2014年7月9日水曜日

【映画】escape

https://www.youtube.com/watch?v=xuKwU5awmMM





平成生まれの我々20代、所謂「何か新しいもの」を求めて旧世紀の価値観のまま21世紀にやって来た私たちにとって戦争も経済も宗教も文化も道徳も、総て20世紀のお下がりであり、何一つとして「新しいもの」なんてなかった。
クリエイティブな思考はもはや無く二番煎じが通説であり、ゼロ年代以降のホラー産業は衰退の一途を辿るのみ。降霊、女優霊、リング、仄暗い水の底から、呪怨、らせん、とそれぞれあるテーマを元に日本の土着化された恐怖感を存分に引き出した作品がゼロ年代までに大量に生産され、ジャパホラ産業は一時はエクスプロイテーションかと思われるほど爆発的に業績を上げた。しかし情報飽和社会とあらゆるシステムの利便化により王道ホラースタイルでは味気なくなってしまった。その後POVがノイズでは無く新たな手法として認知され、映像の可能性は大きく広がったものの、大筋としては基本としてあるべきホラーの形にのっとった本質的には同じものの量産でしかなかった。
いずれにせよ目立ったジャパホラはもはや排出されず、海外のエログロナンセンスが先走った低俗な商業ホラーが市場では売れ、おぞましさを骨の芯まで感じさせる日本のホラーは衰退してしまったと認識していた。
過日のジャパニーズ・ホラー粗製濫造の狂騒の影で、リアリズムを追求したシネマヴェリテが如きホラー演出はとんと忘れられてしまったのだ。

しかし今回このアマのフィルムである”escape”ではこれまでのホラーの掟にあくまでも従いながら、尚且つ革新的な良作となっている。90年代後半以降のホラー映画の進捗を踏まえた上でそれを良く考証し、それらの良い部分を抽出して作品に加味したという意味で。
まずストーリーラインは王道のもので、まず何者かに追われ、その原因はわからず、主人公がテンパりながらも自分の砦に逃げ込み安心するも束の間、それが失敗であった、という流れになっている。短い尺であるため再現PVになりかねない。しかしこれはれっきとしたホラーフィルムなのだ。
これを観始めたときは「食人族」同様、「これから何が起こるんだ~」という心地よい動悸がして結構楽しかったのだが、あの感覚はヴィンチェンゾ・ナタリの「Elevated」とか「CUBE」とか、要するに超低予算のアイディア勝負の映画を観てるときのものに近い。低予算であればアイディアを限界まで捻り出し、金では実現できないような無限の高クオリティを輩出することができる。昨今では”クロニクル”がいい例だが金がかかったオールスター作品が良いとは限らない。人は貧困を極めた時、死を前にした時、絶望を直視した時本来持つ潜在的な力を存分に発揮する。


まだまだ役者の卵ではあるが大田優介の演技は近年ありがちな舞台役者的オーバーリアクションで安直な感動を与えるものとは対極に位置し、リアルな一般的な人間を見事演じている。人がパニックに陥った時どうなるか、見事な観察力と独特なオーラにより体現することに成功している。
また撮影、監督である田中大地はフィルモグラフィーは際立って目立つものは無いものの監督のメチエは他のボンクラと比較にならず、十分な可能性を持っているとこの短い尺で感じ取れた。アングルにはしつこいまでのこだわりを感じ、間を上手く使いこなす曲芸師である。基本的にホラーフィルムといえば展開は大体予想がつくが、一寸先は闇という言葉があえて当てはまる程先が全く見えないホラーに仕上がっている。

総合的に見て、量産型の呪いのビデオや本当に怖い~シリーズとは一線を画するクオリティと、異様な空気感を生み出したこのショートフィルムにジャパニーズホラーの未来を感じ取れた。

2014年7月3日木曜日

【映画】トランセンデンス





あらすじ
人工知能PINNの開発研究に没頭するも、反テクノロジーを叫ぶ過激派グループRIFTに銃撃されて命を落としてしまった科学者ウィル(ジョニー・デップ)。だが、妻エヴリン(レベッカ・ホール)の手によって彼の頭脳と意識は、死の間際にPINNへとアップロードされていた。ウィルと融合したPINNは超高速の処理能力を見せ始め、軍事機密、金融、政治、個人情報など、ありとあらゆるデータを手に入れていくようになる。やがて、その進化は人類の想像を超えるレベルにまで達してしまう。


壊滅的に何かが足りない。キャストか?いやキャストはダークナイトトリロジーのほとんどを使用しているしおまけに天下のジョニーデップだ。ストーリーなのか?演出なのか...観終わってから映画における面白いってなんだっけと頭を抱えてしまう。
言いたいことは十分にわかる。今回もノーランのお説教じみた哲学思想は健在だ。テクノロジーが進化しすぎた結果、神以外の我々が新たな生命を創造する倫理的問題、根本的な愛のあたたかさ。それはそれでいい。その見せ方に問題があった。圧倒的に絵が地味だしいまいち全体として盛り上がりに欠けるところがある。それに誰にも感情移入しないし、死人も出てないから何をそんなに焦るのかと取り残された気持ちになる。海外での評価が気になるところだが、ダークナイト狂たちはこぞって叫んだだろう。エグゼクティブプロデューサーなんて単なる宣伝用じゃねえかと。

超越しすぎたノーランの頭に我々がついていけてないから面白くないのか、超越してつまらないのか、再び確認するのも気が滅入る作品。
こいつのインパクトがもうちょい強ければまだましだったのかもしれない。てかジョニデの嫁と距離近すぎて不倫してんのかと思った。

【映画】オールドボーイ







日本原作を映画化しその名を轟かせた韓国版オールドボーイ。あの傑作から10年ほど経ち、差別問題やアメリカのあらゆる社会問題を映画に取り込み世間に歯にもの着せぬ言いようで警笛を鳴らす巨匠スパイクリーがそのオールドボーイをリメイク。本人はリメイクではなく別のものと発言していたが内容の大筋としてはほとんど同じ。突然監禁されて、解放されて、答えを探して、復讐して、罪を知る。そして原点に帰す

まず低俗な親父ジョシュブローリンが監禁室にいれられ浄化される。それは新約聖書に通じる。新約聖書ではイエスは40日間荒野での断食をしサタンに打ち勝つ。サタンから石をパンに変えればいいではないかという誘惑に、勝ち自殺を誘惑されるが勝つ。ジョーは監禁室でイエスキリスト化したのだ。アメリカ版はそのキリスト精神が存分に感じられた。浄化され洗練された復讐心だけが部屋に残る。
解放されたジョーは毎日出されていた中華料理の味を何十軒も店をまわり特定し、敵のアジトに餃子をエクストリーム配達する。
ちなみに私は餃子が一番好きなので他のどんな痛々しいシーンよりもこの餃子のシーンで悶え苦しんだ
餃子を食う!食う!食って食う!これはもはやオールドボーイならぬ餃子ボーイいいんじゃないか?
その後答えを探すべく手掛かりを洗い出す。それはジョーの過去に潜んでいた小さな事件がきっかけだった。


韓国版との違い
・スパイクリー的要素
監禁室のテレビでは案の定俗世の流れを映す。クリントン就任、ハリケーンカトリーナ災害、ブッシュのイラク進攻、そしてオバマ就任。
この二十年でアメリカは大きな変化を迎えた。固定概念からの脱却、WASPの崩壊、アメリカという国のもろさ。テレビで大統領だけを映すのではなく、カトリーナを入れるあたり、やはり未だにスパイクリーはあの時の黒人差別を許していないようだ。


・痛々しさ
グロさが増してる。韓国版での名シーン釘抜きで歯を抜くシーンは無く、代わりに首につけた点線をえぐるという聞いただけでも首筋が寒くなる尋問や、友人の舌が抜かれてジョーのもとに贈られたり、首切りはもはや当たり前で、すぐ流されるといった具合。グロシーンは見慣れていたと思ってたが結構な衝撃だった。


・演出
韓国版の良さとして若干フィクションじみていてアートっぽさがあった。嫁を殺した濡れ衣を着せられた時もグルングルン主人公の周りをカメラが回ったり、巨大なアリがいたり、咥えたタコがウネウネしたり(今回も一応タコの出番は5秒ほどあり韓国版を意識している)。スパイクリー版にはあまりそういったアート性は無く、至極シリアスに不安と緊張感を煽るカメラワークと雰囲気が最後の最後まで続く。だからはっきり言って見終わってからとても疲れる

・アクション
戦闘シーンはやはり天下のハリウッドと言うこともあり、迫力とスリルがヤバイ。てかジョーが解放されてから強すぎる。フックを食らったアメフト選手が半回転して頭から着地する、ドスを背中に刺されながら15人くらいボコす等とても20年引きこもってたとは思えないスーパーマン具合。これはタイトルマンオブ餃子ボーイでいいのでは?日本の艦これヲタも実は鍛え抜かれててこんぐらい強ければWWEが日本人選手だけになるな。敵役のシャールトコプリーさんは第九地区で腕がエビになり、エリジウムで刀を振り回して桜とともに散ったあの人。今回もミステリアスなオーラで常道を逸した悪役を演じており、適役だったと言える。最後の潔いシーンも客を混乱させるいいエッセンスだった。しかし思うに、二つの質問に答えられた報酬として4つの報酬(強姦証拠動画、自白、2500万ドル相当のダイヤ、自殺)を挙げたが、自殺は最後まで言わないでおいた方がラストの衝撃増すと思うんだけどな。あと幼少期のシーンで父親に胸を散弾銃でぶち抜かれながらも生きてるってのがちょっと謎。

 

総合的な評価としてはやはり最初のインパクトが凄まじかった韓国版オールドボーイに軍杯が上がるが、アジアの閉鎖的な絵が嫌いな自分にとってアメリカの雰囲気は違ったエッセンスとして良かった。餃子食いたい

2014年6月25日水曜日

【映画】300 帝国の進撃






あらすじ
紀元前480年、スパルタのレオニダス王が300人の精鋭で100万人のペルシア帝国軍と戦っていた頃、ギリシャのテミストクレス将軍もまた、自由と平和を守るため立ち上がり、その旗の下に集まった同胞たちとともに3倍に及ぶペルシャ軍との戦いに乗り出す。ギリシャ生まれでありながら、虐げられた過去を持ち、ギリシャに対して復讐心を抱くペルシャの海軍女指揮官アルテミシアは、テミストクレスを敵ながらも評価し、味方に引き入れようと交渉してくるが、テミストクレスはこれを拒否。アルテミシアの怒りと復讐心は増大し、ギリシャを壊滅させようと進撃を開始する。


前作でテンションクソ上がったスパルタの民達は、懐古シーンとラストくらいしか出てこない。打って変わって同時期にまた自由を求めて立ち上がったアテナイの方々が今回の主人公。
しかしやってることは前作と変わらないしストーリー自体も強い、失墜、立ち上がる、更に強くっつう王道の流れなので、前作通り思考回路停止して見られる脳筋映画となってる。
導入の戦闘シーンが素晴らしい。ザックスナイダーが監督から製作に回ろうが手加減することはなかった。血!筋肉!誇張表現!スロー!血!筋肉!こちょ(ラストまでずっとこんな)

難解なストーリーも伏線が張られた群像劇も映画として高評価だが、ストーリーよりも戦闘シーンにここまで力を注ぐザックスナイダーのマンガオタク精神に感服。実際どのシーンも男心を擽る中2病拗らせ戦闘シーンで何百回観ても飽きることは無いだろう。おそらく世界共通。
エンジェルウォーズ、マンオブスティールとぼやけた作品続きだったが、七年ぶりに(前300以来)ザックスナイダーのやりたいようにやれてる作品だと感じた。

あと言及すべきは主人公よりもオーラを放つエヴァグリーン姐さんの存在。どっちが主人公かよくわかんなくなるくらいオーラを放っていたが、その物憂げな表情、ダイナマイトバディ、極悪非道な性格は濃いキャラクターとして記憶に残るだろう。
おそらく幼少期に酷い経験をし、戦闘にだけつぎ込んで来た姐さんはなかなか強いテミストクレスが現れた事により愛にシフトしたのでは?と考える。しかしやはり女性ということもあり弱さを持つ部分もあるため戦で命を落とす。


全体としてかなり高評価だが、前作に比べると新しいクリーチャーなどはなく、またほとんどが海の上なため少し絵に見栄えがしないと感じた。炎の戦術や体当たり、谷間に追い込む等は良かったが、地上戦をもう少し観たいところ。


途中のエヴァグリーン姐さんとテミストクレスの”戦い”のシーン以降はやり逃げされた元カノが復讐する戦いにしか見えませんでした。いや実際個人的な恨みあるでしょあの感じ。

そしてまた続編を地味に匂わせるラスト。ペルシャの神王倒してないし。もういいぞザックスナイダー、これ以上作るとコケる。

2014年6月24日火曜日

【映画】12モンキーズ





よく頭のおかしいやつだとか、あいつの言ってることは常道を逸しているなんて言うが、果たして一体どれが常道なのかという話。
正常とはどの観点からいうのか?

映画は近未来の話。人類はウイルスによって99パーセント滅び、残りの一パーセントは地下に逃げ込んだ。もはや地上に出る望みはない。だとしたら過去にさかのぼってウイルスをばらまく原因を突き止めればいい!というわけで選ばれたのが囚人ブルースウィルス。何度も過去にさかのぼりだんだんどっちが現実かわからなくなりながら原因を突き止めていく。その中で出会う12モンキーズの頭であり頭のちょっとおかしい細菌学者の息子ブラッドピットはイカれてるけれども間違ったことは言わない。
テリーギリアムは似たような近未来SF未来世紀ブラジルで、どんなにシステムが進化してもそれは時にもろく、どんなに情報統制されていっても人の考えることまでは奪えない人の強さみたいなものを描いた。
一方で12モンキーズでは誰しもが実際思ってるしおかしいと思ってることは言ったり実行するとキチガイとして扱われ社会から疎外されることを描いている。事実、劇中でウィルスミスはタイムマシーンで過去と現在をループしていく中でどっちが今かわからなくなり、またどっちが理想なのか混乱し選択を迫られる。

誇大解釈かもしれないがラスト、細菌学者を撃ち殺さなきゃいけない時に撃たずに振り返ってしまったのは過去の世界をチョイスしたからなのではないだろうか。
結果としてそれは未来のお偉いに伝わり、お偉い直々に救済保険として細菌学者をとらえに来るわけなのだが。

12モンキーズの見どころとしてはやはりブラピの演技だろう。今では低い声でクールな役ばかりの彼だが甲高い声でロンパリながら激論を飛ばしてお尻を出しちゃう演技が非常にいい。
ブルースウィルスは根本的に俺があまり好きではないのでカーラジオを聞くシーンの演技以外はダイハードにしか見えず。
それとなんといってもテリーギリアムといえば小道具。未来世紀ブラジルでもわけのわからないひょうきんな小道具がたくさん出てきたが今回もそれ必要?とおもわせるおかしなものがたくさん出てくる。コメディ出身だけあってなんとなく安心感のある映像を見せてくれるので子供でも楽しめるはず。
 
 
内容キャスト演技小道具どれをとっても総合的にハイレベルな作品。
ただ近年のCG効果等を見すぎてしまうと何となく物足りなく感じるかもしれない。

2014年6月18日水曜日

【映画】チョコレートドーナツ






王様のブランチでリリコさんが涙ぐみ過ぎてコーナーが進まないのを見て気になり鑑賞。
劇中のルディの歌う力強い歌に涙する。


同性愛に対して差別と偏見が強く根付いていた1970年代のアメリカでの実話をもとに、育児放棄された子どもと家族のように暮らすゲイカップルの愛情を描き、トライベッカやシアトル、サンダンスほか、全米各地の映画祭で観客賞を多数受賞したドラマ。カリフォルニアで歌手になることを夢見ながら、ショウダンサーとして日銭を稼いでいるルディと、正義を信じ、世の中を変えようと弁護士になったポール、そして母の愛情を受けずに育ったダウン症の少年マルコは、家族のように寄り添って暮らしていた。しかし、ルディとポールはゲイであるということで好奇の目にさらされ、マルコを奪われてしまう。



何が正しくて何が間違っているか
それを他人が判断するのはとても難しい。


差別や偏見は今も世界中にあり続ける。自分と違うことに不気味がり、遠ざけようと吸うのが人間の性だからだ。
アメリカはかつて差別の塊だった。黒人、ゲイ、障害者、ラテン系。白人の根底に存在する恐怖心と、白人至上主義のプライドがそれを許さないからだ。今でも内陸部は強い偏見と差別が残るが、十州ほどが同性婚を認めた。内陸ではキリスト教原理主義者が多いために恐らく認められることが難しい。
ゲイのストーリーとしてはカリフォルニアでゲイの権威を主張したショーンペンのミルクが有名だろう。しかし大抵はコメディである。
また障害者の子供をフューチャーした映画もなかなかない。
そんな世間からのはずれものの生きにくさを、ルディの力強い歌とともに世間へ主張する。



ストーリー自体は非常にシンプルだ。二人のゲイが出合い、恵まれない子供を預かり、社会がそれを認めず立ち向かう。しかしそこには大きな壁と物理的には破壊しえない偏見の嵐が無残にも人の命を奪うことになる。
自分と違ったっていいじゃないか。たとえ周りと違ったとしてもそれは恥ずべきではないし罪を感じる必要はない。むしろそれを力にしマイノリティであることに誇りを覚えるべきだ。
ゲイの人には独特の価値観やアート性があると思うし、障害者の人にもアウトサイダーアートが有名なように普通の人間にはない感覚が宿っている。そういったものを生み出すことは我々凡人にはできないし、差別に屈せず活躍していってほしいと思う。
 



法が絶対の正義とは限らない場合もある。むしろ、法は悪に加担する場合もある。そこに必要なのは愛であり、人の心が要となる。

【映画】ディス/コネクト

SNS上で起こった事件をきっかけに、心の絆を取り戻そうとする人々の姿をサスペンスフルに描いた群像ドラマ。ある少年が、SNS上での嫌がらせを原因に自殺未遂を起こす。しかし、仕事ばかりで家庭を顧みなかった父親は、息子がなぜ自殺を図ったのかがわからない。一方、嫌がらせをしていた少年は、元刑事の厳格な父との父子家庭で、父親は威厳を示すことで愛情を伝えようとしていたが、少年はそんな父から愛情を感じるとることができなかった。互いの気持ちを知らずにいた2組の親子を中心に、つながりを求めてネット上をさまよう人々が、事件をきっかけに再び絆を取り戻そうとする姿を描く。


それは拡散される
多くの人と共有できる
なかったことにできる
本当に言いたいことを言える
気づかなかったことに気づける
未知の世界を知れる

現代に広まるインターネット、SNS。

それらを批判だけでなく、いい側面も捉えながら様々な形で人々の時間と複雑に交差しながら最終的に集結していく。

利便化が進み、我々の肌で感じる対面の時間は大いに減った。
歴史から言えば、便利になればなるほどそれだけ失うものも同時に多い。
自動車が走れば自然が減り、物が安くなればなるほど世界は徐々に困窮を極める。
それは経済から生物学に至るまでの循環において至極当たり前のことであり、それを知りながら承知の上で我々は利便性を求めてきた。
新しいERAにおいて抱えるプロブレムはますます多様化し、その形態は現行法では追いつかなくなりつつあるほどだ。
100年前にはプライベートを守る法も、遠隔操作を禁ずる法もおろか、電波とはなんぞやというレベルの話。
戦争という良くも悪くも文明を発達させる手段でインターネットの大元が出来上がり、今の快適な情報飽和社会が出来上がった。

しかしそれと同時に我々は一つの問題にぶち当たる。
それは愛の距離だ。
映画で人々はインターネットの落とし穴に翻弄されて苦悩を抱える。
しかし映画で訴えかけているのはインターネットの恐怖ではなく、人々の本質的な弱さだ。息子が自殺したことも、クレジットカードが不正に利用されたことも、きっかけは愛の距離が近くなかったからだ。もっと息子を知っていれば、もっと妻の話に耳を傾けていれば。
しかし同時にインターネットが愛の距離を引き裂いたともいえる。遠くにいても繋がれるということは同時にいつでも連絡ができるから連絡する必要がないという判断になりつつある。何も手段がなければ遠くの人間に久々に会った時の感動は計り知れないだろう。それだけに利便化というのは人の温かさを後回しにしてしまうものなのかもしれない。
どんなに優れた利器であってもそれがいい影響を与えるか悪い結果を及ぼすかは結局使う人間次第なのだと感じた


人は皆愛の形に不器用だ。
繋がることを求めてSNSを頼る。
本当は愛はすぐそばにあるはずなのに。



マークジェイコブスが思ってた以上に出てて笑った。
なんか今一つパンチが足りないと思うのだけどおそらく知ってる俳優がいないからだ。
あと絵が結構地味。
海外ポスターの副題にLOOK UPとある。日本も海外も同じなんだね。みんなスマートフォンとPCにくぎ付けで全然上を見ない。空ってこんなに広かったっけと思わせるようないいサブタイトルだと思う。