2014年12月19日金曜日

【映画】ゴーンガール






 
 
テンポよくリズミカルにダーティなネタをショットガンが如く冷酷に毎回ぶち込んでくるデヴィットフィンチャー。今回もその威力は強大かつ広範囲に風穴をぶち空けた。個人的な見解だがフィンチャーは多分この世が好きじゃない。すごく冷たい目で卑下している。また一方ですごく頭の悪い言い方だがフィンチャーはインテリだ。映画から滲み出ている。ここまで漠然とした感覚での評価しかしていないがそう思う所以を書いていく。
これは良質なホラーコメディだ。誰しもが思う。こんなやべえ夫婦いるかよwwと。しかし気づいてないかもしれないが誇張していたとしてもこれは誰しもがありうる話だ。


ソーシャルネットワークでは早口天パ芸人ジェシーアイゼンバーグを起用しFacebookのCEOマークザッカーバーグの最低で壮絶な設立ストーリーをテンポよく仕立て上げた。伝記物やこういった類のストーリーは退屈になりがちだが常人離れした見事な会話劇と、キャラクターの濃さを活かし大ヒットに導いた。またドラゴンタトゥーの女ではルーニーマーラをダークなハッカーに仕立て、冷たく温度のない殺人のおぞましさを原作のイメージを壊さずリメイクした。
セブン、ファイトクラブ、ロードオブドックタウンと、どの作品にも共通して言えるのは全く飽きない、そして高品質。全ての作品に妥協を感じられず、間違いない作品を生み出してきたデヴィットフィンチャー。
そんなデヴィットフィンチャーだからこそ今回のゴーンガールも期待値を高めに鑑賞。
予告を見た段階である程度オチを予測していたのだが、それは遥か序盤で通り過ぎ、期待を裏切られた(いい意味で)。


まず予測していたのはマスコミの煽りによって主人公が狂わされていくというシナリオだ。これは中盤で使われる。それ故に私のキャパを超えた後半はこの後どうやって風呂敷まとめんの!?と食い入るように見ていたがさすがはフィンチャー、全てを一つにまとめ、そして冒頭に繋げるというまたにくい演出をしてみせた。
それもマスコミに踊らされるアメリカ人のバカさ加減を織り交ぜながら描いていたのは笑えた。テレビが右へといえば右へ、左へといえば左を向く。アメリカは日本よりマスコミのあおりが激しい。コメンテイターはことを大げさに説明し司会者は5倍くらい盛った話をして視聴者を喜ばせる。フィンチャーはその現状を痛切な批判を交えながら描いた。
ナンシーグレイスショーという番組がアメリカにある。未解決事件や失踪事件を番組が勝手に独断で裁きを下すというもの。それもすこぶる過剰で、二歳の子供が行方不明となった母親に対してお前あが容疑者だろうと責め立て、その結果母親は自殺に追いやられた。おそらくナンシーグレイスショーのような過激な番組がゴーンガールのもとになっている。



正直ネタバレなんかはここに書かなくても見れば分かるのであえて書かないが、見終わって思うのは男と女は全く別の生き物ということ。同じ哺乳類であっても男が完全に女性に社会的な地位で勝てても、家庭では女性が君主になる。誰だってそうだ。そうやって古来から成り立ってきている。そのヒエラルキーが成り立たない家庭は崩壊する。だからこそ結婚に人々は苦悩する。俺はこいつで良かったのか?と。
男女の関係を経験した事があるなら誰しも共感できる意見の食い違い。なんで意見がこうも食い違うのでしょうね。それは男と女は違う生き物だから。こう考えるしかない。
エイミーのこれが結婚てもんよというセリフ。恐ろしいけどあれこそが真実。
男女のカップルがデートでゴーンガールを見に行くことはリスクが伴うが必要だろう。なぜかって?男は浮気したら嫁は失踪しかねなくなるからだ。

 
二時間半という長丁場ではあるがそれを感じさせない洗練されたフィンチャー空間を映画館で楽しんで欲しい。人によってはスカッとし、人によっては恐怖を覚え、ある意味パーソナルな映画だと言える。 
ゴーンガールのタイトル、行方不明の妻はもちろんだけど、イカれた妻とも取れるから面白い。
 

2014年12月17日水曜日

【映画】フューリー






生涯で見た一番恐ろしい映画はプライベートライアンである(ちなみに2位は小野寺の弟、小野寺の姉)。ジュラシックパークやスターウォーズを見て、スピルバーグ監督はなんと冒険心とクリエイティブな魂に溢れている監督なのだろうと満ち足りていたが、同監督ということでプライベートライアンを見てどん底に落とされた。吹き飛ばされた自分の腕を持ち頭がイカれて右往左往する兵士、臓器がはみ出てママ〜と叫ぶ兵士、戦車で木っ端微塵になる兵士、狙撃兵同士の静かな戦い。まるで今まで優しかった近所のお兄ちゃんが実は犯罪者だったくらいの衝撃である。プライベートライアンにより私は戦争の無慈悲さを学ぶ。
またキューブリックのフルメタルジャケットで戦争の下劣さを学ぶ。それも説教的なセリフや主人公補正的な物を完全に削ぎ落とした徹底的にリアルな物によって。

戦争は人類が本来備え持つバイオレンスの精神が生んだ文明人の交渉の形だ。我々は物を保有するという概念を生み出して以来、奪い、吸収し、国家を形成してきた。結果として人類は言語とバイオレンスにより強者になったといえよう。
その避けては通れない戦争という分岐点を語る映画は数多くある。ミリオタ万歳な兵器や銃が盛り沢山な映画もあれば、戦争を淡々と語る映画、あるいは戦争はあってはならないと教訓的に語る映画。挙げればキリがないが毎年数多く量産され消費される。
今回のフューリーもまたその数多く量産されるB級映画の一つのなりえた。しかし結果としてそれは今までとは逸脱した究極の戦車映画としてデビッドエアー監督に生み出される。

あらすじ
1945年4月、ナチスがはびこるドイツに総攻撃を仕掛ける連合軍に、ウォーダディーというニックネームのアメリカ人兵士がいた。カリスマ性のあるベテラン兵士である彼は、自らフューリーと名付けたアメリカ製の中戦車シャーマンM4に3人の兵士と一緒に乗っていた。敵国ナチスは追い詰められ女子供も兵士として使うほど緊迫した状況下にあった。そんなある日、ウォーダディーの部隊に新兵ノーマンが加わることになる。


今までと一線を画す要素として一つ挙げられるのは戦車ということにある。ここまで戦車にこだわりきった映画は今までなかった。そもそも映画で使われる戦車は大抵フェイクであり、本物はほとんどが対戦の被害でなくなってしまった。殲滅されてしまったナチスにおいては戦車なんてほとんど残っておらず、今回出てくるティガー戦車なんかも元から生産された台数が少なかっただけに皆無に近かった。しかしイギリスの戦車博物館にほぼ新品の状態で保存されていたティガー戦車の存在を知ったエアー監督は何とか使わせてくれと頼み、今回映画内で本物の戦車が使用されることとなった。私は熱心な戦車オタクではないし仮にシャーマン戦車が抽選で当たって自宅に届こうが物置にしか使わないだろう。しかし日本のミリオタは大歓喜らしく、フューリーの評価は非常に高い。

私が評価したいのは役者の演技だ。いや、演技の姿勢といったほうがいいか。
ブラッドピット達の五人のメンバー(1人は死んだ)は長らく大戦を戦車の中で共にし、日々死を枕にしながら生き延びてきた。そんな極限状態を今までセレブリティな暮らしをしていたのに突然演技として表現するのは無理だということで、一家代々兵隊の生まれのデビッドエアー監督は、ブラピ達一同を戦車の中で寝泊りさせ、また撮影の直前まで殴り合いをさせた。そうリアルファイトクラブである。しかもその様子は一切映画には出てこない。殴り合いをさせ、バイオレンスを身体に染み込ませ、猛々しいエネルギーを身体中から放出するために監督が考えた役作りの術である。シャイアラブーフにおいては気が狂い、自分の顔にナイフで傷をつけたり歯を抜いたりした。結果として彼らは家族となり、台詞や演技の表面上だけでなく本当に昔から一緒にいるかのような連帯感をスクリーン越しに醸し出した。

残念なところといえば主人公補正が強すぎるという事か。2.300のナチスに囲まれても五人で無双するラストシーンは少し無理があるかと思うがハリウッド映画の性質上避けられない。とはいえドイツ側から見たらひどく複雑な気持ちになるだろう。

最後主人公ノーマンは戦車の下に隠れてナチスをやり過ごす。しかし一人の若いSS将校に見つかってしまう。だが極悪非道なはずのナチスはにっこり笑って見なかったことにする。もう敗戦を目の前にして無駄な悪あがきをしない未来の見据えている兵士か、あるいは極悪なナチスも結局は人の子で慈悲だって持っているという意味か、あの若き将校はかつてのノーマンがそうであったようにまだ子供を殺せない殺人マシーンになっていないSSで自分と年の近いアメリカ兵を見てにんまりしたか。結論は見た人間にのみ委ねられるだろう。

ブラッドピットの、「理想は平和だが、歴史は残酷だ」積極的に使っていきたい私生活とかで。
個人的にはラッキーストライクをジッポで吸ってるあたりがドツボ。

2014年11月27日木曜日

【映画】インターステラー

 



2014年度公開された映画は2001年宇宙の旅を感じさせる物が非常に多かった。アンダーザスキンでは、冒頭から目の光彩を反転させてワームホールを意識していたし、ルーシーでは猿と触れるスカヨハが超越した存在=所謂導き手モノリスでありスターチャイルドであった。
自分は熱狂的な2001年宇宙の旅信者であるし、スタンリーキューブリックの虜になったマゴッツの一人なので宇宙系の映画となればどうしても比較してしまいかねないが、今作は2001年への挑戦であり、進化であり、未来であった。要するにぶったまげた。

まず挑戦と言ったのは、本作の三時間の尺におけるプロセスが2001年を意識したものであり、シーンごとのオマージュを多く感じられる点にある。例えば今回のキーとなる時計は実際のアポロ計画の時に使用するオメガ製とは異なりハミルトン製だ。なぜかといえば2001年ではハミルトンを着けているからだ。また2001年~では当初ワームホールは土星に配置したかった。しかし土星の輪に満足しなかった完璧主義のキューブリック御大はやむなく木星にワームホールを置くことになる。そのキューブリックの無念を晴らすつもりかどうかは分からないが、ノーランは土星の横にワームホールを置いた。
また進化というのは刷新すると言う意味での進化である。2001年は当時の最新技術を限界まで集め、エッジを効かせ、極限までスタイリッシュにした。物理学者を製作に加え、まだ月にも降り立ったこともないのに、あのビジュアルを完成させた。そのため今も色あせず、昔のSF映画にありがちな宇宙探査してるのにフロッピーディスクかよ!みたいな興ざめがなく今も神格化されている。おそらくインターステラーも未来代々語り継がれる作品になるであろう。同じように製作に物理学者を交え、今分かってる最大限の技術と科学で宇宙へのフロンティアをビジュアル化した。
おそらく今後作られるSFは2014年度に相当強力な宇宙映画が作られてしまったために、かなりハードルが上がり、映画は量産され駆逐され選別されるだろう。エッジが効いていい作品が多く生まれるという考えを取れば、今作は映画の未来だと言える。


個人的にはTARSのキャラクターが非常に良かった。ビジュアルや導き手のようなポジションはモノリスのようでありながら、喋る上にユニークなジョークを飛ばすなど人とは違う第三者的な立場が存在することでこの映画のいいエッセンスになっていたと思う。事実あれが人であったとするならば、あるいはプロメテウスやエイリアン、ブレードランナーのような人型アンドロイドだとしたら、陳腐なものになってしまうだろう。無機質な有機物体であるがゆえに非常に愛着の湧くキャラクターに仕上がっていた。作中、ジョークや正直度のレベルを設定でき、それに伴いTARSが冗談をかますのだがそのセリフの中で正直度を100%にするとどうなると問うと、あまりいいことはないと答える。これは明らかに正直度100%で矛盾が生じ乗組員たちを殺したHALへのオマージュでありそのセリフを聞いた自分はスクリーンまで駆け寄って泣いた。

毎度説教的というか哲学を混ぜ込むノーラン先生の今回の授業はそこまでへヴィなものではなく(今までと比べて)登場人物に割と陳腐なセリフを語らせつつも映像で見せるという今までとは少し違う変化球な授業であった。実際登場人物に例のごとく哲学的なセリフを語らせて一歩間違えれば、おいてかれてラストまでよくわかんなくなるなんて自体が多発しただろうから、ダークナイトで商業的に当てたノーランにはもはやなんだかよくわかんねえけど意味があるっぽいセリフ(悪の法則のカルテル等)を語らせるのは難しいだろう。

今回、いや過去作から今に至るまで、あるいは近年の作品から自分が汲み取った監督の思いは、内側ばかり見ないで外側を見ろということ。インセプションでは深層心理にずぶずぶとハマっていって抜け出せなくなるディカプリオが記憶に新しい。またディスコネクトではSNSにはまった人々が闇に落ちていく他人ごとではない現状を映画化した。そのポスターは上を見上げていた。
現代人は新しい技術をすべて身の回りの便利さに費やし、スマートフォンはどんどん便利になり、上を目指すスピリットを忘れてしまった。現状で満足し、このまま欲におぼれてやりたいようにやってるといつか食糧難になってみんな畑耕しては放置して砂漠化して地球住めなくなっちゃうよ?フロンティアスピリッツとりもどそうぜ?みたいなノーラン先生の教えをぼくはこのえいがでかんじとりましたまる。
我々消費者がすべて悪いみたいな突き放した感じにもとれるけどね。

アメリカ人、あるいは人類には根本的に冒険心、探究心、フロンティアスピリットが備わっていると思う。何かを極めようという考え、金鉱を求め西へ、神の土地イェルサレムへ、目的は何であろうと人は確率は低かろうが自己犠牲によって探究する。だからこそ類人猿から人類に至るわずか数千年でここまで地球という惑星をおおよそ支配するまでに至った。
今後地球が滅びるかどうかはわからないが、インターステラーを見ることによって(三時間に耐えて)何か考えるきっかけになればと思う。
おそらくゼログラビティよりも劇場で見ないと後悔する作品。




彼の登場で絵理事有無の続編かなと思ったのは俺だけじゃないはず。

2014年10月4日土曜日

【映画】ファーナス 訣別の朝






リドリースコット御大並びにディカプリオが製作、スコットクーパー監督、クリスチャンベール、ウディハレルソン、フォレストウィテカー、ウィレムデフォーとメンツ集めるだけで莫大なバジェットがかかってそうな今作。自分の降り立ったことのある地、ペンシルベニアということもあって期待値を高めにして見た。
舞台はペンシルベニアのブラドック。鉄鋼業が盛んな街で、街自体は廃れ、アメリカ内部特有の陰気な田舎町だ。そこで金使いの荒い弟と直向きに鉄鋼業を続ける兄。しかしある日サイドブレーキを踏み忘れた車が道路にはみ出しており、たまたま酒を飲んで車を運転していた兄ラッセルはその車に衝突し、不幸にも中にいた子供を殺してしまう。実直に働き弟の世話までしていた兄は牢屋に入ってしまい、父の最期を看取ることが出来ず、嫁には出て行かれ、弟はイラク帰りで頭がおかしくなっている。すべては失われた。しかもそのタイミングで弟が金を返すためにファイトクラブ的な賭けをしていると知る。さらには悪党に捕まった疑惑。警察は何もしてくれない。弟がファイトクラブを始めたのも、イラク帰りの兵士に何もしてくれない、国は俺らに何もしてはくれないという理由だった。
兄ラッセルは教会で祈る。まるですべてを失った旧約聖書のヨブかのように。そしてラッセルは復讐に燃える。これまでの映画なら悪党を追い詰め、最後には許すだろう。しかしファーナスは違う。


これはとある田舎町の話ではない。
アメリカ全土の話だ。アメリカ中でこのような苦悩が湧き起っている。
普段我々が目にするきらびやかなアメリカはほんの小さなひと塊で、アメリカのほとんどはクソ田舎と低所得者で溢れかえっている。オバマに就任する番組が流れていることから2008年なのだろう。ブッシュの的外れなイラク派遣で多くのアメリカ人兵士が犠牲になり、無事帰還した兵士もまともに職に就けず、また国もそれに対してケアしなかった。おまけに国民皆保険は無く怪我や病気はできず、自分の身は自分で守らなければならないという意識がアメリカ人には強くある。そのためどの家にもライフルやピストル、ガンマニアに至っては戦争に行くのかってぐらいでかい機関銃を持ってるやつもいる。
また内部には厳格なクリスチャンが多い。ブッシュが当選したのは内部のキリスト教原理主義を味方につけたからだと言われている。それくらい内部の力は強い。だからどこに行っても教会があるし毎週日曜は絶対に教会に集まる。
そしてクソ田舎では警察の目はそこまで厳しくないため自家製のメス(メタンフェタミン)が多く悪党を増やす。昨今ではブレイキングバッドというドラマがアメリカで大ヒットしたが、それに近い状況がアメリカ中にある。上層階級の夫婦がある日夫に先立たれ、今の暮らしのレベルを下げたくないがために風邪薬からメタンフェタミンを抽出して売買していた未亡人がいたなんてケースも事実ある。

そんなアメリカのリアルな苦悩を凝縮しリドリー御大特有の重苦しいやるせなさと張りつめた弦のような緊張感で今作は二時間続く。


冒頭でこれまでの復讐劇なら悪党を殺さず許すが今作は違うと述べたが、ラストラッセルは悪党の頭をぶち抜く。初めは撃っちゃうのか....と何とも腑に落ちない感じだったが、今思えば、何もしちゃあくれない国に対して中指を立て、自分のことは自分でするというメッセージを込めたヘッドショットだったのかもしれない。弟が成し得なかったことを最後まで兄はケアしたのだ。



クリスチャンベールが自分が持っているgoodwearのTシャツを着ていてわかってるな~コイツぅって思った。

2014年9月7日日曜日

【映画】ケープタウン






世界的に見ても危険な国ランキングで上位に挙がってくる街、ケープタウン。アパルトヘイトの撤廃後、ケープタウンに大量に国内や周辺諸国から住民が流入したが、彼らの多くは失業者となり、治安が急速に悪化した。この国の治安の悪さは貧困と社会的格差に原因がある。
 かつては南アフリカにある美しい町として多くの観光客が訪れていたが、ここ数年は犯罪とギャングの対立戦争の中心地となりつつある。ヨハネスブルグほどの治安悪化は見られず、昼間なら徒歩での外出も可能ではあるものの、犯罪は激増している。日本国の外務省からは、市の中心部(シティ・ボウルおよび北西部)ならびに市東部のケープ・フラッツ地区には注意喚起が発出されている。
ちなみにアフリカでもっともやばいのがソマリア。ソマリア沖海賊問題で日本の諸外国との貿易において他人事ではないが、警戒レベルはレベル4でこれは外務省の出したデータによるもので、Lv1気をつけろLv2やめとけLv3行くなLv4逃げろみたいな感じで4は最大。
さらに世界で最も治安が悪いのはホンジュラスのサンペドロスーラ南米から北米までの麻薬の経由地になっており殺人事件発生率は日本のおよそ400倍。グランドセフトオートの世界を身近に感じられる世界だ。ちなみに2位はワールドカップでふるぼっこにされたコートジボワール。
 
先ほど治安の悪化について原因は貧困と社会的格差にあると言ったが、経済的不平等が生じる原因は、賃金・収入の大きな違い、労働市場税制の穴やタックスヘイブン、コンピュータ化と技術革新、人種による不平等の要因が挙げられる。ただし日本と大きく違う点は天然ガス、ダイヤモンド、鉄などの資源が豊富なのに対し技術がそこまで発達していない、さらにはそれを他国が教育するのではなく、外資として流出してしまっているために大きな格差の原因となった。また、長らく続いていたアパルトヘイト(人種隔離政策)の影響により第9地区でテーマになったような、貧しい人々がある一帯にすし詰めにされる状態になったため急速に治安が悪化した。仮に自分たちに置き換えて考えてみると、足が短い人間は職に就けないという政策があったとする。そうするとある地帯に足が短い人だけのコミュニティが出来、そこには裕福な人は近づかなくなり、またてっとり早くかつ公的な職ではないことをする。それは結果的に薬物の売買であったり武器の不正取引になってくる。
ソマリア沖の海賊も豊かな漁場を他国の大型漁船が大量に持って行ってしまったために枯渇し、っやむを得ず通行するタンカー船などを襲って身代金を要求し、生活の基盤とするしかなかったのだ。
今回この映画ケープタウンでも因果応報というか、巡り巡って返ってくるというか、報復のようなものがテーマとして根底にある。
主人公の一人である黒人捜査官のフォレストウィテカー(以下黒釣瓶)は以前アパルトヘイトにより父を亡くし(それももっとも残忍なタイヤネックレスによる死刑で)、本人も警察犬に金玉を噛み千切られ夜の営みはマッサージだけを強いられるようになってしまう。
彼自身寛大なため一連の出来事は許しているのだが、ある事件をきっかけにそのリミットが外れ、頼りない黒釣瓶から暗黒釣瓶へと進化する。その表情の変化は見物。
始めから最後までずっとガサツで野蛮なオーランドブルームよりも切れたら怖いのはこういう真面目な怖い人だよなあとふと思ってしまった。
 
 
映画全体を通して南アフリカのほのかに危険な雰囲気を撮り方や音楽でしっかりと演出できているし、それを証拠づけるような上質なバイオレンスもあり、また刑事ものとしての、じわじわ解決に近づくサスペンス要素もあり、文句なしの良作。
最後黒釣瓶は殺すべきだったのかまた許すべきだったのかを見終わって考えた。
セブンで味わった何ともしっくりこない胸に引っかかる感じに似ている。
殺すことでバイオレンスは繰り返されているということを訴えていたのか、あるいはあそこで清算しなきゃそれこそしっくりこないだろと監督が感じたからなのかはわからない。
ただオーランドブルームが最後、自分の中で父と和解したことだけがこの映画において唯一の救いだった。

2014年8月31日日曜日

【映画】LUCY

あらすじ
マフィアの闇取引に巻き込まれたルーシー(スカーレット・ヨハンソン)は、特殊な薬が入った袋を体に埋め込まれ運び屋にされてしまう。しかし、体内で薬が漏れたことで彼女の脳機能は驚異的に覚醒。脳科学者ノーマン博士(モーガン・フリーマン)が見守る中さまざまな能力が超人的に目覚める一方、少しずつ人間性が喪失し、自らを制御できなくなっていく。

2014年はキューブリック御大の偉大さを再認識させられる年だった。量産される商業映画だろうがパーソナルなマニアックフィルムであろうが、随所にキューブリック作品の息吹を感じさせ、いわゆる通過儀礼になりつつあると実感させられる。
ルーシーにおいてはキューブリック要素はもはやメタファーどころではなく、2001年宇宙の旅のアクションリメイクかと思わせるほどだ。猿が水を飲む序盤のシーンの始まり、モーガンフリーマンの言う「人類は知能を20パーセント覚醒させるイルカに対し道具を駆使して生存する生き物だ」という言葉はもはや武器を手にし進化の理由となった骨であるし、善悪の判断を完全に排除し神的領域で生きるルーシーはもはやHALでありスターチャイルドだ。では導き手であるモノリスはモーガンフリーマンか?2001年宇宙の旅が好きでたまらない人間にとっては結末がない云々はもはやどうでもよく(リュックベッソン監督作品に中身を期待してはいけないシークエンスを楽しむべき)、ニキータやレオンを彷彿とさせるスカヨハの妖艶なまでのアクション、インセプションばりの時空間移動、全体にちりばめられた2001年宇宙の旅等、おいしいとこを集めまくりましたみたいなビュッフェランチ映画(勝手に命名)だと感じた。
しかしビュッフェランチを食って食後に毎度思うのは食欲を満たされただけで本質的な感動は得られていないという点であり、ルーシーでもそれは同じことといえる。ただでさえ多くの映画のおいしい部分を拾ってきたにもかかわらず、脳のリミッターを外してチート使用後のようななんでもあり状態で、これどうやってエンディングまとめんだ?と誰しもが思ったはずだ。結果的にそれは我々を納得するものではなく、視覚的な満腹感は得られたが映画的な幸福感は得られずにエンディングを向かうこととなる。

最後スカヨハはあらゆる概念を超越し神に近づいた。その理由として冒頭の猿と触れ合うシーンがその根拠づけとなる。あの手の角度と触れ方は、途中サブリミナル効果でも差し込まれていたミケランジェロのアダムの創造でしかない。アダムの誕生は、旧約聖書の『創世記』に記された神が、最初の人類たるアダムに生命を吹き込む場面を表現しているとされている。猿とのふれあいのシーンで猿はスカヨハに人間性を埋め込まれたのだ。ってことは我々の神はスカヨハってことになる
最終的にはI am EVERYWHEREという言葉を残し、時空かあるいは素粒子にでもなったのだろう。限界まで突き詰めれば確かにそうかもしれないが、そんな漠然としたラストで高まるのは時空オタか東大理三男子くらいだろう。
我々単細胞生物(少なくとも東大理三男子から見て)にとってそんなラストが腑に落ちるはずもなく、なんで今までもののけ姫のおっことぬし様的なビジュアルだったのになんで突然味気なくなってしまうんじゃ!と叫びたくなる。


ただビジュアルとしての面白さはやはり映画を撮りまくってるリュックベッソンだと感じた。登場人物の感情を動物に置き換えたり、モーガンフリーマンの眠くなるスピーチをディスカバリーチャンネルテイストのハイビジョン映像でお送りしてくれるなど、目に訴えかけてわかりやすく作られている点は非常に良い。ストーリーラインがしっかりしていることは映画において重要なエッセンスではあるが、ビジュアルに訴えることは同じくらい重要であるためルーシーは記憶に残るいい映画だと感じた。

後は個人的にキャストにチェミンシクがいたのが高評価。オールドボーイと顔つき変わってない。



2014年7月28日月曜日

【映画】ゴジラ





人類は有史以来バイオレンスを持ってして進化を遂げ、その最終形態が核であると、キューブリック自身も映画で語った。地球上の生物はおろか、無機質までも塵に変える核弾頭。ではそれを超越した存在がいるとしたら?おそらくそれは神か魔物であり、それはGODZILLAなのだ。
自分は特撮オタでもないし、昭和から平成にかけてのゴジラは一つもチェックしていない(US版ゴジラは観たけど、あれはゴジラではなくB級ダイナソーパニックなのでカウントしない)。そのため今回のゴジラは新鮮な気持ちで見ることが出来た。


ゴジラのバックグラウンドとしては1954年公開当初のゴジラの説明は、ジュラ紀から白亜紀にかけて生息していた海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物の末裔が、度重なる水爆実験により安住の地を追い出され姿を現したものがゴジラであると語っている。しかし、以後の作品の多くでは、核実験の放射線で恐竜が変異した生物であると解説されている。
今回のゴジラはその背景を一切無視し、今までビキニ沖でやりまくってた核実験は実はゴジラを倒すためにぶち込んでたんだよというあらすじ。要は核が効かない存在なので人間のリーサルウエポンが効かない以上なす術はない。


全部で二時間程度の尺があるため長く感じるかと思ったが意外と短かった。しかしジョーズと同じ手法で正体を現すまでに非常に時間をかけているために、実際ゴジラが出演している時間は合計で10分無いんじゃないだろうか。それだけゴジラが全貌を明らかにし満を持して感を出しながら咆哮するシーンは鳥肌が立った。実際ムートーのが誕生から夫婦愛まで延々やってるからムートーが主役なんじゃないだろうか。というか怪物の交尾を前作「モンスターズ」で見せられ今回も怪物の新婚生活を見せてくるあたり監督は相当な変態である。
まあただ言えるのは後半にかけてだんだんゴジラがかわいく見えてくるということ。
ゴジラの顔は従来猫顔だったがギャレスエドワーズが犬好きってことで犬顔になったらしいのだが目とかつぶらだしのしのし歩いてるしゴジゴジって呼んであげてね!みたいなところはあった。
中の人(着ぐるみではなくモーションキャプチャーの意)はロード~のゴラムや猿の惑星のシーザーでも演じたアンディサーキス。人間離れした動きをし、初の着ぐるみゴジラじゃないCGゴジラの化け物感」を見せつけた。

映画自体は怪獣映画でありながら社会的なメッセージを内包し、尚且つ多角的な愛をバランスよく映していると感じた。
ゴジラの全貌がまだ人々にとってわからない前半部分は、3.11の原発をかなり強く意識ており、後半部分のゴジラ襲来は、9.11の恐怖を思い出させる描写だと感じた。おそらく日本では原発をぶっこわす描写なんてのは10年先までできないだろう。今回海外から日本の描写ができたために原発はいいエッセンスとなった。これを見て原発厨がゴジラ並みに咆哮しそうだが、海外に向けてその声はおそらく届かないだろう。余談だが脱原発を唱えておきながらエアコンを使わないでクソ暑い夏を過ごせるのかと問いたい。


今回がキーワードとなる。ベガスで扉を開けると、、、核廃処理施設の扉を開けると、、、捕らえられたジョーがムトーの電圧で扉が開く、瓦礫の扉を開けるとムトーの卵が、など数多くの扉のシーンがある。そのシーン自体はおそらく大して意味はないのだが、扉を通してあるメッセージを含むと考えた。それは社会問題を抱える現代社会を、ゴジラを通して新時代が幕開けるという監督の考えか?あるいは何が待ち受けるかわからないこのご時世に舐めてるとゴジラが現れたりするかもしんないからあんまり人間本意で生きるなよというメッセージか。ただ単純にギャレスエドワーズ監督のやり方なのか。いずれにせよそれは見るものに委ねられるはず。


単純なパニックとアクションの連続かと思いきやヒューマンドラマやギャレスエドワーズお得意の「本当に起きた」みたいな描写が非常に良かった。上流から流れる燃え上がった戦闘機の残骸や大渋滞の中に墜落した飛行機を上空から撮ったり、ゴジラが通ったため壊れてしまったであろう鉄橋、孵化したムートーが海に向かって地面に爪痕を残しているなど、本当にモンスターっているんじゃないかと思わせる技術には脱帽。
残念なのはそういった被害だとかリアリティの部分が上手いだけに、戦闘シーンが少しダレる印象
それに付随して脚本がイマイチ。ゴジラを感じるには素晴らしいが映画として考えるとそこまでは面白くない。
あとブレイキングバッドで一躍有名になったブライアンクランストンがたくさん出ててブレイキングバッド好きの自分にとって非常にありがたいのだけど、片言でモシモシとかスグイキマスとか言わせるとあほっぽいからやめてほしい。掛け軸に日本って書いてあったり招き猫おいてあったり日本のイメージが相変わらずおかしいのは何とかならんのか。

2014年7月15日火曜日

【映画】プレイスビヨンドザパインズ







映画において導入部分はその映画全体の評価する重要なエッセンスだ。実際、総合的に見て映画はつまらなかったとしても、シーンの印象として強力に頭に残っているものはいくつもある。導入部分の高まりが強ければそれだけ後のシーンに与える影響は大きくなる気がする。ダークナイトの銀行強盗、ドーンオブザデッドの住宅街パニック、ドラゴンタトゥーのCG、ウォッチメンのPV的シーンなど、それだけで十分価値がある導入は多い。逆にユージュアルサスペクツなどは世間的な評価は高いが導入がつまらなくて自分は好きではない。
結局何が言いたいかといえば、プレイスビヨンドザパインズの導入は俺の視神経を鷲掴みにし、一瞬にして虜にさせた。バタフライナイフさばきから古着感あるメタリカT、きらびやかな遊具、赤革ジャンにタバコ、顔が露わになり球体バイク無双(ハチのようなうめき声をあげて回転する三台のバイクはなかなかの見物)までの長回しの導入だけで、どれだけの人間がゴズリングに陶酔したことか。最初は元気の無いばかうけみたいな顔してんなと思ってた俺も、さすがに惚れた。一回虜になってしまえばどんなゴズリングでもかっこよく見える。穴だらけで裏っかえしのTシャツを着るゴズリング、ローキックでタイ人にボコられるゴズリング、ひげボーボーで家を建てるゴズリング、オタを演じるもガタイが全然オタじゃないゴズリング、、、ただしかっこいいからって真似すると、俺らの場合全部痛い人になる。

導入のシーンの良さはもちろんのことだが、序盤の強盗のシーンの緊迫感もPOVを駆使してリアリティを追及しており見ごたえがある。荷台でゲロ吐くとこなんかはかなりリアルでいいし、今までにこういった描写はあまりなかった。実際あんな緊迫した状況から解放されたら吐くこと間違いなし。


息子が洗礼を受けることや、収入豊かな黒人男性(白人ではなく黒人であることも重要)により自分の息子が自分の思うようにいかないことに怒り、ゴズリングが怒り狂い森を駆け抜けるシーンがある。いわゆるはぐれ者のゴズリングと違って、息子は常道に強制的に進まされている。ゴズリングはアイスを食べさせてバイクに乗らせたいのに、その願いはかなわないかと思われた。しかし血は嘘をつかない。どんなに強制されようが息子は同じようにバイクにまたがる。その輪廻の宿命に心打たれる。同じ坂道を二人が駆け抜けるシーンは印象に残る。


全部で三章に分かれてるが残念ながら三章目が胸糞。ラストにかけて必要なエッセンスなのかもしれないが、カタルシス以前にとにかくブラッドリークーパーの息子がうざくてキモい。ヒップホップかぶれの胸毛野郎なのだが、開口一番に撃ち殺して欲しかった。あいつがいなければ(せめてほかの俳優)この映画の評価がだいぶ変わってくる。あいつ一人だけの話ではなく一章が濃すぎて後半がどんどんだれていくイメージ。デインデハーンの演技が唯一首の皮一枚繋いでいるといった感じだ。有望ですな。


タイトルのプレイスビヨンドザパインズ。松林の向こう側という意味だがここにおいて何を意味するか。
まっすぐだけど不器用な空回りしちゃうワルと、まじめで実直に生きてきたが正義だと思ってたものが汚職にまみれたごみ溜めだったことで葛藤する男と、その血を受け継いだ二人の子。出会うこと、ライフスタイルは宿命であり、生きる上でのそれぞれの課題は受け継がれ螺旋は死んでも続く。それぞれ課題は違ってある。しかしその先には何が待ち受けているのか?アメリカ北部の松林が生い茂る地帯。最後、デインデハーンは500ドルでホンダのバイクを買い取り、父のように無口に去ってゆく。その先にあるものは?もはや復讐ではなかろう。一度も見たことのない父のように、バイクを家族として生業としていくのだろうか。そんな意味を含めたタイトルだと思う。
アメリカのイヤーな部分と人間の本質的な性と螺旋を描いた名作。

序盤がぎっしりしているだけに最終章のパンチが欠けるのは非常に残念だ。

余談だがアメリカの若者の性事情。ゴズリンが子供ができちゃってたように日本よりできちゃった系が多い。そのため若者は妊娠を避けるためア*ル*セッ*スが多い。結果的にエイズ感染者もめっちゃ多い。



あと15年たってんのにブラッドリークーパー変わらなすぎ。

2014年7月10日木曜日

【映画】グランドブダペストホテル






あらすじ
1932年、品格が漂うグランド・ブダペスト・ホテルを仕切る名コンシェルジュのグスタヴ・H(レイフ・ファインズ)は、究極のおもてなしを信条に大勢の顧客たちをもてなしていた。しかし、常連客のマダムD(ティルダ・スウィントン)が殺されたことでばく大な遺産争いに巻き込まれてしまう。グスタヴは信頼するベルボーイのゼロ(トニー・レヴォロリ)と一緒にホテルの威信を維持すべく、ヨーロッパ中を駆け巡り……。


フォレストガンプでは人生はチョコレートだと言っていたが思うに映画もチョコレートだと思う。
その包み紙を開けるまで味も観た目もわからない。包み紙が豪華で宣伝がとてもおいしそうに言っていようが、中に入ってるカカオが高級だろうがまずいこともあるしそれが好きな人もいる。
ダイハードとかは所謂ウォールマートとかで大量に安売りされている袋詰めのチョコレート。
ブダペストホテルは言うならば金の包み紙に包まれた、高級な食べるのが惜しいチョコレート。
ウェスアンダーソン監督の作るチョコレートは箱にみっちみちに凝縮されていて一つ一つがそれぞれ違った味。それもとてつもなくおしゃれな箱に入っている。
食べる年齢によっても味わいは変わりそうだ。


ウェスアンダーソンはテキサスで生まれた。
テキサスなんぞ言うなれば埃っぽい街にTボーンステーキをかっ食らう筋肉バカとバカ騒ぎする若者くらいしかイメージが湧かないが(完全に悪魔のいけにえの影響)、恐らくウェスアンダーソンはそんなステロイド脳に適合出来ずプレッピーに憧れを抱き続けた。そしてダージリン急行ではインドを経てライフアクアティックでは海底を経て、遂に本丸であるヨーロッパプレッピー文化のど真ん中をテーマとして取り上げたのだ。
よくある外人が他国をテーマに取り上げるととんでもないものが出来上がるが(日本と中国がごっちゃになってたり、スシ!ウドン!とか叫んでたり)恐らく勉強し尽くしただけあってヨーロピアンテイストを完全にクリアしている。

やり方としては今までと一ミリも変わっていない。左右上下のパン、横スクロール、キャラクターの濃さ、アイテムのこだわり、ウェスアンダーソン節の炸裂である。
今までと違うのはストーリーがしっかりとある(笑)。まるで今までがなかったというような言い方だが今まではすげえ雑だった。



シュテファン・ツヴァイクの昨日の世界を軸にしているがこの際それは知らなくても問題はない。知っていれば内容がもっと深く知れるという程度だ。これまでの作品と違い興行収入が伸びているのはウェスアンダーソン作品がかなり一般的になりまた一般にも分かりやすく楽しめる作品になったことを物語る。ただだからと言ってウェスのやりたいことを妥協したようには見えず、ヒッチコックやキューブリックの踏襲でありながらもサイレント映画をも匂わせながら、脱走劇、銃撃戦、ストップモーションとありとあらゆる世界を混ぜ込んで絵本的世界を独特の世界観で作り上げている。

まあ難しいことを抜きにしていえばめっちゃオサレ。徹底されたウェスアンダーソン美学。群集劇好きの私にとってこれだけ個性豊かな面々がそれぞれ個性を爆発してくれるとうれしいものだ。

言いたいことが特に出てこなくなってしまうほどいい映画。
オーウェンウィルソンが全然出てこなくて残念。

2014年7月9日水曜日

【映画】escape

https://www.youtube.com/watch?v=xuKwU5awmMM





平成生まれの我々20代、所謂「何か新しいもの」を求めて旧世紀の価値観のまま21世紀にやって来た私たちにとって戦争も経済も宗教も文化も道徳も、総て20世紀のお下がりであり、何一つとして「新しいもの」なんてなかった。
クリエイティブな思考はもはや無く二番煎じが通説であり、ゼロ年代以降のホラー産業は衰退の一途を辿るのみ。降霊、女優霊、リング、仄暗い水の底から、呪怨、らせん、とそれぞれあるテーマを元に日本の土着化された恐怖感を存分に引き出した作品がゼロ年代までに大量に生産され、ジャパホラ産業は一時はエクスプロイテーションかと思われるほど爆発的に業績を上げた。しかし情報飽和社会とあらゆるシステムの利便化により王道ホラースタイルでは味気なくなってしまった。その後POVがノイズでは無く新たな手法として認知され、映像の可能性は大きく広がったものの、大筋としては基本としてあるべきホラーの形にのっとった本質的には同じものの量産でしかなかった。
いずれにせよ目立ったジャパホラはもはや排出されず、海外のエログロナンセンスが先走った低俗な商業ホラーが市場では売れ、おぞましさを骨の芯まで感じさせる日本のホラーは衰退してしまったと認識していた。
過日のジャパニーズ・ホラー粗製濫造の狂騒の影で、リアリズムを追求したシネマヴェリテが如きホラー演出はとんと忘れられてしまったのだ。

しかし今回このアマのフィルムである”escape”ではこれまでのホラーの掟にあくまでも従いながら、尚且つ革新的な良作となっている。90年代後半以降のホラー映画の進捗を踏まえた上でそれを良く考証し、それらの良い部分を抽出して作品に加味したという意味で。
まずストーリーラインは王道のもので、まず何者かに追われ、その原因はわからず、主人公がテンパりながらも自分の砦に逃げ込み安心するも束の間、それが失敗であった、という流れになっている。短い尺であるため再現PVになりかねない。しかしこれはれっきとしたホラーフィルムなのだ。
これを観始めたときは「食人族」同様、「これから何が起こるんだ~」という心地よい動悸がして結構楽しかったのだが、あの感覚はヴィンチェンゾ・ナタリの「Elevated」とか「CUBE」とか、要するに超低予算のアイディア勝負の映画を観てるときのものに近い。低予算であればアイディアを限界まで捻り出し、金では実現できないような無限の高クオリティを輩出することができる。昨今では”クロニクル”がいい例だが金がかかったオールスター作品が良いとは限らない。人は貧困を極めた時、死を前にした時、絶望を直視した時本来持つ潜在的な力を存分に発揮する。


まだまだ役者の卵ではあるが大田優介の演技は近年ありがちな舞台役者的オーバーリアクションで安直な感動を与えるものとは対極に位置し、リアルな一般的な人間を見事演じている。人がパニックに陥った時どうなるか、見事な観察力と独特なオーラにより体現することに成功している。
また撮影、監督である田中大地はフィルモグラフィーは際立って目立つものは無いものの監督のメチエは他のボンクラと比較にならず、十分な可能性を持っているとこの短い尺で感じ取れた。アングルにはしつこいまでのこだわりを感じ、間を上手く使いこなす曲芸師である。基本的にホラーフィルムといえば展開は大体予想がつくが、一寸先は闇という言葉があえて当てはまる程先が全く見えないホラーに仕上がっている。

総合的に見て、量産型の呪いのビデオや本当に怖い~シリーズとは一線を画するクオリティと、異様な空気感を生み出したこのショートフィルムにジャパニーズホラーの未来を感じ取れた。

2014年7月3日木曜日

【映画】トランセンデンス





あらすじ
人工知能PINNの開発研究に没頭するも、反テクノロジーを叫ぶ過激派グループRIFTに銃撃されて命を落としてしまった科学者ウィル(ジョニー・デップ)。だが、妻エヴリン(レベッカ・ホール)の手によって彼の頭脳と意識は、死の間際にPINNへとアップロードされていた。ウィルと融合したPINNは超高速の処理能力を見せ始め、軍事機密、金融、政治、個人情報など、ありとあらゆるデータを手に入れていくようになる。やがて、その進化は人類の想像を超えるレベルにまで達してしまう。


壊滅的に何かが足りない。キャストか?いやキャストはダークナイトトリロジーのほとんどを使用しているしおまけに天下のジョニーデップだ。ストーリーなのか?演出なのか...観終わってから映画における面白いってなんだっけと頭を抱えてしまう。
言いたいことは十分にわかる。今回もノーランのお説教じみた哲学思想は健在だ。テクノロジーが進化しすぎた結果、神以外の我々が新たな生命を創造する倫理的問題、根本的な愛のあたたかさ。それはそれでいい。その見せ方に問題があった。圧倒的に絵が地味だしいまいち全体として盛り上がりに欠けるところがある。それに誰にも感情移入しないし、死人も出てないから何をそんなに焦るのかと取り残された気持ちになる。海外での評価が気になるところだが、ダークナイト狂たちはこぞって叫んだだろう。エグゼクティブプロデューサーなんて単なる宣伝用じゃねえかと。

超越しすぎたノーランの頭に我々がついていけてないから面白くないのか、超越してつまらないのか、再び確認するのも気が滅入る作品。
こいつのインパクトがもうちょい強ければまだましだったのかもしれない。てかジョニデの嫁と距離近すぎて不倫してんのかと思った。

【映画】オールドボーイ







日本原作を映画化しその名を轟かせた韓国版オールドボーイ。あの傑作から10年ほど経ち、差別問題やアメリカのあらゆる社会問題を映画に取り込み世間に歯にもの着せぬ言いようで警笛を鳴らす巨匠スパイクリーがそのオールドボーイをリメイク。本人はリメイクではなく別のものと発言していたが内容の大筋としてはほとんど同じ。突然監禁されて、解放されて、答えを探して、復讐して、罪を知る。そして原点に帰す

まず低俗な親父ジョシュブローリンが監禁室にいれられ浄化される。それは新約聖書に通じる。新約聖書ではイエスは40日間荒野での断食をしサタンに打ち勝つ。サタンから石をパンに変えればいいではないかという誘惑に、勝ち自殺を誘惑されるが勝つ。ジョーは監禁室でイエスキリスト化したのだ。アメリカ版はそのキリスト精神が存分に感じられた。浄化され洗練された復讐心だけが部屋に残る。
解放されたジョーは毎日出されていた中華料理の味を何十軒も店をまわり特定し、敵のアジトに餃子をエクストリーム配達する。
ちなみに私は餃子が一番好きなので他のどんな痛々しいシーンよりもこの餃子のシーンで悶え苦しんだ
餃子を食う!食う!食って食う!これはもはやオールドボーイならぬ餃子ボーイいいんじゃないか?
その後答えを探すべく手掛かりを洗い出す。それはジョーの過去に潜んでいた小さな事件がきっかけだった。


韓国版との違い
・スパイクリー的要素
監禁室のテレビでは案の定俗世の流れを映す。クリントン就任、ハリケーンカトリーナ災害、ブッシュのイラク進攻、そしてオバマ就任。
この二十年でアメリカは大きな変化を迎えた。固定概念からの脱却、WASPの崩壊、アメリカという国のもろさ。テレビで大統領だけを映すのではなく、カトリーナを入れるあたり、やはり未だにスパイクリーはあの時の黒人差別を許していないようだ。


・痛々しさ
グロさが増してる。韓国版での名シーン釘抜きで歯を抜くシーンは無く、代わりに首につけた点線をえぐるという聞いただけでも首筋が寒くなる尋問や、友人の舌が抜かれてジョーのもとに贈られたり、首切りはもはや当たり前で、すぐ流されるといった具合。グロシーンは見慣れていたと思ってたが結構な衝撃だった。


・演出
韓国版の良さとして若干フィクションじみていてアートっぽさがあった。嫁を殺した濡れ衣を着せられた時もグルングルン主人公の周りをカメラが回ったり、巨大なアリがいたり、咥えたタコがウネウネしたり(今回も一応タコの出番は5秒ほどあり韓国版を意識している)。スパイクリー版にはあまりそういったアート性は無く、至極シリアスに不安と緊張感を煽るカメラワークと雰囲気が最後の最後まで続く。だからはっきり言って見終わってからとても疲れる

・アクション
戦闘シーンはやはり天下のハリウッドと言うこともあり、迫力とスリルがヤバイ。てかジョーが解放されてから強すぎる。フックを食らったアメフト選手が半回転して頭から着地する、ドスを背中に刺されながら15人くらいボコす等とても20年引きこもってたとは思えないスーパーマン具合。これはタイトルマンオブ餃子ボーイでいいのでは?日本の艦これヲタも実は鍛え抜かれててこんぐらい強ければWWEが日本人選手だけになるな。敵役のシャールトコプリーさんは第九地区で腕がエビになり、エリジウムで刀を振り回して桜とともに散ったあの人。今回もミステリアスなオーラで常道を逸した悪役を演じており、適役だったと言える。最後の潔いシーンも客を混乱させるいいエッセンスだった。しかし思うに、二つの質問に答えられた報酬として4つの報酬(強姦証拠動画、自白、2500万ドル相当のダイヤ、自殺)を挙げたが、自殺は最後まで言わないでおいた方がラストの衝撃増すと思うんだけどな。あと幼少期のシーンで父親に胸を散弾銃でぶち抜かれながらも生きてるってのがちょっと謎。

 

総合的な評価としてはやはり最初のインパクトが凄まじかった韓国版オールドボーイに軍杯が上がるが、アジアの閉鎖的な絵が嫌いな自分にとってアメリカの雰囲気は違ったエッセンスとして良かった。餃子食いたい

2014年6月25日水曜日

【映画】300 帝国の進撃






あらすじ
紀元前480年、スパルタのレオニダス王が300人の精鋭で100万人のペルシア帝国軍と戦っていた頃、ギリシャのテミストクレス将軍もまた、自由と平和を守るため立ち上がり、その旗の下に集まった同胞たちとともに3倍に及ぶペルシャ軍との戦いに乗り出す。ギリシャ生まれでありながら、虐げられた過去を持ち、ギリシャに対して復讐心を抱くペルシャの海軍女指揮官アルテミシアは、テミストクレスを敵ながらも評価し、味方に引き入れようと交渉してくるが、テミストクレスはこれを拒否。アルテミシアの怒りと復讐心は増大し、ギリシャを壊滅させようと進撃を開始する。


前作でテンションクソ上がったスパルタの民達は、懐古シーンとラストくらいしか出てこない。打って変わって同時期にまた自由を求めて立ち上がったアテナイの方々が今回の主人公。
しかしやってることは前作と変わらないしストーリー自体も強い、失墜、立ち上がる、更に強くっつう王道の流れなので、前作通り思考回路停止して見られる脳筋映画となってる。
導入の戦闘シーンが素晴らしい。ザックスナイダーが監督から製作に回ろうが手加減することはなかった。血!筋肉!誇張表現!スロー!血!筋肉!こちょ(ラストまでずっとこんな)

難解なストーリーも伏線が張られた群像劇も映画として高評価だが、ストーリーよりも戦闘シーンにここまで力を注ぐザックスナイダーのマンガオタク精神に感服。実際どのシーンも男心を擽る中2病拗らせ戦闘シーンで何百回観ても飽きることは無いだろう。おそらく世界共通。
エンジェルウォーズ、マンオブスティールとぼやけた作品続きだったが、七年ぶりに(前300以来)ザックスナイダーのやりたいようにやれてる作品だと感じた。

あと言及すべきは主人公よりもオーラを放つエヴァグリーン姐さんの存在。どっちが主人公かよくわかんなくなるくらいオーラを放っていたが、その物憂げな表情、ダイナマイトバディ、極悪非道な性格は濃いキャラクターとして記憶に残るだろう。
おそらく幼少期に酷い経験をし、戦闘にだけつぎ込んで来た姐さんはなかなか強いテミストクレスが現れた事により愛にシフトしたのでは?と考える。しかしやはり女性ということもあり弱さを持つ部分もあるため戦で命を落とす。


全体としてかなり高評価だが、前作に比べると新しいクリーチャーなどはなく、またほとんどが海の上なため少し絵に見栄えがしないと感じた。炎の戦術や体当たり、谷間に追い込む等は良かったが、地上戦をもう少し観たいところ。


途中のエヴァグリーン姐さんとテミストクレスの”戦い”のシーン以降はやり逃げされた元カノが復讐する戦いにしか見えませんでした。いや実際個人的な恨みあるでしょあの感じ。

そしてまた続編を地味に匂わせるラスト。ペルシャの神王倒してないし。もういいぞザックスナイダー、これ以上作るとコケる。

2014年6月24日火曜日

【映画】12モンキーズ





よく頭のおかしいやつだとか、あいつの言ってることは常道を逸しているなんて言うが、果たして一体どれが常道なのかという話。
正常とはどの観点からいうのか?

映画は近未来の話。人類はウイルスによって99パーセント滅び、残りの一パーセントは地下に逃げ込んだ。もはや地上に出る望みはない。だとしたら過去にさかのぼってウイルスをばらまく原因を突き止めればいい!というわけで選ばれたのが囚人ブルースウィルス。何度も過去にさかのぼりだんだんどっちが現実かわからなくなりながら原因を突き止めていく。その中で出会う12モンキーズの頭であり頭のちょっとおかしい細菌学者の息子ブラッドピットはイカれてるけれども間違ったことは言わない。
テリーギリアムは似たような近未来SF未来世紀ブラジルで、どんなにシステムが進化してもそれは時にもろく、どんなに情報統制されていっても人の考えることまでは奪えない人の強さみたいなものを描いた。
一方で12モンキーズでは誰しもが実際思ってるしおかしいと思ってることは言ったり実行するとキチガイとして扱われ社会から疎外されることを描いている。事実、劇中でウィルスミスはタイムマシーンで過去と現在をループしていく中でどっちが今かわからなくなり、またどっちが理想なのか混乱し選択を迫られる。

誇大解釈かもしれないがラスト、細菌学者を撃ち殺さなきゃいけない時に撃たずに振り返ってしまったのは過去の世界をチョイスしたからなのではないだろうか。
結果としてそれは未来のお偉いに伝わり、お偉い直々に救済保険として細菌学者をとらえに来るわけなのだが。

12モンキーズの見どころとしてはやはりブラピの演技だろう。今では低い声でクールな役ばかりの彼だが甲高い声でロンパリながら激論を飛ばしてお尻を出しちゃう演技が非常にいい。
ブルースウィルスは根本的に俺があまり好きではないのでカーラジオを聞くシーンの演技以外はダイハードにしか見えず。
それとなんといってもテリーギリアムといえば小道具。未来世紀ブラジルでもわけのわからないひょうきんな小道具がたくさん出てきたが今回もそれ必要?とおもわせるおかしなものがたくさん出てくる。コメディ出身だけあってなんとなく安心感のある映像を見せてくれるので子供でも楽しめるはず。
 
 
内容キャスト演技小道具どれをとっても総合的にハイレベルな作品。
ただ近年のCG効果等を見すぎてしまうと何となく物足りなく感じるかもしれない。