2015年6月30日火曜日

【映画】マッドマックス 怒りのデスロード







狂った演技をぶちかます映画は観客を魅了するのにうってつけのエッセンスだ。古くはヒッチコックのサイコであったり、タクシードライバー、時計仕掛けのオレンジ、アメリカンサイコなどなど名作が多い。しかしどの作品も最初から最後まで狂っているわけじゃない。ちゃんと起承転結があり、何かのきっかけで狂ったり、タメをきちんと作っているのだ。それがこれまでは、そしてこれからも暗黙のルールとされてきた。

しかしどうだろう。ジョージミラー監督は長い構想期間とベイブとかハッピーフィートみたいな幸せな映画を挟んで、最初から最後まで狂ってる映画を作ってしまった。

マッドマックスを自身の手で作り直したいといってから10年以上の月日がたった。
当然子どもは大人になり、大人はおっさんになってしまった。もう火薬とかカーチェイスで興奮する年代じゃないと。だが実際にいざふゅーりーロードが幕を開くとおっさんたちは子供のようにはしゃぎ、そのおっさんの子供の代も楽しむことができるようになった。完全なジョージミラーの思惑通りである。


あらすじ
砂漠を往復してどんちゃん騒ぎするだけ。
これ以上も以下もない。


先にこれだけは言っておこう。100点満点中∞点。


何がいいかというと、まずやりたいことをとことんやりすぎなくらいやっているということと、説明がないこと映画ではなく薬物だということだ。


やりたいことをとことんやりすぎなくらいやっているということ
本来であれば客の要望や時代のトレンド、ある程度好きなことをしても空気を読んで控えめにしたりと、映画はバランスを考えて作られてしまう。そうでなければ素人映画のような、あるいはB級映画のようなクオリティに破綻する恐れがあるからだ。
しかしほんとに最初から最後までやりたいことしかやっていない。しかもそれがいい方向に傾いているから驚きだ。

説明がないこと
昨今の邦画にありがちな個人的にダメな部分は、何でもかんでも説明すること。誰々が何々をどうした~~とか、突然自分語りを始めたり、別に言わなくてもわかるしいちいち説明が入ると興ざめする。今作ではそういった説明が一切ない。気づいたら砂漠だし、マックスが誰なのかも明確にはわからないし、フュリオサはなぜか腕ないし。でも見ていくうちになんとなくわかってくるし、勝手にこうだろうと解釈する幅が生まれる。それこそが本来の映画の楽しみではないか?

映画ではなく薬物
観終わった人間のほとんどが言語中枢をやられてやばいしか言えなくなり、一度では物足りない体になってしまう。
その結果私のように2Dでは我慢できなくなり4DXに手を出したりすることになる。4DXは大人料金が3200円と結構高いのだが、マッドマックスは4DXで見てこそ、真価を発揮するといえる。
いくつか挙げるとすれば



・マックス達と同じ車に乗ってる感覚を味わえる
・車内の揺れの感じ、衝突の時の首がガクンてなる感覚(むち打ちになりかける)、空中を舞う車のフワッと感を再現
・撃たれたり串刺しにされるシーンはマッサージチェアーのように背中にでっぱりが飛び出してきて本当に刺さったかのような感覚
・殴った時の血しぶきや浴びるように飲む水も横から本当に顔にかかる
・大量の水のシーンは天井?から小雨くらいの雨が降る
・普通に走行してるシーンはそよ風が、嵐のシーンでは髪が滅茶滅茶に成る程の風が吹く
・爆発したり砂煙のシーンはスクリーン前にスモークが焚かれ字幕が見えにくくなるほど

以上の事象からマッドマックスは4DXで見るべき。アトラクションだと思えばそこまで高いと感じないはず。


あとはキャラクター個々の演技が尋常じゃなく濃い。
マックスが主人公であることを忘れるほどだ。ギター男からジョー、ニュークスに女たち、おばあちゃん軍団。
中でもフュリオサの演技が非常に良い。
シューリーズセロンはマッドマックスの撮影時まだ彼女の子供が小さかったために夜はなかなか寝かしつけられずに眠れない日々が続いていたそうだ。にもかかわらず撮影は片道2時間、14時間ぶっ通しの撮影となれば、最後のほうのつらそうな顔は本物のつらい表情ということがわかる。結果としてフュリオサという役柄にいいエッセンスとなった。



<マックスは最後どこへ行ったのか?>
最初観たときはまた当てもない旅に出たのだと考えた。しかしフュリオサとの出会いでもはやマックスは目的が存在する。
当初のマックスは家族を殺され希望がない状態で(MADあるいはINSANEな状態)あてもなく放浪していた。しかし無我夢中で生きようとするフュリオサを助けたことによってマックスは幻覚にも悩まされず生き生きとすることができる。これは我々にも言えることだろう。目的を明確に定め行動を起こすことはどんなことにも必要不可欠であるし、目的がない人間は屍も同然だ。
フュリオサたちを砦に届け、マックスは当初フュリオサ達が目指した塩の湖の先へ一人で向かっていったのではないか?それが開拓であり進化であり生きる希望になるからだ。これが続編につながるかもしれないが現段階ではまだわからない。

<ニュークスが死んだのに砦で認められたのはなぜか>
当初はニュークスが代弁することで砦で認めらようというプランだったが、ニュークスはしんがりを務め武将のように死んでいった。しかし予定していなかったジョーの死体を持って行ったことで、独裁政治に不満が募っていた人々が立ち上がり、砦で認められた。いわゆる民主主義が革命で完成されるのと同じ形であり、メキシコの独立戦争を思わせた。



ここまで長々と文字を羅列しているがまとめると
有り金全部マッドマックスにつぎ込め
ってこった。