2013年2月17日日曜日

【映画】ソイレントグリーン




2022年のアメリカ、工業化がすすみケミカルがのさばり水を汚し、大気は汚れ食べ物が育たなくなった世界。野菜はダイアモンドより高価になり牛肉などさっぱり目にしなくなった。食べ物は高価すぎて買えないので、ソイレント社が作った非常食のようなソイレントグリーンを配給で食べ、人々は生き延びていた。
雇用制度は衰退しており町は浮浪者であふれかえり、気をつけて歩かないと踏んでしまうほど道には浮浪者が。しかしその一方で高所得者は天国のような暮らし。お湯をふんだんに使い、いいにおいの石鹸、モダンなデザインのインテリア、最新鋭の機械、本物の野菜を食べ、暮らしは保障されている。



主人公のソーンは警部として知恵袋役のソルじいさんと小さなアパートに一緒に住んでいた。

そんなある日ソイレント社の重要な幹部がゴロツキによって自宅で殺される。しかし幹部は死ぬ間際にまるで殺されるのを待っていたのかのような様子で抵抗もせず意味深な言葉を口にして死ぬ。

ソーンはこの事件を担当し単なる強盗ではないと読んだ。何も奪われていないし、何より普段から厳重な警備がたまたま薄れていて、しっかりなっていた警報機が鳴らなかったからだ。しかし捜査を進めていくうちにお偉いによって終止符を打つよう告げられる。頑固者のソーンはあきらめきれず捜査を続けるが恐るべき事実を目の当たりにする...。



有名な映画なのでもはやネタばれなんてものにはならないだろうが、一応もったいぶってみた。恐るべき事実、それはソイレントグリーンとはプランクトンから生成されたものではなく人間だったのだ。
終盤同居人のソルがこの事実を知り、安楽死をする。ソーンはソルの死体がどこに向かうのか気になり尾行する。そしてたどりついた先はなんとソイレントグリーン工場だったのだ。プランクトンなどとうの昔に死滅していた。増えすぎた人口で対処するにはもはや人間を人口加工物に変えるしかなかったのだ。政府はそれをひた隠しにし、その事実を知ってノイローゼになってしまった幹部は情報がリークされるのを恐れて政府がころしたのだ。
ソーンは最後に、「ソイレントグリーンは人間だ!早くなんとかしなければ食用の人間が生産されることになる」と危険を示唆する。この映画で最も恐ろしいのは70年代に作った映画なのに、割と今の状況とリンクしていることだ。人口はこれからも増え続ける。また温暖化もいまだ存在するとは言われている。そして食品加工問題、大気汚染、雇用問題、予言ではないが、あながち間違っていないところが恐ろしい。

ソイレントグリーンで語られるべきは、大量生産が生む危機モノの価値、そして当時タブーであっただろうカニバリズムについてだ。間違いなく70年代SFとしては最高傑作であるしなにより脚本が素晴らしい。演技も撮り方も完ぺきだ。


ものがありあふれてる時代、誰が目の前の食べ物の価値をわかるだろう?これは食べ物に限ったことではない。生きるということだけでも感謝をすることを我々は忘れがちだ。ここにキリスト教の日用の糧に感謝せよ、という一節が当てはまる。
我々はバブルの頃、湯水のごとく金や物を使い大量に消費しては捨て、デフレが到来するとはじけたバブルを惜しんだ。今日を生き延びるための目の前のものがあることにありがたみなど微塵も思わなかったはずだ。これが人間の生まれ持っての罪、原罪であるといえる。人間は弱い。よほど訓練しなければ岩のように固く粘着質な欲というものに一生苦しめられる。あの親鸞和尚でさえも自分の欲深さに嘆いたのだから無理もない。映画の魂胆にその説教が感じられる。


劇中、事件があった大豪邸を捜索する際、ソーンは宝石より高価なリアルでフレッシュな野菜や肉などの食べ物を見つけ、職権乱用により持ち帰る。ソーンは生まれてこの方ビスコみたいなソイレントグリーンしか食べていないので味はわからない。ソルに見せると幸せそうな顔をしてビーフシチューを作る。多分このシーンがこの映画で最も見どころだと思うのだが、まるで本当に初めて食べたかのような、ソルでいうと本当に久々に口にしたかのようにおいしそうにビーフシチューを食べるのだ。初めて口にするレタスのシャキシャキ感、小鍋でじっくり煮詰めたビーフシチューの旨み、デザートにちょっと硬い小ぶりの甘いリンゴ、味がまるで伝わってくるかのような素晴らしい演技。あれこそ俳優っていうんだよな。どっかのエグザイルがチョロっとやる演技ってのは遊びだと改めて感じた。あれは素人にはできない。

人間の死体が人々に知られずに食われてるなんてソイレントグリーンはすさまじい映画だ~なんてなまぬるい考えをもっているのならば再考すべきだ。我々の食事は保障されているとは限らない。自分で栽培したものならば別だが、そのコンビニの弁当は本当に豚の肉?米?野菜?
人間とまではいかなくとも正しいものであるとは限らない。

0 件のコメント:

コメントを投稿