2015年5月24日日曜日

【映画】チャッピー

第九地区のニールブロムカンプ最新作。
前作エリジウムは世間的な評価はあまり高くないが個人的にはかなり好きなSF。
今回のチャッピーはエリジウムで普通に存在していた警備ロボットにフューチャーした話。



----あらすじ----
近未来。ヨハネスブルグの高い犯罪率を減らすため、南アフリカ政府は、兵器メーカーTetravaalから、人工知能を半分取り入れた最先端の攻撃ロボットを購入した。
同社のヨハネスブルグ工場では、ロボットの設計者、デオン·ウィルソンは、オーストラリアのエンジニア、ヴィンセント·ムーアに激しく妬まれている。そんな時、 デオンは感情を感じたり、意見を持ったりすることができるという人間の知性を模倣した新しい人工知能ソフトウェアを作った。しかし、彼の上司、ミシェルブラッドリーは、そのロボットを試作することを許可しなかった。 デオンは、どうしてもあきらめられず、廃棄される寸前だったロボットとロボットのソフトウエアをアップデートするために必要なドライバーとともに家へ持ち帰ろうとした。だが、帰宅途中、強盗を手伝わせるためプログラムされたロボットを欲しがっている、ニンジャ、ヨランディ、ヤンキーの暴力団グループに、デオンは誘拐されてしまう。銃で脅され、デオンは、壊れたロボットに新しいソフトウエアをインストールする。
3人は、7日以内に借金を返済するために強盗をしようとしていた。ロボットの知能はまだ何も情報を持っておらず、見た目は攻撃ロボット、でも中身は純真無垢でまるで子供のようである。デオンは、ロボット「チャッピー」を調教するために、職場に戻り、また、3人のもとへ戻ってくる。その折、アップデートのためのドライバーが持ち去られたことに気付いたヴィンセントは、デオンの後をつけ、チャッピーの存在を知る。一方、ヨランディは「ママ」として、ヤンキーは「パパ」として調教する。しかし、ヤンキーとニンジャの男二人は、借金返済の期限が迫っているので、急いでチャッピーを「最強兵器」にしようと試みるが、思わぬ事態が待ち構える。




----ヨハネスグルグについて----
今回舞台のヨハネスブルグは南アフリカの都市だ。治安が非常に悪いことで有名だが、どのくらい悪いのか調べてみた。
・殺人事件はニューヨークの十倍、レイプは24秒に一回
・赤信号で停車してはならない(襲われるから)
・タクシーの運転手は、強盗と一緒
・防犯対策にハイエナを飼っている
・十分歩けば百パーセント強盗に合う
これだけ見ると日本という国を今まで以上に愛してしまいそうだ。なんてぬるま湯みたいな国なんだ日本は。
どこの国に行ってもこんなに呑気インフラが整備されていてくそまじめな国はほかにない。
海外はタクシーだってすぐちょろまかすし、観光客が多い場所でのスリなんて当たり前、ホールドアップや置き引きなど、普通は気を抜けない。日本なんて半裸で札束手に持って歩いても無事家に帰れるだろう
また今回舞台になったヨハネスブルグには有名な犯罪の巣窟と呼ばれるタワーがある。ポンテタワーと呼ばれるビルなのだが作られた当初はアフリカ初の高層ビルだった。
当時は、治安もよく富裕層の住まいとして人気の高いマンションだったのだが、南アフリカで実行された諸関係を規定する人種隔離政策のアパルトヘイトが終了してからは、犯罪組織などが入り込むようになり、一気にスラム化が進んでしまった。
そのため、富裕層はどんどん離れていき、「コア」の5階部分にまでゴミや瓦礫が埋まってしまっている。90年代には刑務所にしよう、という話も持ち上がったこともあったほどだ。
ポンテタワーが劇中出てくるのだがギャングのアジト感が尋常じゃない。
インドだかの開発途中で捨て去られたビルにギャングが住んだりブラジルの建設現場にカルテルがいたりと物騒な世の中である。




そんなバックグラウンドを理解したうえで今回のチャッピーを見るとかなり面白い。

メキシコもそうだが、ある一定のレベルまで行くと警察がどうこう言っておさまるものではなくなってくる。人間、大衆心理というのか、周りがやってるからいいだろうと一度甘やかすとずるずると犯罪に走る。たとえばボルチモアの暴動ロサンゼルス暴動など、普段はおとなしくしてても何か火種があると一気に犯罪は蔓延する。メキシコはアメリカへの麻薬ビジネスが巨大化し、もはや警察が手におえないレベルに達してしまった(警察署長は年一ペースで変わっている)。だからオバマは大麻解禁の流れを作っているわけだ。
警察を増やしても警察がギャングのダチだったりすると結局買収されたり賄賂で逃げたりと、一向に犯罪はなくならない。

それで今回導入されたのがロボット警備システムだ。
機械は与えられた命令通りに動く。金に目がくらんだりしない。敵の弾丸も喰らわない。これで犯罪は激減した。素晴らしい未来だ!
しかしそれで本当にいいのか?
監督は警笛を鳴らす。それも今までのありがちな機械の反乱を使ってではなく、一つのAIを引き合いに出して、リアルに、近い未来を予測している。



現実の我々の世界を見てみよう。自我を持つコンピューターAIの開発は実は順調に進んでいる。
代表的な例でいえば、ソフトバンクのCMでよく目にするペッパーくん。あれはAIではないが、この手の質問をされたらこうするとかこの場面ではこうするといったような、尋常じゃないIF構文のプログラミングでできている。あるいは医療の現場でも採用されかけているIBMの人工知能ワトソンなんかはこの映画にもろに影響を与えているだろう。ワトソンはもともとクイズ番組で活用にIBMが作ったプログラムなのだが開発が進み人工知能になってしまった。お勧めの料理のレシピを考えたりすごいシステムである。

~以下引用~
ワトソンはAI技術の中でも、いわゆる「自然言語処理」と「機械学習」を最大の特徴とするコンピュータ。つまり人間の話す言葉を理解すると同時に、サーバーに保存された大型データベースやインターネット上に散在する膨大なデータを分析・学習して賢くなる。
たとえば患者を診断中の医師が、病気の症状をワトソンに普通の言葉で伝えると、ワトソンが医療関係の学術論文を大量に漁ってきて分析し、それに基づいて「どうもこの病気かもしれませんよ」と医師にアドバイスする。
国民皆保険がないアメリカは早急にワトソンをメインとした安価な診療所が必要だろう。まあエリジウムと同じで金持ちが独占するか、医師会が断固反対するだろうが。





----内容について----

冒頭の戦闘シーンで一気につかまれる。ロボットの夢想具合がかっこよすぎる。気分は最高潮に。そこからヒューマン(?)ドラマを重ねて最後のカタルシスを得る、という流れなのだが、ここまで完成されたメタフィクションSFはソイレントグリーン以来なんじゃないか?と思わせるレベルの傑作。


次にダイアントワードの演技力の高さよ。ラストのニンジャの演技なんかはかなり感情こもっていて日本の映画業界は見習った方がいいと思う。 楽曲なんかはほとんどダイアントワードが使われ(でもさりげ音楽はハンスジマー)衣装もおそらく私物なんじゃないかと思われる(ライブでよく着ているカタカナでテンションと書かれたスウェットもラストのシリアスなシーンで履いていて爆笑)ダイアントワードワールド炸裂でファンとしてはとても嬉しい内容になっていた。 しかもダイアントワードがギャングで、そこにチャッピーが子供として現れるのだから奇想天外な話である。 ギャングらしい歩き方やしゃべり方、ギャングらしい手裏剣の投げ方(?)等、まるで自分の子供がグレて変な方向に走ってしまうのを見ているかのようである。


そして公開前にグロ描写のカットが話題になっていたが、おそらくここだろうなというシーンはあった。が、そこまで気になるほどのものではなかったし、それがどうこうというレベルではない傑作なので全く気にならない。むしろラストのテンションスウェットの方が何かしらの規制をかけた方がよかったのでは?と思ってしまった(二回目)。


意識と魂の互換性みたいなものがテーマの一つとしてあったのだが、近い将来記憶のデータ化だとか、脳のメモリを増築するとか、感覚の共有などそのテーマに関する夢は無限大だ。意識をデータ化してほかの媒体に入れるなんてのはもはや攻殻機動隊のまさにゴーストインザシェルだし、最近公開され話題になった楽園追放、超越した存在になりすぎてもはや実体がなくなるスカヨハのルーシー、言うまでもなく2001年など、挙げたらキリがないが、非常にロマンがあるテーマだと思う。私自身テスト前なんかに、「この六法全書をダウンロードして脳内に取り込めたらなあ」なんてことは何億回考えたことか。しかし仮にもそれが実現したならば、資本主義の格差はより一層開き、すべての知識を得た金持ちは人間性を失うことは目に見えている。どんなにシステムが普及しようと金持ちは永遠に金持ちなのだ。

名作ロボコップでは犯罪が泥沼化したデトロイトにロボットの警察を導入し撲滅するヒーロー映画だったが、今回のチャッピーのいいところは、さらにその先まで考えている点にある。ロボットを導入したらどうなるか?メリットとデメリットを提示しただけでなく、ある一例を出し、危険性を危惧している。やはり人間のエゴというものはいつの時代も物事をややこしくさせ、トラブルを生むが、皮肉にもそのエゴこそが文明を発達させる一番重要なエッセンスなのだと感じた。


チャッピーの声がシャルトコプリーだったのは驚いた。ニール映画皆勤賞ジャン。
あとあの屈強なジムばっか行ってるヒュージャックマンがボコボコにされる様は圧巻です。

2015年5月17日日曜日

【映画】シグナル

2014年にサンダンス映画祭を沸かせたとされる今作は、『地球、最後の男』のウィリアムユーバンク監督最新作。ネタバレあり。









あらすじ
MITに通うニックらは、学校のPCにハッキングしてきた謎の人物ノーマッドの正体を追っている時に、何者かに拉致されてしまう。気が付くと、ニックたちは政府の隔離施設に監禁されており、「何か」と接触したため感染が疑われ、隔離されることが告げられる。不審に思ったニックは、仲間を連れて脱出を試みるも、自分の体に異変が起きていることに気づく。そして、追いかけてくる研究員たちによって窮地に立たされたとき、思いもよらない力が発動する。








まずキューブリックとリンチを継承、崇拝している感が尋常じゃない。
しかしIQが足りなかったのか、なんだかまったくわからない置いてけぼりな映画になってしまった。
キューブリックの良さは映画の随所にちりばめられたエッセンスを個人が回収し持論を炸裂し合って議論させ合い、おまけに答えは教えてくれないというドSっぷりが愛される理由だと考えている。
リンチの良さは説明描写がなさ過ぎてなんだかよくわからないけどこれは良いと言っておいたほうがいいんじゃないかと思わせるセンスと味にある。
この二人に共通するのは徹底した説明描写とセリフのカットにある。
セリフや説明描写はどうしても安直で安っぽく、こども向けな印象を与える。近年日本の映画産業はこぞって説明描写の多様で安価な映画が大量生産されている。これは日本の映画を見る人間が難解な作品よりもわかりやすいものに流れやすいということもあってだろう。
話は戻るがウィリアムユーバンクはこの二人の真似をしたくてたまらなかったんだろう。説明描写を省くところだけ真似してしまった。白で統一した隔離施設とか、防護服は宇宙服に見える。さかさまに見るとデイモンがノーマッドとかもろにシャイニングのレッドラムじゃないか。結果としていい素材を揃えたにもかかわらず、何が言いたいのかわからないという結果になってしまった。












良かったところとしては青春とSFを織り交ぜたところだろう。どこか昔の日本の漫画を思わせるような題材に愛着が湧く。主人公のラストも完全に大友克洋の『童夢』だったしね。
複雑な主人公たちの感情を感染というテーマとリンクさせ張りつめた緊張感を出していたのがよかった。
後は撮り方。近年のPVで多用されるスーパースローであったり、これでもかといったアップのカット
がため息の出るような美しさと若者の青春をよく映せていたと思う。キューブリックを真似した一転透視図法が8割ほどだったがB級にありがちなPOVはそこまでなかったので質が落ちなあかったのではないかと考える。




とにかくあまりにも謎が多すぎるためこじン的な考察を書き連ねる。
①腕に刻まれた"2,3,5,41"という数字
劇中ではタスト1だからエリア51なんだ!なんてセリフがあったのでそこは合点したが、この羅列に意味があるのではと思い検索してみたがはっきりとした答えは出ず。レセプターを介する細胞間の基本情報認識にシグナル伝達というものがありこれが近い気がした。あとは創世記の箇所と、EXEファイルのウイルスを防ぐためのファイル?とかいうよくわからないものもありもやもやはあまり晴れない。


②本当に通気口から話したのか?
この施設にはお友達はいなかったよというセリフ。結局なんで話せたのかわからなかったがお友達のほうも通気口にいるなんて...みたいなセリフからしてお互い気づいていないよう。無意識にテレパシーみたいな機能が備わっていたのか?


③マジ基地ババア
途中車で拾ってくれるキリスト教原理主義的ババア。デイモンに尋問され鼻血を垂らしながらバグる様子はこいつも主人公たちと同じように感染したのか?と思わせるが最後主人公たちは感染したんじゃないと知るので、このばあさんはなんだったのかという話になる。あの宇宙コロニーに用意された人間型アンドロイドか(でもそれなら撃ち殺す必要がない)、昔連れてこられた人間か、主人公たちのように移植されたが適応されなかった住人化のどちらかだろう。ほかの住人もあまり描写がなかったため、あいつらはいったいなんだったんだという話になる。


④牛のシーン
デイモンたちがチャンバーのようなスペースに牛を入れて何か実験をするシーンがある。おそらく主人公たちの能力を試しているのだろうが、椅子のようなものが飛んでくるだけで牛は無傷だし疑問しかない。どういう解釈をしても合点がいかない。


⑤彼女
彼女は何の能力を移植されたのか最後までわからない。背中にあるプラグの差込口みたいなものが確認できるくらいだ。でも最後までここから逃げなきゃみたいなセリフはないし、施設に連れ戻されるところから彼女だけはもう受け入れていたのかと思ってしまう。













ほかにも欲しい能力が手に入ったのかとか疑問は残るがあまりにも監督がカットしすぎたのでどうしようもない。
音楽と映像とローレンスフィッシュバーンのアンドロイド感は最高でした。