野伏軍団(笑)との肉弾戦では過剰に資本主義、大量生産型工業社会がカリカチュアライズされている。それはまるでウォールマートの大量生産と安価で物を大量に流す90年代のアメリカを彷彿とさせる。物質飽和と拝金主義に駆動されたレッセフェールへの痛烈な風刺ともとれる。これがこの映画を単なるホラー映画、グラインド・ハウス映画に貶めることなくむしろ映画史の上位部へと昇華させる主因となっている。このシークェンス(ラスト20分)はまさに「七人の侍」なのだ。共有地を巡る略取と抵抗、侵略と失地回復の物語だ。
七人の侍を観た人なら知ってるだろうが三船敏郎演じる主人公は身を呈して農地を守る。それは日本だけでなくあらゆるフィールドでの永遠の課題でもある。
Land of the Deadにおいては、それが更に強調されているように思われる。リビング・デッドの繁茂に際して生き残ったわずかな人々が生きるコミュニティにはブルジョワとスラムのヒエラルキーが厳然と存在し、人類の未曾有の惨禍を経ても尚、上意下達の労使ヒエラルキーはその醜態を晒しているのだ(作中、デニスホッパー演ずるパワー・エリートたちの住まうのが高層ビルで、これはワールド・トレード・センター・ビルディングを暗示しているという説もある)。紛れもなくこれはブッシュ政権下のイラク進行、それも大量破壊兵器があると歌い、事実それは骨折り損であり、クリントン政権下の財産を空にし国内の格差を生み、負の遺産を生んだ暗黒の時代を示唆している。
ゾンビ文化は消費文明と下位文化の間に産まれた、資本主義の妾腹の子だ。
我々が生きている日常、この日常は煉獄だ。煩悩に支配された堕落者たちがのたうちまわり、コーン油とコーンスターチで出来た安価なファストフードで肥え太り、純粋な求道者たちは対して彼らの犠牲となり、死んで行く。そんな世界をリビング・デッドはデモン・クリーンしてくれた。悪い奴らは喰われ、彼らが拝謁していた通貨というものは意味を成さなくなった。世界はキレイになった。しかしお前らが望んだキレイな世界の中で蠢いている、この醜いリビング・デッドたちがローズ大尉の身体を裂いてハラワタを貪り食うのを、テレビの前でにやにやと嗜んでいるお前たち、消費者はリビング・デッドの名が冠してあるソフトを欲しがり、持て囃し、消費している。本当に醜いのはリビング・デッドでも、彼らに喰われたローズ大尉でもなく、ほんとうに醜いのは、テレビの前のお前だ。傍観し非現実だと思っているデッドシティは消費者の身の回りで今も起きている惨劇なのだ。


ザックスナイダーのDawn of the Deadは傑作だと思った。ロメロのDawn of the Deadの現代的解釈として、これ以上ないもっとも優良なモデルケースだと思った。もっとも秀逸だったのは、ショッピング・モールの屋上でチェスを指しながら、向かいの住宅の生存者と筆談で談笑しながら、芸能人に似たリビング・デッドを次々とライフルで射殺していくブラック・ユーモア溢れるシーンだ。
ロメロのDead三部作を溺愛し、未知の続編・後日談・エピゴーネンを脳内で大量生産しながら過ごしてきたゾンビホリックたちの創意の範疇の中に、こういったやり取りもきっと含まれていたのではないか?
このシーンでチェスを指し、談笑しながら、リビング・デッドの脳漿を吹き飛ばしているのは、他ならぬゾンビホリックたちなのだ。Dead三部作と星の数ほどの亜流ゾンビ映画を消費し、その中で繰り広げられるカタストロフィーを消費してきたゾンビホリックたちなのだ。
アメリカの歴史を紐解けば分かりやすい。イギリスの清教徒は英国政権による弾圧迫害を恐れて船ではるばる新天地を目指す。アメリカを見つけた清教徒達は上陸するが野蛮人インディアンを恐れて皆殺しにする。実際野蛮人でもなんでもないのだが。そしてアメリカを開拓していくわけだが今度は身内を疑いだし魔女狩りを行う。結果として疫病が大流行し人口は激減する。また働くのが嫌な彼らはアフリカから黒人を連れてきて奴隷としてタダで働かせる。綿産業が奴隷で成り立ってたのはあまりにも有名だ。最近だとタランティーノのジャンゴが奴隷制度を理解しやすい。奴隷制によりアメリカは経済大国となる。
しかしその後黒人は爆発的に増え、白人は黒人による反乱を恐れ南北戦争勃発。結果的に奴隷は解放されたが疑い深い白人はKKKを組織。そして結果的にそれはNRAになるわけだが。
それ以来黒人への差別は一層深まりマーティンルーサーキングなどが現れると白人は自分たちの身が危ないと思い込み始め銃が大量に売れる。家には大量に鍵をかけ自衛だと言って銃をだれしもが買えるようになる。結果それはコロンバインのあの悲惨な事件やアーミッシュを襲う無残な事件へとつながっていくのだが。
歴史で分かるようにアメリカ人は恐怖で組織されてきた。それはインディアンに始まり、現代においても恐怖でモノを大量に買わせる手法で一部の人間が大儲けしている。例えばコロンバインの事件以降銃は大量に売れた。自衛意識が高まったからだ。あるいは身近な例でいくとニキビがあると好きなあの子も逃げていくといった謳い文句で設ける製薬会社などあらゆるメディアは恐怖を使って国民の感情を煽る。そういったアホで馬鹿で偏ったアメリカ人の考えをディスるべくして生まれたのがサウスパークでありシンプソンズでありゾンビ映画なのだ。


Night of the living deadでは社会に潜むいまだ残る黒人=奴隷=モノ意識を痛切に批判した。Dawn of the deadでは冷戦以降大量生産主義によるモノの無駄と価値を痛切に批判。そしてdiary of the deadでは情報飽和社会において我々は傍観者でしか無いという残酷さを。Land of the deadではイラク進行とその脅威を。ロメロは常に時代の本質的な問題を示唆し、懸念してきた。アメリカの負の歴史をすべて抑えている。それはドキュメントフィルムよりもドラマシネマよりも残酷でリアリティであり、もっとも恐るべき代物だ。現実は小説よりも不可解で面白い。それをゾンビという産物にシフトしたロメロこそ真の映画監督と言えるだろう。