2014年2月12日水曜日

【映画】ウルフオブウォールストリート

 

 

 



人が正気を失うのは子を失う呪いのホテルに泊まる大金を持つかのどれかだ。


金はあればある方がいい。
劇中で語られる台詞だが果たしてそうだろうか?
人間の幸福の尺度とは絶対的に個人のものであり他者によって定義付られるものではない。それゆえ金はあればある方がいいというのは同意しかねる。人間は金を持つと正気を失う
物心ついたころから金持ちのボンボンが身の回りに否応無しにいた自分にとって、早くから幸福とは何かをいつも考えていた。例えば一杯のビールを得るとして、それが汗水垂らして働いた金で飲むか、あるいは簡単に得た有り余る金で飲むかでは味も価値も違う。
この映画では我々に危惧している。権力や金、パワーを手に入れたとき、自制を保つためにはどうすればよいのか、また保てないとどうなるのかということを。
映画は序盤から豪遊の限りを尽くし、白人至上主義映画で男尊女卑的なにも取れる。
スラングは山のように使われ、中指は幾、度もこちらに向けられ胸はあらわ、ドラッグは直接的に描かれ下劣の極みである。そこで再び問うのだ。お前らホントに金持ちになりたいか?と。
それだけウォールストリートは不純で下劣なものだという強力なイメージを焼き付ける良作。またどんな学歴でも電話で饒舌に話せばアメリカという国は簡単にのし上がれるということ。
ディカプリオが知的障害者役のギルバートグレイプを思わせるようなレモン摂取後のラリった顔や、終わりが近づいているのを感じながらも山済みのコカインを顔中につけて吸うシーンなんかはスカーフェイスを思わせる。ただ全体を通してキャッチミーイフユーキャンに近い。
3時間は流石に長。キャラクターやシーンの展開がテンポ良く進み、ただの会話劇に終わらないところにスコセッシの腕を感じるがもう少し無駄なシーンを省くこともできたのでは。(ゲイのシーンとか)

【映画】スノーピアサー





シンドラーのリストを見たことがあるだろうか
ナチスホロコーストによりユダヤ人が虐殺されるのを一人の男が救う話だ。映画はとても長いのだが、中盤ユダヤ人がすし詰めで貨物列車のようなものに詰め込まれ座ることもできず長時間地獄へと運ばれる。

スノーピアサーはそういったホロコーストやヒエラルキー、権力関係を痛切に批判している。また同時に名作ソイレントグリーンにあるような温暖化をベースとした無視できない問題にも目を向けている。


あらすじ
地球温暖化を防ぐべく世界中で散布された薬品CW-7により、氷河期が引き起こされてしまった2031年の地球。生き残ったわずかな人類は1台の列車に乗り込み、深い雪に覆われた極寒の大地を行くあてもなく移動していた。車両前方で一部の富裕層が環境変化以前と変わらぬ優雅な暮らしを送る一方、後方に押し込められて奴隷のような扱いを受ける人々の怒りは爆発寸前に。そんな中、カーティス(クリス・エヴァンス)という男が立ち上がり、仲間と共に富裕層から列車を奪おうと反乱を起こす。


序盤から中盤にかけては暗く汚い最後尾(最下層)の人々の暮らしが描かれる。それはまるでスラムで配給制のようなシステムでプロテインバーが配られていた。これがまたおぞましく、途中で明らかになるのだが、毎日食っていた羊羹みたいなビジュアルのプロテインバーはなんとゴキブリから精製されていた!ここで俺は歓喜する。ソイレントグリーンじゃん!と。温暖化を取り上げていた時点でその感はなんとなくあったが、胸糞エッセンスにはゴキブリは最高の材料だと思う。人間から作っていたらソイレントグリーンのまんまなのでゴキブリにシフトしたのは高評価。しかもこの事実を知りながら精製を一人で行う男は完全に頭がイカれてしまっているという設定も良い。

また反乱が起こるのも主人公の決意ではなく実は恣意的なものであり、ヒエラルキーのバランスのために行われた、というのも面白い。フランス革命は搾取するトップに対して商工者等ブルジョワが行ったものだが、それがもし恣意的なものだったら?たとえばスペインが裏で手を回しフランスを奪うために行ったとしたら?もちろん当事者はそんなことは露知らず血を流し自然と権力者の意図に従う。

終盤、エドハリスは至極落ち着いて人類のバランスについて語る。パッセンジャーは彼にとって指数でしかなくパーセンテージで管理している。感情論を一切排除しコンピュータのように管理する冷酷さはエドハリスが適役であった。高評価。

またセキュリティをプログラムした親子が途中出てくる。グエムルのソンガンホなのだが、ビジュアルが謎にオールドボーイテイスト。ヤク中だが腕は立つ役でこういうやついるよな~と。娘は透視に長けており(この辺がちょっとファンタジー)危険を察知する。個人的にはクラウドアトラスのペドゥナを起用して欲しかった。
ティルダスウィントンは相変わらずサブキャラを演じるのがうまい。一人二役やっていたようだが発見できず。

ラスト、雪崩という天災によりヒエラルキーは崩れ落ちリセットされ、振り出しに戻るのだが、今までの映画ならば生き残りは白人の男女だったはずだ。しかし残ったのはアジア人(透視女)と黒人の子(エンジン坊や)。これは紛れもなくWASPの支配していたヒエラルキーが崩れおち、有色人種の時代になりつつあることをポンジュノが示唆している。事実、アメリカにある有名大学は中国人が大半で、UCLAに至ってはUniversity of Chinese lost in LA(ロスで迷子になった中国人)という蔑称が生まれる程に。アメリカのトップはオバマであるし、もはや白人至上主義の時代は終焉を迎えつつある。

結構日本語が出てきたり水族館の隣で寿司食ったりと(板前がなぜか黒人)ニンジャゲイシャお侍さんジャパニーズカルチャーが暴走してるのだが監督が好きなんだろうか??


 


PS
息子を奪われた父ちゃんが靴投げた罰で腕を凍らされて粉々にされちゃうやつ、絶対”黒い太陽731”だよな?!トラウマ映画だから絶対に良い子は見ちゃダメだ!

2014年2月11日火曜日

【映画】ROOM237



IQ200の男の考える事は我々凡人には到底理解できない。ただ、逆にIQ200の作る作品の細かい部分は全て何かの意味があり事象に繋がるのでは?という解釈ができる。例えばそこらの凡人が家の絵を描いたとしてもそれは家でしかないが、IQ200となればその家のバックグラウンド、向き、色、配置などすべてに意味がある、と我々は考えたくなる。キューブリック自身があまり多くを語らない事もあってキューブリック作品は今なお語り継がれ、名作としてあり続ける。

私がシャイニングを見たのは高校生の頃だった。その頃はとにかく多くの映画をと、家にある映画を片っ端から見ていた。パリテキサス、波止場、ジーザスクライストスーパースター、アパッチ砦。どれも名作だが、その頃の私には全くと言っていいほど興味を惹かなかったのだが、次に手にしたシャイニングが私の全神経を揺さぶった。
まずオープニングの空撮。未だかつてこんな手法の映画を見たことがなかったので全神経が興奮した。と同時に甲高い女の声のような不協和音とテロップで流れるシャイニングの文字が強烈なインパクトを焼き付ける。その後もエレベーターから流れる血、腐った女、タイプライター、双子の死体、REDRUM、斧と、一瞬たりとも手を抜いたシーンはなく、完璧で何度も観たのを覚えている。

本作ROOM237はそういったシャイニングに心揺さぶられた人々が、自身の誇大解釈を声高らかに自慢げに語るドキュメンタリーだ。どんだけ深読みなんだよってものから、あーたしかにそれはあるかもしれん…てものまで。途中から深夜のファミレスで座談会が如くうらうらと自身の解釈を語り合う大学生を思い浮かべるのは言うまでもない。

全体を通して繰り広げられる深夜ファミレス持論争は大きく分けて三つある。
まず一つがネイティブアメリカン侵略説。作中でも語られるように、あのホテルはインディアンの墓場の上に立てられた。だからか館内にはネイティブアメリカンを思わせる内装や写真が多く飾られている。またふくらし粉の柄がインディアンで、当初は規則正しく並んでいたのに、気が狂ってからはごちゃごちゃと並べられていることからインディアンの呪いによってジャックは気が狂ったのだと。それゆえにあのエレベーターから流れ出る血はネイティブのものだというのだ。
二つ目はユダヤホロコースト説。序盤に積まれたスーツケースの山やタイプライターが、ドイツナチスによるユダヤ人迫害を連想させるという。タイプライターのブランドがドイツ製な上にワシを意味するドイツ語が書かれた物を使っており、ホロコーストを連想させると。キューブリックが生きた1930年以降は戦争の時代で数多くの戦争に関する著書を読んだと本人も語っている。そのため根強くホロコーストに対する意識があり、フルメタルジャケットでは戦争の非日常的残虐性を描き、シャイニングで暗喩としてホロコースト批判をしたというのだ。
三つ目は月面着陸捏造説。これはキューブリックが月面着陸の映像に加担したということを匂わせるというもので、237という部屋番号が月までの距離と同じ、また息子のセーターがアポロ柄なので、237号室に向かうことは月に行くという暗喩、そしてそこにあったのは裸の女=現実ではないということから、捏造説を口止めをされていたものの映画に含んだのではという解釈である。

どの説も考えすぎだろと思うが、アンビリーバボーを見てる時のようなワクワクは確かにある。所謂信じるか信じないかはあなた次第ってやつだ。
シャイニングマニアの極みが集って出来たのがこの映画なわけだが、凄まじいのが、映画を逆再生して同時に見てみるというもの。普通そこまでするかと思うが、見てみるとびっくり、見事にどのシーンもうまい具合に重なるのだ。キューブリックは一点透視図法を常に用いてる為に重なるのは必然といえば必然なのだが、息子の不安げな顔とジャックのキチガイ顔(序盤からキチガイだが)が重なったり、オープニングの景色とエンディングの文字が招待状のように綺麗に収まったりと、キューブリックの事だからそれも踏まえてるのかもしれないと思える。
だがあくまでこの映画はキューブリックの映画が好きで、それも持論をベラベラ喋りたがるような頭でっかちにしか楽しめない。それに、キューブリックはおろか作品スタッフにすら了承を得ず勝手にやってるわけだがら本当かどうかも分からない。それゆえつまらない人間にはおそらく五分ともたないだろう。
キューブリックも棺桶の中でこう言ってるはずだ。
オコンニチハ!!!!