2015年9月13日日曜日

【映画】ナイトクローラー






映画「ダイアリーオブザデッド」で報道か救助かという二者択一の危惧をロメロは早くから警告していた。結論から言うと、この「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」は、映画としては正直言ってあまりおもしろくない。だがジョージロメロ御大が生み出す映画に何をいまさらといった具合に、面白くないのは至極当然なのだが、扱うバックグラウンドやテーマは常にフレッシュなものだった。

報道をとるか、人道をとるかというテーマは人類がレンズ越しに現実を見るようになってから語られてきた。
いわく、戦場カメラマンのような極限の状況下にいる人間たちはファインダー越しに見る世界を現実と思えなくなってしまうらしい。色眼鏡で見るなんて言うことわざがあるように、人は媒体を解すと全く違った認識をするようになるらしい。危険は変わらず目の前にあるというのに。

またこのテーマは何も戦場カメラマンに限らず我々にも言える話だ。
昨年、新宿で男性が陸橋の上で焼身自殺を図った事件も、SNSには多くの画像があふれていたのが記憶に新しい。ほかにも公共の場で起きた事件であれば少し調べれば匿名サイトでその残忍な現場は簡単に見ることができてしまうし、簡単にアップすることができる。

そのためこの”報道の闇”というテーマは長くから語られマンネリしている。しかしマンネリズムとはそもそも、ひとつのジャンルの洗練を意味するポジティヴなタームであり、それは必ずしも悪いことばかりではない。
今回はそのマンネリズムをジェイクギレンホールという役者の鏡が見事に調理した。


人は誰しも狂気を抱えている。
しかしそれを露わにしないギリギリのバランスを保ちながら日々生きている。
何かの拍子にそれは、ストレスであったり怒り、ポテンシャルの爆発、興奮によって解き放たれる。

狂気を扱う映画は実に多い。ダークナイトのジョーカーが大多数には知られているだろうし、アメリカンサイコ、シャイニングなど挙げるときりがない。



バイオレンスを欲する世間、それを金に変えるテレビ局、その歯車に加わる人間性を欠いた合理的マシーン。


タクシードライバーをメタファーとして感じる。が、モヒカンにするとかいうアイコニックなことはしない。しかし鏡越しに狂気を迎える顔や社会不適合者であることをわかっていない余裕の表情は重なるものがある。
世間からの孤立、どちらもあるのは自分に非は一切ないという事。
だからこそ自己中心的で破滅的な衝動に両者は出る。
社会が自分を形成して、悪いのは自分じゃない
自分は適応しているだけであって、悪いのは自分じゃない。



一見自分とはかけ離れた異常者のように聞こえるだろう。
こんな奴いたらやだわ。

だが考え直してみて欲しい。

お前は本当に18禁を18歳になるまで耐えたか?
酒を20になってから飲んだか?
模範的な行動を日々繰り返しているか?
無理やり人と同じ封を装って生きていないか?

誰しも行き過ぎた化け物になる可能性を秘めている。
画面を通じて得るバイオレンスに人は依存している。
誰しもが怪物を内に秘めている。


ジェイクの演技ももちろん素晴らしいが、アクションとしても普通に高まる。あの緊迫感で銀行強盗とかパパラッチしてほしかったな。個人的には邸宅強盗を収めたデータをアップしているギレンホールの武者震いが今年ナンバーワン。

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