2013年2月28日木曜日
【映画】七人の侍
日本が誇る巨匠黒澤明監督の七人の侍鑑賞。時計じかけのオレンジ同様、いまさら私が何か言う必要もないし偉そうに批判なんてこともできないのでレビューするまでもないのが事実なのだが思ったことを少し。
あらすじ
戦国時代、戦により行き場を失い盗賊と化した野武士の一団がある農村を狙っていた。村は前年も野武士に襲われ略奪の憂き目にあっていた。村が絶望に包まれる中、利吉という若い百姓が我慢の限界に達し、野武士を皆突き殺すべきだと主張する。村人の相談を受けた長老の儀作は村を守るために侍を雇うことを思い立つ。
ここからは見ていない人に話すつもりでひも解いていくのでご了承を。
ディスクは二枚組で一枚目には勘兵衛が仲間を集めるまでの話、後半は野武士と戦う話といった内容となっている。
勘兵衛の人柄がしつこいくらいに良い人に描かれている。余裕があり強く、それでいて謙虚で人間の鏡のような人だ。一方で三船敏郎演じる菊千代は、落ち着きがなく動物的で頭があまりよろしくない。しかし菊千代が誰よりも百姓の気持ちがわかっていて、戦に心を奪われていない人間だ。
久蔵は無口で表情がないが剣の腕は誰よりもある。こんな感じで非常にバランスがとれている。
荒野の七人を見ると笑ってしまうほどキャラクターを忠実にオマージュしている。異なるのは勝四郎と菊千代の行為がかぶっているところか。
~休憩~(見ればこの意味がわかる)
技法についてもいまさらひも解く必要もないが、徹底した望遠レンズでパーンフォーカスを駆使し、役者の自然な表情を引き出している。黒澤先生はカメラを二台から三台同時に撮り、あらゆる角度から撮影していたそうな。俳優も体中で演技しなければいけないから気を抜くことができずかなり疲れるだろう。
パーンフォーカスとはおおざっぱにいえばピントを全体にあわせること。普通手前の人間と奥の人間を撮る場合、絞り方でどっちかがぼやけるが、光を強くしてどちらにもピントを合わせる。黒澤先生曰く、ぼやけるくらいなら奥の人間は映さないほうがいいそうな。確かにしゃべり手を見る人間がいればそれを傍聴してる役を見る人間もいる。そしてそのどちらをオーディエンスが見ているかは分からない。そう考えればこの理論は正しい。しかし最近では一眼レフのような極端な絞りでぼやかす技法が流行っているが、それはそれ。
終戦後間もなく作られたとは思えない、というのが正直な感想。笑いも色あせず今も笑えたし、アクションも躍動感があってハラハラした。火縄銃に打たれて死ぬ時のモーションとSEがかみ合ってなかったのが残念だったが当時の道具から考えてまず無理だろう。冒頭の農民の会話なんかただでさえ方言で分かんないのにコモって聞こえないから日本語字幕で見たくらい。
七人の侍は多大なバジェットと200分というとにかく長いストーリーで当時としてはありえないフィルムだった。エキストラ、俳優、アクション、ロケーションすべてが観ていて自然体があり、それが恣意的であると感じさせないあたりが莫大な金がかかっていることを物語っているのであり、その自然体が三時間余りの長丁場を長いと感じさせないあたりにミラクルを起こしている。結果として後世まで語り継がれオマージュ作品は多く作られ、日本の監督はおろか、海外の多くの監督までをも虜にしてしまうことが七人の侍はすさまじい映画だという証明となった。日本人なら見ないと死んでから黒澤先生に怒られます。アルゴで大成功したサムライミあたりにリメイクしてほしいけど、タイトルはきっと七人のサムライミなんだろうね。死。
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