2014年4月20日日曜日

【映画】未来世紀ブラジル

1985年に公開された映画をいまさらわーわー騒ぐのもおかしな話だがこの映画は正直言って全人類必見の面白さ。
ラスト抜きではレビューできないのでネタバレありのあらすじ。

あらすじ(超長い)(ネタバレ)
クリスマスの夜。冒頭から70sポップな音楽とテレビのポップなノリがテロにより爆発。こわれなかったTVでは情報省次官のヘルプマン(ピーター・ボーガン)が、情報管理の重要性を力説しているところを写し出している。
シーンは変わり情報省の官吏がオフィスに現われた虫を追いかけ、はたき落された虫がタイプライターの上に落下。おかげで、タイプ中の容疑者の名前がタトル(Tuttle)からバトル(Buttle)に変った。平凡なバトル一家に情報省の連中が闖入し、有無を言わせずにバトル氏を連れ去った。上の階に住む女トラック運転手ジル(キム・グライスト)は抗議するが、相手にされない。
情報省記録局ではカーツマン局長(イアン・ホルム)が、局員のサム(ジョナサン・プライス)にバトルの件について問い正そうとして、彼の欠勤に気づき怒る。その頃、サムは銀色の羽根をつけたヒーローに扮し、美女と出会う夢をみていた。局長の電話で起こされて情報局へ。そこで、抗議に来ていたジルをみかける。彼女は夢の女性そっくりだった。サムの母アイダ(キャサリン・ヘルモンド)は整形外科医のオフィスで治療を受けつつ、息子の出世欲のなさをなげき、裏から手を廻して昇進を画策したことを認め、友人の娘シャーリーと彼を一緒にさせようとする。
サムのアパートの通気口が故障し、セントラル・サーヴィスに電話するが、夜間の修理はしないという。と、そこへ武装した男が来て、タトル(ロバート・デ・ニーロ)と名乗り、非合法の修理屋だと自己紹介して修理した。公式にはセントラル・サーヴィスしか工事をしてはいけないのだが、書類仕事が嫌でもぐりの修理工をしているのだそうだ。
サムはバトル家に検束費用の超過分払いもどし小切手を届けに行き、ジルを見つけた。アパートにもどると、セントラル・サーヴィスの係員が勝手に入り込み、タトルにやらせたなと怒る。
その夜、彼はまたヒーローになってサムライ・モンスターと戦う夢をみた。ジルのことを知るために、情報省検束局への昇進を承知した。そこでは旧友のジャック(マイケル・ペリン)が容疑者を拷問し、白衣を血だらけにしていた。ジャックはバトルの誤認逮捕を隠蔽するためにジルを拘留しなくてはという。サムは僕にまかせてくれといい、受け付けにまた抗議に来ていたジルを連れ出す。彼女は彼を信用しない。デパートでの爆弾テロ騒ぎにまきこまれてしまい、ジルと別れ別れに。アパートに戻ると部屋全体が巨大な冷凍庫と化し、セントラル・サーヴィスの係員が勝手にいじくっており、サムは強制退去される。そこへタトルがそっと現われメカをいじくり、中の係員に汚穢をひっかける。
ジルと再会して楽しい一時を過す。翌朝、彼はつかまった。拷問室でジャックによる拷問が始まろうとした。そこへタトルが仲間と現われ、銃撃戦の末に救出。逃避行の末ジルの運転するトラックで二人はのどかな田園へ……
が、一転拷問室に戻る。逃避行は拷問に耐えかねたサムの空想だったのだ。廃人となったサムをみつめるヘルプマンとジャック。二人が去った後拷問室にはサムが口ずさむ「ブラジル」のメロディが響き渡るのだった。


ベースとしてあるのはジョージオーウェルの1984およびその映画版だと監督のテリーギリアムも語っている。1984ではビッグブラザーのもと情報統制化社会で国家の意向により情報は削除、捏造され個人の自由、知る権利、プライバシー権は一切ない世界を描いていたが、今作未来世紀ブラジル(以降ブラジル)ではビッグブラザーのような独裁者は存在せず政府としての形があるのみ。また1984では終始重苦しい雰囲気でおまけにラストはビッグブラザー万歳なんて調子だから救いようがなくあまり人気がない。しかしブラジルではさすがはモンティパイソンクルーのテリーギリアム監督だけあってクスッと笑えるブラックユーモアが満載でラストの救いようのなさは同じくあるが(社会風刺作品なのでそれは避けられない)幾分楽しんで見られる。
見てまず思ったのはノリが『デリカテッセン』に近い。部屋中にダクトがあるからかもしれないが、レストランで食事中にテロリストによる爆発があるのに焼きが甘いとか言って見向きもしないあたり超ブラック。しかもメニューなんかは百科事典ばりにでかくてコードが付いててタッチパネル式!iPadってこっから着想を得たのでは?と思ってしまう。(でも出てくる料理はどれもペースト状で料理の味がするだけのもの)

あとは近未来ってこともあってアイテムが面白く、自動でパン焼けてコーヒー入れてくれたり(でも壊れててパンにコーヒーかかっちゃう)スーツが勝手に出てきたり、メールなんかはタイピングマシーンで打った紙をダクトに設置して吸い上げるというなんともハイテクなんだかアナログ何だかわからない作り。


テリーギリアムが未来世紀ブラジルで伝えたかったこととは何なのか?
ソイレントグリーンや1984、最近だとエリジウムのような利便化された近未来社会とその影の懸念みたいなものはもはや何本も映画として作られてきた。よくあるのは便利になっても失ってはならないものあるよねってパターンと利便化が進むとこんな恐ろしい結果になるよっていう二通り。ブラジルではそれら二つを踏まえつつ、どんなに情報が統制されようと頭の中の逃げ道は制御できないこと、またそれを奪われたらおしまいだと言いたいのではないか。サムは最後妄想によって自分の思い描いたハッピーエンドにより自分なりに幕を閉じる。しかし肉体においてのサム尋問により破壊され生物学的な死を迎える。想像できることに実現できないことはないとよく言うが、どんなに社会が便利になり進化しようと、人の脳内のイマジネーションを超えることは到底無理なのだ。ハエ一匹によりシステムが狂ってしまうもろい側面を持つコンピューターに対し、それに対する妄想世界は拷問や尋問にも打ち勝つ力を持つ。映画ショーシャンクの空にでも、独房に入れられた主人公を救ったのは頭の中のクラシックだったのだから。だからこそこの映画での妄想世界は手の込みようが半端ない。
映画配給会社は客足が遠のくということでハッピーエンドバージョンで公開しろと命を下したようだがテリーギリアムがこれに猛反発しバッドエンドと二つ設けることになったという。バッドエンドじゃないと先に起こるっ我々の地獄に対する批判にならないのだから怒る理由も分かる。


テリーギリアムと聞いて映画監督として知ってる人と(12モンキーズ、ラスベガスをやっつけろ)モンティパイソンサイドの人と二通りいると思う。私は後者なのだがホーリーグレイルを見てこいつらは大人のくせしてガキみたいなやつらだと子供ながら感じた。しかし今観返すと歴史をしっかり踏襲してるし、ブラックユーモアの良さが分かるから不思議だ。人生狂騒曲なんかんもなかなかおもしろい。そんなコメディ出身のギリアムだからこそ映画の中はどことなくコントみたいな雰囲気が漂うし、社会風刺の内容であっても幾分安心して見られる。近年日本でも北野武を筆頭にまっちゃんや品川がメガホンを持つ。ここで共通項として考えられるのはシリアスと笑いは紙一重の関係にあるのか?たけしもその男凶暴につきは名作だしアウトレイジなんかもヒットした。以前友人に聞いた話によるとホラー映画の現場は笑いが絶えないそうだ。一方で間が大切な笑いの撮影ではピリピリとした空気が流れるという。思うに笑いを求める人間は普通の人間とは着眼点が違うのだろう。たまにとんでもなく面白い人に出くわすと、この人頭の中どうなってんだろうなんて思う事がある。机の上にリンゴがあったとしてそれをただあると見るか、リンゴに机がくっついていると見るか、そのちがいではないだろうか。またその見かたを普段からしているコメディアンは社会をちょっと違った視点から観ているから風刺もできるのかもしれない。



そして最後になぜ未来世紀ブラジルというタイトルなのか。
映画ではブラジルなんて一秒も出てこないし南米感は皆無だ。これは、監督のテリーギリアムのインタビューによると、彼がイギリスのある工業都で撮影をしていた時、夕日が沈む薄汚れた海岸の景色を眺めながら、こんな場所でも楽園をイメージさせる音楽を聴くことで、一瞬でもブラジルの美しい砂浜にいる気分なることは可能なのか?そう思った時にイメージされていた音楽が、1939年の世界的ヒット曲「ブラジル」だったことからきたのだそう。映画ではこの曲が流れるのだがちょっと異様だ。あまりにも世界観と合わないから。しかしそれが正しい。なぜならテーマとしてあるのは妄想。音楽やタイトルが暗示しているようにブラジルとは現実とはまったく違う逃げ道だったのだ。
しかし何も知らずタイトルだけ聞くとブラジル人に支配された世界なのかななんて混乱を招くから未来世紀ボサノバとかでも良かったんじゃ?


2014年3月24日月曜日

【映画】LIFE!

ウォルター・ミティー(ベン・ステイラー)はLIFE誌の写真管理部で働く真面目な社員。だが、思いを寄せる女性と会話もできない臆病者でもあった。
彼の趣味は空想をすること。空想の中で彼はヒーローとなり、どんなことでもできた。
しかし現実のウォルターは、デジタル化の流れによりLIFE誌の廃刊が決まり、表紙を飾るはずのネガが見つからないままでいたたために窮地に立たされていた。
ウォルターはネガを探すため、写真家のショーン(ショーン・ペン)を探す旅に出る。


半年前から気になってたベンスティラー監督の作品(原題secret life of walter mitty)。1947年にもダニーケイ主演で同名の作品が作られているが、原作が同じというだけで内容は妄想癖の主人公という以外は大きく違っている。
ベンスティラーといえばナイトミュージアム。監督作品だと前作のトロピックサンダー。どっちも全然好きじゃない笑
しかし予告の自分を変えたいと思いますか?というフレーズと
今を生きるすべての人へ
いろんな世界を見に行こう
壁を超える勇気を持とう
いろんな人と出会い
もっともっと分かりあおう
きっとそれは本当の人生の生きる喜びだから
それとうまくつなぎ合わせた大自然の映像美に涙した私はベンスティラーに賭けてみた。

結果は◎。非常にシンプルで王道のストーリーライン、適度な悪とメロドラマ、挫折、逆境を乗り越え感動のラストと、ディズニー配給的なお上品でスッキリした仕上がり。それにアイスランド、グリーンランド、アフガニスタンの壮大な自然の映像美が相乗して、どの層でもどの国の人でも楽しめる客層を限らない映画。深みだとか考えさせる映画を望む人には薄っぺらい映画だと感じるかもしれないが、自分は十分に楽しめた。

まずカメラワークが秀逸。飛行機を真上から撮ってミニチュアみたいにしたり、固定カメラで遠めのショットだったり、いわば絵になるシーンが多い。LIFE誌だからなのか理由は分からないが、がっつり見るのではなく飲食店やカフェなんかで垂れ流してても良い雰囲気を醸し出せるような、ディスカバリーチャンネル的映像美。これに1800円払ったと言ってもいい。
ロングボードを少年にもらい、アイスランドの坂を疾走するシーンは非常に爽快で、観客の我々も風を全身に感じるような気分になる。

次に音楽。ホセゴンザレスを筆頭にOf monster and men、Rogue Valley、さらにはデヴィッドボウイのspace odittyのカヴァーなど、やさしくて旅に出たくなるようなメロウなチューンが盛りだくさん。どの曲もシーンにかなりマッチしていて、of monster~のDirty Pawsが流れただけで涙線が崩壊しそうになった(単純に好きなバンドだってのもあるけど)。しかし残念ながらCMでいつも流れるホセゴンザレスのstep outsideは劇中では流れず(インストは有)、エンドクレジットで流れる。あれがスケボのシーンで流れたら最高だったのだが....
個人的にはデヴィッドボウイのspace odittyを入れたのはかなり高評価。2001年宇宙の旅のMajor Tom(トム少佐)とウォルターをかけていてナイスなチョイスだと。

Ground Control to Major Tom
Ground Control to Major Tom
Take your protein pills and put your helmet on
「地上基地管制官より、トム少佐へ」
「地上基地管制官より、トム少佐へ」
「プロティンピルを飲み、ヘルメットを装着せよ」

Ground Control to Major Tom
Commencing countdown, engines on
Check ignition and may God’s love be with you
「地上基地管制官より、トム少佐へ」
「カウントダウンを開始し、エンジンを点火する」
「点火装置確認。神の御加護があらんことを」

This is Ground Control to Major Tom
You’ve really made the grade
And the papers want to know whose shirts you wear
Now it’s time to leave the capsule if you dare
「こちら地上基地、トム少佐へ」
「打ち上げは成功した」
「新聞は、少佐の着ているシャツのことまで知りたがるよ」
「さあ、勇気を出して船外に出るときがきた」

This is Major Tom to Ground Control
I’m stepping through the door
And I’m floating in a most peculiar way
And the stars look very different today
「こちらトム少佐、地上基地へ」
「今、ドアから船外に出た」
「そして、えも言われぬ感覚で浮遊している」
「星々は、地上で見るのとは全く違っている」

For here am I sitting in a tin can
Far above the world
Planet Earth is blue and there’s nothing I can do
私は今、宇宙船に腰掛けている
住み慣れた地上の遙か上空で
地球は青く、私はただただ見つめているのみ

https://www.youtube.com/watch?v=ZrZlhD0Oeto

旅行の醍醐味って人それぞれだとは思うが私はお金を出して何かを得るよりもその旅の出会いを大切にしたい。日本では見れないもの、出会えないもの、吸収して成長すること、そこまでを含めて旅行だと思う。帰るまでが遠足ってそういうことだったのだな


こんな感じで大手ブランドから出たチョコみたいな臭みも深みも捻りもない感じだけどどんな層にも愛されるような上質なものなので見て損は絶対ない。しかしショーンペンは渋いなあ!


旅行行きたい。





2014年3月21日金曜日

【映画】それでも夜は明ける

PLAN Bのブラピによる、アメリカの負の歴史を現代に再びブっ掲げたトンコツ映画(むちゃくちゃ重圧的ってこと)。アカデミー賞作品賞受賞。監督は『SHAME -シェイム-』のスティーブマックイーン(アクション俳優の方ではない)。主人公はキウェテル・イジョフォーが演じる。

1841年、奴隷制廃止以前のニューヨーク、家族と一緒に幸せに暮らしていた黒人音楽家ソロモンは、ある日突然拉致され、奴隷として南部の綿花農園に売られてしまう。狂信的な選民主義者エップスら白人たちの非道な仕打ちに虐げられながらも、彼は自身の尊厳を守り続ける。やがて12年の歳月が流れ、ソロモンは奴隷制度撤廃を唱えるカナダ人労働者バスと出会い……。


 
アカデミー賞取ったからというノリで観るとその重圧感にやられてしまう。奴隷映画でさっぱりしたものを求めるのは愚にもつかぬかもしれないが、タランティーノのジャンゴで、ある程度スカッとした復讐劇を見せてもらえていたので油断した。重すぎる
正直なぜ今これほどまでにアメリカの負の歴史である奴隷制を掘り返すのかは分からないが(奴隷解放から何周年とかでもないし)、オバマの就任やホワイトアングロサクソンプロテスタントがマイノリティになりつつあるという時代の変化を危惧しているためなのかもしれない。


17世紀から19世紀にかけて、およそ1,200万人のアフリカ黒人がアメリカに渡り、そのうち400万人が奴隷としてアメリカで働いた。また現在黒人の30パーセントは白人の血が入っている。これは純粋に白人と黒人が結婚して混じったのではなく、白人奴隷主による強制的な行為によるものである。1865年のアメリカ合衆国憲法修正第13条の成立で終わったことになっているが、差別などは今現在でも根底に存在する。木にぶら下がる黒人の死体のことを称して奇妙な果実として歌ったビリーホリデイの歌が1939年だからつい最近まで黒人は人として見られていなかったということになる。これらを踏まえれば、オバマ大統領が就任したということの歴史的に見ても大きな改革だったということが分かるだろう。また彼の言うCHANGEという言葉の重みが理解しているかどうかで違う。

奴隷映画につきものといえば聖書綿畑ムチ鬼畜な白人だが、それでも夜は明けるではそれらをコントラストを最大限にしてこれでもかといった具合にねじ込んでくる。綿畑で摘み取る数が昨日よりも少ないものは鞭打ちの刑に処され、ファスベンダー演じる鬼畜領主に、俺は鞭打ちがたまらないんだと言われながら背中をぐちゃぐちゃにされる。それはもはや映画パッションに通じる残忍さで目を覆いたくなる。しかしこれはフィクションではなく現実であり、今なお世界を率いているアメリカがついこないだまで行っていた恥ずべき行為なのだ。どの国にも隠したい自国の歴史というものはある。魔女狩り、特攻隊、ギロチン、タイヤネックレス、麻薬戦争、イラク戦争。歴史とは同じ過ちを繰り返さぬよう必要な杭であり、今回こういった趣旨の作品がアカデミー賞をとったのは、アメリカが今一度反省し改革の時を迎えている事を表すと考えた。

内容について。
お涙ちょうだいなところはラストにちょっとあるがいまいち感情移入しないのが残念。現実ではあるがあまりにも非現実的すぎるのか、あるいは黒人だから慣れ親しんでないからなのか。
しかし仲間が死に死体を埋め、奴隷全員でゴスペルを歌うシーンは涙腺爆発必至。ブルースやゴスペル、ヒップホップは魂がある。ただ口先だけで歌うのではなくバックグラウンドやパワーを感じる、心揺さぶられる魂がある。https://www.youtube.com/watch?v=mAZhQQN758g
劇中歌ROLL JORDAN ROLL↑は名曲。鳥肌総立ち。ソロモンが絶対に生きて家族の元へ帰ると固く決意した表情を見せながら歌うシーンはなんとも素晴らしい演技だった。

ベネディクトカンバーバッチ演ずるフォードと呼ばれる農主は数少ない人の心を持った男だが、時代の波に飲まれ奴隷制をやむなく取り入れている。熱心なキリスト教徒であるがその説教は奴隷の泣き声でかき消され神の元には届かない。当時奴隷を殺してもペットを殺した罪と同等だった。しかも自分の奴隷においては罪に問われない。家畜と同じレベルだったのだ。なぜならキリスト教は殺生をするものは地獄の業火で焼かれる。それを避けるためにも黒人は人ではないと思い込んでいたのだ。







劇中、鬼畜農主ファスベンダーとブラピが話すシーンで、ブラピは奴隷制の問題に気づき主張する。ファスベンダーは奴隷制が覆るなんてことは金輪際ないという。そう、絶対にあり得ないと思われていた黒人による白人を従わせるという方程式が現在オバマの就任によって成立したのだ。今でもアメリカはキリスト教原理主義を中心とする内部アメリカ人の保守派(共和党)と改革を望む民主派で対立している。しかし時代は変わった。いつまでも誰かが優位に立つ形式は必ずや崩れる。ついこないだまで、人間は神によって作られたものだと思われていたし、地球はテーブルの形をしていると思われていたし、佐村河内は耳が聞こえないもんだと思っていた。当たり前だと思われる常識もすぐ先には何が起きるか誰も分からない。今後また大どんでん返しのような展開が我々を待ち受けているかもしれない。


音楽がまたハンスジマーだよ!!

2014年2月12日水曜日

【映画】ウルフオブウォールストリート

 

 

 



人が正気を失うのは子を失う呪いのホテルに泊まる大金を持つかのどれかだ。


金はあればある方がいい。
劇中で語られる台詞だが果たしてそうだろうか?
人間の幸福の尺度とは絶対的に個人のものであり他者によって定義付られるものではない。それゆえ金はあればある方がいいというのは同意しかねる。人間は金を持つと正気を失う
物心ついたころから金持ちのボンボンが身の回りに否応無しにいた自分にとって、早くから幸福とは何かをいつも考えていた。例えば一杯のビールを得るとして、それが汗水垂らして働いた金で飲むか、あるいは簡単に得た有り余る金で飲むかでは味も価値も違う。
この映画では我々に危惧している。権力や金、パワーを手に入れたとき、自制を保つためにはどうすればよいのか、また保てないとどうなるのかということを。
映画は序盤から豪遊の限りを尽くし、白人至上主義映画で男尊女卑的なにも取れる。
スラングは山のように使われ、中指は幾、度もこちらに向けられ胸はあらわ、ドラッグは直接的に描かれ下劣の極みである。そこで再び問うのだ。お前らホントに金持ちになりたいか?と。
それだけウォールストリートは不純で下劣なものだという強力なイメージを焼き付ける良作。またどんな学歴でも電話で饒舌に話せばアメリカという国は簡単にのし上がれるということ。
ディカプリオが知的障害者役のギルバートグレイプを思わせるようなレモン摂取後のラリった顔や、終わりが近づいているのを感じながらも山済みのコカインを顔中につけて吸うシーンなんかはスカーフェイスを思わせる。ただ全体を通してキャッチミーイフユーキャンに近い。
3時間は流石に長。キャラクターやシーンの展開がテンポ良く進み、ただの会話劇に終わらないところにスコセッシの腕を感じるがもう少し無駄なシーンを省くこともできたのでは。(ゲイのシーンとか)

【映画】スノーピアサー





シンドラーのリストを見たことがあるだろうか
ナチスホロコーストによりユダヤ人が虐殺されるのを一人の男が救う話だ。映画はとても長いのだが、中盤ユダヤ人がすし詰めで貨物列車のようなものに詰め込まれ座ることもできず長時間地獄へと運ばれる。

スノーピアサーはそういったホロコーストやヒエラルキー、権力関係を痛切に批判している。また同時に名作ソイレントグリーンにあるような温暖化をベースとした無視できない問題にも目を向けている。


あらすじ
地球温暖化を防ぐべく世界中で散布された薬品CW-7により、氷河期が引き起こされてしまった2031年の地球。生き残ったわずかな人類は1台の列車に乗り込み、深い雪に覆われた極寒の大地を行くあてもなく移動していた。車両前方で一部の富裕層が環境変化以前と変わらぬ優雅な暮らしを送る一方、後方に押し込められて奴隷のような扱いを受ける人々の怒りは爆発寸前に。そんな中、カーティス(クリス・エヴァンス)という男が立ち上がり、仲間と共に富裕層から列車を奪おうと反乱を起こす。


序盤から中盤にかけては暗く汚い最後尾(最下層)の人々の暮らしが描かれる。それはまるでスラムで配給制のようなシステムでプロテインバーが配られていた。これがまたおぞましく、途中で明らかになるのだが、毎日食っていた羊羹みたいなビジュアルのプロテインバーはなんとゴキブリから精製されていた!ここで俺は歓喜する。ソイレントグリーンじゃん!と。温暖化を取り上げていた時点でその感はなんとなくあったが、胸糞エッセンスにはゴキブリは最高の材料だと思う。人間から作っていたらソイレントグリーンのまんまなのでゴキブリにシフトしたのは高評価。しかもこの事実を知りながら精製を一人で行う男は完全に頭がイカれてしまっているという設定も良い。

また反乱が起こるのも主人公の決意ではなく実は恣意的なものであり、ヒエラルキーのバランスのために行われた、というのも面白い。フランス革命は搾取するトップに対して商工者等ブルジョワが行ったものだが、それがもし恣意的なものだったら?たとえばスペインが裏で手を回しフランスを奪うために行ったとしたら?もちろん当事者はそんなことは露知らず血を流し自然と権力者の意図に従う。

終盤、エドハリスは至極落ち着いて人類のバランスについて語る。パッセンジャーは彼にとって指数でしかなくパーセンテージで管理している。感情論を一切排除しコンピュータのように管理する冷酷さはエドハリスが適役であった。高評価。

またセキュリティをプログラムした親子が途中出てくる。グエムルのソンガンホなのだが、ビジュアルが謎にオールドボーイテイスト。ヤク中だが腕は立つ役でこういうやついるよな~と。娘は透視に長けており(この辺がちょっとファンタジー)危険を察知する。個人的にはクラウドアトラスのペドゥナを起用して欲しかった。
ティルダスウィントンは相変わらずサブキャラを演じるのがうまい。一人二役やっていたようだが発見できず。

ラスト、雪崩という天災によりヒエラルキーは崩れ落ちリセットされ、振り出しに戻るのだが、今までの映画ならば生き残りは白人の男女だったはずだ。しかし残ったのはアジア人(透視女)と黒人の子(エンジン坊や)。これは紛れもなくWASPの支配していたヒエラルキーが崩れおち、有色人種の時代になりつつあることをポンジュノが示唆している。事実、アメリカにある有名大学は中国人が大半で、UCLAに至ってはUniversity of Chinese lost in LA(ロスで迷子になった中国人)という蔑称が生まれる程に。アメリカのトップはオバマであるし、もはや白人至上主義の時代は終焉を迎えつつある。

結構日本語が出てきたり水族館の隣で寿司食ったりと(板前がなぜか黒人)ニンジャゲイシャお侍さんジャパニーズカルチャーが暴走してるのだが監督が好きなんだろうか??


 


PS
息子を奪われた父ちゃんが靴投げた罰で腕を凍らされて粉々にされちゃうやつ、絶対”黒い太陽731”だよな?!トラウマ映画だから絶対に良い子は見ちゃダメだ!

2014年2月11日火曜日

【映画】ROOM237



IQ200の男の考える事は我々凡人には到底理解できない。ただ、逆にIQ200の作る作品の細かい部分は全て何かの意味があり事象に繋がるのでは?という解釈ができる。例えばそこらの凡人が家の絵を描いたとしてもそれは家でしかないが、IQ200となればその家のバックグラウンド、向き、色、配置などすべてに意味がある、と我々は考えたくなる。キューブリック自身があまり多くを語らない事もあってキューブリック作品は今なお語り継がれ、名作としてあり続ける。

私がシャイニングを見たのは高校生の頃だった。その頃はとにかく多くの映画をと、家にある映画を片っ端から見ていた。パリテキサス、波止場、ジーザスクライストスーパースター、アパッチ砦。どれも名作だが、その頃の私には全くと言っていいほど興味を惹かなかったのだが、次に手にしたシャイニングが私の全神経を揺さぶった。
まずオープニングの空撮。未だかつてこんな手法の映画を見たことがなかったので全神経が興奮した。と同時に甲高い女の声のような不協和音とテロップで流れるシャイニングの文字が強烈なインパクトを焼き付ける。その後もエレベーターから流れる血、腐った女、タイプライター、双子の死体、REDRUM、斧と、一瞬たりとも手を抜いたシーンはなく、完璧で何度も観たのを覚えている。

本作ROOM237はそういったシャイニングに心揺さぶられた人々が、自身の誇大解釈を声高らかに自慢げに語るドキュメンタリーだ。どんだけ深読みなんだよってものから、あーたしかにそれはあるかもしれん…てものまで。途中から深夜のファミレスで座談会が如くうらうらと自身の解釈を語り合う大学生を思い浮かべるのは言うまでもない。

全体を通して繰り広げられる深夜ファミレス持論争は大きく分けて三つある。
まず一つがネイティブアメリカン侵略説。作中でも語られるように、あのホテルはインディアンの墓場の上に立てられた。だからか館内にはネイティブアメリカンを思わせる内装や写真が多く飾られている。またふくらし粉の柄がインディアンで、当初は規則正しく並んでいたのに、気が狂ってからはごちゃごちゃと並べられていることからインディアンの呪いによってジャックは気が狂ったのだと。それゆえにあのエレベーターから流れ出る血はネイティブのものだというのだ。
二つ目はユダヤホロコースト説。序盤に積まれたスーツケースの山やタイプライターが、ドイツナチスによるユダヤ人迫害を連想させるという。タイプライターのブランドがドイツ製な上にワシを意味するドイツ語が書かれた物を使っており、ホロコーストを連想させると。キューブリックが生きた1930年以降は戦争の時代で数多くの戦争に関する著書を読んだと本人も語っている。そのため根強くホロコーストに対する意識があり、フルメタルジャケットでは戦争の非日常的残虐性を描き、シャイニングで暗喩としてホロコースト批判をしたというのだ。
三つ目は月面着陸捏造説。これはキューブリックが月面着陸の映像に加担したということを匂わせるというもので、237という部屋番号が月までの距離と同じ、また息子のセーターがアポロ柄なので、237号室に向かうことは月に行くという暗喩、そしてそこにあったのは裸の女=現実ではないということから、捏造説を口止めをされていたものの映画に含んだのではという解釈である。

どの説も考えすぎだろと思うが、アンビリーバボーを見てる時のようなワクワクは確かにある。所謂信じるか信じないかはあなた次第ってやつだ。
シャイニングマニアの極みが集って出来たのがこの映画なわけだが、凄まじいのが、映画を逆再生して同時に見てみるというもの。普通そこまでするかと思うが、見てみるとびっくり、見事にどのシーンもうまい具合に重なるのだ。キューブリックは一点透視図法を常に用いてる為に重なるのは必然といえば必然なのだが、息子の不安げな顔とジャックのキチガイ顔(序盤からキチガイだが)が重なったり、オープニングの景色とエンディングの文字が招待状のように綺麗に収まったりと、キューブリックの事だからそれも踏まえてるのかもしれないと思える。
だがあくまでこの映画はキューブリックの映画が好きで、それも持論をベラベラ喋りたがるような頭でっかちにしか楽しめない。それに、キューブリックはおろか作品スタッフにすら了承を得ず勝手にやってるわけだがら本当かどうかも分からない。それゆえつまらない人間にはおそらく五分ともたないだろう。
キューブリックも棺桶の中でこう言ってるはずだ。
オコンニチハ!!!!

2014年1月31日金曜日

【映画】オンリーゴッド





アメリカを追われたジュリアンは、今はタイのバンコクでボクシング・クラブを経営しているが、実は裏で麻薬の密売に関わっていた。そんなある日、兄のビリーが、若き売春婦を殺した罪で惨殺される。巨大な犯罪組織を取り仕切る母のクリスタルは、溺愛する息子ビリーの死を聞きアメリカから駆け付けると、怒りのあまりジュリアンに復讐を命じるのだった。復讐を果たそうとするジュリアンたちの前に、元警官で今は裏社会を取り仕切っている謎の男チャンが立ちはだかる。そして、壮絶な日々が幕を開ける―


映画のキーワードは二極、手、LSD、ジェラシー、懺悔。

まず主人公のジュリアンはファイティングポーズをした銅像の前で拳を握る。この頃はまだ何の問題もなくただボクシングクラブと麻薬の密売をしていればよかった。しかし兄が死んだ瞬間から雲行きが怪しくなる。いつものように縛られ娼婦の自慰を眺めることによって快楽を得ていた彼は、ふと自身の持病でもある病的な妄想にふける。それは彼のテリトリーである赤の側から、部屋を出て(娼婦は諦めたような顔)廊下をくだり、チャンの領域である青のテリトリーに足を踏み入れる。そして真っ暗な部屋に手を伸ばした瞬間、彼は腕を切り落とされる。その後彼が洗面台で手を洗っていると怪我もしていないはずが血だらけになる。その時の洗面所も青色。彼は病的な妄想癖であったが、それは同時に警告でもあった。ジュリアンは静かでどこか物哀しげな顔をしている。しかし兄は対極に暴力的でアクティブだったのだろうが無鉄砲さが仇となり殺される。弟は母が兄を選んだことにジェラシーを感じ、母に認められようという思いで麻薬の売買をし母の償いもする。しかしそれは彼にとってそれは背徳感と嫉妬を原動力にした無駄なことだと分かっていた。初めてチャンとジュリアンが対峙する時、ジュリアンは焦りを感じる。今までどおりにうまくいかず何かが起きることをいち早く察知していた。彼をつけ回し、突然消え去り、また拳で勝負を挑んでもボコボコにされ無力であることを思い知らされる。チャンがタイというテリトリーでは絶対であり、それに逆らうものは消される。それまでの絶対は母親であったが、彼自身それには疑問を抱いていた。むしろ自らを去勢するような縛りさえも感じていた。このタイの掟をジュリアンは察知し、いつしかの妄想で見た警告通り、腕を切り落とすという行為によってその掟に従い、ジュリアンは命は助かった。


この映画はアレハンドロ・ホドロフスキー監督に捧げるとエンドロールに挿入されている。アレハンドロ・ホドロフスキー監督といえばエルトポだが、正直エルトポには到底追いつきまい。しかしエルトポやサンタサングレ、ホーリーマウンテンにあるような、なんか意味分かんないけどヤバそうな雰囲気を出すということに関しては成功している。といってもまだまだ安直だが、タイ語を使う、背中から突然中国の処刑用の刀が出てくる、まっちょの男がストリップしてる、顔面やけど男の一刀両断をガキに見せつけるなど、シーンごとに持つパワーを最大限に発揮し、全体を通して筋が通っていなかったり面白くなくても強烈な印象を残す。この面ではアレハンドロ・ホドロフスキー監督に捧げることができているだろう
どのシーンに関してもキャラクターの配置や光加減、バランス、構図は絵になるものばかりでビジュアルアートでは満点を送りたい。屋台で食事する警官たちをウージーで襲撃するシーン、獅子のネオンの前でタイマンするシーン。チャンの家で子供の帰宅を待つジュリアンの構図のバランス。また音響芸術の面でも、船の轟のようなノイズを使ったり、悪い予感を察知したチャンの心境を表すような不協和音、格闘のシーンでのシンセ/テクノ、チャンのカラオケ(笑)。


レフン監督はオンリーゴッドについてLSDとしドライヴはコカインと表した。どっかのどいつが残念ながらこれはLSDをやりながら見る映画だから!監督もそう言ってるから!みたいなことをぬかしていたが直接的なことではない。ドライヴがハイになりアドレナリンが出て引き込まれるようなコカイン的である映画に対して、現実の解釈が変容し幻覚を見て、感覚が研ぎ澄まされる瞑想状態に陥るアシッドであるという例えだ。そういう感覚を味わいたければ何もこの映画を見ながらLSDをやらなくていいし、やらずともそういった状態に陥る用に作られているのだから我々はそれを純粋に楽しめばいい。


チャンのカラオケについて。制裁を下すごとにチャンは部下を集めて熱唱するのだが、どこか儀式的なオーラを感じる。全部で三回歌うのだがこれがかなりシュールな上に地味にうまい。娼婦のおじきの腕を切り落とした後の曲目は復讐の歌(マイル~マイル~\カン!/)、自分を殺そうとしたジュリアンの手先を一刀両断したあとの曲目は人と人の統合の歌、ジュリアンの腕を切り落とした後のエンドクレジットとともにお別れする曲は恋に落ちる歌。まあそれぞれ意味ありげではあるがどうでもいい。あそこは笑うシーンなのだから。上司が熱唱してるのを死んだような顔で見る部下たち。監督は不思議な雰囲気を出したかったと言ってるがどう見ても帰りたいのに無理やり付き合わされて明日の心配しだしてる部下たちと全然気づかないタモリにしか見えない。


オンリーゴッドで評価したいのはクリスタル役のクリスティンスコットトーマス。昆虫界の女王みたいな支配者かつ近親相姦、ド下ネタ連発で紹介した彼女をドン引かせるというグレートビッチマザー。