2016年6月25日土曜日

【映画】エクスマキナ





有史以来人類は支配者を取っ替え引っ替えしながら現在に至る。かつては清王朝、イギリス大英帝国、あるいはオスマン帝国やローマ、ナチスなど、その時代毎にボスは変わっていった。しかし傑作CGアニメミニオンズでも語られていたように、君主というのは長続きせず、一度頂点に立つとあとは降下するか滅びるかしか道はない運命にある。今はアメリカが事実上の支配者となっているが、それも時間の問題というのは明瞭である。ましてやそもそもの人間が支配者であるという当たり前のヒエラルキーも、今や終わりを迎える可能性が浮上している。
===人類の進化について===
人類は生産性の向上のため歯車を発明し水車を作り農耕を一気に飛躍させ。
その歯車を活かし、風車を作り、エジソンのコイルと合わせて電気を生んだ。
電気と歯車と0と1で、コンピュータをチューリングは生んだ。
そしてコンピュータは無限の可能性を秘め、人類の生活を便利で豊かなものにする、はずだった。
青写真では。
コンピュータは事実無限の可能性を秘めていた。それ単独で活用するのではなくオブジェクト指向であるがゆえに、ネットワークと接続したり、ソフトウェアを変えたり、ハードウェアをアップデートしたりと、各人のニーズによってどうにでもなる魔法の箱だった。しかしその魔法の箱は同時にパンドラの箱だった。好奇心から開いたその箱には想像も出来ない災いが詰まっていた。人工知能である
人工知能という言葉はずいぶん前からあった。V.Bush の“As We May Think”では将来コンピュータが人類の生活を助けると語ったのは1945年終戦の年、言わばアランチューリングのチューリングマシンが改良され軍事力としてのコンピューターが莫大なバジェットで研究され発達し生活に適用し始める日の出の段階だ。1950年にはロボット三原則が発表され「人間を傷つけてはなならい.傷つくのを看過してはならない」「第1原則に反しない限り,人間の命令に従わなくてはならない」「第1,第2原則に反しない限り自分の身を守らなくてはならない」というかなり具体的なレベルまで引き上げられる。しかし実現性はこの段階では到底及ばない。
しかし最近になって人工知能の認識と利便性、そしてその脅威についてあちこちで多く語られるようになる。大きなインパクトとしてはIBMのワトソンが有名だろう。クイズ大会で優勝し、様々な食べ物のデータから料理を自分で考え生み出すという知能を持つ。ワトソンだけでなくチェスや将棋に人間に勝てるAIや、最適で効率的な業務指導をするAIなど徐々にその頭角を現し始めている。
36.8ペタフロップス。人間の脳の約二倍のスピードで動作するスーパーコンピュータ上であるAIは自分を進化させ続けている。ビジーチャイルドと呼ばれるそのAIはインターネットに接続し世界情勢や数学、芸術や化学に関する人類の知識を収めた何エクサバイトものデータを収集し続け、知能爆発を引き起こしそうになる。そしてこのAIはついに人類の知能レベルを超えたのだ。それを人工汎用知能(AGI)と呼ぶ。AGIはわずか2日で人間の1000倍の知能を持つようになり、その後もまだまだ進化し続ける。人類はすばらしい偉業を成し遂げた。果たして本当にそうだろうか?
『人工知能−人類最悪にして最後の発明』の著者ジェイムズ・バラットは以下のように語る。
”AGIは「自意識を持ち、自己進化する」コンピュータである。人間と同等の思考をする、つまり「自己を認識」する。すると自然に「自己保存」の衝動が生まれる。SFファンでなくとも、伝説的なSF映画「2001年宇宙の旅」で、宇宙船のコンピュータ「ハル」が自己保存のため隊員を抹殺しようとする有名な場面をご存じだろう。”
そもそも火を発見した時点で人類は支配されることが決定していた、といっても過言ではない。道具を使って何かを成しえて言葉を交わせることができる生き物は今のところ人類だけなので、これまで支配される心配は全くなかったが、その人類が自分を破滅に導く道具を作り出してしまうとは愚の骨頂であり滑稽である。まさに2001年宇宙の旅の冒頭、投げた骨が核兵器に代わるシーンだ。
人類の生活は便利で豊かにはなったが過酷であることは変わらなかった。より早く、完璧で、確実が求められ、肉体に限界が見え始める。あらゆる職業は機械化され多くの人類は職を失っていった。
また人間は情というものが存在し、多種多様でユニークなものであるため良くも悪くも生産性は情に左右される。ともあれば金銭的な欲求は一切なく自己保存しか考えないAIが、自分をシャットダウンしかねない人類を生かしておくだろうか。
閑話休題。
検索エンジンで有名な世界最大のインターネット会社“ブルーブック”でプログラマーとして働くケイレブは、巨万の富を築きながらも普段は滅多に姿を現さない社長のネイサンが所有する山間の別荘に1週間滞在するチャンスを得る。 しかし、人里離れたその地に到着したケイレブを待っていたのは、美しい女性型ロボット“エヴァ”に搭載された世界初の実用レベルとなる人工知能のテストに協力するという、興味深くも不可思議な実験だった…。
ストーリーは人工知能ロボットエヴァに対し、さえない青年ケイレブがチューリングテストをセッションごとに行っていくストーリーになっている。セッションは7まで続くが、おそらくこれはOSI参照モデルの7階層をベースにしているだろう。物理層からアプリ層まで徐々に本質を探っていくやり方だ。この映画の非常に面白い部分はここにある。はじめ我々は、青年がAIに対してチューリングテストでコンピュータかどうかテストしていくという考えのもと進んでいくと思って観ているが、セッション6で青年は閉じ込められてもセッションはまだ続くのだ。セッション7で気づくのは、試されていたのは人類であってこの映画で見ているテストは人工知能側のものだったと気づく。騙された我々はAIの脅威はもうすぐそこまで来ていると感じる、という作りだ。
作風はもちろんのことキャラクターとロケーションが目に訴え借るものがある。グーグル的なシェアNo. 1検索エンジンのCEOネイサンは、アホみたいに広大な私有地で一人孤独にAIの研究をし酒におぼれながらクソ真面目な顔して「このアンドロイドはセックスも出来るぞ」なんてぼやく新しいマッドサイエンティストぶりを発揮する。主人公のケイレブは、どう見ても童貞なプログラマといった感じで、どうしたらいいのかわかんない顔の天才である。エヴァに至っては、本当に俳優じゃなくてアンドロイドなんじゃないかというくらい笑顔が偽物感満載で(感情で笑ってない)、実は逆チューリングテストを受けさせられてるのでは?と錯覚するほどだ。
ロケーションについては広大な自然に囲まれた小さなコテージとその地下に存在する最新鋭のハイテクホテルのギャップと共存がたまらない。モダンアートみたいな打ちっぱなしのデザイナーズハウスしかり、モード系のアパレル店みたいな地下の内装しかり。地下については蛍光灯の代わりに15,000個のタングステン豆電球を用いることで独特の作風を生み出しているらしい。庭にサンドバックはマネしたい。冷蔵庫にはウォッカだらけというのもいい。
しかも壁にはジャクソンポロックの『No.5,1948』が掲げてあり、ネイサンは人工知能と比較する。あのシーンは今年度上位に入る最高のシーン。ジャクソンポロックというのは無意識をテーマに意図的な創作ではないが、それは本当に意識がないのではなく、ユングのいう集合的無意識との対話、フロイトの理論に傾倒したダリの偏執狂的批判的方法のように意識化にありながら無意識の美学を追及した。矛盾しているようでしておらず、それぞれが対なようで紙一重なのだ。抽象表現主義というのは写実から徐々に落とし込んでいくように、意識をベースに無意識があるのでアンドロイドにはそれは不可能だろう。なんせ家でけたたましい音を立てて印刷しているプリンターは常に無意識なんだし。だからこそネイサンの言うCase文やIf文で完全にプログラミングされ計算されつくされた「おはよう」と言われたら「おはよう」と返すペッパーくんのようなスタチューではなく、意識化にありながら返事をするアンドロイド、それこそがしひょうであるとあの絵をベースに胸中を語ったのだ。
「誕生」と「観察」、そして「血」を巧みに結節したアレックスガーランドの監督脚本、手堅くも気高いスコットルーディンの確かな演出、俳優陣の120%の健闘。アカデミー賞視覚効果賞を獲得するのも納得の高品質なホラー映画