2014年6月25日水曜日

【映画】300 帝国の進撃






あらすじ
紀元前480年、スパルタのレオニダス王が300人の精鋭で100万人のペルシア帝国軍と戦っていた頃、ギリシャのテミストクレス将軍もまた、自由と平和を守るため立ち上がり、その旗の下に集まった同胞たちとともに3倍に及ぶペルシャ軍との戦いに乗り出す。ギリシャ生まれでありながら、虐げられた過去を持ち、ギリシャに対して復讐心を抱くペルシャの海軍女指揮官アルテミシアは、テミストクレスを敵ながらも評価し、味方に引き入れようと交渉してくるが、テミストクレスはこれを拒否。アルテミシアの怒りと復讐心は増大し、ギリシャを壊滅させようと進撃を開始する。


前作でテンションクソ上がったスパルタの民達は、懐古シーンとラストくらいしか出てこない。打って変わって同時期にまた自由を求めて立ち上がったアテナイの方々が今回の主人公。
しかしやってることは前作と変わらないしストーリー自体も強い、失墜、立ち上がる、更に強くっつう王道の流れなので、前作通り思考回路停止して見られる脳筋映画となってる。
導入の戦闘シーンが素晴らしい。ザックスナイダーが監督から製作に回ろうが手加減することはなかった。血!筋肉!誇張表現!スロー!血!筋肉!こちょ(ラストまでずっとこんな)

難解なストーリーも伏線が張られた群像劇も映画として高評価だが、ストーリーよりも戦闘シーンにここまで力を注ぐザックスナイダーのマンガオタク精神に感服。実際どのシーンも男心を擽る中2病拗らせ戦闘シーンで何百回観ても飽きることは無いだろう。おそらく世界共通。
エンジェルウォーズ、マンオブスティールとぼやけた作品続きだったが、七年ぶりに(前300以来)ザックスナイダーのやりたいようにやれてる作品だと感じた。

あと言及すべきは主人公よりもオーラを放つエヴァグリーン姐さんの存在。どっちが主人公かよくわかんなくなるくらいオーラを放っていたが、その物憂げな表情、ダイナマイトバディ、極悪非道な性格は濃いキャラクターとして記憶に残るだろう。
おそらく幼少期に酷い経験をし、戦闘にだけつぎ込んで来た姐さんはなかなか強いテミストクレスが現れた事により愛にシフトしたのでは?と考える。しかしやはり女性ということもあり弱さを持つ部分もあるため戦で命を落とす。


全体としてかなり高評価だが、前作に比べると新しいクリーチャーなどはなく、またほとんどが海の上なため少し絵に見栄えがしないと感じた。炎の戦術や体当たり、谷間に追い込む等は良かったが、地上戦をもう少し観たいところ。


途中のエヴァグリーン姐さんとテミストクレスの”戦い”のシーン以降はやり逃げされた元カノが復讐する戦いにしか見えませんでした。いや実際個人的な恨みあるでしょあの感じ。

そしてまた続編を地味に匂わせるラスト。ペルシャの神王倒してないし。もういいぞザックスナイダー、これ以上作るとコケる。

2014年6月24日火曜日

【映画】12モンキーズ





よく頭のおかしいやつだとか、あいつの言ってることは常道を逸しているなんて言うが、果たして一体どれが常道なのかという話。
正常とはどの観点からいうのか?

映画は近未来の話。人類はウイルスによって99パーセント滅び、残りの一パーセントは地下に逃げ込んだ。もはや地上に出る望みはない。だとしたら過去にさかのぼってウイルスをばらまく原因を突き止めればいい!というわけで選ばれたのが囚人ブルースウィルス。何度も過去にさかのぼりだんだんどっちが現実かわからなくなりながら原因を突き止めていく。その中で出会う12モンキーズの頭であり頭のちょっとおかしい細菌学者の息子ブラッドピットはイカれてるけれども間違ったことは言わない。
テリーギリアムは似たような近未来SF未来世紀ブラジルで、どんなにシステムが進化してもそれは時にもろく、どんなに情報統制されていっても人の考えることまでは奪えない人の強さみたいなものを描いた。
一方で12モンキーズでは誰しもが実際思ってるしおかしいと思ってることは言ったり実行するとキチガイとして扱われ社会から疎外されることを描いている。事実、劇中でウィルスミスはタイムマシーンで過去と現在をループしていく中でどっちが今かわからなくなり、またどっちが理想なのか混乱し選択を迫られる。

誇大解釈かもしれないがラスト、細菌学者を撃ち殺さなきゃいけない時に撃たずに振り返ってしまったのは過去の世界をチョイスしたからなのではないだろうか。
結果としてそれは未来のお偉いに伝わり、お偉い直々に救済保険として細菌学者をとらえに来るわけなのだが。

12モンキーズの見どころとしてはやはりブラピの演技だろう。今では低い声でクールな役ばかりの彼だが甲高い声でロンパリながら激論を飛ばしてお尻を出しちゃう演技が非常にいい。
ブルースウィルスは根本的に俺があまり好きではないのでカーラジオを聞くシーンの演技以外はダイハードにしか見えず。
それとなんといってもテリーギリアムといえば小道具。未来世紀ブラジルでもわけのわからないひょうきんな小道具がたくさん出てきたが今回もそれ必要?とおもわせるおかしなものがたくさん出てくる。コメディ出身だけあってなんとなく安心感のある映像を見せてくれるので子供でも楽しめるはず。
 
 
内容キャスト演技小道具どれをとっても総合的にハイレベルな作品。
ただ近年のCG効果等を見すぎてしまうと何となく物足りなく感じるかもしれない。

2014年6月18日水曜日

【映画】チョコレートドーナツ






王様のブランチでリリコさんが涙ぐみ過ぎてコーナーが進まないのを見て気になり鑑賞。
劇中のルディの歌う力強い歌に涙する。


同性愛に対して差別と偏見が強く根付いていた1970年代のアメリカでの実話をもとに、育児放棄された子どもと家族のように暮らすゲイカップルの愛情を描き、トライベッカやシアトル、サンダンスほか、全米各地の映画祭で観客賞を多数受賞したドラマ。カリフォルニアで歌手になることを夢見ながら、ショウダンサーとして日銭を稼いでいるルディと、正義を信じ、世の中を変えようと弁護士になったポール、そして母の愛情を受けずに育ったダウン症の少年マルコは、家族のように寄り添って暮らしていた。しかし、ルディとポールはゲイであるということで好奇の目にさらされ、マルコを奪われてしまう。



何が正しくて何が間違っているか
それを他人が判断するのはとても難しい。


差別や偏見は今も世界中にあり続ける。自分と違うことに不気味がり、遠ざけようと吸うのが人間の性だからだ。
アメリカはかつて差別の塊だった。黒人、ゲイ、障害者、ラテン系。白人の根底に存在する恐怖心と、白人至上主義のプライドがそれを許さないからだ。今でも内陸部は強い偏見と差別が残るが、十州ほどが同性婚を認めた。内陸ではキリスト教原理主義者が多いために恐らく認められることが難しい。
ゲイのストーリーとしてはカリフォルニアでゲイの権威を主張したショーンペンのミルクが有名だろう。しかし大抵はコメディである。
また障害者の子供をフューチャーした映画もなかなかない。
そんな世間からのはずれものの生きにくさを、ルディの力強い歌とともに世間へ主張する。



ストーリー自体は非常にシンプルだ。二人のゲイが出合い、恵まれない子供を預かり、社会がそれを認めず立ち向かう。しかしそこには大きな壁と物理的には破壊しえない偏見の嵐が無残にも人の命を奪うことになる。
自分と違ったっていいじゃないか。たとえ周りと違ったとしてもそれは恥ずべきではないし罪を感じる必要はない。むしろそれを力にしマイノリティであることに誇りを覚えるべきだ。
ゲイの人には独特の価値観やアート性があると思うし、障害者の人にもアウトサイダーアートが有名なように普通の人間にはない感覚が宿っている。そういったものを生み出すことは我々凡人にはできないし、差別に屈せず活躍していってほしいと思う。
 



法が絶対の正義とは限らない場合もある。むしろ、法は悪に加担する場合もある。そこに必要なのは愛であり、人の心が要となる。

【映画】ディス/コネクト

SNS上で起こった事件をきっかけに、心の絆を取り戻そうとする人々の姿をサスペンスフルに描いた群像ドラマ。ある少年が、SNS上での嫌がらせを原因に自殺未遂を起こす。しかし、仕事ばかりで家庭を顧みなかった父親は、息子がなぜ自殺を図ったのかがわからない。一方、嫌がらせをしていた少年は、元刑事の厳格な父との父子家庭で、父親は威厳を示すことで愛情を伝えようとしていたが、少年はそんな父から愛情を感じるとることができなかった。互いの気持ちを知らずにいた2組の親子を中心に、つながりを求めてネット上をさまよう人々が、事件をきっかけに再び絆を取り戻そうとする姿を描く。


それは拡散される
多くの人と共有できる
なかったことにできる
本当に言いたいことを言える
気づかなかったことに気づける
未知の世界を知れる

現代に広まるインターネット、SNS。

それらを批判だけでなく、いい側面も捉えながら様々な形で人々の時間と複雑に交差しながら最終的に集結していく。

利便化が進み、我々の肌で感じる対面の時間は大いに減った。
歴史から言えば、便利になればなるほどそれだけ失うものも同時に多い。
自動車が走れば自然が減り、物が安くなればなるほど世界は徐々に困窮を極める。
それは経済から生物学に至るまでの循環において至極当たり前のことであり、それを知りながら承知の上で我々は利便性を求めてきた。
新しいERAにおいて抱えるプロブレムはますます多様化し、その形態は現行法では追いつかなくなりつつあるほどだ。
100年前にはプライベートを守る法も、遠隔操作を禁ずる法もおろか、電波とはなんぞやというレベルの話。
戦争という良くも悪くも文明を発達させる手段でインターネットの大元が出来上がり、今の快適な情報飽和社会が出来上がった。

しかしそれと同時に我々は一つの問題にぶち当たる。
それは愛の距離だ。
映画で人々はインターネットの落とし穴に翻弄されて苦悩を抱える。
しかし映画で訴えかけているのはインターネットの恐怖ではなく、人々の本質的な弱さだ。息子が自殺したことも、クレジットカードが不正に利用されたことも、きっかけは愛の距離が近くなかったからだ。もっと息子を知っていれば、もっと妻の話に耳を傾けていれば。
しかし同時にインターネットが愛の距離を引き裂いたともいえる。遠くにいても繋がれるということは同時にいつでも連絡ができるから連絡する必要がないという判断になりつつある。何も手段がなければ遠くの人間に久々に会った時の感動は計り知れないだろう。それだけに利便化というのは人の温かさを後回しにしてしまうものなのかもしれない。
どんなに優れた利器であってもそれがいい影響を与えるか悪い結果を及ぼすかは結局使う人間次第なのだと感じた


人は皆愛の形に不器用だ。
繋がることを求めてSNSを頼る。
本当は愛はすぐそばにあるはずなのに。



マークジェイコブスが思ってた以上に出てて笑った。
なんか今一つパンチが足りないと思うのだけどおそらく知ってる俳優がいないからだ。
あと絵が結構地味。
海外ポスターの副題にLOOK UPとある。日本も海外も同じなんだね。みんなスマートフォンとPCにくぎ付けで全然上を見ない。空ってこんなに広かったっけと思わせるようないいサブタイトルだと思う。


2014年4月20日日曜日

【映画】未来世紀ブラジル

1985年に公開された映画をいまさらわーわー騒ぐのもおかしな話だがこの映画は正直言って全人類必見の面白さ。
ラスト抜きではレビューできないのでネタバレありのあらすじ。

あらすじ(超長い)(ネタバレ)
クリスマスの夜。冒頭から70sポップな音楽とテレビのポップなノリがテロにより爆発。こわれなかったTVでは情報省次官のヘルプマン(ピーター・ボーガン)が、情報管理の重要性を力説しているところを写し出している。
シーンは変わり情報省の官吏がオフィスに現われた虫を追いかけ、はたき落された虫がタイプライターの上に落下。おかげで、タイプ中の容疑者の名前がタトル(Tuttle)からバトル(Buttle)に変った。平凡なバトル一家に情報省の連中が闖入し、有無を言わせずにバトル氏を連れ去った。上の階に住む女トラック運転手ジル(キム・グライスト)は抗議するが、相手にされない。
情報省記録局ではカーツマン局長(イアン・ホルム)が、局員のサム(ジョナサン・プライス)にバトルの件について問い正そうとして、彼の欠勤に気づき怒る。その頃、サムは銀色の羽根をつけたヒーローに扮し、美女と出会う夢をみていた。局長の電話で起こされて情報局へ。そこで、抗議に来ていたジルをみかける。彼女は夢の女性そっくりだった。サムの母アイダ(キャサリン・ヘルモンド)は整形外科医のオフィスで治療を受けつつ、息子の出世欲のなさをなげき、裏から手を廻して昇進を画策したことを認め、友人の娘シャーリーと彼を一緒にさせようとする。
サムのアパートの通気口が故障し、セントラル・サーヴィスに電話するが、夜間の修理はしないという。と、そこへ武装した男が来て、タトル(ロバート・デ・ニーロ)と名乗り、非合法の修理屋だと自己紹介して修理した。公式にはセントラル・サーヴィスしか工事をしてはいけないのだが、書類仕事が嫌でもぐりの修理工をしているのだそうだ。
サムはバトル家に検束費用の超過分払いもどし小切手を届けに行き、ジルを見つけた。アパートにもどると、セントラル・サーヴィスの係員が勝手に入り込み、タトルにやらせたなと怒る。
その夜、彼はまたヒーローになってサムライ・モンスターと戦う夢をみた。ジルのことを知るために、情報省検束局への昇進を承知した。そこでは旧友のジャック(マイケル・ペリン)が容疑者を拷問し、白衣を血だらけにしていた。ジャックはバトルの誤認逮捕を隠蔽するためにジルを拘留しなくてはという。サムは僕にまかせてくれといい、受け付けにまた抗議に来ていたジルを連れ出す。彼女は彼を信用しない。デパートでの爆弾テロ騒ぎにまきこまれてしまい、ジルと別れ別れに。アパートに戻ると部屋全体が巨大な冷凍庫と化し、セントラル・サーヴィスの係員が勝手にいじくっており、サムは強制退去される。そこへタトルがそっと現われメカをいじくり、中の係員に汚穢をひっかける。
ジルと再会して楽しい一時を過す。翌朝、彼はつかまった。拷問室でジャックによる拷問が始まろうとした。そこへタトルが仲間と現われ、銃撃戦の末に救出。逃避行の末ジルの運転するトラックで二人はのどかな田園へ……
が、一転拷問室に戻る。逃避行は拷問に耐えかねたサムの空想だったのだ。廃人となったサムをみつめるヘルプマンとジャック。二人が去った後拷問室にはサムが口ずさむ「ブラジル」のメロディが響き渡るのだった。


ベースとしてあるのはジョージオーウェルの1984およびその映画版だと監督のテリーギリアムも語っている。1984ではビッグブラザーのもと情報統制化社会で国家の意向により情報は削除、捏造され個人の自由、知る権利、プライバシー権は一切ない世界を描いていたが、今作未来世紀ブラジル(以降ブラジル)ではビッグブラザーのような独裁者は存在せず政府としての形があるのみ。また1984では終始重苦しい雰囲気でおまけにラストはビッグブラザー万歳なんて調子だから救いようがなくあまり人気がない。しかしブラジルではさすがはモンティパイソンクルーのテリーギリアム監督だけあってクスッと笑えるブラックユーモアが満載でラストの救いようのなさは同じくあるが(社会風刺作品なのでそれは避けられない)幾分楽しんで見られる。
見てまず思ったのはノリが『デリカテッセン』に近い。部屋中にダクトがあるからかもしれないが、レストランで食事中にテロリストによる爆発があるのに焼きが甘いとか言って見向きもしないあたり超ブラック。しかもメニューなんかは百科事典ばりにでかくてコードが付いててタッチパネル式!iPadってこっから着想を得たのでは?と思ってしまう。(でも出てくる料理はどれもペースト状で料理の味がするだけのもの)

あとは近未来ってこともあってアイテムが面白く、自動でパン焼けてコーヒー入れてくれたり(でも壊れててパンにコーヒーかかっちゃう)スーツが勝手に出てきたり、メールなんかはタイピングマシーンで打った紙をダクトに設置して吸い上げるというなんともハイテクなんだかアナログ何だかわからない作り。


テリーギリアムが未来世紀ブラジルで伝えたかったこととは何なのか?
ソイレントグリーンや1984、最近だとエリジウムのような利便化された近未来社会とその影の懸念みたいなものはもはや何本も映画として作られてきた。よくあるのは便利になっても失ってはならないものあるよねってパターンと利便化が進むとこんな恐ろしい結果になるよっていう二通り。ブラジルではそれら二つを踏まえつつ、どんなに情報が統制されようと頭の中の逃げ道は制御できないこと、またそれを奪われたらおしまいだと言いたいのではないか。サムは最後妄想によって自分の思い描いたハッピーエンドにより自分なりに幕を閉じる。しかし肉体においてのサム尋問により破壊され生物学的な死を迎える。想像できることに実現できないことはないとよく言うが、どんなに社会が便利になり進化しようと、人の脳内のイマジネーションを超えることは到底無理なのだ。ハエ一匹によりシステムが狂ってしまうもろい側面を持つコンピューターに対し、それに対する妄想世界は拷問や尋問にも打ち勝つ力を持つ。映画ショーシャンクの空にでも、独房に入れられた主人公を救ったのは頭の中のクラシックだったのだから。だからこそこの映画での妄想世界は手の込みようが半端ない。
映画配給会社は客足が遠のくということでハッピーエンドバージョンで公開しろと命を下したようだがテリーギリアムがこれに猛反発しバッドエンドと二つ設けることになったという。バッドエンドじゃないと先に起こるっ我々の地獄に対する批判にならないのだから怒る理由も分かる。


テリーギリアムと聞いて映画監督として知ってる人と(12モンキーズ、ラスベガスをやっつけろ)モンティパイソンサイドの人と二通りいると思う。私は後者なのだがホーリーグレイルを見てこいつらは大人のくせしてガキみたいなやつらだと子供ながら感じた。しかし今観返すと歴史をしっかり踏襲してるし、ブラックユーモアの良さが分かるから不思議だ。人生狂騒曲なんかんもなかなかおもしろい。そんなコメディ出身のギリアムだからこそ映画の中はどことなくコントみたいな雰囲気が漂うし、社会風刺の内容であっても幾分安心して見られる。近年日本でも北野武を筆頭にまっちゃんや品川がメガホンを持つ。ここで共通項として考えられるのはシリアスと笑いは紙一重の関係にあるのか?たけしもその男凶暴につきは名作だしアウトレイジなんかもヒットした。以前友人に聞いた話によるとホラー映画の現場は笑いが絶えないそうだ。一方で間が大切な笑いの撮影ではピリピリとした空気が流れるという。思うに笑いを求める人間は普通の人間とは着眼点が違うのだろう。たまにとんでもなく面白い人に出くわすと、この人頭の中どうなってんだろうなんて思う事がある。机の上にリンゴがあったとしてそれをただあると見るか、リンゴに机がくっついていると見るか、そのちがいではないだろうか。またその見かたを普段からしているコメディアンは社会をちょっと違った視点から観ているから風刺もできるのかもしれない。



そして最後になぜ未来世紀ブラジルというタイトルなのか。
映画ではブラジルなんて一秒も出てこないし南米感は皆無だ。これは、監督のテリーギリアムのインタビューによると、彼がイギリスのある工業都で撮影をしていた時、夕日が沈む薄汚れた海岸の景色を眺めながら、こんな場所でも楽園をイメージさせる音楽を聴くことで、一瞬でもブラジルの美しい砂浜にいる気分なることは可能なのか?そう思った時にイメージされていた音楽が、1939年の世界的ヒット曲「ブラジル」だったことからきたのだそう。映画ではこの曲が流れるのだがちょっと異様だ。あまりにも世界観と合わないから。しかしそれが正しい。なぜならテーマとしてあるのは妄想。音楽やタイトルが暗示しているようにブラジルとは現実とはまったく違う逃げ道だったのだ。
しかし何も知らずタイトルだけ聞くとブラジル人に支配された世界なのかななんて混乱を招くから未来世紀ボサノバとかでも良かったんじゃ?


2014年3月24日月曜日

【映画】LIFE!

ウォルター・ミティー(ベン・ステイラー)はLIFE誌の写真管理部で働く真面目な社員。だが、思いを寄せる女性と会話もできない臆病者でもあった。
彼の趣味は空想をすること。空想の中で彼はヒーローとなり、どんなことでもできた。
しかし現実のウォルターは、デジタル化の流れによりLIFE誌の廃刊が決まり、表紙を飾るはずのネガが見つからないままでいたたために窮地に立たされていた。
ウォルターはネガを探すため、写真家のショーン(ショーン・ペン)を探す旅に出る。


半年前から気になってたベンスティラー監督の作品(原題secret life of walter mitty)。1947年にもダニーケイ主演で同名の作品が作られているが、原作が同じというだけで内容は妄想癖の主人公という以外は大きく違っている。
ベンスティラーといえばナイトミュージアム。監督作品だと前作のトロピックサンダー。どっちも全然好きじゃない笑
しかし予告の自分を変えたいと思いますか?というフレーズと
今を生きるすべての人へ
いろんな世界を見に行こう
壁を超える勇気を持とう
いろんな人と出会い
もっともっと分かりあおう
きっとそれは本当の人生の生きる喜びだから
それとうまくつなぎ合わせた大自然の映像美に涙した私はベンスティラーに賭けてみた。

結果は◎。非常にシンプルで王道のストーリーライン、適度な悪とメロドラマ、挫折、逆境を乗り越え感動のラストと、ディズニー配給的なお上品でスッキリした仕上がり。それにアイスランド、グリーンランド、アフガニスタンの壮大な自然の映像美が相乗して、どの層でもどの国の人でも楽しめる客層を限らない映画。深みだとか考えさせる映画を望む人には薄っぺらい映画だと感じるかもしれないが、自分は十分に楽しめた。

まずカメラワークが秀逸。飛行機を真上から撮ってミニチュアみたいにしたり、固定カメラで遠めのショットだったり、いわば絵になるシーンが多い。LIFE誌だからなのか理由は分からないが、がっつり見るのではなく飲食店やカフェなんかで垂れ流してても良い雰囲気を醸し出せるような、ディスカバリーチャンネル的映像美。これに1800円払ったと言ってもいい。
ロングボードを少年にもらい、アイスランドの坂を疾走するシーンは非常に爽快で、観客の我々も風を全身に感じるような気分になる。

次に音楽。ホセゴンザレスを筆頭にOf monster and men、Rogue Valley、さらにはデヴィッドボウイのspace odittyのカヴァーなど、やさしくて旅に出たくなるようなメロウなチューンが盛りだくさん。どの曲もシーンにかなりマッチしていて、of monster~のDirty Pawsが流れただけで涙線が崩壊しそうになった(単純に好きなバンドだってのもあるけど)。しかし残念ながらCMでいつも流れるホセゴンザレスのstep outsideは劇中では流れず(インストは有)、エンドクレジットで流れる。あれがスケボのシーンで流れたら最高だったのだが....
個人的にはデヴィッドボウイのspace odittyを入れたのはかなり高評価。2001年宇宙の旅のMajor Tom(トム少佐)とウォルターをかけていてナイスなチョイスだと。

Ground Control to Major Tom
Ground Control to Major Tom
Take your protein pills and put your helmet on
「地上基地管制官より、トム少佐へ」
「地上基地管制官より、トム少佐へ」
「プロティンピルを飲み、ヘルメットを装着せよ」

Ground Control to Major Tom
Commencing countdown, engines on
Check ignition and may God’s love be with you
「地上基地管制官より、トム少佐へ」
「カウントダウンを開始し、エンジンを点火する」
「点火装置確認。神の御加護があらんことを」

This is Ground Control to Major Tom
You’ve really made the grade
And the papers want to know whose shirts you wear
Now it’s time to leave the capsule if you dare
「こちら地上基地、トム少佐へ」
「打ち上げは成功した」
「新聞は、少佐の着ているシャツのことまで知りたがるよ」
「さあ、勇気を出して船外に出るときがきた」

This is Major Tom to Ground Control
I’m stepping through the door
And I’m floating in a most peculiar way
And the stars look very different today
「こちらトム少佐、地上基地へ」
「今、ドアから船外に出た」
「そして、えも言われぬ感覚で浮遊している」
「星々は、地上で見るのとは全く違っている」

For here am I sitting in a tin can
Far above the world
Planet Earth is blue and there’s nothing I can do
私は今、宇宙船に腰掛けている
住み慣れた地上の遙か上空で
地球は青く、私はただただ見つめているのみ

https://www.youtube.com/watch?v=ZrZlhD0Oeto

旅行の醍醐味って人それぞれだとは思うが私はお金を出して何かを得るよりもその旅の出会いを大切にしたい。日本では見れないもの、出会えないもの、吸収して成長すること、そこまでを含めて旅行だと思う。帰るまでが遠足ってそういうことだったのだな


こんな感じで大手ブランドから出たチョコみたいな臭みも深みも捻りもない感じだけどどんな層にも愛されるような上質なものなので見て損は絶対ない。しかしショーンペンは渋いなあ!


旅行行きたい。





2014年3月21日金曜日

【映画】それでも夜は明ける

PLAN Bのブラピによる、アメリカの負の歴史を現代に再びブっ掲げたトンコツ映画(むちゃくちゃ重圧的ってこと)。アカデミー賞作品賞受賞。監督は『SHAME -シェイム-』のスティーブマックイーン(アクション俳優の方ではない)。主人公はキウェテル・イジョフォーが演じる。

1841年、奴隷制廃止以前のニューヨーク、家族と一緒に幸せに暮らしていた黒人音楽家ソロモンは、ある日突然拉致され、奴隷として南部の綿花農園に売られてしまう。狂信的な選民主義者エップスら白人たちの非道な仕打ちに虐げられながらも、彼は自身の尊厳を守り続ける。やがて12年の歳月が流れ、ソロモンは奴隷制度撤廃を唱えるカナダ人労働者バスと出会い……。


 
アカデミー賞取ったからというノリで観るとその重圧感にやられてしまう。奴隷映画でさっぱりしたものを求めるのは愚にもつかぬかもしれないが、タランティーノのジャンゴで、ある程度スカッとした復讐劇を見せてもらえていたので油断した。重すぎる
正直なぜ今これほどまでにアメリカの負の歴史である奴隷制を掘り返すのかは分からないが(奴隷解放から何周年とかでもないし)、オバマの就任やホワイトアングロサクソンプロテスタントがマイノリティになりつつあるという時代の変化を危惧しているためなのかもしれない。


17世紀から19世紀にかけて、およそ1,200万人のアフリカ黒人がアメリカに渡り、そのうち400万人が奴隷としてアメリカで働いた。また現在黒人の30パーセントは白人の血が入っている。これは純粋に白人と黒人が結婚して混じったのではなく、白人奴隷主による強制的な行為によるものである。1865年のアメリカ合衆国憲法修正第13条の成立で終わったことになっているが、差別などは今現在でも根底に存在する。木にぶら下がる黒人の死体のことを称して奇妙な果実として歌ったビリーホリデイの歌が1939年だからつい最近まで黒人は人として見られていなかったということになる。これらを踏まえれば、オバマ大統領が就任したということの歴史的に見ても大きな改革だったということが分かるだろう。また彼の言うCHANGEという言葉の重みが理解しているかどうかで違う。

奴隷映画につきものといえば聖書綿畑ムチ鬼畜な白人だが、それでも夜は明けるではそれらをコントラストを最大限にしてこれでもかといった具合にねじ込んでくる。綿畑で摘み取る数が昨日よりも少ないものは鞭打ちの刑に処され、ファスベンダー演じる鬼畜領主に、俺は鞭打ちがたまらないんだと言われながら背中をぐちゃぐちゃにされる。それはもはや映画パッションに通じる残忍さで目を覆いたくなる。しかしこれはフィクションではなく現実であり、今なお世界を率いているアメリカがついこないだまで行っていた恥ずべき行為なのだ。どの国にも隠したい自国の歴史というものはある。魔女狩り、特攻隊、ギロチン、タイヤネックレス、麻薬戦争、イラク戦争。歴史とは同じ過ちを繰り返さぬよう必要な杭であり、今回こういった趣旨の作品がアカデミー賞をとったのは、アメリカが今一度反省し改革の時を迎えている事を表すと考えた。

内容について。
お涙ちょうだいなところはラストにちょっとあるがいまいち感情移入しないのが残念。現実ではあるがあまりにも非現実的すぎるのか、あるいは黒人だから慣れ親しんでないからなのか。
しかし仲間が死に死体を埋め、奴隷全員でゴスペルを歌うシーンは涙腺爆発必至。ブルースやゴスペル、ヒップホップは魂がある。ただ口先だけで歌うのではなくバックグラウンドやパワーを感じる、心揺さぶられる魂がある。https://www.youtube.com/watch?v=mAZhQQN758g
劇中歌ROLL JORDAN ROLL↑は名曲。鳥肌総立ち。ソロモンが絶対に生きて家族の元へ帰ると固く決意した表情を見せながら歌うシーンはなんとも素晴らしい演技だった。

ベネディクトカンバーバッチ演ずるフォードと呼ばれる農主は数少ない人の心を持った男だが、時代の波に飲まれ奴隷制をやむなく取り入れている。熱心なキリスト教徒であるがその説教は奴隷の泣き声でかき消され神の元には届かない。当時奴隷を殺してもペットを殺した罪と同等だった。しかも自分の奴隷においては罪に問われない。家畜と同じレベルだったのだ。なぜならキリスト教は殺生をするものは地獄の業火で焼かれる。それを避けるためにも黒人は人ではないと思い込んでいたのだ。







劇中、鬼畜農主ファスベンダーとブラピが話すシーンで、ブラピは奴隷制の問題に気づき主張する。ファスベンダーは奴隷制が覆るなんてことは金輪際ないという。そう、絶対にあり得ないと思われていた黒人による白人を従わせるという方程式が現在オバマの就任によって成立したのだ。今でもアメリカはキリスト教原理主義を中心とする内部アメリカ人の保守派(共和党)と改革を望む民主派で対立している。しかし時代は変わった。いつまでも誰かが優位に立つ形式は必ずや崩れる。ついこないだまで、人間は神によって作られたものだと思われていたし、地球はテーブルの形をしていると思われていたし、佐村河内は耳が聞こえないもんだと思っていた。当たり前だと思われる常識もすぐ先には何が起きるか誰も分からない。今後また大どんでん返しのような展開が我々を待ち受けているかもしれない。


音楽がまたハンスジマーだよ!!