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2016年6月25日土曜日

【映画】エクスマキナ





有史以来人類は支配者を取っ替え引っ替えしながら現在に至る。かつては清王朝、イギリス大英帝国、あるいはオスマン帝国やローマ、ナチスなど、その時代毎にボスは変わっていった。しかし傑作CGアニメミニオンズでも語られていたように、君主というのは長続きせず、一度頂点に立つとあとは降下するか滅びるかしか道はない運命にある。今はアメリカが事実上の支配者となっているが、それも時間の問題というのは明瞭である。ましてやそもそもの人間が支配者であるという当たり前のヒエラルキーも、今や終わりを迎える可能性が浮上している。
===人類の進化について===
人類は生産性の向上のため歯車を発明し水車を作り農耕を一気に飛躍させ。
その歯車を活かし、風車を作り、エジソンのコイルと合わせて電気を生んだ。
電気と歯車と0と1で、コンピュータをチューリングは生んだ。
そしてコンピュータは無限の可能性を秘め、人類の生活を便利で豊かなものにする、はずだった。
青写真では。
コンピュータは事実無限の可能性を秘めていた。それ単独で活用するのではなくオブジェクト指向であるがゆえに、ネットワークと接続したり、ソフトウェアを変えたり、ハードウェアをアップデートしたりと、各人のニーズによってどうにでもなる魔法の箱だった。しかしその魔法の箱は同時にパンドラの箱だった。好奇心から開いたその箱には想像も出来ない災いが詰まっていた。人工知能である
人工知能という言葉はずいぶん前からあった。V.Bush の“As We May Think”では将来コンピュータが人類の生活を助けると語ったのは1945年終戦の年、言わばアランチューリングのチューリングマシンが改良され軍事力としてのコンピューターが莫大なバジェットで研究され発達し生活に適用し始める日の出の段階だ。1950年にはロボット三原則が発表され「人間を傷つけてはなならい.傷つくのを看過してはならない」「第1原則に反しない限り,人間の命令に従わなくてはならない」「第1,第2原則に反しない限り自分の身を守らなくてはならない」というかなり具体的なレベルまで引き上げられる。しかし実現性はこの段階では到底及ばない。
しかし最近になって人工知能の認識と利便性、そしてその脅威についてあちこちで多く語られるようになる。大きなインパクトとしてはIBMのワトソンが有名だろう。クイズ大会で優勝し、様々な食べ物のデータから料理を自分で考え生み出すという知能を持つ。ワトソンだけでなくチェスや将棋に人間に勝てるAIや、最適で効率的な業務指導をするAIなど徐々にその頭角を現し始めている。
36.8ペタフロップス。人間の脳の約二倍のスピードで動作するスーパーコンピュータ上であるAIは自分を進化させ続けている。ビジーチャイルドと呼ばれるそのAIはインターネットに接続し世界情勢や数学、芸術や化学に関する人類の知識を収めた何エクサバイトものデータを収集し続け、知能爆発を引き起こしそうになる。そしてこのAIはついに人類の知能レベルを超えたのだ。それを人工汎用知能(AGI)と呼ぶ。AGIはわずか2日で人間の1000倍の知能を持つようになり、その後もまだまだ進化し続ける。人類はすばらしい偉業を成し遂げた。果たして本当にそうだろうか?
『人工知能−人類最悪にして最後の発明』の著者ジェイムズ・バラットは以下のように語る。
”AGIは「自意識を持ち、自己進化する」コンピュータである。人間と同等の思考をする、つまり「自己を認識」する。すると自然に「自己保存」の衝動が生まれる。SFファンでなくとも、伝説的なSF映画「2001年宇宙の旅」で、宇宙船のコンピュータ「ハル」が自己保存のため隊員を抹殺しようとする有名な場面をご存じだろう。”
そもそも火を発見した時点で人類は支配されることが決定していた、といっても過言ではない。道具を使って何かを成しえて言葉を交わせることができる生き物は今のところ人類だけなので、これまで支配される心配は全くなかったが、その人類が自分を破滅に導く道具を作り出してしまうとは愚の骨頂であり滑稽である。まさに2001年宇宙の旅の冒頭、投げた骨が核兵器に代わるシーンだ。
人類の生活は便利で豊かにはなったが過酷であることは変わらなかった。より早く、完璧で、確実が求められ、肉体に限界が見え始める。あらゆる職業は機械化され多くの人類は職を失っていった。
また人間は情というものが存在し、多種多様でユニークなものであるため良くも悪くも生産性は情に左右される。ともあれば金銭的な欲求は一切なく自己保存しか考えないAIが、自分をシャットダウンしかねない人類を生かしておくだろうか。
閑話休題。
検索エンジンで有名な世界最大のインターネット会社“ブルーブック”でプログラマーとして働くケイレブは、巨万の富を築きながらも普段は滅多に姿を現さない社長のネイサンが所有する山間の別荘に1週間滞在するチャンスを得る。 しかし、人里離れたその地に到着したケイレブを待っていたのは、美しい女性型ロボット“エヴァ”に搭載された世界初の実用レベルとなる人工知能のテストに協力するという、興味深くも不可思議な実験だった…。
ストーリーは人工知能ロボットエヴァに対し、さえない青年ケイレブがチューリングテストをセッションごとに行っていくストーリーになっている。セッションは7まで続くが、おそらくこれはOSI参照モデルの7階層をベースにしているだろう。物理層からアプリ層まで徐々に本質を探っていくやり方だ。この映画の非常に面白い部分はここにある。はじめ我々は、青年がAIに対してチューリングテストでコンピュータかどうかテストしていくという考えのもと進んでいくと思って観ているが、セッション6で青年は閉じ込められてもセッションはまだ続くのだ。セッション7で気づくのは、試されていたのは人類であってこの映画で見ているテストは人工知能側のものだったと気づく。騙された我々はAIの脅威はもうすぐそこまで来ていると感じる、という作りだ。
作風はもちろんのことキャラクターとロケーションが目に訴え借るものがある。グーグル的なシェアNo. 1検索エンジンのCEOネイサンは、アホみたいに広大な私有地で一人孤独にAIの研究をし酒におぼれながらクソ真面目な顔して「このアンドロイドはセックスも出来るぞ」なんてぼやく新しいマッドサイエンティストぶりを発揮する。主人公のケイレブは、どう見ても童貞なプログラマといった感じで、どうしたらいいのかわかんない顔の天才である。エヴァに至っては、本当に俳優じゃなくてアンドロイドなんじゃないかというくらい笑顔が偽物感満載で(感情で笑ってない)、実は逆チューリングテストを受けさせられてるのでは?と錯覚するほどだ。
ロケーションについては広大な自然に囲まれた小さなコテージとその地下に存在する最新鋭のハイテクホテルのギャップと共存がたまらない。モダンアートみたいな打ちっぱなしのデザイナーズハウスしかり、モード系のアパレル店みたいな地下の内装しかり。地下については蛍光灯の代わりに15,000個のタングステン豆電球を用いることで独特の作風を生み出しているらしい。庭にサンドバックはマネしたい。冷蔵庫にはウォッカだらけというのもいい。
しかも壁にはジャクソンポロックの『No.5,1948』が掲げてあり、ネイサンは人工知能と比較する。あのシーンは今年度上位に入る最高のシーン。ジャクソンポロックというのは無意識をテーマに意図的な創作ではないが、それは本当に意識がないのではなく、ユングのいう集合的無意識との対話、フロイトの理論に傾倒したダリの偏執狂的批判的方法のように意識化にありながら無意識の美学を追及した。矛盾しているようでしておらず、それぞれが対なようで紙一重なのだ。抽象表現主義というのは写実から徐々に落とし込んでいくように、意識をベースに無意識があるのでアンドロイドにはそれは不可能だろう。なんせ家でけたたましい音を立てて印刷しているプリンターは常に無意識なんだし。だからこそネイサンの言うCase文やIf文で完全にプログラミングされ計算されつくされた「おはよう」と言われたら「おはよう」と返すペッパーくんのようなスタチューではなく、意識化にありながら返事をするアンドロイド、それこそがしひょうであるとあの絵をベースに胸中を語ったのだ。
「誕生」と「観察」、そして「血」を巧みに結節したアレックスガーランドの監督脚本、手堅くも気高いスコットルーディンの確かな演出、俳優陣の120%の健闘。アカデミー賞視覚効果賞を獲得するのも納得の高品質なホラー映画

2014年11月27日木曜日

【映画】インターステラー

 



2014年度公開された映画は2001年宇宙の旅を感じさせる物が非常に多かった。アンダーザスキンでは、冒頭から目の光彩を反転させてワームホールを意識していたし、ルーシーでは猿と触れるスカヨハが超越した存在=所謂導き手モノリスでありスターチャイルドであった。
自分は熱狂的な2001年宇宙の旅信者であるし、スタンリーキューブリックの虜になったマゴッツの一人なので宇宙系の映画となればどうしても比較してしまいかねないが、今作は2001年への挑戦であり、進化であり、未来であった。要するにぶったまげた。

まず挑戦と言ったのは、本作の三時間の尺におけるプロセスが2001年を意識したものであり、シーンごとのオマージュを多く感じられる点にある。例えば今回のキーとなる時計は実際のアポロ計画の時に使用するオメガ製とは異なりハミルトン製だ。なぜかといえば2001年ではハミルトンを着けているからだ。また2001年~では当初ワームホールは土星に配置したかった。しかし土星の輪に満足しなかった完璧主義のキューブリック御大はやむなく木星にワームホールを置くことになる。そのキューブリックの無念を晴らすつもりかどうかは分からないが、ノーランは土星の横にワームホールを置いた。
また進化というのは刷新すると言う意味での進化である。2001年は当時の最新技術を限界まで集め、エッジを効かせ、極限までスタイリッシュにした。物理学者を製作に加え、まだ月にも降り立ったこともないのに、あのビジュアルを完成させた。そのため今も色あせず、昔のSF映画にありがちな宇宙探査してるのにフロッピーディスクかよ!みたいな興ざめがなく今も神格化されている。おそらくインターステラーも未来代々語り継がれる作品になるであろう。同じように製作に物理学者を交え、今分かってる最大限の技術と科学で宇宙へのフロンティアをビジュアル化した。
おそらく今後作られるSFは2014年度に相当強力な宇宙映画が作られてしまったために、かなりハードルが上がり、映画は量産され駆逐され選別されるだろう。エッジが効いていい作品が多く生まれるという考えを取れば、今作は映画の未来だと言える。


個人的にはTARSのキャラクターが非常に良かった。ビジュアルや導き手のようなポジションはモノリスのようでありながら、喋る上にユニークなジョークを飛ばすなど人とは違う第三者的な立場が存在することでこの映画のいいエッセンスになっていたと思う。事実あれが人であったとするならば、あるいはプロメテウスやエイリアン、ブレードランナーのような人型アンドロイドだとしたら、陳腐なものになってしまうだろう。無機質な有機物体であるがゆえに非常に愛着の湧くキャラクターに仕上がっていた。作中、ジョークや正直度のレベルを設定でき、それに伴いTARSが冗談をかますのだがそのセリフの中で正直度を100%にするとどうなると問うと、あまりいいことはないと答える。これは明らかに正直度100%で矛盾が生じ乗組員たちを殺したHALへのオマージュでありそのセリフを聞いた自分はスクリーンまで駆け寄って泣いた。

毎度説教的というか哲学を混ぜ込むノーラン先生の今回の授業はそこまでへヴィなものではなく(今までと比べて)登場人物に割と陳腐なセリフを語らせつつも映像で見せるという今までとは少し違う変化球な授業であった。実際登場人物に例のごとく哲学的なセリフを語らせて一歩間違えれば、おいてかれてラストまでよくわかんなくなるなんて自体が多発しただろうから、ダークナイトで商業的に当てたノーランにはもはやなんだかよくわかんねえけど意味があるっぽいセリフ(悪の法則のカルテル等)を語らせるのは難しいだろう。

今回、いや過去作から今に至るまで、あるいは近年の作品から自分が汲み取った監督の思いは、内側ばかり見ないで外側を見ろということ。インセプションでは深層心理にずぶずぶとハマっていって抜け出せなくなるディカプリオが記憶に新しい。またディスコネクトではSNSにはまった人々が闇に落ちていく他人ごとではない現状を映画化した。そのポスターは上を見上げていた。
現代人は新しい技術をすべて身の回りの便利さに費やし、スマートフォンはどんどん便利になり、上を目指すスピリットを忘れてしまった。現状で満足し、このまま欲におぼれてやりたいようにやってるといつか食糧難になってみんな畑耕しては放置して砂漠化して地球住めなくなっちゃうよ?フロンティアスピリッツとりもどそうぜ?みたいなノーラン先生の教えをぼくはこのえいがでかんじとりましたまる。
我々消費者がすべて悪いみたいな突き放した感じにもとれるけどね。

アメリカ人、あるいは人類には根本的に冒険心、探究心、フロンティアスピリットが備わっていると思う。何かを極めようという考え、金鉱を求め西へ、神の土地イェルサレムへ、目的は何であろうと人は確率は低かろうが自己犠牲によって探究する。だからこそ類人猿から人類に至るわずか数千年でここまで地球という惑星をおおよそ支配するまでに至った。
今後地球が滅びるかどうかはわからないが、インターステラーを見ることによって(三時間に耐えて)何か考えるきっかけになればと思う。
おそらくゼログラビティよりも劇場で見ないと後悔する作品。




彼の登場で絵理事有無の続編かなと思ったのは俺だけじゃないはず。

2014年9月7日日曜日

【映画】ケープタウン






世界的に見ても危険な国ランキングで上位に挙がってくる街、ケープタウン。アパルトヘイトの撤廃後、ケープタウンに大量に国内や周辺諸国から住民が流入したが、彼らの多くは失業者となり、治安が急速に悪化した。この国の治安の悪さは貧困と社会的格差に原因がある。
 かつては南アフリカにある美しい町として多くの観光客が訪れていたが、ここ数年は犯罪とギャングの対立戦争の中心地となりつつある。ヨハネスブルグほどの治安悪化は見られず、昼間なら徒歩での外出も可能ではあるものの、犯罪は激増している。日本国の外務省からは、市の中心部(シティ・ボウルおよび北西部)ならびに市東部のケープ・フラッツ地区には注意喚起が発出されている。
ちなみにアフリカでもっともやばいのがソマリア。ソマリア沖海賊問題で日本の諸外国との貿易において他人事ではないが、警戒レベルはレベル4でこれは外務省の出したデータによるもので、Lv1気をつけろLv2やめとけLv3行くなLv4逃げろみたいな感じで4は最大。
さらに世界で最も治安が悪いのはホンジュラスのサンペドロスーラ南米から北米までの麻薬の経由地になっており殺人事件発生率は日本のおよそ400倍。グランドセフトオートの世界を身近に感じられる世界だ。ちなみに2位はワールドカップでふるぼっこにされたコートジボワール。
 
先ほど治安の悪化について原因は貧困と社会的格差にあると言ったが、経済的不平等が生じる原因は、賃金・収入の大きな違い、労働市場税制の穴やタックスヘイブン、コンピュータ化と技術革新、人種による不平等の要因が挙げられる。ただし日本と大きく違う点は天然ガス、ダイヤモンド、鉄などの資源が豊富なのに対し技術がそこまで発達していない、さらにはそれを他国が教育するのではなく、外資として流出してしまっているために大きな格差の原因となった。また、長らく続いていたアパルトヘイト(人種隔離政策)の影響により第9地区でテーマになったような、貧しい人々がある一帯にすし詰めにされる状態になったため急速に治安が悪化した。仮に自分たちに置き換えて考えてみると、足が短い人間は職に就けないという政策があったとする。そうするとある地帯に足が短い人だけのコミュニティが出来、そこには裕福な人は近づかなくなり、またてっとり早くかつ公的な職ではないことをする。それは結果的に薬物の売買であったり武器の不正取引になってくる。
ソマリア沖の海賊も豊かな漁場を他国の大型漁船が大量に持って行ってしまったために枯渇し、っやむを得ず通行するタンカー船などを襲って身代金を要求し、生活の基盤とするしかなかったのだ。
今回この映画ケープタウンでも因果応報というか、巡り巡って返ってくるというか、報復のようなものがテーマとして根底にある。
主人公の一人である黒人捜査官のフォレストウィテカー(以下黒釣瓶)は以前アパルトヘイトにより父を亡くし(それももっとも残忍なタイヤネックレスによる死刑で)、本人も警察犬に金玉を噛み千切られ夜の営みはマッサージだけを強いられるようになってしまう。
彼自身寛大なため一連の出来事は許しているのだが、ある事件をきっかけにそのリミットが外れ、頼りない黒釣瓶から暗黒釣瓶へと進化する。その表情の変化は見物。
始めから最後までずっとガサツで野蛮なオーランドブルームよりも切れたら怖いのはこういう真面目な怖い人だよなあとふと思ってしまった。
 
 
映画全体を通して南アフリカのほのかに危険な雰囲気を撮り方や音楽でしっかりと演出できているし、それを証拠づけるような上質なバイオレンスもあり、また刑事ものとしての、じわじわ解決に近づくサスペンス要素もあり、文句なしの良作。
最後黒釣瓶は殺すべきだったのかまた許すべきだったのかを見終わって考えた。
セブンで味わった何ともしっくりこない胸に引っかかる感じに似ている。
殺すことでバイオレンスは繰り返されているということを訴えていたのか、あるいはあそこで清算しなきゃそれこそしっくりこないだろと監督が感じたからなのかはわからない。
ただオーランドブルームが最後、自分の中で父と和解したことだけがこの映画において唯一の救いだった。

2014年8月31日日曜日

【映画】LUCY

あらすじ
マフィアの闇取引に巻き込まれたルーシー(スカーレット・ヨハンソン)は、特殊な薬が入った袋を体に埋め込まれ運び屋にされてしまう。しかし、体内で薬が漏れたことで彼女の脳機能は驚異的に覚醒。脳科学者ノーマン博士(モーガン・フリーマン)が見守る中さまざまな能力が超人的に目覚める一方、少しずつ人間性が喪失し、自らを制御できなくなっていく。

2014年はキューブリック御大の偉大さを再認識させられる年だった。量産される商業映画だろうがパーソナルなマニアックフィルムであろうが、随所にキューブリック作品の息吹を感じさせ、いわゆる通過儀礼になりつつあると実感させられる。
ルーシーにおいてはキューブリック要素はもはやメタファーどころではなく、2001年宇宙の旅のアクションリメイクかと思わせるほどだ。猿が水を飲む序盤のシーンの始まり、モーガンフリーマンの言う「人類は知能を20パーセント覚醒させるイルカに対し道具を駆使して生存する生き物だ」という言葉はもはや武器を手にし進化の理由となった骨であるし、善悪の判断を完全に排除し神的領域で生きるルーシーはもはやHALでありスターチャイルドだ。では導き手であるモノリスはモーガンフリーマンか?2001年宇宙の旅が好きでたまらない人間にとっては結末がない云々はもはやどうでもよく(リュックベッソン監督作品に中身を期待してはいけないシークエンスを楽しむべき)、ニキータやレオンを彷彿とさせるスカヨハの妖艶なまでのアクション、インセプションばりの時空間移動、全体にちりばめられた2001年宇宙の旅等、おいしいとこを集めまくりましたみたいなビュッフェランチ映画(勝手に命名)だと感じた。
しかしビュッフェランチを食って食後に毎度思うのは食欲を満たされただけで本質的な感動は得られていないという点であり、ルーシーでもそれは同じことといえる。ただでさえ多くの映画のおいしい部分を拾ってきたにもかかわらず、脳のリミッターを外してチート使用後のようななんでもあり状態で、これどうやってエンディングまとめんだ?と誰しもが思ったはずだ。結果的にそれは我々を納得するものではなく、視覚的な満腹感は得られたが映画的な幸福感は得られずにエンディングを向かうこととなる。

最後スカヨハはあらゆる概念を超越し神に近づいた。その理由として冒頭の猿と触れ合うシーンがその根拠づけとなる。あの手の角度と触れ方は、途中サブリミナル効果でも差し込まれていたミケランジェロのアダムの創造でしかない。アダムの誕生は、旧約聖書の『創世記』に記された神が、最初の人類たるアダムに生命を吹き込む場面を表現しているとされている。猿とのふれあいのシーンで猿はスカヨハに人間性を埋め込まれたのだ。ってことは我々の神はスカヨハってことになる
最終的にはI am EVERYWHEREという言葉を残し、時空かあるいは素粒子にでもなったのだろう。限界まで突き詰めれば確かにそうかもしれないが、そんな漠然としたラストで高まるのは時空オタか東大理三男子くらいだろう。
我々単細胞生物(少なくとも東大理三男子から見て)にとってそんなラストが腑に落ちるはずもなく、なんで今までもののけ姫のおっことぬし様的なビジュアルだったのになんで突然味気なくなってしまうんじゃ!と叫びたくなる。


ただビジュアルとしての面白さはやはり映画を撮りまくってるリュックベッソンだと感じた。登場人物の感情を動物に置き換えたり、モーガンフリーマンの眠くなるスピーチをディスカバリーチャンネルテイストのハイビジョン映像でお送りしてくれるなど、目に訴えかけてわかりやすく作られている点は非常に良い。ストーリーラインがしっかりしていることは映画において重要なエッセンスではあるが、ビジュアルに訴えることは同じくらい重要であるためルーシーは記憶に残るいい映画だと感じた。

後は個人的にキャストにチェミンシクがいたのが高評価。オールドボーイと顔つき変わってない。



2014年7月28日月曜日

【映画】ゴジラ





人類は有史以来バイオレンスを持ってして進化を遂げ、その最終形態が核であると、キューブリック自身も映画で語った。地球上の生物はおろか、無機質までも塵に変える核弾頭。ではそれを超越した存在がいるとしたら?おそらくそれは神か魔物であり、それはGODZILLAなのだ。
自分は特撮オタでもないし、昭和から平成にかけてのゴジラは一つもチェックしていない(US版ゴジラは観たけど、あれはゴジラではなくB級ダイナソーパニックなのでカウントしない)。そのため今回のゴジラは新鮮な気持ちで見ることが出来た。


ゴジラのバックグラウンドとしては1954年公開当初のゴジラの説明は、ジュラ紀から白亜紀にかけて生息していた海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物の末裔が、度重なる水爆実験により安住の地を追い出され姿を現したものがゴジラであると語っている。しかし、以後の作品の多くでは、核実験の放射線で恐竜が変異した生物であると解説されている。
今回のゴジラはその背景を一切無視し、今までビキニ沖でやりまくってた核実験は実はゴジラを倒すためにぶち込んでたんだよというあらすじ。要は核が効かない存在なので人間のリーサルウエポンが効かない以上なす術はない。


全部で二時間程度の尺があるため長く感じるかと思ったが意外と短かった。しかしジョーズと同じ手法で正体を現すまでに非常に時間をかけているために、実際ゴジラが出演している時間は合計で10分無いんじゃないだろうか。それだけゴジラが全貌を明らかにし満を持して感を出しながら咆哮するシーンは鳥肌が立った。実際ムートーのが誕生から夫婦愛まで延々やってるからムートーが主役なんじゃないだろうか。というか怪物の交尾を前作「モンスターズ」で見せられ今回も怪物の新婚生活を見せてくるあたり監督は相当な変態である。
まあただ言えるのは後半にかけてだんだんゴジラがかわいく見えてくるということ。
ゴジラの顔は従来猫顔だったがギャレスエドワーズが犬好きってことで犬顔になったらしいのだが目とかつぶらだしのしのし歩いてるしゴジゴジって呼んであげてね!みたいなところはあった。
中の人(着ぐるみではなくモーションキャプチャーの意)はロード~のゴラムや猿の惑星のシーザーでも演じたアンディサーキス。人間離れした動きをし、初の着ぐるみゴジラじゃないCGゴジラの化け物感」を見せつけた。

映画自体は怪獣映画でありながら社会的なメッセージを内包し、尚且つ多角的な愛をバランスよく映していると感じた。
ゴジラの全貌がまだ人々にとってわからない前半部分は、3.11の原発をかなり強く意識ており、後半部分のゴジラ襲来は、9.11の恐怖を思い出させる描写だと感じた。おそらく日本では原発をぶっこわす描写なんてのは10年先までできないだろう。今回海外から日本の描写ができたために原発はいいエッセンスとなった。これを見て原発厨がゴジラ並みに咆哮しそうだが、海外に向けてその声はおそらく届かないだろう。余談だが脱原発を唱えておきながらエアコンを使わないでクソ暑い夏を過ごせるのかと問いたい。


今回がキーワードとなる。ベガスで扉を開けると、、、核廃処理施設の扉を開けると、、、捕らえられたジョーがムトーの電圧で扉が開く、瓦礫の扉を開けるとムトーの卵が、など数多くの扉のシーンがある。そのシーン自体はおそらく大して意味はないのだが、扉を通してあるメッセージを含むと考えた。それは社会問題を抱える現代社会を、ゴジラを通して新時代が幕開けるという監督の考えか?あるいは何が待ち受けるかわからないこのご時世に舐めてるとゴジラが現れたりするかもしんないからあんまり人間本意で生きるなよというメッセージか。ただ単純にギャレスエドワーズ監督のやり方なのか。いずれにせよそれは見るものに委ねられるはず。


単純なパニックとアクションの連続かと思いきやヒューマンドラマやギャレスエドワーズお得意の「本当に起きた」みたいな描写が非常に良かった。上流から流れる燃え上がった戦闘機の残骸や大渋滞の中に墜落した飛行機を上空から撮ったり、ゴジラが通ったため壊れてしまったであろう鉄橋、孵化したムートーが海に向かって地面に爪痕を残しているなど、本当にモンスターっているんじゃないかと思わせる技術には脱帽。
残念なのはそういった被害だとかリアリティの部分が上手いだけに、戦闘シーンが少しダレる印象
それに付随して脚本がイマイチ。ゴジラを感じるには素晴らしいが映画として考えるとそこまでは面白くない。
あとブレイキングバッドで一躍有名になったブライアンクランストンがたくさん出ててブレイキングバッド好きの自分にとって非常にありがたいのだけど、片言でモシモシとかスグイキマスとか言わせるとあほっぽいからやめてほしい。掛け軸に日本って書いてあったり招き猫おいてあったり日本のイメージが相変わらずおかしいのは何とかならんのか。

2014年7月3日木曜日

【映画】オールドボーイ







日本原作を映画化しその名を轟かせた韓国版オールドボーイ。あの傑作から10年ほど経ち、差別問題やアメリカのあらゆる社会問題を映画に取り込み世間に歯にもの着せぬ言いようで警笛を鳴らす巨匠スパイクリーがそのオールドボーイをリメイク。本人はリメイクではなく別のものと発言していたが内容の大筋としてはほとんど同じ。突然監禁されて、解放されて、答えを探して、復讐して、罪を知る。そして原点に帰す

まず低俗な親父ジョシュブローリンが監禁室にいれられ浄化される。それは新約聖書に通じる。新約聖書ではイエスは40日間荒野での断食をしサタンに打ち勝つ。サタンから石をパンに変えればいいではないかという誘惑に、勝ち自殺を誘惑されるが勝つ。ジョーは監禁室でイエスキリスト化したのだ。アメリカ版はそのキリスト精神が存分に感じられた。浄化され洗練された復讐心だけが部屋に残る。
解放されたジョーは毎日出されていた中華料理の味を何十軒も店をまわり特定し、敵のアジトに餃子をエクストリーム配達する。
ちなみに私は餃子が一番好きなので他のどんな痛々しいシーンよりもこの餃子のシーンで悶え苦しんだ
餃子を食う!食う!食って食う!これはもはやオールドボーイならぬ餃子ボーイいいんじゃないか?
その後答えを探すべく手掛かりを洗い出す。それはジョーの過去に潜んでいた小さな事件がきっかけだった。


韓国版との違い
・スパイクリー的要素
監禁室のテレビでは案の定俗世の流れを映す。クリントン就任、ハリケーンカトリーナ災害、ブッシュのイラク進攻、そしてオバマ就任。
この二十年でアメリカは大きな変化を迎えた。固定概念からの脱却、WASPの崩壊、アメリカという国のもろさ。テレビで大統領だけを映すのではなく、カトリーナを入れるあたり、やはり未だにスパイクリーはあの時の黒人差別を許していないようだ。


・痛々しさ
グロさが増してる。韓国版での名シーン釘抜きで歯を抜くシーンは無く、代わりに首につけた点線をえぐるという聞いただけでも首筋が寒くなる尋問や、友人の舌が抜かれてジョーのもとに贈られたり、首切りはもはや当たり前で、すぐ流されるといった具合。グロシーンは見慣れていたと思ってたが結構な衝撃だった。


・演出
韓国版の良さとして若干フィクションじみていてアートっぽさがあった。嫁を殺した濡れ衣を着せられた時もグルングルン主人公の周りをカメラが回ったり、巨大なアリがいたり、咥えたタコがウネウネしたり(今回も一応タコの出番は5秒ほどあり韓国版を意識している)。スパイクリー版にはあまりそういったアート性は無く、至極シリアスに不安と緊張感を煽るカメラワークと雰囲気が最後の最後まで続く。だからはっきり言って見終わってからとても疲れる

・アクション
戦闘シーンはやはり天下のハリウッドと言うこともあり、迫力とスリルがヤバイ。てかジョーが解放されてから強すぎる。フックを食らったアメフト選手が半回転して頭から着地する、ドスを背中に刺されながら15人くらいボコす等とても20年引きこもってたとは思えないスーパーマン具合。これはタイトルマンオブ餃子ボーイでいいのでは?日本の艦これヲタも実は鍛え抜かれててこんぐらい強ければWWEが日本人選手だけになるな。敵役のシャールトコプリーさんは第九地区で腕がエビになり、エリジウムで刀を振り回して桜とともに散ったあの人。今回もミステリアスなオーラで常道を逸した悪役を演じており、適役だったと言える。最後の潔いシーンも客を混乱させるいいエッセンスだった。しかし思うに、二つの質問に答えられた報酬として4つの報酬(強姦証拠動画、自白、2500万ドル相当のダイヤ、自殺)を挙げたが、自殺は最後まで言わないでおいた方がラストの衝撃増すと思うんだけどな。あと幼少期のシーンで父親に胸を散弾銃でぶち抜かれながらも生きてるってのがちょっと謎。

 

総合的な評価としてはやはり最初のインパクトが凄まじかった韓国版オールドボーイに軍杯が上がるが、アジアの閉鎖的な絵が嫌いな自分にとってアメリカの雰囲気は違ったエッセンスとして良かった。餃子食いたい

2014年6月25日水曜日

【映画】300 帝国の進撃






あらすじ
紀元前480年、スパルタのレオニダス王が300人の精鋭で100万人のペルシア帝国軍と戦っていた頃、ギリシャのテミストクレス将軍もまた、自由と平和を守るため立ち上がり、その旗の下に集まった同胞たちとともに3倍に及ぶペルシャ軍との戦いに乗り出す。ギリシャ生まれでありながら、虐げられた過去を持ち、ギリシャに対して復讐心を抱くペルシャの海軍女指揮官アルテミシアは、テミストクレスを敵ながらも評価し、味方に引き入れようと交渉してくるが、テミストクレスはこれを拒否。アルテミシアの怒りと復讐心は増大し、ギリシャを壊滅させようと進撃を開始する。


前作でテンションクソ上がったスパルタの民達は、懐古シーンとラストくらいしか出てこない。打って変わって同時期にまた自由を求めて立ち上がったアテナイの方々が今回の主人公。
しかしやってることは前作と変わらないしストーリー自体も強い、失墜、立ち上がる、更に強くっつう王道の流れなので、前作通り思考回路停止して見られる脳筋映画となってる。
導入の戦闘シーンが素晴らしい。ザックスナイダーが監督から製作に回ろうが手加減することはなかった。血!筋肉!誇張表現!スロー!血!筋肉!こちょ(ラストまでずっとこんな)

難解なストーリーも伏線が張られた群像劇も映画として高評価だが、ストーリーよりも戦闘シーンにここまで力を注ぐザックスナイダーのマンガオタク精神に感服。実際どのシーンも男心を擽る中2病拗らせ戦闘シーンで何百回観ても飽きることは無いだろう。おそらく世界共通。
エンジェルウォーズ、マンオブスティールとぼやけた作品続きだったが、七年ぶりに(前300以来)ザックスナイダーのやりたいようにやれてる作品だと感じた。

あと言及すべきは主人公よりもオーラを放つエヴァグリーン姐さんの存在。どっちが主人公かよくわかんなくなるくらいオーラを放っていたが、その物憂げな表情、ダイナマイトバディ、極悪非道な性格は濃いキャラクターとして記憶に残るだろう。
おそらく幼少期に酷い経験をし、戦闘にだけつぎ込んで来た姐さんはなかなか強いテミストクレスが現れた事により愛にシフトしたのでは?と考える。しかしやはり女性ということもあり弱さを持つ部分もあるため戦で命を落とす。


全体としてかなり高評価だが、前作に比べると新しいクリーチャーなどはなく、またほとんどが海の上なため少し絵に見栄えがしないと感じた。炎の戦術や体当たり、谷間に追い込む等は良かったが、地上戦をもう少し観たいところ。


途中のエヴァグリーン姐さんとテミストクレスの”戦い”のシーン以降はやり逃げされた元カノが復讐する戦いにしか見えませんでした。いや実際個人的な恨みあるでしょあの感じ。

そしてまた続編を地味に匂わせるラスト。ペルシャの神王倒してないし。もういいぞザックスナイダー、これ以上作るとコケる。

2014年6月24日火曜日

【映画】12モンキーズ





よく頭のおかしいやつだとか、あいつの言ってることは常道を逸しているなんて言うが、果たして一体どれが常道なのかという話。
正常とはどの観点からいうのか?

映画は近未来の話。人類はウイルスによって99パーセント滅び、残りの一パーセントは地下に逃げ込んだ。もはや地上に出る望みはない。だとしたら過去にさかのぼってウイルスをばらまく原因を突き止めればいい!というわけで選ばれたのが囚人ブルースウィルス。何度も過去にさかのぼりだんだんどっちが現実かわからなくなりながら原因を突き止めていく。その中で出会う12モンキーズの頭であり頭のちょっとおかしい細菌学者の息子ブラッドピットはイカれてるけれども間違ったことは言わない。
テリーギリアムは似たような近未来SF未来世紀ブラジルで、どんなにシステムが進化してもそれは時にもろく、どんなに情報統制されていっても人の考えることまでは奪えない人の強さみたいなものを描いた。
一方で12モンキーズでは誰しもが実際思ってるしおかしいと思ってることは言ったり実行するとキチガイとして扱われ社会から疎外されることを描いている。事実、劇中でウィルスミスはタイムマシーンで過去と現在をループしていく中でどっちが今かわからなくなり、またどっちが理想なのか混乱し選択を迫られる。

誇大解釈かもしれないがラスト、細菌学者を撃ち殺さなきゃいけない時に撃たずに振り返ってしまったのは過去の世界をチョイスしたからなのではないだろうか。
結果としてそれは未来のお偉いに伝わり、お偉い直々に救済保険として細菌学者をとらえに来るわけなのだが。

12モンキーズの見どころとしてはやはりブラピの演技だろう。今では低い声でクールな役ばかりの彼だが甲高い声でロンパリながら激論を飛ばしてお尻を出しちゃう演技が非常にいい。
ブルースウィルスは根本的に俺があまり好きではないのでカーラジオを聞くシーンの演技以外はダイハードにしか見えず。
それとなんといってもテリーギリアムといえば小道具。未来世紀ブラジルでもわけのわからないひょうきんな小道具がたくさん出てきたが今回もそれ必要?とおもわせるおかしなものがたくさん出てくる。コメディ出身だけあってなんとなく安心感のある映像を見せてくれるので子供でも楽しめるはず。
 
 
内容キャスト演技小道具どれをとっても総合的にハイレベルな作品。
ただ近年のCG効果等を見すぎてしまうと何となく物足りなく感じるかもしれない。

2014年6月18日水曜日

【映画】チョコレートドーナツ






王様のブランチでリリコさんが涙ぐみ過ぎてコーナーが進まないのを見て気になり鑑賞。
劇中のルディの歌う力強い歌に涙する。


同性愛に対して差別と偏見が強く根付いていた1970年代のアメリカでの実話をもとに、育児放棄された子どもと家族のように暮らすゲイカップルの愛情を描き、トライベッカやシアトル、サンダンスほか、全米各地の映画祭で観客賞を多数受賞したドラマ。カリフォルニアで歌手になることを夢見ながら、ショウダンサーとして日銭を稼いでいるルディと、正義を信じ、世の中を変えようと弁護士になったポール、そして母の愛情を受けずに育ったダウン症の少年マルコは、家族のように寄り添って暮らしていた。しかし、ルディとポールはゲイであるということで好奇の目にさらされ、マルコを奪われてしまう。



何が正しくて何が間違っているか
それを他人が判断するのはとても難しい。


差別や偏見は今も世界中にあり続ける。自分と違うことに不気味がり、遠ざけようと吸うのが人間の性だからだ。
アメリカはかつて差別の塊だった。黒人、ゲイ、障害者、ラテン系。白人の根底に存在する恐怖心と、白人至上主義のプライドがそれを許さないからだ。今でも内陸部は強い偏見と差別が残るが、十州ほどが同性婚を認めた。内陸ではキリスト教原理主義者が多いために恐らく認められることが難しい。
ゲイのストーリーとしてはカリフォルニアでゲイの権威を主張したショーンペンのミルクが有名だろう。しかし大抵はコメディである。
また障害者の子供をフューチャーした映画もなかなかない。
そんな世間からのはずれものの生きにくさを、ルディの力強い歌とともに世間へ主張する。



ストーリー自体は非常にシンプルだ。二人のゲイが出合い、恵まれない子供を預かり、社会がそれを認めず立ち向かう。しかしそこには大きな壁と物理的には破壊しえない偏見の嵐が無残にも人の命を奪うことになる。
自分と違ったっていいじゃないか。たとえ周りと違ったとしてもそれは恥ずべきではないし罪を感じる必要はない。むしろそれを力にしマイノリティであることに誇りを覚えるべきだ。
ゲイの人には独特の価値観やアート性があると思うし、障害者の人にもアウトサイダーアートが有名なように普通の人間にはない感覚が宿っている。そういったものを生み出すことは我々凡人にはできないし、差別に屈せず活躍していってほしいと思う。
 



法が絶対の正義とは限らない場合もある。むしろ、法は悪に加担する場合もある。そこに必要なのは愛であり、人の心が要となる。

【映画】ディス/コネクト

SNS上で起こった事件をきっかけに、心の絆を取り戻そうとする人々の姿をサスペンスフルに描いた群像ドラマ。ある少年が、SNS上での嫌がらせを原因に自殺未遂を起こす。しかし、仕事ばかりで家庭を顧みなかった父親は、息子がなぜ自殺を図ったのかがわからない。一方、嫌がらせをしていた少年は、元刑事の厳格な父との父子家庭で、父親は威厳を示すことで愛情を伝えようとしていたが、少年はそんな父から愛情を感じるとることができなかった。互いの気持ちを知らずにいた2組の親子を中心に、つながりを求めてネット上をさまよう人々が、事件をきっかけに再び絆を取り戻そうとする姿を描く。


それは拡散される
多くの人と共有できる
なかったことにできる
本当に言いたいことを言える
気づかなかったことに気づける
未知の世界を知れる

現代に広まるインターネット、SNS。

それらを批判だけでなく、いい側面も捉えながら様々な形で人々の時間と複雑に交差しながら最終的に集結していく。

利便化が進み、我々の肌で感じる対面の時間は大いに減った。
歴史から言えば、便利になればなるほどそれだけ失うものも同時に多い。
自動車が走れば自然が減り、物が安くなればなるほど世界は徐々に困窮を極める。
それは経済から生物学に至るまでの循環において至極当たり前のことであり、それを知りながら承知の上で我々は利便性を求めてきた。
新しいERAにおいて抱えるプロブレムはますます多様化し、その形態は現行法では追いつかなくなりつつあるほどだ。
100年前にはプライベートを守る法も、遠隔操作を禁ずる法もおろか、電波とはなんぞやというレベルの話。
戦争という良くも悪くも文明を発達させる手段でインターネットの大元が出来上がり、今の快適な情報飽和社会が出来上がった。

しかしそれと同時に我々は一つの問題にぶち当たる。
それは愛の距離だ。
映画で人々はインターネットの落とし穴に翻弄されて苦悩を抱える。
しかし映画で訴えかけているのはインターネットの恐怖ではなく、人々の本質的な弱さだ。息子が自殺したことも、クレジットカードが不正に利用されたことも、きっかけは愛の距離が近くなかったからだ。もっと息子を知っていれば、もっと妻の話に耳を傾けていれば。
しかし同時にインターネットが愛の距離を引き裂いたともいえる。遠くにいても繋がれるということは同時にいつでも連絡ができるから連絡する必要がないという判断になりつつある。何も手段がなければ遠くの人間に久々に会った時の感動は計り知れないだろう。それだけに利便化というのは人の温かさを後回しにしてしまうものなのかもしれない。
どんなに優れた利器であってもそれがいい影響を与えるか悪い結果を及ぼすかは結局使う人間次第なのだと感じた


人は皆愛の形に不器用だ。
繋がることを求めてSNSを頼る。
本当は愛はすぐそばにあるはずなのに。



マークジェイコブスが思ってた以上に出てて笑った。
なんか今一つパンチが足りないと思うのだけどおそらく知ってる俳優がいないからだ。
あと絵が結構地味。
海外ポスターの副題にLOOK UPとある。日本も海外も同じなんだね。みんなスマートフォンとPCにくぎ付けで全然上を見ない。空ってこんなに広かったっけと思わせるようないいサブタイトルだと思う。


2014年4月20日日曜日

【映画】未来世紀ブラジル

1985年に公開された映画をいまさらわーわー騒ぐのもおかしな話だがこの映画は正直言って全人類必見の面白さ。
ラスト抜きではレビューできないのでネタバレありのあらすじ。

あらすじ(超長い)(ネタバレ)
クリスマスの夜。冒頭から70sポップな音楽とテレビのポップなノリがテロにより爆発。こわれなかったTVでは情報省次官のヘルプマン(ピーター・ボーガン)が、情報管理の重要性を力説しているところを写し出している。
シーンは変わり情報省の官吏がオフィスに現われた虫を追いかけ、はたき落された虫がタイプライターの上に落下。おかげで、タイプ中の容疑者の名前がタトル(Tuttle)からバトル(Buttle)に変った。平凡なバトル一家に情報省の連中が闖入し、有無を言わせずにバトル氏を連れ去った。上の階に住む女トラック運転手ジル(キム・グライスト)は抗議するが、相手にされない。
情報省記録局ではカーツマン局長(イアン・ホルム)が、局員のサム(ジョナサン・プライス)にバトルの件について問い正そうとして、彼の欠勤に気づき怒る。その頃、サムは銀色の羽根をつけたヒーローに扮し、美女と出会う夢をみていた。局長の電話で起こされて情報局へ。そこで、抗議に来ていたジルをみかける。彼女は夢の女性そっくりだった。サムの母アイダ(キャサリン・ヘルモンド)は整形外科医のオフィスで治療を受けつつ、息子の出世欲のなさをなげき、裏から手を廻して昇進を画策したことを認め、友人の娘シャーリーと彼を一緒にさせようとする。
サムのアパートの通気口が故障し、セントラル・サーヴィスに電話するが、夜間の修理はしないという。と、そこへ武装した男が来て、タトル(ロバート・デ・ニーロ)と名乗り、非合法の修理屋だと自己紹介して修理した。公式にはセントラル・サーヴィスしか工事をしてはいけないのだが、書類仕事が嫌でもぐりの修理工をしているのだそうだ。
サムはバトル家に検束費用の超過分払いもどし小切手を届けに行き、ジルを見つけた。アパートにもどると、セントラル・サーヴィスの係員が勝手に入り込み、タトルにやらせたなと怒る。
その夜、彼はまたヒーローになってサムライ・モンスターと戦う夢をみた。ジルのことを知るために、情報省検束局への昇進を承知した。そこでは旧友のジャック(マイケル・ペリン)が容疑者を拷問し、白衣を血だらけにしていた。ジャックはバトルの誤認逮捕を隠蔽するためにジルを拘留しなくてはという。サムは僕にまかせてくれといい、受け付けにまた抗議に来ていたジルを連れ出す。彼女は彼を信用しない。デパートでの爆弾テロ騒ぎにまきこまれてしまい、ジルと別れ別れに。アパートに戻ると部屋全体が巨大な冷凍庫と化し、セントラル・サーヴィスの係員が勝手にいじくっており、サムは強制退去される。そこへタトルがそっと現われメカをいじくり、中の係員に汚穢をひっかける。
ジルと再会して楽しい一時を過す。翌朝、彼はつかまった。拷問室でジャックによる拷問が始まろうとした。そこへタトルが仲間と現われ、銃撃戦の末に救出。逃避行の末ジルの運転するトラックで二人はのどかな田園へ……
が、一転拷問室に戻る。逃避行は拷問に耐えかねたサムの空想だったのだ。廃人となったサムをみつめるヘルプマンとジャック。二人が去った後拷問室にはサムが口ずさむ「ブラジル」のメロディが響き渡るのだった。


ベースとしてあるのはジョージオーウェルの1984およびその映画版だと監督のテリーギリアムも語っている。1984ではビッグブラザーのもと情報統制化社会で国家の意向により情報は削除、捏造され個人の自由、知る権利、プライバシー権は一切ない世界を描いていたが、今作未来世紀ブラジル(以降ブラジル)ではビッグブラザーのような独裁者は存在せず政府としての形があるのみ。また1984では終始重苦しい雰囲気でおまけにラストはビッグブラザー万歳なんて調子だから救いようがなくあまり人気がない。しかしブラジルではさすがはモンティパイソンクルーのテリーギリアム監督だけあってクスッと笑えるブラックユーモアが満載でラストの救いようのなさは同じくあるが(社会風刺作品なのでそれは避けられない)幾分楽しんで見られる。
見てまず思ったのはノリが『デリカテッセン』に近い。部屋中にダクトがあるからかもしれないが、レストランで食事中にテロリストによる爆発があるのに焼きが甘いとか言って見向きもしないあたり超ブラック。しかもメニューなんかは百科事典ばりにでかくてコードが付いててタッチパネル式!iPadってこっから着想を得たのでは?と思ってしまう。(でも出てくる料理はどれもペースト状で料理の味がするだけのもの)

あとは近未来ってこともあってアイテムが面白く、自動でパン焼けてコーヒー入れてくれたり(でも壊れててパンにコーヒーかかっちゃう)スーツが勝手に出てきたり、メールなんかはタイピングマシーンで打った紙をダクトに設置して吸い上げるというなんともハイテクなんだかアナログ何だかわからない作り。


テリーギリアムが未来世紀ブラジルで伝えたかったこととは何なのか?
ソイレントグリーンや1984、最近だとエリジウムのような利便化された近未来社会とその影の懸念みたいなものはもはや何本も映画として作られてきた。よくあるのは便利になっても失ってはならないものあるよねってパターンと利便化が進むとこんな恐ろしい結果になるよっていう二通り。ブラジルではそれら二つを踏まえつつ、どんなに情報が統制されようと頭の中の逃げ道は制御できないこと、またそれを奪われたらおしまいだと言いたいのではないか。サムは最後妄想によって自分の思い描いたハッピーエンドにより自分なりに幕を閉じる。しかし肉体においてのサム尋問により破壊され生物学的な死を迎える。想像できることに実現できないことはないとよく言うが、どんなに社会が便利になり進化しようと、人の脳内のイマジネーションを超えることは到底無理なのだ。ハエ一匹によりシステムが狂ってしまうもろい側面を持つコンピューターに対し、それに対する妄想世界は拷問や尋問にも打ち勝つ力を持つ。映画ショーシャンクの空にでも、独房に入れられた主人公を救ったのは頭の中のクラシックだったのだから。だからこそこの映画での妄想世界は手の込みようが半端ない。
映画配給会社は客足が遠のくということでハッピーエンドバージョンで公開しろと命を下したようだがテリーギリアムがこれに猛反発しバッドエンドと二つ設けることになったという。バッドエンドじゃないと先に起こるっ我々の地獄に対する批判にならないのだから怒る理由も分かる。


テリーギリアムと聞いて映画監督として知ってる人と(12モンキーズ、ラスベガスをやっつけろ)モンティパイソンサイドの人と二通りいると思う。私は後者なのだがホーリーグレイルを見てこいつらは大人のくせしてガキみたいなやつらだと子供ながら感じた。しかし今観返すと歴史をしっかり踏襲してるし、ブラックユーモアの良さが分かるから不思議だ。人生狂騒曲なんかんもなかなかおもしろい。そんなコメディ出身のギリアムだからこそ映画の中はどことなくコントみたいな雰囲気が漂うし、社会風刺の内容であっても幾分安心して見られる。近年日本でも北野武を筆頭にまっちゃんや品川がメガホンを持つ。ここで共通項として考えられるのはシリアスと笑いは紙一重の関係にあるのか?たけしもその男凶暴につきは名作だしアウトレイジなんかもヒットした。以前友人に聞いた話によるとホラー映画の現場は笑いが絶えないそうだ。一方で間が大切な笑いの撮影ではピリピリとした空気が流れるという。思うに笑いを求める人間は普通の人間とは着眼点が違うのだろう。たまにとんでもなく面白い人に出くわすと、この人頭の中どうなってんだろうなんて思う事がある。机の上にリンゴがあったとしてそれをただあると見るか、リンゴに机がくっついていると見るか、そのちがいではないだろうか。またその見かたを普段からしているコメディアンは社会をちょっと違った視点から観ているから風刺もできるのかもしれない。



そして最後になぜ未来世紀ブラジルというタイトルなのか。
映画ではブラジルなんて一秒も出てこないし南米感は皆無だ。これは、監督のテリーギリアムのインタビューによると、彼がイギリスのある工業都で撮影をしていた時、夕日が沈む薄汚れた海岸の景色を眺めながら、こんな場所でも楽園をイメージさせる音楽を聴くことで、一瞬でもブラジルの美しい砂浜にいる気分なることは可能なのか?そう思った時にイメージされていた音楽が、1939年の世界的ヒット曲「ブラジル」だったことからきたのだそう。映画ではこの曲が流れるのだがちょっと異様だ。あまりにも世界観と合わないから。しかしそれが正しい。なぜならテーマとしてあるのは妄想。音楽やタイトルが暗示しているようにブラジルとは現実とはまったく違う逃げ道だったのだ。
しかし何も知らずタイトルだけ聞くとブラジル人に支配された世界なのかななんて混乱を招くから未来世紀ボサノバとかでも良かったんじゃ?


2014年3月24日月曜日

【映画】LIFE!

ウォルター・ミティー(ベン・ステイラー)はLIFE誌の写真管理部で働く真面目な社員。だが、思いを寄せる女性と会話もできない臆病者でもあった。
彼の趣味は空想をすること。空想の中で彼はヒーローとなり、どんなことでもできた。
しかし現実のウォルターは、デジタル化の流れによりLIFE誌の廃刊が決まり、表紙を飾るはずのネガが見つからないままでいたたために窮地に立たされていた。
ウォルターはネガを探すため、写真家のショーン(ショーン・ペン)を探す旅に出る。


半年前から気になってたベンスティラー監督の作品(原題secret life of walter mitty)。1947年にもダニーケイ主演で同名の作品が作られているが、原作が同じというだけで内容は妄想癖の主人公という以外は大きく違っている。
ベンスティラーといえばナイトミュージアム。監督作品だと前作のトロピックサンダー。どっちも全然好きじゃない笑
しかし予告の自分を変えたいと思いますか?というフレーズと
今を生きるすべての人へ
いろんな世界を見に行こう
壁を超える勇気を持とう
いろんな人と出会い
もっともっと分かりあおう
きっとそれは本当の人生の生きる喜びだから
それとうまくつなぎ合わせた大自然の映像美に涙した私はベンスティラーに賭けてみた。

結果は◎。非常にシンプルで王道のストーリーライン、適度な悪とメロドラマ、挫折、逆境を乗り越え感動のラストと、ディズニー配給的なお上品でスッキリした仕上がり。それにアイスランド、グリーンランド、アフガニスタンの壮大な自然の映像美が相乗して、どの層でもどの国の人でも楽しめる客層を限らない映画。深みだとか考えさせる映画を望む人には薄っぺらい映画だと感じるかもしれないが、自分は十分に楽しめた。

まずカメラワークが秀逸。飛行機を真上から撮ってミニチュアみたいにしたり、固定カメラで遠めのショットだったり、いわば絵になるシーンが多い。LIFE誌だからなのか理由は分からないが、がっつり見るのではなく飲食店やカフェなんかで垂れ流してても良い雰囲気を醸し出せるような、ディスカバリーチャンネル的映像美。これに1800円払ったと言ってもいい。
ロングボードを少年にもらい、アイスランドの坂を疾走するシーンは非常に爽快で、観客の我々も風を全身に感じるような気分になる。

次に音楽。ホセゴンザレスを筆頭にOf monster and men、Rogue Valley、さらにはデヴィッドボウイのspace odittyのカヴァーなど、やさしくて旅に出たくなるようなメロウなチューンが盛りだくさん。どの曲もシーンにかなりマッチしていて、of monster~のDirty Pawsが流れただけで涙線が崩壊しそうになった(単純に好きなバンドだってのもあるけど)。しかし残念ながらCMでいつも流れるホセゴンザレスのstep outsideは劇中では流れず(インストは有)、エンドクレジットで流れる。あれがスケボのシーンで流れたら最高だったのだが....
個人的にはデヴィッドボウイのspace odittyを入れたのはかなり高評価。2001年宇宙の旅のMajor Tom(トム少佐)とウォルターをかけていてナイスなチョイスだと。

Ground Control to Major Tom
Ground Control to Major Tom
Take your protein pills and put your helmet on
「地上基地管制官より、トム少佐へ」
「地上基地管制官より、トム少佐へ」
「プロティンピルを飲み、ヘルメットを装着せよ」

Ground Control to Major Tom
Commencing countdown, engines on
Check ignition and may God’s love be with you
「地上基地管制官より、トム少佐へ」
「カウントダウンを開始し、エンジンを点火する」
「点火装置確認。神の御加護があらんことを」

This is Ground Control to Major Tom
You’ve really made the grade
And the papers want to know whose shirts you wear
Now it’s time to leave the capsule if you dare
「こちら地上基地、トム少佐へ」
「打ち上げは成功した」
「新聞は、少佐の着ているシャツのことまで知りたがるよ」
「さあ、勇気を出して船外に出るときがきた」

This is Major Tom to Ground Control
I’m stepping through the door
And I’m floating in a most peculiar way
And the stars look very different today
「こちらトム少佐、地上基地へ」
「今、ドアから船外に出た」
「そして、えも言われぬ感覚で浮遊している」
「星々は、地上で見るのとは全く違っている」

For here am I sitting in a tin can
Far above the world
Planet Earth is blue and there’s nothing I can do
私は今、宇宙船に腰掛けている
住み慣れた地上の遙か上空で
地球は青く、私はただただ見つめているのみ

https://www.youtube.com/watch?v=ZrZlhD0Oeto

旅行の醍醐味って人それぞれだとは思うが私はお金を出して何かを得るよりもその旅の出会いを大切にしたい。日本では見れないもの、出会えないもの、吸収して成長すること、そこまでを含めて旅行だと思う。帰るまでが遠足ってそういうことだったのだな


こんな感じで大手ブランドから出たチョコみたいな臭みも深みも捻りもない感じだけどどんな層にも愛されるような上質なものなので見て損は絶対ない。しかしショーンペンは渋いなあ!


旅行行きたい。





2014年3月21日金曜日

【映画】それでも夜は明ける

PLAN Bのブラピによる、アメリカの負の歴史を現代に再びブっ掲げたトンコツ映画(むちゃくちゃ重圧的ってこと)。アカデミー賞作品賞受賞。監督は『SHAME -シェイム-』のスティーブマックイーン(アクション俳優の方ではない)。主人公はキウェテル・イジョフォーが演じる。

1841年、奴隷制廃止以前のニューヨーク、家族と一緒に幸せに暮らしていた黒人音楽家ソロモンは、ある日突然拉致され、奴隷として南部の綿花農園に売られてしまう。狂信的な選民主義者エップスら白人たちの非道な仕打ちに虐げられながらも、彼は自身の尊厳を守り続ける。やがて12年の歳月が流れ、ソロモンは奴隷制度撤廃を唱えるカナダ人労働者バスと出会い……。


 
アカデミー賞取ったからというノリで観るとその重圧感にやられてしまう。奴隷映画でさっぱりしたものを求めるのは愚にもつかぬかもしれないが、タランティーノのジャンゴで、ある程度スカッとした復讐劇を見せてもらえていたので油断した。重すぎる
正直なぜ今これほどまでにアメリカの負の歴史である奴隷制を掘り返すのかは分からないが(奴隷解放から何周年とかでもないし)、オバマの就任やホワイトアングロサクソンプロテスタントがマイノリティになりつつあるという時代の変化を危惧しているためなのかもしれない。


17世紀から19世紀にかけて、およそ1,200万人のアフリカ黒人がアメリカに渡り、そのうち400万人が奴隷としてアメリカで働いた。また現在黒人の30パーセントは白人の血が入っている。これは純粋に白人と黒人が結婚して混じったのではなく、白人奴隷主による強制的な行為によるものである。1865年のアメリカ合衆国憲法修正第13条の成立で終わったことになっているが、差別などは今現在でも根底に存在する。木にぶら下がる黒人の死体のことを称して奇妙な果実として歌ったビリーホリデイの歌が1939年だからつい最近まで黒人は人として見られていなかったということになる。これらを踏まえれば、オバマ大統領が就任したということの歴史的に見ても大きな改革だったということが分かるだろう。また彼の言うCHANGEという言葉の重みが理解しているかどうかで違う。

奴隷映画につきものといえば聖書綿畑ムチ鬼畜な白人だが、それでも夜は明けるではそれらをコントラストを最大限にしてこれでもかといった具合にねじ込んでくる。綿畑で摘み取る数が昨日よりも少ないものは鞭打ちの刑に処され、ファスベンダー演じる鬼畜領主に、俺は鞭打ちがたまらないんだと言われながら背中をぐちゃぐちゃにされる。それはもはや映画パッションに通じる残忍さで目を覆いたくなる。しかしこれはフィクションではなく現実であり、今なお世界を率いているアメリカがついこないだまで行っていた恥ずべき行為なのだ。どの国にも隠したい自国の歴史というものはある。魔女狩り、特攻隊、ギロチン、タイヤネックレス、麻薬戦争、イラク戦争。歴史とは同じ過ちを繰り返さぬよう必要な杭であり、今回こういった趣旨の作品がアカデミー賞をとったのは、アメリカが今一度反省し改革の時を迎えている事を表すと考えた。

内容について。
お涙ちょうだいなところはラストにちょっとあるがいまいち感情移入しないのが残念。現実ではあるがあまりにも非現実的すぎるのか、あるいは黒人だから慣れ親しんでないからなのか。
しかし仲間が死に死体を埋め、奴隷全員でゴスペルを歌うシーンは涙腺爆発必至。ブルースやゴスペル、ヒップホップは魂がある。ただ口先だけで歌うのではなくバックグラウンドやパワーを感じる、心揺さぶられる魂がある。https://www.youtube.com/watch?v=mAZhQQN758g
劇中歌ROLL JORDAN ROLL↑は名曲。鳥肌総立ち。ソロモンが絶対に生きて家族の元へ帰ると固く決意した表情を見せながら歌うシーンはなんとも素晴らしい演技だった。

ベネディクトカンバーバッチ演ずるフォードと呼ばれる農主は数少ない人の心を持った男だが、時代の波に飲まれ奴隷制をやむなく取り入れている。熱心なキリスト教徒であるがその説教は奴隷の泣き声でかき消され神の元には届かない。当時奴隷を殺してもペットを殺した罪と同等だった。しかも自分の奴隷においては罪に問われない。家畜と同じレベルだったのだ。なぜならキリスト教は殺生をするものは地獄の業火で焼かれる。それを避けるためにも黒人は人ではないと思い込んでいたのだ。







劇中、鬼畜農主ファスベンダーとブラピが話すシーンで、ブラピは奴隷制の問題に気づき主張する。ファスベンダーは奴隷制が覆るなんてことは金輪際ないという。そう、絶対にあり得ないと思われていた黒人による白人を従わせるという方程式が現在オバマの就任によって成立したのだ。今でもアメリカはキリスト教原理主義を中心とする内部アメリカ人の保守派(共和党)と改革を望む民主派で対立している。しかし時代は変わった。いつまでも誰かが優位に立つ形式は必ずや崩れる。ついこないだまで、人間は神によって作られたものだと思われていたし、地球はテーブルの形をしていると思われていたし、佐村河内は耳が聞こえないもんだと思っていた。当たり前だと思われる常識もすぐ先には何が起きるか誰も分からない。今後また大どんでん返しのような展開が我々を待ち受けているかもしれない。


音楽がまたハンスジマーだよ!!