2016年2月21日日曜日

【映画】キャロル







1950年代のニューヨークを舞台に、百貨店のおもちゃ売り場でアルバイトするテレーズ(ルーニー・マーラ、Rooney Mara)が客として現れたキャロル(ケイト・ブランシェット、Cate Blanchett)に惹かれ、恋に落ちるロマンス映画。



本作の背景
1950年代アメリカは第二次世界大戦後、まだきらびやかでもなくソドミー法により同性愛は禁止されており、ましてやキリスト教では同性愛は絶対悪なので許されるものではなかった。

昨今LGBTに対する理解や意識は進み、あるべき姿に忠実であることが重要視されてきた。渋谷区のパートナーシップ条例や、パナソニックの社員規定の改変、アメリカは西海岸の同姓婚認可などまだまだ一般的ではないが徐々に当たり前になりつつある。
1952年に刊行されたパトリシア・ハイスミスの原作がベースとなっており、弾圧を避けるため初は偽名を使って出版されたそう。内容はかなりフェミニスティックで、登場するオスは総じてクズ。しょーもない男だけを抽出したような(いや事実男はどいつもしょーもないのかもしれない)女性にフォーカスされた内容となっている。
それだけに二人の愛が際立って崇高で美しく、いつまでも浸かっていたい、そんな美しい話だ。

二人の美しさをさらに際立たせるのが16mmフィルムで映し出される画。撮影監督エドワードラックマンは以下のように語る。
「今やデジタル処理によって(フィルムの)粒子を作り出すこともできるわけですが、それは固定された画素(ピクセル)に過ぎません。フィルムの物質的な粒子はもっと表現豊かなレイヤーを加え、それは登場人物の感情表現にも影響します。(中略)私がデジタルではなくフィルムを選ぶもうひとつの理由は色の描き方にあります。たとえば冷たい窓と暖かい照明を室内で撮る場合、デジタル撮影ではその組み合わせをフィルムと同じように撮影することはできない。私はフィルムの粒子によって得られる暖かい色と冷たい色の交差や混成をデジタル映像には見出せないのです。現在はクロースアップを撮るのに長いレンズが好まれていますが、サークは25mmか35mmの広角レンズを使って、登場人物を階段の手すりや戸口やセット建築を背に束縛するようにして撮影していたそうです。トッドはワイドアングルのほうが全てが目に入って、圧迫感がでると考えていました。俳優をカメラの視点から逃げ場がないような状態に置くわけです。そうすることで登場人物たちは、まるで今の生活環境に捕えられているかのように、フレーム内での身の置き所を制限されるのです。しかし一度だけカメラが移動し、キャシー(ジュリアン・ムーア演じる主人公)が解放され、ある人物とふたりきりでいることが許される場面があります。それは彼女がレイモンド(黒人の庭師)と屋外で会うシーンです。カメラはそのエモーショナルなやり取りを移動撮影で捉えます。そして彼は彼女にふたりは交流することができないと告げます。そのときのふたりは屋内に閉じ込められていないにも関わらず、互いに隔たれた場所にいるのです」

光がやわらかく包み込むような見え方のするフィルム撮影を採用することで、はっきりとつかめない、でもそこに確かにある二人の愛が上品かつやさしく描かれていたと感じた。



またアカデミー衣裳デザイン賞を受賞したサンディ・パウエルが手がける50年代スタイルがとにかくスタイリッシュで目に訴えかけるものがある。
小物や車などデザインの頂点とも言える50’s。テレーズのファッションの変化が彼女の内面の変化、またキャロルに惹かれキャロルを意識したスタイルになる様が、かわいらしく切ない。


最後、キャロルの口癖である「いかが?」を振り切り「もう私はNOといえる女なのよ」と、自分に素直にならずに若者のパーティに向かうテレーズ。しかし彼女の頭の中には後悔しかなく、自分に素直になることの恐怖と戦っていた。禁断の連らいをすることは生涯が多く待ち構えていることは言わずもがな。それでもテレーズはキャロルのもとへ足を運ぶ。二人は言葉を交わさず目ですべてを感じ取る。
本作のキーワードは目。無垢なテレーズの目と大人になったテレーズの目がまったく違う。キャロルも離婚騒動で振り回されているときの目は普段の妖艶さとは打って変わってティーンネイジャーのよう。