2014年2月12日水曜日

【映画】ウルフオブウォールストリート

 

 

 



人が正気を失うのは子を失う呪いのホテルに泊まる大金を持つかのどれかだ。


金はあればある方がいい。
劇中で語られる台詞だが果たしてそうだろうか?
人間の幸福の尺度とは絶対的に個人のものであり他者によって定義付られるものではない。それゆえ金はあればある方がいいというのは同意しかねる。人間は金を持つと正気を失う
物心ついたころから金持ちのボンボンが身の回りに否応無しにいた自分にとって、早くから幸福とは何かをいつも考えていた。例えば一杯のビールを得るとして、それが汗水垂らして働いた金で飲むか、あるいは簡単に得た有り余る金で飲むかでは味も価値も違う。
この映画では我々に危惧している。権力や金、パワーを手に入れたとき、自制を保つためにはどうすればよいのか、また保てないとどうなるのかということを。
映画は序盤から豪遊の限りを尽くし、白人至上主義映画で男尊女卑的なにも取れる。
スラングは山のように使われ、中指は幾、度もこちらに向けられ胸はあらわ、ドラッグは直接的に描かれ下劣の極みである。そこで再び問うのだ。お前らホントに金持ちになりたいか?と。
それだけウォールストリートは不純で下劣なものだという強力なイメージを焼き付ける良作。またどんな学歴でも電話で饒舌に話せばアメリカという国は簡単にのし上がれるということ。
ディカプリオが知的障害者役のギルバートグレイプを思わせるようなレモン摂取後のラリった顔や、終わりが近づいているのを感じながらも山済みのコカインを顔中につけて吸うシーンなんかはスカーフェイスを思わせる。ただ全体を通してキャッチミーイフユーキャンに近い。
3時間は流石に長。キャラクターやシーンの展開がテンポ良く進み、ただの会話劇に終わらないところにスコセッシの腕を感じるがもう少し無駄なシーンを省くこともできたのでは。(ゲイのシーンとか)

【映画】スノーピアサー





シンドラーのリストを見たことがあるだろうか
ナチスホロコーストによりユダヤ人が虐殺されるのを一人の男が救う話だ。映画はとても長いのだが、中盤ユダヤ人がすし詰めで貨物列車のようなものに詰め込まれ座ることもできず長時間地獄へと運ばれる。

スノーピアサーはそういったホロコーストやヒエラルキー、権力関係を痛切に批判している。また同時に名作ソイレントグリーンにあるような温暖化をベースとした無視できない問題にも目を向けている。


あらすじ
地球温暖化を防ぐべく世界中で散布された薬品CW-7により、氷河期が引き起こされてしまった2031年の地球。生き残ったわずかな人類は1台の列車に乗り込み、深い雪に覆われた極寒の大地を行くあてもなく移動していた。車両前方で一部の富裕層が環境変化以前と変わらぬ優雅な暮らしを送る一方、後方に押し込められて奴隷のような扱いを受ける人々の怒りは爆発寸前に。そんな中、カーティス(クリス・エヴァンス)という男が立ち上がり、仲間と共に富裕層から列車を奪おうと反乱を起こす。


序盤から中盤にかけては暗く汚い最後尾(最下層)の人々の暮らしが描かれる。それはまるでスラムで配給制のようなシステムでプロテインバーが配られていた。これがまたおぞましく、途中で明らかになるのだが、毎日食っていた羊羹みたいなビジュアルのプロテインバーはなんとゴキブリから精製されていた!ここで俺は歓喜する。ソイレントグリーンじゃん!と。温暖化を取り上げていた時点でその感はなんとなくあったが、胸糞エッセンスにはゴキブリは最高の材料だと思う。人間から作っていたらソイレントグリーンのまんまなのでゴキブリにシフトしたのは高評価。しかもこの事実を知りながら精製を一人で行う男は完全に頭がイカれてしまっているという設定も良い。

また反乱が起こるのも主人公の決意ではなく実は恣意的なものであり、ヒエラルキーのバランスのために行われた、というのも面白い。フランス革命は搾取するトップに対して商工者等ブルジョワが行ったものだが、それがもし恣意的なものだったら?たとえばスペインが裏で手を回しフランスを奪うために行ったとしたら?もちろん当事者はそんなことは露知らず血を流し自然と権力者の意図に従う。

終盤、エドハリスは至極落ち着いて人類のバランスについて語る。パッセンジャーは彼にとって指数でしかなくパーセンテージで管理している。感情論を一切排除しコンピュータのように管理する冷酷さはエドハリスが適役であった。高評価。

またセキュリティをプログラムした親子が途中出てくる。グエムルのソンガンホなのだが、ビジュアルが謎にオールドボーイテイスト。ヤク中だが腕は立つ役でこういうやついるよな~と。娘は透視に長けており(この辺がちょっとファンタジー)危険を察知する。個人的にはクラウドアトラスのペドゥナを起用して欲しかった。
ティルダスウィントンは相変わらずサブキャラを演じるのがうまい。一人二役やっていたようだが発見できず。

ラスト、雪崩という天災によりヒエラルキーは崩れ落ちリセットされ、振り出しに戻るのだが、今までの映画ならば生き残りは白人の男女だったはずだ。しかし残ったのはアジア人(透視女)と黒人の子(エンジン坊や)。これは紛れもなくWASPの支配していたヒエラルキーが崩れおち、有色人種の時代になりつつあることをポンジュノが示唆している。事実、アメリカにある有名大学は中国人が大半で、UCLAに至ってはUniversity of Chinese lost in LA(ロスで迷子になった中国人)という蔑称が生まれる程に。アメリカのトップはオバマであるし、もはや白人至上主義の時代は終焉を迎えつつある。

結構日本語が出てきたり水族館の隣で寿司食ったりと(板前がなぜか黒人)ニンジャゲイシャお侍さんジャパニーズカルチャーが暴走してるのだが監督が好きなんだろうか??


 


PS
息子を奪われた父ちゃんが靴投げた罰で腕を凍らされて粉々にされちゃうやつ、絶対”黒い太陽731”だよな?!トラウマ映画だから絶対に良い子は見ちゃダメだ!

2014年2月11日火曜日

【映画】ROOM237



IQ200の男の考える事は我々凡人には到底理解できない。ただ、逆にIQ200の作る作品の細かい部分は全て何かの意味があり事象に繋がるのでは?という解釈ができる。例えばそこらの凡人が家の絵を描いたとしてもそれは家でしかないが、IQ200となればその家のバックグラウンド、向き、色、配置などすべてに意味がある、と我々は考えたくなる。キューブリック自身があまり多くを語らない事もあってキューブリック作品は今なお語り継がれ、名作としてあり続ける。

私がシャイニングを見たのは高校生の頃だった。その頃はとにかく多くの映画をと、家にある映画を片っ端から見ていた。パリテキサス、波止場、ジーザスクライストスーパースター、アパッチ砦。どれも名作だが、その頃の私には全くと言っていいほど興味を惹かなかったのだが、次に手にしたシャイニングが私の全神経を揺さぶった。
まずオープニングの空撮。未だかつてこんな手法の映画を見たことがなかったので全神経が興奮した。と同時に甲高い女の声のような不協和音とテロップで流れるシャイニングの文字が強烈なインパクトを焼き付ける。その後もエレベーターから流れる血、腐った女、タイプライター、双子の死体、REDRUM、斧と、一瞬たりとも手を抜いたシーンはなく、完璧で何度も観たのを覚えている。

本作ROOM237はそういったシャイニングに心揺さぶられた人々が、自身の誇大解釈を声高らかに自慢げに語るドキュメンタリーだ。どんだけ深読みなんだよってものから、あーたしかにそれはあるかもしれん…てものまで。途中から深夜のファミレスで座談会が如くうらうらと自身の解釈を語り合う大学生を思い浮かべるのは言うまでもない。

全体を通して繰り広げられる深夜ファミレス持論争は大きく分けて三つある。
まず一つがネイティブアメリカン侵略説。作中でも語られるように、あのホテルはインディアンの墓場の上に立てられた。だからか館内にはネイティブアメリカンを思わせる内装や写真が多く飾られている。またふくらし粉の柄がインディアンで、当初は規則正しく並んでいたのに、気が狂ってからはごちゃごちゃと並べられていることからインディアンの呪いによってジャックは気が狂ったのだと。それゆえにあのエレベーターから流れ出る血はネイティブのものだというのだ。
二つ目はユダヤホロコースト説。序盤に積まれたスーツケースの山やタイプライターが、ドイツナチスによるユダヤ人迫害を連想させるという。タイプライターのブランドがドイツ製な上にワシを意味するドイツ語が書かれた物を使っており、ホロコーストを連想させると。キューブリックが生きた1930年以降は戦争の時代で数多くの戦争に関する著書を読んだと本人も語っている。そのため根強くホロコーストに対する意識があり、フルメタルジャケットでは戦争の非日常的残虐性を描き、シャイニングで暗喩としてホロコースト批判をしたというのだ。
三つ目は月面着陸捏造説。これはキューブリックが月面着陸の映像に加担したということを匂わせるというもので、237という部屋番号が月までの距離と同じ、また息子のセーターがアポロ柄なので、237号室に向かうことは月に行くという暗喩、そしてそこにあったのは裸の女=現実ではないということから、捏造説を口止めをされていたものの映画に含んだのではという解釈である。

どの説も考えすぎだろと思うが、アンビリーバボーを見てる時のようなワクワクは確かにある。所謂信じるか信じないかはあなた次第ってやつだ。
シャイニングマニアの極みが集って出来たのがこの映画なわけだが、凄まじいのが、映画を逆再生して同時に見てみるというもの。普通そこまでするかと思うが、見てみるとびっくり、見事にどのシーンもうまい具合に重なるのだ。キューブリックは一点透視図法を常に用いてる為に重なるのは必然といえば必然なのだが、息子の不安げな顔とジャックのキチガイ顔(序盤からキチガイだが)が重なったり、オープニングの景色とエンディングの文字が招待状のように綺麗に収まったりと、キューブリックの事だからそれも踏まえてるのかもしれないと思える。
だがあくまでこの映画はキューブリックの映画が好きで、それも持論をベラベラ喋りたがるような頭でっかちにしか楽しめない。それに、キューブリックはおろか作品スタッフにすら了承を得ず勝手にやってるわけだがら本当かどうかも分からない。それゆえつまらない人間にはおそらく五分ともたないだろう。
キューブリックも棺桶の中でこう言ってるはずだ。
オコンニチハ!!!!

2014年1月31日金曜日

【映画】オンリーゴッド





アメリカを追われたジュリアンは、今はタイのバンコクでボクシング・クラブを経営しているが、実は裏で麻薬の密売に関わっていた。そんなある日、兄のビリーが、若き売春婦を殺した罪で惨殺される。巨大な犯罪組織を取り仕切る母のクリスタルは、溺愛する息子ビリーの死を聞きアメリカから駆け付けると、怒りのあまりジュリアンに復讐を命じるのだった。復讐を果たそうとするジュリアンたちの前に、元警官で今は裏社会を取り仕切っている謎の男チャンが立ちはだかる。そして、壮絶な日々が幕を開ける―


映画のキーワードは二極、手、LSD、ジェラシー、懺悔。

まず主人公のジュリアンはファイティングポーズをした銅像の前で拳を握る。この頃はまだ何の問題もなくただボクシングクラブと麻薬の密売をしていればよかった。しかし兄が死んだ瞬間から雲行きが怪しくなる。いつものように縛られ娼婦の自慰を眺めることによって快楽を得ていた彼は、ふと自身の持病でもある病的な妄想にふける。それは彼のテリトリーである赤の側から、部屋を出て(娼婦は諦めたような顔)廊下をくだり、チャンの領域である青のテリトリーに足を踏み入れる。そして真っ暗な部屋に手を伸ばした瞬間、彼は腕を切り落とされる。その後彼が洗面台で手を洗っていると怪我もしていないはずが血だらけになる。その時の洗面所も青色。彼は病的な妄想癖であったが、それは同時に警告でもあった。ジュリアンは静かでどこか物哀しげな顔をしている。しかし兄は対極に暴力的でアクティブだったのだろうが無鉄砲さが仇となり殺される。弟は母が兄を選んだことにジェラシーを感じ、母に認められようという思いで麻薬の売買をし母の償いもする。しかしそれは彼にとってそれは背徳感と嫉妬を原動力にした無駄なことだと分かっていた。初めてチャンとジュリアンが対峙する時、ジュリアンは焦りを感じる。今までどおりにうまくいかず何かが起きることをいち早く察知していた。彼をつけ回し、突然消え去り、また拳で勝負を挑んでもボコボコにされ無力であることを思い知らされる。チャンがタイというテリトリーでは絶対であり、それに逆らうものは消される。それまでの絶対は母親であったが、彼自身それには疑問を抱いていた。むしろ自らを去勢するような縛りさえも感じていた。このタイの掟をジュリアンは察知し、いつしかの妄想で見た警告通り、腕を切り落とすという行為によってその掟に従い、ジュリアンは命は助かった。


この映画はアレハンドロ・ホドロフスキー監督に捧げるとエンドロールに挿入されている。アレハンドロ・ホドロフスキー監督といえばエルトポだが、正直エルトポには到底追いつきまい。しかしエルトポやサンタサングレ、ホーリーマウンテンにあるような、なんか意味分かんないけどヤバそうな雰囲気を出すということに関しては成功している。といってもまだまだ安直だが、タイ語を使う、背中から突然中国の処刑用の刀が出てくる、まっちょの男がストリップしてる、顔面やけど男の一刀両断をガキに見せつけるなど、シーンごとに持つパワーを最大限に発揮し、全体を通して筋が通っていなかったり面白くなくても強烈な印象を残す。この面ではアレハンドロ・ホドロフスキー監督に捧げることができているだろう
どのシーンに関してもキャラクターの配置や光加減、バランス、構図は絵になるものばかりでビジュアルアートでは満点を送りたい。屋台で食事する警官たちをウージーで襲撃するシーン、獅子のネオンの前でタイマンするシーン。チャンの家で子供の帰宅を待つジュリアンの構図のバランス。また音響芸術の面でも、船の轟のようなノイズを使ったり、悪い予感を察知したチャンの心境を表すような不協和音、格闘のシーンでのシンセ/テクノ、チャンのカラオケ(笑)。


レフン監督はオンリーゴッドについてLSDとしドライヴはコカインと表した。どっかのどいつが残念ながらこれはLSDをやりながら見る映画だから!監督もそう言ってるから!みたいなことをぬかしていたが直接的なことではない。ドライヴがハイになりアドレナリンが出て引き込まれるようなコカイン的である映画に対して、現実の解釈が変容し幻覚を見て、感覚が研ぎ澄まされる瞑想状態に陥るアシッドであるという例えだ。そういう感覚を味わいたければ何もこの映画を見ながらLSDをやらなくていいし、やらずともそういった状態に陥る用に作られているのだから我々はそれを純粋に楽しめばいい。


チャンのカラオケについて。制裁を下すごとにチャンは部下を集めて熱唱するのだが、どこか儀式的なオーラを感じる。全部で三回歌うのだがこれがかなりシュールな上に地味にうまい。娼婦のおじきの腕を切り落とした後の曲目は復讐の歌(マイル~マイル~\カン!/)、自分を殺そうとしたジュリアンの手先を一刀両断したあとの曲目は人と人の統合の歌、ジュリアンの腕を切り落とした後のエンドクレジットとともにお別れする曲は恋に落ちる歌。まあそれぞれ意味ありげではあるがどうでもいい。あそこは笑うシーンなのだから。上司が熱唱してるのを死んだような顔で見る部下たち。監督は不思議な雰囲気を出したかったと言ってるがどう見ても帰りたいのに無理やり付き合わされて明日の心配しだしてる部下たちと全然気づかないタモリにしか見えない。


オンリーゴッドで評価したいのはクリスタル役のクリスティンスコットトーマス。昆虫界の女王みたいな支配者かつ近親相姦、ド下ネタ連発で紹介した彼女をドン引かせるというグレートビッチマザー。



2014年1月15日水曜日

【映画】インシディアス 第二章






ソウの監督ジェームスワンとリーワネル、パラノーマルアクティビティの製作チームがタッグを組んだいわばアメリカで最強のホラーキャストが本気を出したインシディアスの続編。前作ではダースモールみたいなデビルがライトセーバーを振らずに一家を脅かすという内容で全米でかなりの興行収入を得たが続編はいかに。

ヒットしたホラー作品はほぼ100パーセント続編が作られるのが世の常だがほぼ100パーセント失敗に終わる。REC、パラノーマルアクティビティ、リング等々。正直前半はああこれ失敗したやつだと感じたが後半にかけて伏線回収や前作とリンクさせる部分などがあり、必ずしも失敗ではなかったのかもしれない。ただジャパホラのような何が何だかわからない得体の知れないものがじわじわと迫ってくるような恐怖は相変わらず単細胞脳筋アメリカ人には描けないようだ。
また名作といわれるホラーの良いところを集めてまとめた感も否めない。例えば冥界へ繋がる赤い扉やとりつかれて妻子を追いかけてドアを消火栓でぶち破る父のシーンなんかは、シャイニングの血があふれだす真っ赤なエレベーターと完全に気が狂ったジャックニコルソンだし(ぶち破った時におコンバンハ!って言ってたら満点だった)、悪霊のバックグラウンドが母親に吹き込まれて女装して女を惨殺しまくるパーカーという男っていう設定の時点で完全にヒッチコックのサイコだし(実際母親はミイラっぽいビジュアル)、途中なんかもホラー界の名作吸血鬼ナイトオブザリビングデッドエクソシストなどオマージュというかほぼまんまやんなシークエンスが山のよう。それも一番山の部分ばっか持ってきたばかりに、結局平坦で何だこれ??な流れになってしまっている。
振り返ると突然花嫁の恰好した死体がぞろっと並んでるシーンは、会場の皆さん結構ビクってしてたけど、CONDEMNED2というPS3ゲームの一部分。ちなみにこれは結構名作。嫌々プレイしてたのはいい思い出。
またサイレントヒルなんかも感じられるシーンもありあげたらきりがない。


もうひとつジャパホラに及ばない点が、悪霊の描写がガサツすぎる。今回は白塗りの婆と婆の若かれし頃とその息子(女装癖)が悪霊なのだが、首を絞めるのはいいとして、ビンタで現世の人間を吹っ飛ばして気絶させる。お前はマンオブスティールのゾッド将軍かといいたくなるくらいパワフル。肉ばっか食って銃っぶっ放してりゃあああいう思想になるのも無理はないと思うがいくらなんでもアグレッシブすぎ。いつ目から光線出すのかハラハラしてしまった

良かった点はまず前作とのリンクがあったことと前半の伏線回収。あー確かにこんなシーンあったわ!と懐かしい気持ちにさせてくれる。ピアノ、ノック、ジョシュのインタビュービデオ等。
あと登場人物がみんな馬鹿。良い感じにみんなドンくさいが不思議と誰も死なない。
そしてちょくちょく写る意図的じゃない感出した心霊シーン。何気ない会話のシーンだったり廊下を歩いてる時に一瞬映ってたりして遊び心がある。

総合的に見れば名作をまとめただけなので他のホラーを一切見たことがないという人には新鮮で楽しめるかもしれない。

2014年1月5日日曜日

【映画】LAギャングストーリー



1949年のロサンゼルスを舞台に、ギャングと警察官の抗争を描いたクライムアクション。ドラッグや銃器取引、売春で得た金を使い、警察や政治家をも意のままに操る大物ギャングのミッキー・コーエンは、自らを「神」と豪語し、ロサンゼルスを支配する。しかし、そんなコーエンを打ち破るべく、6人の警察官が立ち上がる。警察当局は一切の責任を負わないという命がけの任務に就いた6人は、警察官という素性も名前も隠し、コーエン率いるギャング組織へ戦いを挑む。



いろんな映画のオマージュを感じる。仲間を集めていき腕利きのガンマンやメキシコ人、ちょっと扱いにくい若造やおじさんなどメンバーが揃っていく経過は荒野の用心棒でしかないし、黒人警官が情報屋を追いかけポルノ撮影現場に落下するところはダーティハリーと全く同じ。また全体的に名作アンタッチャブルを匂わせる。
ストーリーややり方は真新しいことなんて一切なく、今までどおりのやり方でド直球だ。しかし50年代ロサンゼルスの繁栄と影、クールで皮肉なセリフ、見ごたえのあるシーンがあるおかげでなんてシンプルで面白い映画なんだと感じるようになっている。
一番思ったのはすごくゲーム的であるということ。それもロックスターの作るようなキャラクターここに味があって、またキャラクター一人一人にストーリーがあり、アイテムやロケーションに妥協がない。(実際ロックスターが作った50年代がテーマのゲームは失敗だったのだが)


ジョシュブローリンの渋い熱血漢デカっぽさも良かったし、ショーンペンの悪役もドはまりで間違いないと感じた。ライアンゴスリングも相変わらずマイペースクールキャラでドライヴがもし50年代だったら的なノリ。エマストーンの青い目との赤いドレスのマッチングもナイス。

かっこいい男っていうのはこういうところなんじゃないかと感じさせる一品。

ロサンゼルスいきてー

2013年12月27日金曜日

【映画】ゼログラビティ







2001年宇宙の旅が公開された1968年からもう40年以上経つ。当時まだ月面着陸すらしていなかった人類にとってその内容は衝撃的なものであった。そして月面着陸してから再び驚くこととなる。なぜならまだ誰も見たことのなかったはずの宇宙をすでにキューブリックは映像化娯楽化していたからだ。驚くべきことは当時まだCGが十分に出来上がってなかった事はおろか電卓すら黎明期の時代。あれらの宇宙の映像は計算尺により人の手で造られたというのだ。
では昨今の科学技術とCGの進化を使い2001年宇宙の旅を再構築し再生させるとどうなるか。
それは2001年宇宙の旅のスタイルを適用しながらも形質的には全く違う新たな宇宙を創造した。キューブリック的にいえばスターチャイルドの誕生である。


ゼログラビティにストーリーはないと言っても過言ではない。一応あるがサンドラブロック扮する博士が宇宙ステーションに新たな技術を埋め込もうとするもソ連の使わなくなった人工衛星が破壊され、その破片が尋常じゃないスピードで移動し破片によってステーションは破壊され宇宙空間に投げ出され漂流してしまうというなくてもあっても変わらないようなもの。キャラクターのバックグラウンドもあるけどないようなもの。キャラクターも二名(エドハリスは声のみの出演)。フィールドは宇宙のみ。
これだけ簡素化しておきながら、どうしたらこんなに世界的に評価される映画が作れるのか。


まず第一にカメラワーク。
トゥモローワールドを見た人なら分かると思うが、主人公が最後の子供を保護して集落から逃げる車のシーン。何度見てもいったいどうやってこれを撮ったんだ?と不思議でしょうがなかった。そのメイキングでそのシーンを確認したが驚くべき手法で撮影していた。
今作ゼログラビティにおいても撮影方法にはかなり凝っているらしく、4096個ものLEDを配置した196枚のパネルで構成された「Light Box」の中に入ったり(液晶に囲まれた箱のようなもの)、12本のワイヤーリグで吊るされた状況、また車の製造工場で使うアームのようなマシーンを人間につけ、宇宙空間に放り出される重力化にある地球で無重力感を見事撮影することに成功した。
また全体を通してカットが少ない。最大で15分シーンが途切れない時もあった。これは通常ならば退屈と感じさせるが、この場合より一層リアルに危機感を感じさせることに成功している。

第二にVFX。
時代は2013年。もはや2001年から12年もたってしまったわけだが当然ながらCG技術の進化は驚くべきものだ。エンドクレジットのCG関係者だけでも300人近くの名前が挙がっていた。あれだけのクオリティを体現するには必要な人数だろう。予告を見るだけでもわかるがホントに宇宙でロケやってんじゃないの?と思うほどにリアルでまるでディスカバリーチャンネルを見ているようだ。途中FPSのように一人称になるシーンもあり、宇宙体験ができる90分を1800円ばかしで味わえると言うべきだろう。ちょうどディズニーランドやユニバーサルスタジオにあるアトラクションのようなものだと想像してもらえればいい。
宇宙の描写やステーションがCGなのは間違いないだろうし、まったくCGには見えなかったのだが、一番驚いたのはさすがにここはセットだろうと思っていたシャトル内のパーツや壁などもCGだったこと。言うならばこの映画でCGじゃないのはサンドラブロックとジョージクルーニーだけ。それを知ってみるだけでも大分面白さが変わるだろう。



冒頭から2001年宇宙の旅を彷彿とさせると多く述べるのには理由がある。
例えば原点回帰の描写。サンドラブロックが危機を逃れ何とかステーション内に入り、宇宙服を脱ぎ疲れで脱力するシーン。身体を丸めまるで胎児のようなポーズをするのだが、おそらく2001年~のラストに主人公が新人類として生まれ変わるというスターチャイルドの描写のオマージュだろうだろう。劇中ライアンは過去の娘を失ったという自己の束縛から解放されるという意味も込められている。また2001年~では黒い石板のようなモノリスが人類を導き木星を指したが、ゼログラビティはジョージクルーニーが導き手の役割をしている。最初から最後までジョージクルーニーは実は宇宙人だったオチなんじゃないだろうかと思うほどに危機的状況にも落ち着いた指示を出しカントリーを聞きながらおしゃべりばかりしている。その様子は神々しさや無機質さすら感じさせ同時にモノリスを思わせた。またキュアロン監督はラストの海のシーンを羊水スープと呼び、40億年前人類が宇宙からの微生物が海に溶けだし進化を経て地上に発つという一連の流れであると同時に再生を意味すると説明した。
2001年もそうだが生命や再生を連想させるメタファーが多くあり、それは海でありまた胎児の姿、へその緒のように身体に巻きつくロープ、水、アニンガの子供(Aningaaq)。それらに気づくことができれば映画をより一層楽しめる。



宇宙からすれば人間なんぞ塵っカスのようなもんで戦争しようが問答しようがお構いなしに冷酷に無表情でただ存在する。冷酷ですら無いのだろうが尋常じゃなく深く恐ろしい。下手なホラーやスプラッタよりも。
それを音でうまく体現できていると思う。無音のシーンが多くあり、そのたび宇宙は無音なんだと毎回気付かされる。またスティーブンプライスによる音楽が秀逸。2001年宇宙の旅ではクラシックを使用し今までの宇宙映画の常識を覆したが、今作では電子音、それも実験音楽的なノイズを多用し、不規則で重苦しく、宇宙の広大さや無表情なイメージを連想させるシーンにあった楽曲を使用。
またフワフワと漂うアイテム達にも遊び心があり、中国のステーションには卓球とピンポン、破滅したISSにはバックスバニーのキャラクターなどともっと目を凝らせば色々ありそうだが3Dだったせいもあり物を非常に捉えにくい!
しかしこれは絶対的に3Dで見るべき作品である。欲を言えばIMAX。

総合的に良いの悪いの?と聞かれればすげえよ!と答える。しかし何度も見たいかといえばそうでもない。衝撃はどうやら一時的なもののようだ。しかし一度は見る価値があるとだけは言っておこう。



最後エンドクレジットに影響を受けた監督みたいな欄にデヴィッドフィンチャーとかある中デルトロの名前が笑