2013年7月21日日曜日

【映画】キングコーン





アメリカ人はコーンでできている

冒頭のシーンでの一コマ。髪の毛を分析してみるとなんと多くのコーンが含有されていた。でもそんなにコーンを最近食べた記憶はないし、、、ところがどっこいアメリカ人は無意識にコーンを毎日食べている。


とうもろこしの生産量を世界的に見ても43パーセントとダントツでアメリカが作ってる。何でかといえば国から援助金が出ているからなのだが、なぜそこまでしてコーンを作る?5階建てビルほどある高さの倉庫に並々とコーンが詰まっているほど作りすぎて飽和している状況なのになぜ多くの農家はコーン農家にシフトする?これにはアメリカの格差と肥満の問題が根底にあった。


アメリカの低所得者から中層階級にかけてポピュラーなフードでありアメリカの象徴ともいえるハンバーガー。もはや説明の必要はないだろうが、肉をパンで挟んだファストフードだ。日本には天下のマクドナルド、バーガーキング、ウェンディーズ、モス、フレッシュネスくらいしかないがアメリカには山のようにファーストフードショップがある。アビーズ、インアンドアウトバーガー、ホワイトキャッスルなど挙げていけば日が暮れる。しかも日本に比べサイズはでかいし基本的にドリンクは飲み放題だ。しかし肥満の原因は量ではない。
バーガーセットはコーンでできている。
太る理由はここにある。

コーンでできてる?どう考えたってコーンなんて入ってないだろ!と思うだろう。
無理もない。あの黄色いキュートなコーンではなく形を変えて含まれているからだ。

まずバーガーから。もっともポピュラーなバーガーはビーフであり、ビーフは基本的に牧草を食って育つ。しかし牧草を食う牛は育つまでに時間がかかる。もっとスピーディーに育つ方法はないか?として生み出されたのが閉じ込め手法でコーンを延々牛に食わす。するとどうだろう、牛は今までの倍早く育ち肉の値段はローコストに。こうしてバーガーの低下価格化が実現する。コーンのほとんどは家畜のえさ用として流れる。しかしさきほど言ったように牛は牧草を食う生き物であり、胃が穀物に対応してない。そのため胃酸が出過ぎて胃に穴が開く。これを防ぐために牛には大量の薬も投与する。薬漬の肉を食うわけ。穀物を食った牛の肉は高脂肪で太る原因となる。

次にドリンク。どう考えてもコーン入ってなさそうだが砂糖より安価なコーンシロップが入ってる。しかもめちゃくちゃ甘い。but発がん性物質が入ってる&太りやすい。こちらもローコストで手に入るためドリンクは飲み放題という夢のような結果に。

最後にフライドポテト。ポテトはもちろんイモだが揚げている油がコーンから作られるコーン油だ。


以上の理由からバーガーセットを食うことは同時にコーンを食うことになる。
コーンスターチ、コーンシロップ、コーン油、コーンプロテイン。形を変えたコーンはあらゆる部分に多用され、安価で食を豊かにする。安くて甘くて風味豊かでいいじゃない!そう思っていた時期が私にもありました。
しかし安いものにはそれなりの理由がある。
これらのコーンは栄養価が非常に低く代謝も悪い。高カロリーでガンにもなりやすくなる。
しかしアメリカはコーンを食わざるを得ない状況だ。
雇用は衰退し、保険はなく、病気になれない。それに富裕層が搾取しているためアメリカンドリームは遠い昔。食わざるを得なくて太らざるを得ないのだ。アメリカの肥満問題は貧困とリンクした国家問題だった。

そのうちアメリカに行ってファーストフードショップに入ったらセットを頼んで、いろんな思いを込めてバーガーをほおばってほしい。そこにはアメリカの味が詰まっている。

2013年7月15日月曜日

【映画】おいしいコーヒーの真実





我々は日々欠かさずコーヒーを飲んでいる。それは太古の昔から変わらぬことであり、コーヒーはある種の血であるといっても過言ではない。世界で消費されるコーヒーは一日に20億杯を超えそのニーズは年々増している。消費されるコーヒーのほとんどがエチオピアで生産されており、そこには破格の値段でネスレやイリーなどにコーヒーを買われ苦しむ農家の姿があった。

この映画は2006年に英米共同で製作されたドキュメンタリーである。
 エチオピアでのコーヒー生産農家の地位向上のために活動するタデッセ・メスケラに焦点を当て、世界経済・貿易の不均衡と搾取の実態をレポートしたもの。
全世界で1日20億杯飲まれるコーヒーは、石油に次ぐ取引規模を誇る[3]国際商品であるが、その莫大な市場規模に対してコーヒー農家に支払われる対価は低い状況が続いている。そんな中で1990年から2000年にかけて発生した国際市場相場の暴落は生産者の生活を崩壊させ、麻薬生産へ転向する生産者が出るような状況に陥っている。アフリカ・エチオピアでそうした状況を打破しようと生産者組合を組織して奮闘する活動家タデッセ・メスケラに密着し、コーヒー農家の過酷な生活実態と、取引相手となる先進国大企業の不公平な取引事情を描く(引用元wiki)

コーヒーの国際価格はニューヨークとロンドンの取引所で決まるのだが、その数字を元に業者は安く仕入れ農家は安い賃金が入ることになる。
エチオピアの女性は日給0.5ドルで休むことなく手を動かし働いている。コーヒーの価格が安くなればなるほどエチオピアの農家たちの暮らしは貧しくなり、ろくに教育も受けられないような状況が続いている。
電気もついてない部屋にすし詰めで集まる大人から子供が同じ内容の勉強をしている。過程によって収入はさまざまだからだ。
カットは変わり、シアトルにあるスターバックス一号店。シアトルの自信満々女二人組みがコーヒーを売ることに生きがいを感じているようなまぶしい笑顔を振りまく。まるでこーひーの産地に悲惨な状況が訪れていることを露も知らないかのような。
彼女たちが提供していたコーヒーはシダモ地域というところで作られている。そこではなんと飢餓が問題としてあり、ユニセフが栄養失調の子供たちに配給をしていた。


自分が日々飲んでいるコーヒー、それはコーヒーに限らず、食べているもの、飲んでいるものがどこで作られどんな問題があるのかを考えたことはあるだろうか?
我々が日々当たり前のように扱ってるものは多くの人間の手間と苦労があって、当たり前になっている。日本ではよくクレームが店に対して起こるが、平和ボケが生んだ産物だろう。それなりの対価を支払った店にはそれなりのサービスがあたえらるわけであり、高級品とジャンクを同じテーブルに載せることは具の骨頂であるだろう。マクドナルドであなたが頼んだバーガーに髪が入ったのならそれは150円の対価であるが故仕方ないのだ。6000円払って入ったフレンチのコースに髪が入っていたのならばそれはクレームをするべきだろう。
日本などまだましなほうだ。ファーストフードネイションという映画を見ればわかるが、ハンバーガーチェーンのバイト君がバーガーにつばを入れてそれを食うのを見て楽しむなんてシーンがある。フィクションではあるがそんなことが起こりうるほど安いものにはそれなりのサービスが提供される。
また店での瞬間だけでなく、例えばメキシコ移民が工場で屠殺する時に大腸菌が混入したり、あるいは大量生産されたとうもろこしから作られた発がん性の高いコーンスターチが使われていたり、一つ一つたどっていかないとそれがいったいどんなものなのかはわからない。目の前にあるタダのチーズバーガーは、実は大腸菌が入った、発がん性の高い、移民が作ったチーズバーガーなのかもしれない。
言いたいことは安いものにはそれなりのワケがあるということだ。

2013年7月14日日曜日

【映画】パンズラビリンス



公開当初多くの人がこの映画にテラビシアにかける橋的なファンタジー要素と何か幸せになれる不思議な映画だと思い込んで劇場に足を運んだことだろう。ところがパンドラの箱を開けてみれば中には戦争とメキシコ的生死表裏一体観、そしてグロテスクな描写がたんまりあることに思い知らされる。私自身ジャケットでこの映画の内容を大体こんなもんでしょ?と決めつけていた。
ギレルモデルトロ監督はそこまで甘くなかった。
米アカデミー撮影賞・美術賞・特殊メイキャップ賞、全米映画批評家協会賞の作品賞などさまざまなタイトルを獲得し各国で激賞された。ダークファンタジーと太鼓判を打っているがどう考えても戦争映画であるし、ネグレクトや幼児虐待といった現代社会の暗部にも通底するドス黒いメッセージ性をも含む。戦争としての面とファンタジーとしての面が同じ時系列で同時に進み、最終的に一つになるというストーリーの構造であるが、二つの住み分けがうまくなされており観ていて混同することなく楽しめる。

あらすじ
1944年のスペイン。内戦終結後もゲリラたちはフランコ将軍の圧政に反発していた。そのため、緑深い山奥でも血なまぐさい戦いが繰り広げられていた。おとぎ話が大好きな少女・オフェリア(イバナ・バケロ)は、臨月を迎えた母カルメン(アリアドナ・ヒル)と共に、その山奥にやってきた。駐屯地を指揮するフランコ軍のビダル大尉(セルジ・ロペス)と母が再婚したからだ。しかしビダル大尉は、ゲリラの疑いがあるというだけで農夫親子を惨殺するような残忍な男だった。ビダル大尉を恐れるオフェリア。一方、小間使いのメルセデス(マリベル・ベルドゥ)は実はゲリラ軍の協力者だった。大尉の元に潜り込んで、ゲリラ軍に情報を流していたのだ。そんなメルセデスと仲良くなるオフェリアだが、ある日、ひょんなきっかけから不思議な迷宮(ラビリンス)に迷い込んでしまう。そこには山羊の頭と体をしたパン(牧神)がいて、彼女に驚くべき事実を告げた。オフェリアは魔法の王国のプリンセス、モアナの生まれ変わりに違いないと言うのだ。そして満月の夜が来るまでに三つの試練に耐えられれば、両親の待つ魔法の王国に帰ることができると言う。その言葉を信じたオフェリアは三つの試練に立ち向かう決心をするのだった。こうして幻想の世界にのめり込んでいくオフェリアの周りでは、ついにゲリラ軍とフランコ軍の、血で血を洗うような戦いが始まる……。


スペイン内戦やフランコ独裁政権について知らないことにはこの映画を楽しむことはできない。
スペイン内戦とは1936年、マヌエル・アサーニャ率いる左派の人民戦線政府と、フランシスコ・フランコを中心とした右派の反乱軍とが争った戦争。スペイン共和国政府に対して、軍事反乱を起こしたフランコ将軍はナチスドイツと手を結び、共和国政府を支持する共和派やレジスタンス派に対して、徹底的な弾圧を加え続けた、スペイン国土を荒廃させ、共和国政府を打倒した反乱軍側の勝利で終結し、フランシスコ・フランコに率いられた独裁政治を樹立した。ナチスドイツがポーランドへ電撃侵攻を開始したのは1939年9月1日だが、その5年後の1944年6月には連合国軍がノルマンディー上陸作戦を開始したため、ナチスドイツの敗北はもはや明らかになっていた。ではその時、スペインの山の奥にこもってフランコ政権への抵抗を続けるゲリラ軍は?というバックグラウンド。
そういった血で血を洗う内戦のさなか、少女は自らの妄想により生み出した現実逃避によりむごい世界から目をそむけていたのだ。「だから少女は幻想の国で、永遠の幸せを探した」というこの映画のキャッチコピーはそれを物語る。



「パンズラビリンス」とは直訳すればパーンの迷宮となる。パーンとはギリシャ神話における農耕神ルベルスクであり、ファウヌスである。映画ではヤギのビジュアルのパーンがどう見ても悪役のような姿で現れる。家畜や森を守る神であり、劇中でも森の迷宮に生息する。パーンの迷宮と名付けられるぐらいなのだからおそらくギリシャ神話にリンクした映画なのだろう。主人公の少女は月の女神であると告げられ、その世界に戻るために三つの試練をこなす。そして自らの命を絶つことにより黄泉の国に行き、神になることからオフェリアはギリシャ神話における女神アルテミスではなかろうか。アルテミスは古くは山野の女神で野獣と深い関わり合いを持つ神であった。アテナイにはアルテミスの為に黄色い衣を着て踊る儀式があったとされるが、少女オフェリアが最後月の女神になった際に着ていたドレスは黄色でありこれはおそらく偶然ではないだろう。





女神は、森の神として、兄弟神アポローンとともに「遠矢射る」の称号をもち、疫病と死をもたらす恐ろしい神の側面も持っていた。また産褥の女に苦痛を免れる死を恵む神でもある。少女オフェリアの母は弟を生んだ際死んでいる。これもおそらく偶然ではないだろう。そして神話の中ではオレステースがイーピゲネイアと共にもたらしたアルテミスの神像は人身御供を要求する神であったとされる。アルテミスに対する人身御供の痕跡はギリシアの各地に残されていた。少女オフェリアは最後自らを犠牲として捧げることにより生贄になり、アルテミスになったのだ。


映画では冒頭にオフェリアの死とまたラストで同じシーンが流れる。しかしオフェリアの死で幕を閉じるのではなく煌びやかな黄泉の世界が映し出され終わる。これは肉体は朽ち果てても魂はよりよい世界へ行ったという一種の観客への慰め的演出であり、メキシコ人的な生と死は一体であるという観念を表した重要なシーンだ。しかし舞台を戦時下に置く必要はなかったと思う。確かに、残酷な世界に逃げる隙を与える対照的な世界は対比しやすくまた死と隣り合わせであるということ、死は終わりであり始まりであること、これらを分かりやすくするには戦時下がいいのかもしれない。しかし戦争というイメージが強くありすぎ、また事実であるが故ここの価値観が邪魔して支離滅裂な構成になってしまったと考える。





ストーリーの構成はおいておいてクリーチャーのデザインには毎度頭が下がる。ヘルボーイの死神はたまらないデザインであったが、今回も一度見たら数十年は忘れない強烈なインパクトのあるクリーチャーが出てくる。
↑ヘルボーイの面々



中でもペイルマンというキャラクターは誰がいつ見てもキモいという感想を満場一致で叩きだすツワモノ。試練の中に登場するのだが、手のひらに目が付いておりサルエルパンツみたいな皮膚でちんたら追いかけてくる。文体だけみてるとただのバカにしか思えないが映像で見るとホントにキモいしえげつない。妖精を頭から食う。パンズを知らずにこのクリーチャーを知っている人間も少なくない。ある意味デルトロ色全開ですばらしいけど、夜中に出てきたらずいずいズっころばしで眼つぶしするしかない。