2013年11月18日月曜日

【映画】悪の法則



至高の豪華アンサンブルキャストが、危ういまでにスキャンダルに、息をのむほどセクシュアルに観る者を挑発してやまない、魅惑の心理サスペンス...

このキャッチコピーをつけたやつの首にワイヤーをかけて問いたい。
お前この映画目開けて観てたか?と。


<ストーリー>
若くハンサムで有能な弁護士(カウンセラー)が、美しいフィアンセとの輝かしい未来のため、出来心から裏社会のビジネスに手を染める。一度だけの取引を最後に手を引くはずだった。しかし麻薬取引の運び屋が何者かによって殺されてしまう。偶然にも自分が弁護していた女の息子がその運び屋だったがために、カウンセラーは麻薬組織(カルテル)に疑いをかけられる。またカウンセラーだけでなく恋人、仲介人、出資者と周りを巻き込んでいき、破滅の一途をたどる。




ブラピとキャメロン、ペネロペにハビエル、ファスベンダー。監督に至ってはリドリー御大。脚本はおかっぱキラーのノーカントリーで日本でも有名になったコーマックマッカーシ-。
これだけでなんかすごそうな映画だなぁちょっと彼女と見てみよう♪くらいのノリだと確実に後悔する。実際カップルで観てる客が多かった。そんでもって”キャストは豪華なのに内容はつまらないです^_^”みたいなレビューをつける事になる。スチールとCMだけ観ると大衆映画感があるが、これはどう考えても大多数が観る映画ではない。てか魅惑の心理サスペンス...なんて甘っちょろいもんじゃない。道理というものをみぞおちにぶち込まれる血なまぐさい麻薬闘争が正しい。
まず第一にリドリースコットであるが故なのか、あらゆる説明や人物紹介が無く、非常に頭を使う。これはいったい誰なのか?今何が起きているのか?を判断する術は、会話とルックスと場所だけで、それがすべて理解できれば話が繋がる。この補完力がない人であれば確実に話はわからないので、この映画は退屈だという評価を下す。逆を言えば完全なまでに客観的に観れるし今のドラマのようななんでもセリフで話し出す三文芝居感がなく、残酷なまでに現実的で良かったのだが。悪の法則製作時に弟のトニースコットが飛び降り自殺をして死んでおり、それも少なからず撮影に影響しているのではないかと(展開の雑さとか)。

第二に、謳い文句としてある本物の悪は誰だ?みたいなのはわりと序盤で分かる。というよりは頑張ればCMでわかる。しかし最終地点はそこではない。おそらく対して興味がない関係者がつけたフレーズなんだろうが、この映画においての終着地は、強欲から人間は解放されるかーあるいは自然界の法則を乱すとどうなるか、ということにある。結論は観れば分かるが現実は時に残酷だ。豪華出演陣だからといって安心してステキなラストが見れるとは限らない。

以上を踏まえてもつまらないという場合、それはストーリーがメインの見方をしてる映画好きな人だ。確かに悪の法則はストーリー自体は単調で、斬新でもないし、どんでん返しもない。ちょっと欲張りさんが慣れないことをして周りを巻き込んで、落ちるとこまで落ちるだけなので、つまらないと感じるかもしれない。自分はストーリー全体と言うよりはポイントポイントで感銘を受ければいいし、隙間はああではないこうではないと自分なりに考えてみるのが好きなので、この映画には大きな拍手と菓子折りとユリでも送りたい気分だ。




悪の法則では作品内に説明がなく話を理解するのが難解なため、ポイントごとに自分なりの解釈を。

テーマとしてあるのはなにか。おそらく欲望だろう。ダイヤを買い華やかな新婚生活。そのためにいるちょっとした金。あるいは自宅でパーティをし、昼間から酒を飲み、クラブを作って金を稼いでやろうという欲。あらゆる欲が交差しその末路が描かれるわけだが、結果として一番強欲なのはマルキナだろう。カルテルの麻薬トラックを横取りしようとするも失敗し、仕方がないからブラピがどっかの国に投資していた金を横取りして銀行家にダイヤに交換して香港に逃げると相談する。じゃあなぜマルキナが殺されないのかと言えば、誰よりも頭がよく先が読める人間であり、先を動かすことができる人間、そして何より罪の意識がない性格だったからだ。ブロンドの女を使ってブラピの情報を入手し謝礼を渡すがブロンド女はブラピの末路を聞いて罪を感じ金を受け取らない。これがノーマルの人間の行動であるが、マルキナはそれが理解できない。こういった罪の意識がないのはカルテルと同じで、作業的かつ欲望でこなすだけで躊躇がない。だからこそマルキナは死ななかった。最後顔なじみの銀行家に対してチーターの話をして「私は飢えているのよ」と言い物語は幕を閉じる。マルキナの欲望はこんなものではなく次の獲物をもう狙っているという意味と取れる。


カウンセラーが話をしていたキンキラキンのスペイン語訛りのおじさんは誰なのか。あれはメキシコのカウンセラーで、手数料はいらない同業者だからなという会話から弁護士であることが理解できる。何をしてもらったのかと言えば、彼はカルテルと話が通る人物であり、ペネロペが助かるように交渉してもらえないか頼んでもらっていたのだ。カルテルと通じてるからか家の中はいやらしいキンキラキンの家具ばかり。結果として後日電話がかかってくるのだが、その答えはいいものではなかった。だからこそ人生観や哲学、道徳の類を説教をして物事の摂理や人の歩いてきた道(人生)は変えることはできないということを長々と語る。んで昼寝するからといって電話を切る。そこで話はついたはずだがメキシコ人はジョークが好きということでスナッフビデオを送られる。
あるいはメキシコのカルテルの親玉という見解。主人公に諦めろと示唆する当たりや身なり、他にも電話をかけなければならないというセリフ(おそらく他にも脅しをかけたり殺しの報告をするという示唆)から相当の地位の裏社会の人間と見てとれる。しかし親玉がそうフランクに主人公と話をするのかというのが難点。あくまでカルテルは話の通じない不気味な存在で貫き通しているからだ。


映画におけるダイヤの位置づけについて。フランスの宝石商人が言うダイヤは不滅であるがゆえに人間の命のはかなさや定命を感じることができる。またそれは警告の石でもある。またどの石にも小さな欠点がありそれが個性であると。これは女のことを指すのだろうか。プールサイドで寝そべるマルキナとローラの会話で、そのダイヤいくらか知ってるの?という質問。それに対して知りたくないと。教会も行き、告白もし、おそらくローラは完璧な人間であるとマルキナは感じる。しかし同時にそれが信じられないマルキナはダイヤの観点からして、ローラは面白みのない人間だと感じているのではないだろうか。(その後マルキナは初めて教会に行くがアブノーマル過ぎて神父に見放される)


ドラム缶の死体を見たがっていたスキンヘッドのおじさんは誰か。おそらくあれはシカゴの買い手。メキシコ人が手際よく作業するのを見学していたのだろう。そしてメキシコ人が死体を使ったジョークが面白いと思っているということを我々も知ることになる。正直これを理解するには背景が必要で、実際フアレスで今泥沼化している麻薬戦争でもこのような光景は多く見られる。生首を並べておねんね中と書いたり、死体に包丁を隙間なく大量に刺したり、極悪非道なんてもんじゃない。カルテルで検索すると見れるがお勧めはしない。日本の平和さを実感したいのであれば是非。
ちなみにあのハゲおじさんはスティーブンキング原作の今流行中のドラマアンダーザドームにも出てくる。話していたメキシコ人はランドオブザデッドやプラネットテラーにも出ているメキシコ人。メキシコ人と言ったらこの人というイメージがある。


では、最後に送られてくるDVDが意味するものは何だったのか。正直書くまでもないが、劇場を出た後、あれはお前の居場所はわかってるぞっていう意味だよとかドヤ顔で語ってる彼氏さんがいたのでこれを見てくれることを願う。
概要としては最後にカルテルから逃げ疲れ安宿に隠れているファスベンダーの家になぜか一枚のDVDが届く。
そこには粗末な焼き増し用DVDRにhola!(やあ!)と書いてあるだけ。それを見たファスベンダーは泣崩れ、すべてを諦めるような表情をする。そしてゴミ処理場のカットに切り替わる。
前半でブラピが取引がまずいことになったのを説明する場面で語ったもういいよってくらい詳しいスナッフビデオの話、どう考えてもそれだろう。ペネロペはコロンビアンカルテルに捕まり、ぶっ殺されて弄ばれ、その様子は撮影された。バッキーも真っ青である(調べないように)。そしてゴミ処理場でゴミ当然に扱われる。いまだかつてバニラスカイを見た人間がペネロペがゴミ扱いされるなんて思ったろうか。家に届いたのはそれを記録したDVDであり、妻ペネロペの死とはファスベンダーの死よりも重いため(弁護士との会話からそう判断出来る)ファスベンダーは泣き崩れたのだ。
DVDを再生させず想像させて恐怖を煽るところにリドリースコットの技を垣間見れる。ちなみにこの泣きの演技はなかなかなので一見の価値あり。




良かった点。

話の難解さが目立ってあまり論争に上がってこないが、衣装や車、内装あらゆるオブジェクトが完璧で、こだわりを感じられたし、中途半端じゃないなと感じた。手を一切抜いてない。それはコロンビアンカルテルのタトゥーや袖なしシャツにバットに始まり、ファスベンダーのオレンジジュース、ラップトップ、アルマーニのサングラス。ディアスの鋲付きフーディ、サグい指輪、グラジュアルなクラッチバックなど目を引くものばかり。オブジェクトに関してもプロポーズのシーンでレストランにあった前衛的な置物、ハビエルの家にあるアメリカ国旗、チーターのハンティングの時のファッションや革張りのチェアなど、妥協を一切感じられない。しびれるアイテムだらけだ。
しびれるのはオブジェクトだけでなく血なまぐさい道具にも。ノーカントリーと言えば水素ボンベで風穴をあける武器とサプレッサー付きのショットガンが強烈なインパクトとしてあるが、今回も自動巻き取りワイヤーというおぞましい道具が。しかも餌食になるのはあの人。キリキリと不気味な音を立て死の恐怖を刻一刻と迫る緊迫感を中世の拷問道具がごとく残忍に描いている。あとは道路にピンと張られたワイヤー。バレーコートのネットにダッシュで突っ込んだことがある人は分かると思うが派手なコケ方をする。それと同じ原理で時速320キロで突っ込んだらお分かりの通りアンパンマンは新しい顔を装着することはない。ワイヤー装置を淡々と準備するシーンはかなりしっかり撮られていて、悪趣味な犯罪者予備軍リドリースコットが映画監督の道に進んでくれて安心した。


結果として本当の悪(マルキナではない大元のほう)がどんな人間だったのか、あるいはどんな組織だったのかは最後まで明らかにならない。それゆえにとてつもなく得体の知れないメキシコを覆う暑苦しい蜃気楼のようなモヤモヤした不気味なイメージがこびりついた。ノーカントリーでもそうだったが、南部にはなにか得体の知れない不気味なオーラがある。何を考えてるのかもわからないし、何を話しているのかもわからないし(それゆえか字幕も出ない)、治安も悪くそもそも死生観が根本的に違う。淡々と作業的に人を殺しその後始末をして金を得る。幸い、本作中ではメキシコ人の"作業中"は愉快なラテンビートがBGMとして流れてくれるおかげで陰鬱なイメージはない。どこかよその国の物騒な話を見ているというような完全な客観的立場になれる。主人公が名前がないあたりもおそらく感情移入するような話ではなく、離れからよそで起きてるひと悶着を覗いて見てみよう程度の理解でいいのだろう。だがアメリカという確立されていて金があれば安心が買える国も一寸先には得体の知れない闇が迫っているというWASP(クリーンな白人)的警告としてもとれるのかもしれない。


エンドロールが流れた時、これで終わり?と誰もが思っただろうし、とんでもねえ映画だな!とも思ったが、劇場を出ていつもの現実に戻り、あぁこの平和で素晴らしき世界に生きていて良かったと痛切に感じ、我々はリドリースコットの腕を再確認するのだ。
(おそらくリドリースコットにそんな魂胆はないだろうが)

2013年11月10日日曜日

【映画】セブンサイコパス







おそらく多くの人間がこの映画のタイトルとパッケージを見て、ああ七人のキチガイがハチャメチャなことして結果収拾つかなくなる映画なんだろうなーと思いながら後回しにしてまどかマギカを観ることだろう。前半部分は合っている。頭がはじけ飛んだり脳汁が吹き出るスプラッターが満載でゾンビランドを彷彿させるテンションだ。しかし後半部分は大間違い。なぜならラストは涙腺崩壊モノの感動で尚且つスッキリした終わり方だからだ。


今作の監督であるマーティンマクドナー監督が北野武大好きってことで、冒頭のシーンに「その男、凶暴につき」が使われていたり、”ヤクザ”というセリフや”スシ”も出てくる。映画の脚本作りの映画だが、北野武の監督ばんざいをベースにしているらしく、そのオマージュを垣間見る事ができる。


フォーンブースぶりに見たコリンファレルは相変わらずAKBまゆゆも困る困り眉で、ムキムキキャラではなく、やめてよぉ~みたいなナヨナヨ飲んだくれ脚本家。さすが大物
 


いう感じの演技。
それが最後にはサイコパスに揉まれ続けて性格が激変する。一方でクリストファーウォーケンはこの映画にうってつけなサイコパス具合で、
妻を殺したマフィアに自分の首の傷を見せつけるシーンなんかは正気ではない恐ろしさ。
墓場での銃撃戦シナリオの時にスリーピーホロウオマージュな登場が笑えた。
七人のサイコパスを順々に紹介していき、まさかの重複とかに笑わせられながらストーリーが進行して行く。基本的にはカリフォルニアの排気ガスまみれの都市部とデザートエリアがメイン。しょっぱなから脳天ブチ破りヘッドショットに始まり、途中頭がパーンなシーンもあり、首切り血がどばどばもあり、この映画どうやって結末にたどり着くんだ?なんて心配しながら見て行くが、大どんでん返しがあるわけじゃないのに最後はスッキリ終わる。てかすんげえ泣ける。
クリストファーウォーケンがあそこであんな形で死ぬのはちょっと満足いかないが、妻が見た世界を見れたというのは彼にとっての望む道だったからよしとしよう。
ヒッピーを征伐するシーンが今までにないカットで非常に良い。両手はナイフで机に固定されて椅子に座ったままガソリンをかけられて燃やされる。んで周りには純白無垢なウサギがぴょんぴょん跳ね回ると。あのシーンが一番とびきりサイコパスだ。
あとはウォーケンが荒野をスーツ姿で歩く姿。古い時代の映画を見ているような、そして自身の望んだジーザスと同じようなカット。実に素晴らしい。

おそらく主人公が脚本家ということもあり途中から事実ではなく映画にシフトしているのだろう。その分岐点は明確には示されていなかった、あるいは事実と映画はごちゃまぜで観客にその判断は委ねるスタイルは定かではないが、犬を取り返すシーンはおそらく現実ではなく、ヲーケンもおそらく死んでない。

全体的に笑いがじんわりとあるし、ブラックユーモアと皮肉好きには最高、おまけにお涙までセットでついてくる超お得なバリューセットセブンサイコパス、控えめにいって必見。




2013年11月5日火曜日

【ゲーム】Grand Theft Auto 5

グラセフやろうぜなんていいだしたのはかれこれ8年前の話だ。まだ中二病が抜け切れてないチンチクリンのクソガキだった頃。何にでも影響されやすかった私はそのゲームに一瞬で魅了された。親が仕事でいない時をねらってやりこんだものだ。マップやキャラクター、セリフや曲など今でも覚えているし、それが今の自分に繋がっていると感じている。そんな大きな影響を与えてくれたGTAの最新作が2013年10月10日発売された。ひと足早く発売されたアメリカではそのクオリティに感動し多くのファンが満点の評価とPS3史上もっともすぐれたゲームという評価を下した。私はまるで中学生の時のように前の晩楽しみで寝れず、買ってからもパッケージをまじまじと見たり子供に戻ったような気分になった。私自身GTAは文化的に優れているアメリカを第三者の視点から風刺したプロパガンダソフトであると考えているが、世間での評価は極悪非道な犯罪者予備軍製造ソフトという認識が高いので、その克服と、興味を持ってもらう目的でレビューしたいと思う。
 
 
 
ゲームタイトルは直訳すれば「車両窃盗」といった意味(よく“偉大なる”と誤訳されるが、Grand Theft=重窃盗という意味であり“偉大なる”という意味は含まない)であるが、シリーズでは車に限らず陸海空の様々な「乗り物」がミッションにフィーチャリングされている。非常に自由度が高いがその内容が生き残るためなら誰彼構わず巻き添えにする事も可能であり、暴力的過ぎるという批判も強いため「暴力・出血表現が含まれている」などの注意喚起シールがほとんどのシリーズのパッケージに貼ってある。

Grand theft autoシリーズは今までに10作品出ており、そのすべてが大ヒットを記録しているというモンスターソフトだ。世間では教育上よろしくないゲームとして名を馳せており、神奈川県では危険図書指定もされている。しかしこのゲームはそんな簡単な規制をしてしまうような安直なものではなく、現実を真っ向からとらえたアメリカをカリカチュアライズした文化的作品であると考える。


”バイスシティ”では1986年代のマイアミがモデルだった。中南米から流入する麻薬の中継地点であったマイアミのケバケバしいピンクのネオンや、センスの悪いド派手なファッション(今では逆にサグいが)に身を包む人間たちが織り成すリゾート地のバブルな佇まい。所謂スカーフェイスの世界観だ。


 
”サンアンドレアス”では1992年のカリフォルニアのロス暴動における危険な空気感がLAの暑苦しさとともにしっかりと作り上げられていた。初の黒人主人公と言うのも衝撃的であった。

そしてイラクやアフガンでの戦争が泥沼化し金融バブルがはじけた2008年のNYを舞台にした”4”。移民がアメリカで夢をつかむことのむずかしさ、暴力の果てにある虚しさなどをリアルさの増した新エンジンに体現化した。
このようにGTAシリーズは常に誰かの視点からアメリカの一部分を抜き取り、痛切に批判している。時に残酷に、時にブラックユーモアたっぷりにバイオレンスという軸を置きながらオープンワールドという肉づけにより我々を魅了する。







今作GTAVは前作から4年ぶりのリリースであり、前作の重苦しいいストーリーからか大きく期待された作品だった。そしてティーザーが公開されて以来世界は徐々に湧きあがることになる。
Rockstar Gamesはグランド・セフト・オートVの開発や宣伝・広報の予算にゲーム史上最高となる2億6500万ドル(約264億円)を費やしており、その数字は映画アバターやアベンジャーズをはるかにしのぐ数。しかしながらその莫大なバジェットを3日でクリアし(三日目の売り上げが約996億円)、エンターテインメント分野における世界的な販売記録を達成した。
海外大手メディアではほとんどが9点を超えるレビューをしておりその勢いは未だとどまることを知らない。



GTAVの開発は過去4年に渡って続けられ、1,000ページの脚本、数ヶ月に及ぶモーションキャプチャーとボイス収録といった作業を経た全てがロサンゼルスに密接に基づいた完全に機能する大都市の再現に関係している。そして、都市はこれまでと同様に作品の主役だと言える。Rockstarの中心人物Dan Houser氏のインタビューで最初に行われた都市の直接的な調査について、一晩中奇妙な人達と外を歩き回ったと述べ、おとり捜査を行っていたFBI捜査官やベテランのマフィア達と対話し、スラングをよく知るストリートギャング達に会う為、刑務所まで訪れたと説明している。
。「ロサンゼルスは20世紀におけるアメリカの欲望の体現だ。住宅、庭、日焼け、僅かにフェイクな全て。それは西部の終わりを示している。一日が終わりまた明日がやってくるが、産業は映画、或いは同じようなまやかしである不動産業。それは過去を逃れてそれ自身を徹底的に再構築しようとする人々からなる。Grand Theft Auto IVがクラシックなニューヨークストーリーだったとすれば、Grand Theft Auto Vはアメリカンドリームの終わりだと言える」。(注:フェイクや“まやかし”の産業という言及は、ブッシュ政権下の財政赤字と景気低迷に伴う金融商品の登場に端を発するサブプライム問題の肥大化とその背景に絡むもので、当時はアメリカにおけるGDPの7割近くを個人消費が占め、中国市場との間に膨大な貿易赤字が発生し、経済そのものが金融工学と金融商品により駆動する状況となっていた。この金融商品は信用を持たないサブプライム層への住宅ローンの貸付を主なターゲットとし、結果住宅バブルが弾けた一方で、ハリウッドは“スラムドッグミリオネア”や“アイアンマン3”といった作品でも顕著なように、インドや中国、アラブ資本が次々と介入し産業が空洞化した。)

マックスペイン3で掲げられていた政府の腐敗、信じられる物は自分だけというリアリズムを今回のGTAVでも生かされている。我々の目に日々写っている物は偽りであり偽善がロスサントスを生き生きとさせる燃料であって、それに翻弄される三人を描くのが今回の大筋となる。外から来た理性と明日を持たないトレバー、ロスサントスに取つかれた中年マイケル、多くの人間に左右されながら大人になるフランクリン三人のズッコケ人間模様を映画の如く楽しめる。
それまでのGTAの主人公は無口で与えられたミッションをただひたすらこなす冷酷な殺人マシーンだった。だからこそただの危険図書指定された残虐ゲームという印象が世間についてしまったのだろう。今回ではマイケルは家族という重荷を背負い大黒柱であるという責任がある事に葛藤するミッドライフクライシスであったり、家族の大切さをエンディングを迎えるにあたって理解するフランクリンは地元のサグい仲間との腐れ縁を切れず、また同時に将来の不安や一生このままでいいのかと葛藤する。トレバーにいたってはその性格の反面センチメンタルな面があり自分の理性のなさや人一倍他人の心境を分かる一番人間らしい怪物なのだ
このようにただのゲームとはいえ、生い立ちや生き方について葛藤し思い悩む主人公がいまだかつてあっただろうか?
 

今までの主人公と言えば例えば配管工の男が姫を救うためキノコを踏んで亀を倒してハッピーエンドだったり、長官から与えられた任務にただ答えてナパーム弾でベトナムの森を燃やすくらいだ。
これが示唆するものはおそらくビデオゲームインダストリーの成熟期だろう。PS3が発売して6年近く経ち、あらゆるゲームが発売されコンシューマーはネタ切れに追いやられ、ユーザーはもはやビルディングスロマンを追い求めるようなストーリーに飽きはじめてきた。誰がいまさらお城にさらわれた姫を助けてハッピーエンディングになるストーリーを望むというのだ?
PS3に限った話ではなくGTAにおいてももはや10作目ほどということでもはやアメリカもディスり尽くしたみたいなところはある。現実の背景と拮抗しあうリアルな人物描写を求めることによって今までとは全く違う復讐劇が完成したのではないだろうか。



GTAシリーズの魅力の一つとしてゲーム内にあるオブジェクトは現実にあるものばかりを再現しているので、まるで旅行に行ったような気分になるし、これから行く私にとっても小さな下見のようで楽しい。例えば世界的に有名な劇場グローマンズ・チャイニーズ・シアターを再現した“The Oriental”やサンセット大通りに位置するアメリカ初のディスコ“Whisky a Go Go”を再現した“Tequil La-La”、ソルトン湖にほど近い砂漠にそびえるポップなサルベーション・マウンテンを再現したヒッピータウンなどあげればきりがない。
それらをゲーム内のスマートフォンのカメラで撮影して遊ぶなんてこともできて終わるタイミングがホントに分からない。ちなみにインカメあり。


そしてこれまでのファンに嬉しいのは過去作の要素が沢山含まれている事だろう。
例えば3で公衆電話から暗殺を依頼するエルブッロ。彼の名前のついた住宅地エルブッロハイツや(レスターが住む所)、ハリウッド大通りのような所には歴代のキャラクターがまるで映画スターかのように地面に彫られている。その他にも4のパッキーがストレンジャーとして出て来たり、ニコがライフインベーダーに載ってたりとロックスターさすが分かってる。

GTAといえば目玉なのがカーラジオ。選曲は毎回神がかっており、移動の際ラジオを聴くため自然と曲が身に染み、好きな曲の幅がどんどん増えていく。今回もDJにパムグリアだったり、Wavvesで活躍するStephen PopeとNate Williams、DJ Pooh、親日家としても知られる人気プロデューサーFlying Lotusなどかなりサグい面々。フライングロータス手掛けるFly Lo FMがまたすばらしくあのキチガイラッパーtyler,the createrが参加している。なぜかヒップホップ専用チャンネルradio Los santosではないのだが、radio Los santosにはA$AP ROCKYが参加しているので問題ない。カントリーのラジオ、メキシカンなラジオなども充実しておりこれをipodに入れて持ち歩けば普段の生活がGTAなみにワイルドにかつDOPEになることは間違いない。あとなぜか眉毛が印象的なモデルの
カーラ・デルヴィーニュもDJとして参加しているらしい。



また今回はロサンゼルスをベースとしている事もありかなり映画のオマージュが出てくる。ざっと思い当たる映画を挙げてみよう
【ネタ元映画】
ガントレット
シャイニング
2000人の狂人
アナライズミー
プレッジ
コンボイ
ヒート
アンダルシアの犬
ハングオーバー!
マーダーライドショー
グッドフェローズ
サンセット大通り
ミッションインポッシブル
ノーカントリー
ハートブルー

これらの映画を見ておくとGTAVがより一層楽しめることは間違いない。RED under the BED!!


ロックスターが生み出すゲームはプロパガンダ的でありバイオレンスとレッテルを貼るにはもったいない芸術作品だ。アメリカ社会の縮図を狙っているのはもちろん、サブイベントにもビデオゲームからエコノミクスに至るまで、皮肉めいた台詞が山盛りで作品からの乖離を感じさせない。共和党からネオリベラリズム茶化すアニメが未だかつてゲームであっただろうか。
またそこには数々の映画のオマージュがあり世間を風刺しそれを吹き飛ばす武器と乗り物がある。分かるものにはあざ笑う事ができるし、わからない者には日常の鬱憤を晴らすフィールドとなる。
ここまで語り尽くしてきて言いたいことは、ゲームはあんまりやらないからなんて言ってる場合じゃない。今すぐ腎臓を売ってその金でPS3とGTAVをamazonでポチるべし。