2015年12月27日日曜日

【映画】ディーン、君がいた瞬間



ジェームスディーンの、輝いて燃え尽きるろうそくの最後のような瞬間を切り取った本作。
結論から言うとあまり面白くない。面白くないというか冗長で退屈に感じてしまう
描きたい意図は何となくわかる。時代の荒波に逆行して、穏やかに自分のライフスタイルと原点に向き合うジェームスディーン――それは『ライ麦畑でつかまえて』で描かれた2度と戻らない青春の思い出のような、あるいはジョンスタインベックの『チャーリーとの旅』のようなローカルの味わい深さを感じる喜びであるとか、フロンティアスピリットで西へと急ぐアメリカ人の開拓精神に疲れ地元に回帰する―誰しもが心の底にあるhomeを想う気持ち、そういったものは常にあるべきだ、そうしないと何が起こるか分からないからねと言い残し、若くして世を去ったジェームスディーンの魂を描いているのだと。
映画を見ていてたまらなく懐かしい気持ちにはなる。
かく言う私もオハイオに幾度となく行き、果てしなく続くトウモロコシ畑と、だだっ広い大地で何を考えているのかよく分からない牛や鶏に囲われて、何にも追われずにゆるやかな時間を過ごした。
あの時間を無駄だと感じたことはない。生産性こそ微塵もないが、今のイマジネーションとインスピレーションの原点はあそこにあると言っても良い。少なくともエッセンスはあそこに必ずある。

けたたましい都会に追われる事を宿命と考えディーンの誘いを断り都会に生きることを決めたデニスと、周りに制約され自分をがんじがらめにされるのが嫌でたまらず自分らしくあることをチョイスしたディーン

伝記物のため結論は出ないが、そのせいか結局なんだったの?と思ってしまう。
しかしそれこそこの映画の思うつぼだろう。
私たちはいつも結論を求め、忙しくなくても早歩きで道を急ぎ、情報過多の現代で毎日膨大な情報を取り込んでは捨て去っている。緩やかな時間を体中で味わうことを忘れてしまっている、もしくはその選択肢はすでに捨て去ってしまっているのだろう。
今一度ジェームスディーンの生きかたを思い返してみるのも、いいかもしれない。
PS
しかしまあタバコを吸うシーンの多いことよ。
時代のせいもあるが、これだけ映画に映すのは何らかの意味があるかもしれない(少なくともちょっと前までは害があるからという理由で大幅にカットされてきた)。

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