2015年2月25日水曜日

【映画】アメリカンスナイパー

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クリントイーストウッドおじいちゃんはいつもPTSDについて多くを語る。
それはアメリカが戦う国だからなのか、イーストウッドが共和党寄りのアメリカ人だからなのかは分からない。戦争から帰還した英雄と呼ばれた兵士たちの栄光と闇を描いた”父親たちの星条旗”を始めとし、映画”グラントリノ”では戦争の傷から周囲と距離を置いていた老人が最後の贖罪をする話である。イーストウッド自身、古くは西部劇から現代に至るまで銃を握り(映画内で)、やれるもんならやってみろ(Go ahead,make my day)なんてハードボイルドなセリフを吐いてた人間だから、バイオレンスと精神については人一倍熟考している事だろう。映画許されざる者(1992)でイーストウッドが吐く「人を殺すってことは大変な事なんだよ」というワンフレーズに深い意味を感じてしまう。



大概、戦争は侵略される側と侵略する側によって生じる。そして歴史から見て大概が侵略する側の敗北によって終わる。
アメリカンスナイパーの基であるイラク戦争も、アメリカの被害妄想と石油欲しさによる傲慢さが生んだムダな戦争であった。大量破壊兵器が存在すると勝手に決めつけ、ブッシュジュニアは周りに翻弄されるがままにイラクに兵を進行させ、5000人以上のアメリカ兵を殺した。


結果的に大量破壊兵器など存在せず、9.11との関連性も見られなかった。


おそらくなんの歴史的な知識も無ければ、年に数回しか映画を観ない大多数の人間からすればアメリカンスナイパーは「一人の兵士が活躍した映画」、あるいは「戦争はよろしくない」と捉えて終わるだろう。それでも構わない。ただ、映画は一つ一つのシーンに意味があって編集されている。戦争賛美の映画であればPTSDの患者は映さないだろうし、家族とのしがらみもカットするだろう。如何なる戦争であれ両者は傷つき、またその傷は死ぬまで癒えない。戦争によって死なないで済んだとしても、苦しみを背負っている人間がどちらの側にも大勢いる。たとえば敵のスナイパーにも妻子がいたように。


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最後、クリスカイルを讃えてハイウェイをパトカーが大名奉行みたいに列をなして行進する実際の映像が流れる。豪華なもので路上には星条旗を掲げるアメリカ人やおそらく戦争で足を失った車いすの兵士が旗を振る。どうもそれはイーストウッドによる、戦争で人を殺した人間をこんなに讃えるのはおかしい事ではないか?と提示しているように見えた。異常な光景だと思うのは自分だけだろうか。
またその後にのしかかる息苦しいまでの沈黙のエンドロールが、何も定義せず、あとはお前らの判断に委ねると言わんばかりに投げかけられる。この兵士をたたえるか戦争をする国アメリカをどうすべきか、考えろと。あのエンドロールで退出するようではまた同じように物事に対して他人事の人生を送るだけである。あの沈黙の中、今一度考えるべきだ。我々が今直面しつつある戦争について。もはやISISと接触した以上他人事とは言えない。








映画のテーマであり、戦争の見えない傷である心的外傷後ストレス障害(以降PTSD)は近年その病名がつけられたものの、古くから存在していた。第一次世界大戦後帰還兵がまともな職に就けず犯罪を犯した事実があるし、多くが自殺した。イラクの帰還兵の2割がPTSDに苦しみ、また多くが殺人や強盗など正常な判断が出来なくなっていたという。多くの被害者は妻だと聞く。
またPTSDだけでなく四肢が欠損したりシェルショックによって手足が痙攣してしまいまともに仕事できない人間も多くいた。
映画ファーナスでもイラクの帰還兵である弟はまともな職を得られずファイトクラブのような賭けボクシングで暮らしていた。
ジェイクギレンホールの名演技が光ったマイブラザーでも帰還したトビーマグワイヤが今までと全く違う人間になってしまうという恐ろしさを描いていた。


映画自体は非常に良かった。多くの人が見て何かを感じ取るべきだし、大作だと感じた。
ただ感情移入できなかったというのが本音である。それはおそらく自分が戦場に言ってないからかもしれないしあるいは嗜好が偏ってるからかもしれない。
もっとPTSDの症状を激しめに描いたりどんな苦悩があるのかを強く描いてほしかった。
ただこれはリアリティを追及しているものだしそこを強くしてしまえばそれはもはやフィクションとなり人々の心には響かなくなってしまうから難しいところだが。






戦争の傷は目に見えるものよりも見えないものの方が多い。戦争は最大のビジネスとはいうが、うまい話にはリスクが付き物だ。


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タイトルをアメリカンスナイパーにしたのはあくまでこれはアメリカ側の話であってイラクスナイパーも同じことが言えるよってことか。

【映画】エクソダス 神と王



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150億もの莫大なバジェットと二か月半という短期間でリドリー御大はまたしても尋常じゃない作品をこさえた。昨今イスラエルイラク周辺での問題が目立つが、その混乱の大本にある旧約聖書から二つ目にあたる出エジプト記をテーマに今作エクソダスを作り上げた。






莫大な金と最新技術を練りこんだ今作はおびただしい数のスタッフとともに作り上げられ世に放たれた。
しかしどうだろう。金をかければすごいものは作れるがそれは安直なものになってしまった。
イントゥザストームとやってることは同じである。人間が災害に否応なしに巻き込まれその迫力に圧倒されるだけだ。
また白人がエジプト人を演じるのも無理がある。テルマエロマエと同じ批判を受けてしまっていた。


唯一良かったとすればその天災の金かかってる感と冒頭の戦争シーンか。
歴史的に作る意義があったといえばフォローになるだろうか。

【映画】ブルーリベンジ



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主人公の男は青いセダンに暮らすホームレスである。冒頭数分は全くセリフが無く、孤独な主人公を静かに描く。
ある朝車で寝ていると顔見知りの警官が窓を叩く。主人公の両親を殺した犯人が出所するのだ。
この日を待ち望んていたと言わんばかりに主人公は準備をしだす。この辺りまでで約20分。腕のいい殺し屋なのかと思いきや…
ズボラ過ぎる。
見ていてイライラするほど容量が悪く、ダメダメなのだ。ただ、それが逆に我々観客を映画に引き込ませる。ほら早くしないと敵が!とか後ろ!後ろ!みたいなおっちょこちょいで見てらんない感。
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膝に受けた矢を抜くシーンなんかはかなり笑える。薬局で抜くためのアイテムを揃え、さあ抜くぞってことで抜こうとするが痛すぎて病院に駆け込む。

まあでも普通の素人が殺しをやるとなったらこんぐらい手際が悪いよなと納得もしてしまう。気付いたら我々は感情移入しているのだ。





全編通してセリフはかなり少ない。無駄を省き、間を大切にし、静かに事が進んでいく様は、まるでコーエン兄弟の名作ノーカントリーに近い。
そしてなんだろう、アメリカの田舎町のおぞましさは。彼らによってアメリカの田舎町に行くことがどんどん億劫になっていく。ファーナスでもそうだったが、アメリカの田舎町というどこか土着性のある趣深い画が次に何が起きるのか予測ができず期待させる。日本ではそれはないが。
ポストコーエン兄弟と言われるだけあって、画面に引き込むやり方はうまい。
またレフン監督の息吹もなんとなく感じた。口数は少なくとも煮えたぎる思いだったり、シーンを絵画のように、バランスのとれた撮り方をするあたりはドライヴ好きにもたまらないだろう。インディペンデント感は少なからずあるが、それはこれから洗練していけばいい。90分という短時間かつシンプルなストーリーで、ここまで面白さを出せるのは今後にかなり期待できる。

終始緊迫感と重苦しさに溢れているものの爽快感を味わえる、なんとも不思議な体験はこれからさらに他の作品でも味わいたいと感じる程だった

最後の最後にヴァージニアからの手紙が配達される描写もいい。血で血を洗う復讐劇の本当の終わりを表すようで。

2015年2月19日木曜日

【映画】フォックスキャッチャー







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マザコンかつ自分の思うがままに事を進めてきたスペック主義の不気味な鼻の御曹司と、周りに流されやすいタイプのパワー系筋肉ゴリラ(弟)と男性ホルモンに溢れてるテクニック系髭ラファロ(兄)の話。アメリカは強いという何かにしがみついていた今から30年前に、男たちがそれぞれ欠損した何かをカバーしあう話。







ロサンゼルス五輪で金メダルを取っても、子供達に講演して20ドル貰って(今よりは貨幣価値が高いだろうが)、安い車の中でジャンクフードに貪り付き、家に帰ってもゲームボーイして粗末な生活を過ごし、ソウル五輪に備えぼろいトレーニング場で熱心にトレーニングを重ねる主人公マーク。当時のレスラーはプロになる事は許されず、アマとプロの世界は完全に分かれており、また仕事もコーチぐらいしかないらしく、かなり苦しかったらしい。だがここまで扱いがひどいのは正直驚いた。

一方で兄デイヴは家族を持、ち田舎でコーチをやるなんていう安定した未来を持ち、また技術面でも弟より勝っていた。
自分は兄弟が居ないからその感覚は分からないが、兄弟間の妬み嫉妬は必ずやあるだろう。古くは旧約聖書にもあるように、カインとアベルは妬みが原因で人類で初めて殺人を犯した兄弟とされている。
そんな兄への妬みもあり、弟マークは突然舞い込んだビックビジネスに飛びつく。その胡散臭には何かしら気づいているようではあったが(世話人のよそよそしさなど)、金が入るなら構わないといった態度でデュポンの囲いに捕らわれる。


アメリカの三大財閥であるデュポン家の御曹司、ジョンデュポンは、母から強制されていた馬を嫌い一方でレスリングを愛した。ただそれは母には認められず、自身もレスリングを出来なかったことから、マークを金で所有してコーチという形で金メダルを取り、名目としては愛国心から強いアメリカを体現するとしていたが、結局は自己満足と母に認められるという二つの目標達成がメインであった。レスリングで金メダルを取り、野蛮な種目ではないとアピールする為に。

この三人に共通するのはそれぞれが欠損しているということ、また欠損している部分を補い合っているということだ。マークは両親の愛を受けず兄デイヴに頼って生きていた。だからこそ兄からの脱却、自立。兄デイヴは弟への無条件の愛を送りながらも弟から頼られたいという思い。デュポンは母に認められる為に金メダルの達成。このそれぞれの求めるものが合致すると思われたが、そのピースの形は当てはまらなかった。


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フォックスキャッチャーというタイトルの意味を考える。フォックスキャッチャーとは貴族が楽しむキツネ狩りのことだ。映画の冒頭でも荘厳なBGMと一緒に白黒のキツネ狩りの様子が映し出されていたが、その写真を見ると分かるように、馬に乗った貴族は何もしない。キツネを負うのは猟犬であり、キツネを狩るのは猟犬なのだ。そして狩った狐は貴族のものとなる。
この映画はいわばそういうことだ。大富豪の坊ちゃんが金メダルというキツネを二匹のムキムキの猟犬に狩らせる。


嫌な仕事を他者に任せるのはアメリカ人の気質なのだろうか。古くは大英帝国からプロテスタント達がアメリカ大陸に渡ってきて、アフリカ人にキツイ労働をさせた。カルタゴ人が自分たちの戦争のために傭兵を雇ったように、金さえあれば嫌な仕事を任せがちな所がある。だからこそWASPの城は今や崩れつつあるのかもしれない。
今でこそメキシコ人の労働者は多い。アメリカに旅すれば分かるが、トイレ清掃や工事現場など人が嫌がる仕事は基本的に白人がしている事はまず無い。




この映画のほとんどは静かでストレスなくらいの緊張感と重々しさである。なんで金を払ってそんなことをしなきゃいけないんだと思うかもしれないが、火薬とおっぱいばっかの脳筋映画を見つづけるとそういう人間になってしまう。
その今にも切れそうなピアノ線が如し緊張感を保っているのが、スティーブカレル演じるデュポンである。彼は生まれつき金があったために自身の欲求だけを満たし、自分のドキュメンタリーを作ってしまうようなクズだ。しかもめんどくさいことにひどく愛国者で、ミリタリーおたくという危なっかしい男である。


アメリカ人の血なのか内在するイデオロギーなのかはわからないが、レスリングやアメリカンフットボールのようなアメリカ発のスポーツを見ていると日本とは違う猛々しさを感じてしまう。それはおそらくアメリカ人が日本人のような農耕民族ではなく狩猟民族であり、それが未だ血にまじっているのだろう。






正直全編通して重々しい雰囲気が立ち込め、あまりすっきりしないラスト(間違った形のアメリカのヒーロー)を迎えもう一度みたいとはあまり思わないのだが、不思議と違う役者だったらどう演技するのだろうだとか、実際はどんな事件だったのかなど気になってしまうあたり、私は無意識にこの映画の虜になっているのかもしれない。










試合直前の体力測定で5ポンドオーバーしてしまったマークが兄とともにがむしゃらで減量するシーンはジム欲倍増間違いなし。