賛否両論あった作品。完成披露試写会の時はスタンディングオベーションとブーイングが同時に沸き起こったらしい。果たして私はどちらのサイドか。
セックスの最中に幼いこどもを亡くした夫婦は哀しみにくれるが、夫のセラピストは悲嘆から抜け出せない妻を治療しようとする。様々な心理療法を試し、結果妻の不安の源は「エデン」についての妄想にあり、前年、論文執筆のために妻が訪れた山小屋に夫婦でいく。そこで夫は、虐殺の歴史を研究していた妻が人の心の中の悪に魅了されて抜け出せなくなっていたことに気づく。
この映画は
悲観
苦痛
絶望
の三章に別れておりまるでオペラのようだ。
タイトルが物語る通りにキリストに関する事項があくまで暗示として隠されており、非常に複雑である。
妻が語る恐れる場所Woodsの中にあるフィールド"エデン"。
これはいうまでもなく現代におけるアダムとイヴの試練を映した映画であるといえる。
心理療法の最中に示したエデンの小屋は本当に存在した。
恐ろしげな小屋はまるで今にもチェーンソーを持った男が人の皮を被って出て来そうだが幸いここには何もない。
道中鹿を見かける。鹿の尻には流産した子鹿がだらりとぶら下がっていた。まるで子供を亡くした男を小馬鹿にするかのように。
苦痛の章ではキツネが自分の身体を食っているところに遭遇する。これは苦悩に苦しみ自らの身体を自責する罪を象徴している。
絶望の章では埋められていたカラスが泣きわめく。結果夫は妻に見つかり殺されかける。
この三匹の使いが果たしてキリスト教におけるどの役割を果たすのか考えたが、キリスト教で言う三人といえばまず東方からの三賢人が思い浮かぶ。没薬と乳香と黄金を持ってイエスの誕生を祝し警告をする者だ。しかし劇中における三匹はとても賢人というイメージではないし逆に考えれば妻が悪魔であり、それを祝す三賢人なのかもしれない。
また妻は夫を生贄に捧げようとする。魔女が行う崇拝のやり方だ。妻はジェノサイド研究をしており、フェミニストでもあった。よって後半における妻とはもはや完全なる魔女に化けていたのだろう。
カメラワークは非常にいい。会話の途中で森林を映したり絶妙なスローモーションがとても芸術的だ。ぼかし効果もミニシネマ的でよろしい。
問題は話が壊滅的につまらない。あぁそうですかといったところ。おまけにバイオレンス表現が異常にリアルである。ラストの首を絞めるシーンは数多くのスプラッタを見てきた私でも不快であった。
言いたい事はわかる。キリスト教史批判であったり現代精神分析が招きうる問題への警告であったり。
これは大衆文化的映画ではなく実験的なものだと思えば幾分傷は和らぐのだが。
4/10点中
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