2014年11月27日木曜日

【映画】インターステラー

 



2014年度公開された映画は2001年宇宙の旅を感じさせる物が非常に多かった。アンダーザスキンでは、冒頭から目の光彩を反転させてワームホールを意識していたし、ルーシーでは猿と触れるスカヨハが超越した存在=所謂導き手モノリスでありスターチャイルドであった。
自分は熱狂的な2001年宇宙の旅信者であるし、スタンリーキューブリックの虜になったマゴッツの一人なので宇宙系の映画となればどうしても比較してしまいかねないが、今作は2001年への挑戦であり、進化であり、未来であった。要するにぶったまげた。

まず挑戦と言ったのは、本作の三時間の尺におけるプロセスが2001年を意識したものであり、シーンごとのオマージュを多く感じられる点にある。例えば今回のキーとなる時計は実際のアポロ計画の時に使用するオメガ製とは異なりハミルトン製だ。なぜかといえば2001年ではハミルトンを着けているからだ。また2001年~では当初ワームホールは土星に配置したかった。しかし土星の輪に満足しなかった完璧主義のキューブリック御大はやむなく木星にワームホールを置くことになる。そのキューブリックの無念を晴らすつもりかどうかは分からないが、ノーランは土星の横にワームホールを置いた。
また進化というのは刷新すると言う意味での進化である。2001年は当時の最新技術を限界まで集め、エッジを効かせ、極限までスタイリッシュにした。物理学者を製作に加え、まだ月にも降り立ったこともないのに、あのビジュアルを完成させた。そのため今も色あせず、昔のSF映画にありがちな宇宙探査してるのにフロッピーディスクかよ!みたいな興ざめがなく今も神格化されている。おそらくインターステラーも未来代々語り継がれる作品になるであろう。同じように製作に物理学者を交え、今分かってる最大限の技術と科学で宇宙へのフロンティアをビジュアル化した。
おそらく今後作られるSFは2014年度に相当強力な宇宙映画が作られてしまったために、かなりハードルが上がり、映画は量産され駆逐され選別されるだろう。エッジが効いていい作品が多く生まれるという考えを取れば、今作は映画の未来だと言える。


個人的にはTARSのキャラクターが非常に良かった。ビジュアルや導き手のようなポジションはモノリスのようでありながら、喋る上にユニークなジョークを飛ばすなど人とは違う第三者的な立場が存在することでこの映画のいいエッセンスになっていたと思う。事実あれが人であったとするならば、あるいはプロメテウスやエイリアン、ブレードランナーのような人型アンドロイドだとしたら、陳腐なものになってしまうだろう。無機質な有機物体であるがゆえに非常に愛着の湧くキャラクターに仕上がっていた。作中、ジョークや正直度のレベルを設定でき、それに伴いTARSが冗談をかますのだがそのセリフの中で正直度を100%にするとどうなると問うと、あまりいいことはないと答える。これは明らかに正直度100%で矛盾が生じ乗組員たちを殺したHALへのオマージュでありそのセリフを聞いた自分はスクリーンまで駆け寄って泣いた。

毎度説教的というか哲学を混ぜ込むノーラン先生の今回の授業はそこまでへヴィなものではなく(今までと比べて)登場人物に割と陳腐なセリフを語らせつつも映像で見せるという今までとは少し違う変化球な授業であった。実際登場人物に例のごとく哲学的なセリフを語らせて一歩間違えれば、おいてかれてラストまでよくわかんなくなるなんて自体が多発しただろうから、ダークナイトで商業的に当てたノーランにはもはやなんだかよくわかんねえけど意味があるっぽいセリフ(悪の法則のカルテル等)を語らせるのは難しいだろう。

今回、いや過去作から今に至るまで、あるいは近年の作品から自分が汲み取った監督の思いは、内側ばかり見ないで外側を見ろということ。インセプションでは深層心理にずぶずぶとハマっていって抜け出せなくなるディカプリオが記憶に新しい。またディスコネクトではSNSにはまった人々が闇に落ちていく他人ごとではない現状を映画化した。そのポスターは上を見上げていた。
現代人は新しい技術をすべて身の回りの便利さに費やし、スマートフォンはどんどん便利になり、上を目指すスピリットを忘れてしまった。現状で満足し、このまま欲におぼれてやりたいようにやってるといつか食糧難になってみんな畑耕しては放置して砂漠化して地球住めなくなっちゃうよ?フロンティアスピリッツとりもどそうぜ?みたいなノーラン先生の教えをぼくはこのえいがでかんじとりましたまる。
我々消費者がすべて悪いみたいな突き放した感じにもとれるけどね。

アメリカ人、あるいは人類には根本的に冒険心、探究心、フロンティアスピリットが備わっていると思う。何かを極めようという考え、金鉱を求め西へ、神の土地イェルサレムへ、目的は何であろうと人は確率は低かろうが自己犠牲によって探究する。だからこそ類人猿から人類に至るわずか数千年でここまで地球という惑星をおおよそ支配するまでに至った。
今後地球が滅びるかどうかはわからないが、インターステラーを見ることによって(三時間に耐えて)何か考えるきっかけになればと思う。
おそらくゼログラビティよりも劇場で見ないと後悔する作品。




彼の登場で絵理事有無の続編かなと思ったのは俺だけじゃないはず。

2014年10月4日土曜日

【映画】ファーナス 訣別の朝






リドリースコット御大並びにディカプリオが製作、スコットクーパー監督、クリスチャンベール、ウディハレルソン、フォレストウィテカー、ウィレムデフォーとメンツ集めるだけで莫大なバジェットがかかってそうな今作。自分の降り立ったことのある地、ペンシルベニアということもあって期待値を高めにして見た。
舞台はペンシルベニアのブラドック。鉄鋼業が盛んな街で、街自体は廃れ、アメリカ内部特有の陰気な田舎町だ。そこで金使いの荒い弟と直向きに鉄鋼業を続ける兄。しかしある日サイドブレーキを踏み忘れた車が道路にはみ出しており、たまたま酒を飲んで車を運転していた兄ラッセルはその車に衝突し、不幸にも中にいた子供を殺してしまう。実直に働き弟の世話までしていた兄は牢屋に入ってしまい、父の最期を看取ることが出来ず、嫁には出て行かれ、弟はイラク帰りで頭がおかしくなっている。すべては失われた。しかもそのタイミングで弟が金を返すためにファイトクラブ的な賭けをしていると知る。さらには悪党に捕まった疑惑。警察は何もしてくれない。弟がファイトクラブを始めたのも、イラク帰りの兵士に何もしてくれない、国は俺らに何もしてはくれないという理由だった。
兄ラッセルは教会で祈る。まるですべてを失った旧約聖書のヨブかのように。そしてラッセルは復讐に燃える。これまでの映画なら悪党を追い詰め、最後には許すだろう。しかしファーナスは違う。


これはとある田舎町の話ではない。
アメリカ全土の話だ。アメリカ中でこのような苦悩が湧き起っている。
普段我々が目にするきらびやかなアメリカはほんの小さなひと塊で、アメリカのほとんどはクソ田舎と低所得者で溢れかえっている。オバマに就任する番組が流れていることから2008年なのだろう。ブッシュの的外れなイラク派遣で多くのアメリカ人兵士が犠牲になり、無事帰還した兵士もまともに職に就けず、また国もそれに対してケアしなかった。おまけに国民皆保険は無く怪我や病気はできず、自分の身は自分で守らなければならないという意識がアメリカ人には強くある。そのためどの家にもライフルやピストル、ガンマニアに至っては戦争に行くのかってぐらいでかい機関銃を持ってるやつもいる。
また内部には厳格なクリスチャンが多い。ブッシュが当選したのは内部のキリスト教原理主義を味方につけたからだと言われている。それくらい内部の力は強い。だからどこに行っても教会があるし毎週日曜は絶対に教会に集まる。
そしてクソ田舎では警察の目はそこまで厳しくないため自家製のメス(メタンフェタミン)が多く悪党を増やす。昨今ではブレイキングバッドというドラマがアメリカで大ヒットしたが、それに近い状況がアメリカ中にある。上層階級の夫婦がある日夫に先立たれ、今の暮らしのレベルを下げたくないがために風邪薬からメタンフェタミンを抽出して売買していた未亡人がいたなんてケースも事実ある。

そんなアメリカのリアルな苦悩を凝縮しリドリー御大特有の重苦しいやるせなさと張りつめた弦のような緊張感で今作は二時間続く。


冒頭でこれまでの復讐劇なら悪党を殺さず許すが今作は違うと述べたが、ラストラッセルは悪党の頭をぶち抜く。初めは撃っちゃうのか....と何とも腑に落ちない感じだったが、今思えば、何もしちゃあくれない国に対して中指を立て、自分のことは自分でするというメッセージを込めたヘッドショットだったのかもしれない。弟が成し得なかったことを最後まで兄はケアしたのだ。



クリスチャンベールが自分が持っているgoodwearのTシャツを着ていてわかってるな~コイツぅって思った。

2014年9月7日日曜日

【映画】ケープタウン






世界的に見ても危険な国ランキングで上位に挙がってくる街、ケープタウン。アパルトヘイトの撤廃後、ケープタウンに大量に国内や周辺諸国から住民が流入したが、彼らの多くは失業者となり、治安が急速に悪化した。この国の治安の悪さは貧困と社会的格差に原因がある。
 かつては南アフリカにある美しい町として多くの観光客が訪れていたが、ここ数年は犯罪とギャングの対立戦争の中心地となりつつある。ヨハネスブルグほどの治安悪化は見られず、昼間なら徒歩での外出も可能ではあるものの、犯罪は激増している。日本国の外務省からは、市の中心部(シティ・ボウルおよび北西部)ならびに市東部のケープ・フラッツ地区には注意喚起が発出されている。
ちなみにアフリカでもっともやばいのがソマリア。ソマリア沖海賊問題で日本の諸外国との貿易において他人事ではないが、警戒レベルはレベル4でこれは外務省の出したデータによるもので、Lv1気をつけろLv2やめとけLv3行くなLv4逃げろみたいな感じで4は最大。
さらに世界で最も治安が悪いのはホンジュラスのサンペドロスーラ南米から北米までの麻薬の経由地になっており殺人事件発生率は日本のおよそ400倍。グランドセフトオートの世界を身近に感じられる世界だ。ちなみに2位はワールドカップでふるぼっこにされたコートジボワール。
 
先ほど治安の悪化について原因は貧困と社会的格差にあると言ったが、経済的不平等が生じる原因は、賃金・収入の大きな違い、労働市場税制の穴やタックスヘイブン、コンピュータ化と技術革新、人種による不平等の要因が挙げられる。ただし日本と大きく違う点は天然ガス、ダイヤモンド、鉄などの資源が豊富なのに対し技術がそこまで発達していない、さらにはそれを他国が教育するのではなく、外資として流出してしまっているために大きな格差の原因となった。また、長らく続いていたアパルトヘイト(人種隔離政策)の影響により第9地区でテーマになったような、貧しい人々がある一帯にすし詰めにされる状態になったため急速に治安が悪化した。仮に自分たちに置き換えて考えてみると、足が短い人間は職に就けないという政策があったとする。そうするとある地帯に足が短い人だけのコミュニティが出来、そこには裕福な人は近づかなくなり、またてっとり早くかつ公的な職ではないことをする。それは結果的に薬物の売買であったり武器の不正取引になってくる。
ソマリア沖の海賊も豊かな漁場を他国の大型漁船が大量に持って行ってしまったために枯渇し、っやむを得ず通行するタンカー船などを襲って身代金を要求し、生活の基盤とするしかなかったのだ。
今回この映画ケープタウンでも因果応報というか、巡り巡って返ってくるというか、報復のようなものがテーマとして根底にある。
主人公の一人である黒人捜査官のフォレストウィテカー(以下黒釣瓶)は以前アパルトヘイトにより父を亡くし(それももっとも残忍なタイヤネックレスによる死刑で)、本人も警察犬に金玉を噛み千切られ夜の営みはマッサージだけを強いられるようになってしまう。
彼自身寛大なため一連の出来事は許しているのだが、ある事件をきっかけにそのリミットが外れ、頼りない黒釣瓶から暗黒釣瓶へと進化する。その表情の変化は見物。
始めから最後までずっとガサツで野蛮なオーランドブルームよりも切れたら怖いのはこういう真面目な怖い人だよなあとふと思ってしまった。
 
 
映画全体を通して南アフリカのほのかに危険な雰囲気を撮り方や音楽でしっかりと演出できているし、それを証拠づけるような上質なバイオレンスもあり、また刑事ものとしての、じわじわ解決に近づくサスペンス要素もあり、文句なしの良作。
最後黒釣瓶は殺すべきだったのかまた許すべきだったのかを見終わって考えた。
セブンで味わった何ともしっくりこない胸に引っかかる感じに似ている。
殺すことでバイオレンスは繰り返されているということを訴えていたのか、あるいはあそこで清算しなきゃそれこそしっくりこないだろと監督が感じたからなのかはわからない。
ただオーランドブルームが最後、自分の中で父と和解したことだけがこの映画において唯一の救いだった。

2014年8月31日日曜日

【映画】LUCY

あらすじ
マフィアの闇取引に巻き込まれたルーシー(スカーレット・ヨハンソン)は、特殊な薬が入った袋を体に埋め込まれ運び屋にされてしまう。しかし、体内で薬が漏れたことで彼女の脳機能は驚異的に覚醒。脳科学者ノーマン博士(モーガン・フリーマン)が見守る中さまざまな能力が超人的に目覚める一方、少しずつ人間性が喪失し、自らを制御できなくなっていく。

2014年はキューブリック御大の偉大さを再認識させられる年だった。量産される商業映画だろうがパーソナルなマニアックフィルムであろうが、随所にキューブリック作品の息吹を感じさせ、いわゆる通過儀礼になりつつあると実感させられる。
ルーシーにおいてはキューブリック要素はもはやメタファーどころではなく、2001年宇宙の旅のアクションリメイクかと思わせるほどだ。猿が水を飲む序盤のシーンの始まり、モーガンフリーマンの言う「人類は知能を20パーセント覚醒させるイルカに対し道具を駆使して生存する生き物だ」という言葉はもはや武器を手にし進化の理由となった骨であるし、善悪の判断を完全に排除し神的領域で生きるルーシーはもはやHALでありスターチャイルドだ。では導き手であるモノリスはモーガンフリーマンか?2001年宇宙の旅が好きでたまらない人間にとっては結末がない云々はもはやどうでもよく(リュックベッソン監督作品に中身を期待してはいけないシークエンスを楽しむべき)、ニキータやレオンを彷彿とさせるスカヨハの妖艶なまでのアクション、インセプションばりの時空間移動、全体にちりばめられた2001年宇宙の旅等、おいしいとこを集めまくりましたみたいなビュッフェランチ映画(勝手に命名)だと感じた。
しかしビュッフェランチを食って食後に毎度思うのは食欲を満たされただけで本質的な感動は得られていないという点であり、ルーシーでもそれは同じことといえる。ただでさえ多くの映画のおいしい部分を拾ってきたにもかかわらず、脳のリミッターを外してチート使用後のようななんでもあり状態で、これどうやってエンディングまとめんだ?と誰しもが思ったはずだ。結果的にそれは我々を納得するものではなく、視覚的な満腹感は得られたが映画的な幸福感は得られずにエンディングを向かうこととなる。

最後スカヨハはあらゆる概念を超越し神に近づいた。その理由として冒頭の猿と触れ合うシーンがその根拠づけとなる。あの手の角度と触れ方は、途中サブリミナル効果でも差し込まれていたミケランジェロのアダムの創造でしかない。アダムの誕生は、旧約聖書の『創世記』に記された神が、最初の人類たるアダムに生命を吹き込む場面を表現しているとされている。猿とのふれあいのシーンで猿はスカヨハに人間性を埋め込まれたのだ。ってことは我々の神はスカヨハってことになる
最終的にはI am EVERYWHEREという言葉を残し、時空かあるいは素粒子にでもなったのだろう。限界まで突き詰めれば確かにそうかもしれないが、そんな漠然としたラストで高まるのは時空オタか東大理三男子くらいだろう。
我々単細胞生物(少なくとも東大理三男子から見て)にとってそんなラストが腑に落ちるはずもなく、なんで今までもののけ姫のおっことぬし様的なビジュアルだったのになんで突然味気なくなってしまうんじゃ!と叫びたくなる。


ただビジュアルとしての面白さはやはり映画を撮りまくってるリュックベッソンだと感じた。登場人物の感情を動物に置き換えたり、モーガンフリーマンの眠くなるスピーチをディスカバリーチャンネルテイストのハイビジョン映像でお送りしてくれるなど、目に訴えかけてわかりやすく作られている点は非常に良い。ストーリーラインがしっかりしていることは映画において重要なエッセンスではあるが、ビジュアルに訴えることは同じくらい重要であるためルーシーは記憶に残るいい映画だと感じた。

後は個人的にキャストにチェミンシクがいたのが高評価。オールドボーイと顔つき変わってない。



2014年7月28日月曜日

【映画】ゴジラ





人類は有史以来バイオレンスを持ってして進化を遂げ、その最終形態が核であると、キューブリック自身も映画で語った。地球上の生物はおろか、無機質までも塵に変える核弾頭。ではそれを超越した存在がいるとしたら?おそらくそれは神か魔物であり、それはGODZILLAなのだ。
自分は特撮オタでもないし、昭和から平成にかけてのゴジラは一つもチェックしていない(US版ゴジラは観たけど、あれはゴジラではなくB級ダイナソーパニックなのでカウントしない)。そのため今回のゴジラは新鮮な気持ちで見ることが出来た。


ゴジラのバックグラウンドとしては1954年公開当初のゴジラの説明は、ジュラ紀から白亜紀にかけて生息していた海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物の末裔が、度重なる水爆実験により安住の地を追い出され姿を現したものがゴジラであると語っている。しかし、以後の作品の多くでは、核実験の放射線で恐竜が変異した生物であると解説されている。
今回のゴジラはその背景を一切無視し、今までビキニ沖でやりまくってた核実験は実はゴジラを倒すためにぶち込んでたんだよというあらすじ。要は核が効かない存在なので人間のリーサルウエポンが効かない以上なす術はない。


全部で二時間程度の尺があるため長く感じるかと思ったが意外と短かった。しかしジョーズと同じ手法で正体を現すまでに非常に時間をかけているために、実際ゴジラが出演している時間は合計で10分無いんじゃないだろうか。それだけゴジラが全貌を明らかにし満を持して感を出しながら咆哮するシーンは鳥肌が立った。実際ムートーのが誕生から夫婦愛まで延々やってるからムートーが主役なんじゃないだろうか。というか怪物の交尾を前作「モンスターズ」で見せられ今回も怪物の新婚生活を見せてくるあたり監督は相当な変態である。
まあただ言えるのは後半にかけてだんだんゴジラがかわいく見えてくるということ。
ゴジラの顔は従来猫顔だったがギャレスエドワーズが犬好きってことで犬顔になったらしいのだが目とかつぶらだしのしのし歩いてるしゴジゴジって呼んであげてね!みたいなところはあった。
中の人(着ぐるみではなくモーションキャプチャーの意)はロード~のゴラムや猿の惑星のシーザーでも演じたアンディサーキス。人間離れした動きをし、初の着ぐるみゴジラじゃないCGゴジラの化け物感」を見せつけた。

映画自体は怪獣映画でありながら社会的なメッセージを内包し、尚且つ多角的な愛をバランスよく映していると感じた。
ゴジラの全貌がまだ人々にとってわからない前半部分は、3.11の原発をかなり強く意識ており、後半部分のゴジラ襲来は、9.11の恐怖を思い出させる描写だと感じた。おそらく日本では原発をぶっこわす描写なんてのは10年先までできないだろう。今回海外から日本の描写ができたために原発はいいエッセンスとなった。これを見て原発厨がゴジラ並みに咆哮しそうだが、海外に向けてその声はおそらく届かないだろう。余談だが脱原発を唱えておきながらエアコンを使わないでクソ暑い夏を過ごせるのかと問いたい。


今回がキーワードとなる。ベガスで扉を開けると、、、核廃処理施設の扉を開けると、、、捕らえられたジョーがムトーの電圧で扉が開く、瓦礫の扉を開けるとムトーの卵が、など数多くの扉のシーンがある。そのシーン自体はおそらく大して意味はないのだが、扉を通してあるメッセージを含むと考えた。それは社会問題を抱える現代社会を、ゴジラを通して新時代が幕開けるという監督の考えか?あるいは何が待ち受けるかわからないこのご時世に舐めてるとゴジラが現れたりするかもしんないからあんまり人間本意で生きるなよというメッセージか。ただ単純にギャレスエドワーズ監督のやり方なのか。いずれにせよそれは見るものに委ねられるはず。


単純なパニックとアクションの連続かと思いきやヒューマンドラマやギャレスエドワーズお得意の「本当に起きた」みたいな描写が非常に良かった。上流から流れる燃え上がった戦闘機の残骸や大渋滞の中に墜落した飛行機を上空から撮ったり、ゴジラが通ったため壊れてしまったであろう鉄橋、孵化したムートーが海に向かって地面に爪痕を残しているなど、本当にモンスターっているんじゃないかと思わせる技術には脱帽。
残念なのはそういった被害だとかリアリティの部分が上手いだけに、戦闘シーンが少しダレる印象
それに付随して脚本がイマイチ。ゴジラを感じるには素晴らしいが映画として考えるとそこまでは面白くない。
あとブレイキングバッドで一躍有名になったブライアンクランストンがたくさん出ててブレイキングバッド好きの自分にとって非常にありがたいのだけど、片言でモシモシとかスグイキマスとか言わせるとあほっぽいからやめてほしい。掛け軸に日本って書いてあったり招き猫おいてあったり日本のイメージが相変わらずおかしいのは何とかならんのか。

2014年7月15日火曜日

【映画】プレイスビヨンドザパインズ







映画において導入部分はその映画全体の評価する重要なエッセンスだ。実際、総合的に見て映画はつまらなかったとしても、シーンの印象として強力に頭に残っているものはいくつもある。導入部分の高まりが強ければそれだけ後のシーンに与える影響は大きくなる気がする。ダークナイトの銀行強盗、ドーンオブザデッドの住宅街パニック、ドラゴンタトゥーのCG、ウォッチメンのPV的シーンなど、それだけで十分価値がある導入は多い。逆にユージュアルサスペクツなどは世間的な評価は高いが導入がつまらなくて自分は好きではない。
結局何が言いたいかといえば、プレイスビヨンドザパインズの導入は俺の視神経を鷲掴みにし、一瞬にして虜にさせた。バタフライナイフさばきから古着感あるメタリカT、きらびやかな遊具、赤革ジャンにタバコ、顔が露わになり球体バイク無双(ハチのようなうめき声をあげて回転する三台のバイクはなかなかの見物)までの長回しの導入だけで、どれだけの人間がゴズリングに陶酔したことか。最初は元気の無いばかうけみたいな顔してんなと思ってた俺も、さすがに惚れた。一回虜になってしまえばどんなゴズリングでもかっこよく見える。穴だらけで裏っかえしのTシャツを着るゴズリング、ローキックでタイ人にボコられるゴズリング、ひげボーボーで家を建てるゴズリング、オタを演じるもガタイが全然オタじゃないゴズリング、、、ただしかっこいいからって真似すると、俺らの場合全部痛い人になる。

導入のシーンの良さはもちろんのことだが、序盤の強盗のシーンの緊迫感もPOVを駆使してリアリティを追及しており見ごたえがある。荷台でゲロ吐くとこなんかはかなりリアルでいいし、今までにこういった描写はあまりなかった。実際あんな緊迫した状況から解放されたら吐くこと間違いなし。


息子が洗礼を受けることや、収入豊かな黒人男性(白人ではなく黒人であることも重要)により自分の息子が自分の思うようにいかないことに怒り、ゴズリングが怒り狂い森を駆け抜けるシーンがある。いわゆるはぐれ者のゴズリングと違って、息子は常道に強制的に進まされている。ゴズリングはアイスを食べさせてバイクに乗らせたいのに、その願いはかなわないかと思われた。しかし血は嘘をつかない。どんなに強制されようが息子は同じようにバイクにまたがる。その輪廻の宿命に心打たれる。同じ坂道を二人が駆け抜けるシーンは印象に残る。


全部で三章に分かれてるが残念ながら三章目が胸糞。ラストにかけて必要なエッセンスなのかもしれないが、カタルシス以前にとにかくブラッドリークーパーの息子がうざくてキモい。ヒップホップかぶれの胸毛野郎なのだが、開口一番に撃ち殺して欲しかった。あいつがいなければ(せめてほかの俳優)この映画の評価がだいぶ変わってくる。あいつ一人だけの話ではなく一章が濃すぎて後半がどんどんだれていくイメージ。デインデハーンの演技が唯一首の皮一枚繋いでいるといった感じだ。有望ですな。


タイトルのプレイスビヨンドザパインズ。松林の向こう側という意味だがここにおいて何を意味するか。
まっすぐだけど不器用な空回りしちゃうワルと、まじめで実直に生きてきたが正義だと思ってたものが汚職にまみれたごみ溜めだったことで葛藤する男と、その血を受け継いだ二人の子。出会うこと、ライフスタイルは宿命であり、生きる上でのそれぞれの課題は受け継がれ螺旋は死んでも続く。それぞれ課題は違ってある。しかしその先には何が待ち受けているのか?アメリカ北部の松林が生い茂る地帯。最後、デインデハーンは500ドルでホンダのバイクを買い取り、父のように無口に去ってゆく。その先にあるものは?もはや復讐ではなかろう。一度も見たことのない父のように、バイクを家族として生業としていくのだろうか。そんな意味を含めたタイトルだと思う。
アメリカのイヤーな部分と人間の本質的な性と螺旋を描いた名作。

序盤がぎっしりしているだけに最終章のパンチが欠けるのは非常に残念だ。

余談だがアメリカの若者の性事情。ゴズリンが子供ができちゃってたように日本よりできちゃった系が多い。そのため若者は妊娠を避けるためア*ル*セッ*スが多い。結果的にエイズ感染者もめっちゃ多い。



あと15年たってんのにブラッドリークーパー変わらなすぎ。

2014年7月10日木曜日

【映画】グランドブダペストホテル






あらすじ
1932年、品格が漂うグランド・ブダペスト・ホテルを仕切る名コンシェルジュのグスタヴ・H(レイフ・ファインズ)は、究極のおもてなしを信条に大勢の顧客たちをもてなしていた。しかし、常連客のマダムD(ティルダ・スウィントン)が殺されたことでばく大な遺産争いに巻き込まれてしまう。グスタヴは信頼するベルボーイのゼロ(トニー・レヴォロリ)と一緒にホテルの威信を維持すべく、ヨーロッパ中を駆け巡り……。


フォレストガンプでは人生はチョコレートだと言っていたが思うに映画もチョコレートだと思う。
その包み紙を開けるまで味も観た目もわからない。包み紙が豪華で宣伝がとてもおいしそうに言っていようが、中に入ってるカカオが高級だろうがまずいこともあるしそれが好きな人もいる。
ダイハードとかは所謂ウォールマートとかで大量に安売りされている袋詰めのチョコレート。
ブダペストホテルは言うならば金の包み紙に包まれた、高級な食べるのが惜しいチョコレート。
ウェスアンダーソン監督の作るチョコレートは箱にみっちみちに凝縮されていて一つ一つがそれぞれ違った味。それもとてつもなくおしゃれな箱に入っている。
食べる年齢によっても味わいは変わりそうだ。


ウェスアンダーソンはテキサスで生まれた。
テキサスなんぞ言うなれば埃っぽい街にTボーンステーキをかっ食らう筋肉バカとバカ騒ぎする若者くらいしかイメージが湧かないが(完全に悪魔のいけにえの影響)、恐らくウェスアンダーソンはそんなステロイド脳に適合出来ずプレッピーに憧れを抱き続けた。そしてダージリン急行ではインドを経てライフアクアティックでは海底を経て、遂に本丸であるヨーロッパプレッピー文化のど真ん中をテーマとして取り上げたのだ。
よくある外人が他国をテーマに取り上げるととんでもないものが出来上がるが(日本と中国がごっちゃになってたり、スシ!ウドン!とか叫んでたり)恐らく勉強し尽くしただけあってヨーロピアンテイストを完全にクリアしている。

やり方としては今までと一ミリも変わっていない。左右上下のパン、横スクロール、キャラクターの濃さ、アイテムのこだわり、ウェスアンダーソン節の炸裂である。
今までと違うのはストーリーがしっかりとある(笑)。まるで今までがなかったというような言い方だが今まではすげえ雑だった。



シュテファン・ツヴァイクの昨日の世界を軸にしているがこの際それは知らなくても問題はない。知っていれば内容がもっと深く知れるという程度だ。これまでの作品と違い興行収入が伸びているのはウェスアンダーソン作品がかなり一般的になりまた一般にも分かりやすく楽しめる作品になったことを物語る。ただだからと言ってウェスのやりたいことを妥協したようには見えず、ヒッチコックやキューブリックの踏襲でありながらもサイレント映画をも匂わせながら、脱走劇、銃撃戦、ストップモーションとありとあらゆる世界を混ぜ込んで絵本的世界を独特の世界観で作り上げている。

まあ難しいことを抜きにしていえばめっちゃオサレ。徹底されたウェスアンダーソン美学。群集劇好きの私にとってこれだけ個性豊かな面々がそれぞれ個性を爆発してくれるとうれしいものだ。

言いたいことが特に出てこなくなってしまうほどいい映画。
オーウェンウィルソンが全然出てこなくて残念。