2014年7月28日月曜日

【映画】ゴジラ





人類は有史以来バイオレンスを持ってして進化を遂げ、その最終形態が核であると、キューブリック自身も映画で語った。地球上の生物はおろか、無機質までも塵に変える核弾頭。ではそれを超越した存在がいるとしたら?おそらくそれは神か魔物であり、それはGODZILLAなのだ。
自分は特撮オタでもないし、昭和から平成にかけてのゴジラは一つもチェックしていない(US版ゴジラは観たけど、あれはゴジラではなくB級ダイナソーパニックなのでカウントしない)。そのため今回のゴジラは新鮮な気持ちで見ることが出来た。


ゴジラのバックグラウンドとしては1954年公開当初のゴジラの説明は、ジュラ紀から白亜紀にかけて生息していた海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物の末裔が、度重なる水爆実験により安住の地を追い出され姿を現したものがゴジラであると語っている。しかし、以後の作品の多くでは、核実験の放射線で恐竜が変異した生物であると解説されている。
今回のゴジラはその背景を一切無視し、今までビキニ沖でやりまくってた核実験は実はゴジラを倒すためにぶち込んでたんだよというあらすじ。要は核が効かない存在なので人間のリーサルウエポンが効かない以上なす術はない。


全部で二時間程度の尺があるため長く感じるかと思ったが意外と短かった。しかしジョーズと同じ手法で正体を現すまでに非常に時間をかけているために、実際ゴジラが出演している時間は合計で10分無いんじゃないだろうか。それだけゴジラが全貌を明らかにし満を持して感を出しながら咆哮するシーンは鳥肌が立った。実際ムートーのが誕生から夫婦愛まで延々やってるからムートーが主役なんじゃないだろうか。というか怪物の交尾を前作「モンスターズ」で見せられ今回も怪物の新婚生活を見せてくるあたり監督は相当な変態である。
まあただ言えるのは後半にかけてだんだんゴジラがかわいく見えてくるということ。
ゴジラの顔は従来猫顔だったがギャレスエドワーズが犬好きってことで犬顔になったらしいのだが目とかつぶらだしのしのし歩いてるしゴジゴジって呼んであげてね!みたいなところはあった。
中の人(着ぐるみではなくモーションキャプチャーの意)はロード~のゴラムや猿の惑星のシーザーでも演じたアンディサーキス。人間離れした動きをし、初の着ぐるみゴジラじゃないCGゴジラの化け物感」を見せつけた。

映画自体は怪獣映画でありながら社会的なメッセージを内包し、尚且つ多角的な愛をバランスよく映していると感じた。
ゴジラの全貌がまだ人々にとってわからない前半部分は、3.11の原発をかなり強く意識ており、後半部分のゴジラ襲来は、9.11の恐怖を思い出させる描写だと感じた。おそらく日本では原発をぶっこわす描写なんてのは10年先までできないだろう。今回海外から日本の描写ができたために原発はいいエッセンスとなった。これを見て原発厨がゴジラ並みに咆哮しそうだが、海外に向けてその声はおそらく届かないだろう。余談だが脱原発を唱えておきながらエアコンを使わないでクソ暑い夏を過ごせるのかと問いたい。


今回がキーワードとなる。ベガスで扉を開けると、、、核廃処理施設の扉を開けると、、、捕らえられたジョーがムトーの電圧で扉が開く、瓦礫の扉を開けるとムトーの卵が、など数多くの扉のシーンがある。そのシーン自体はおそらく大して意味はないのだが、扉を通してあるメッセージを含むと考えた。それは社会問題を抱える現代社会を、ゴジラを通して新時代が幕開けるという監督の考えか?あるいは何が待ち受けるかわからないこのご時世に舐めてるとゴジラが現れたりするかもしんないからあんまり人間本意で生きるなよというメッセージか。ただ単純にギャレスエドワーズ監督のやり方なのか。いずれにせよそれは見るものに委ねられるはず。


単純なパニックとアクションの連続かと思いきやヒューマンドラマやギャレスエドワーズお得意の「本当に起きた」みたいな描写が非常に良かった。上流から流れる燃え上がった戦闘機の残骸や大渋滞の中に墜落した飛行機を上空から撮ったり、ゴジラが通ったため壊れてしまったであろう鉄橋、孵化したムートーが海に向かって地面に爪痕を残しているなど、本当にモンスターっているんじゃないかと思わせる技術には脱帽。
残念なのはそういった被害だとかリアリティの部分が上手いだけに、戦闘シーンが少しダレる印象
それに付随して脚本がイマイチ。ゴジラを感じるには素晴らしいが映画として考えるとそこまでは面白くない。
あとブレイキングバッドで一躍有名になったブライアンクランストンがたくさん出ててブレイキングバッド好きの自分にとって非常にありがたいのだけど、片言でモシモシとかスグイキマスとか言わせるとあほっぽいからやめてほしい。掛け軸に日本って書いてあったり招き猫おいてあったり日本のイメージが相変わらずおかしいのは何とかならんのか。

2014年7月15日火曜日

【映画】プレイスビヨンドザパインズ







映画において導入部分はその映画全体の評価する重要なエッセンスだ。実際、総合的に見て映画はつまらなかったとしても、シーンの印象として強力に頭に残っているものはいくつもある。導入部分の高まりが強ければそれだけ後のシーンに与える影響は大きくなる気がする。ダークナイトの銀行強盗、ドーンオブザデッドの住宅街パニック、ドラゴンタトゥーのCG、ウォッチメンのPV的シーンなど、それだけで十分価値がある導入は多い。逆にユージュアルサスペクツなどは世間的な評価は高いが導入がつまらなくて自分は好きではない。
結局何が言いたいかといえば、プレイスビヨンドザパインズの導入は俺の視神経を鷲掴みにし、一瞬にして虜にさせた。バタフライナイフさばきから古着感あるメタリカT、きらびやかな遊具、赤革ジャンにタバコ、顔が露わになり球体バイク無双(ハチのようなうめき声をあげて回転する三台のバイクはなかなかの見物)までの長回しの導入だけで、どれだけの人間がゴズリングに陶酔したことか。最初は元気の無いばかうけみたいな顔してんなと思ってた俺も、さすがに惚れた。一回虜になってしまえばどんなゴズリングでもかっこよく見える。穴だらけで裏っかえしのTシャツを着るゴズリング、ローキックでタイ人にボコられるゴズリング、ひげボーボーで家を建てるゴズリング、オタを演じるもガタイが全然オタじゃないゴズリング、、、ただしかっこいいからって真似すると、俺らの場合全部痛い人になる。

導入のシーンの良さはもちろんのことだが、序盤の強盗のシーンの緊迫感もPOVを駆使してリアリティを追及しており見ごたえがある。荷台でゲロ吐くとこなんかはかなりリアルでいいし、今までにこういった描写はあまりなかった。実際あんな緊迫した状況から解放されたら吐くこと間違いなし。


息子が洗礼を受けることや、収入豊かな黒人男性(白人ではなく黒人であることも重要)により自分の息子が自分の思うようにいかないことに怒り、ゴズリングが怒り狂い森を駆け抜けるシーンがある。いわゆるはぐれ者のゴズリングと違って、息子は常道に強制的に進まされている。ゴズリングはアイスを食べさせてバイクに乗らせたいのに、その願いはかなわないかと思われた。しかし血は嘘をつかない。どんなに強制されようが息子は同じようにバイクにまたがる。その輪廻の宿命に心打たれる。同じ坂道を二人が駆け抜けるシーンは印象に残る。


全部で三章に分かれてるが残念ながら三章目が胸糞。ラストにかけて必要なエッセンスなのかもしれないが、カタルシス以前にとにかくブラッドリークーパーの息子がうざくてキモい。ヒップホップかぶれの胸毛野郎なのだが、開口一番に撃ち殺して欲しかった。あいつがいなければ(せめてほかの俳優)この映画の評価がだいぶ変わってくる。あいつ一人だけの話ではなく一章が濃すぎて後半がどんどんだれていくイメージ。デインデハーンの演技が唯一首の皮一枚繋いでいるといった感じだ。有望ですな。


タイトルのプレイスビヨンドザパインズ。松林の向こう側という意味だがここにおいて何を意味するか。
まっすぐだけど不器用な空回りしちゃうワルと、まじめで実直に生きてきたが正義だと思ってたものが汚職にまみれたごみ溜めだったことで葛藤する男と、その血を受け継いだ二人の子。出会うこと、ライフスタイルは宿命であり、生きる上でのそれぞれの課題は受け継がれ螺旋は死んでも続く。それぞれ課題は違ってある。しかしその先には何が待ち受けているのか?アメリカ北部の松林が生い茂る地帯。最後、デインデハーンは500ドルでホンダのバイクを買い取り、父のように無口に去ってゆく。その先にあるものは?もはや復讐ではなかろう。一度も見たことのない父のように、バイクを家族として生業としていくのだろうか。そんな意味を含めたタイトルだと思う。
アメリカのイヤーな部分と人間の本質的な性と螺旋を描いた名作。

序盤がぎっしりしているだけに最終章のパンチが欠けるのは非常に残念だ。

余談だがアメリカの若者の性事情。ゴズリンが子供ができちゃってたように日本よりできちゃった系が多い。そのため若者は妊娠を避けるためア*ル*セッ*スが多い。結果的にエイズ感染者もめっちゃ多い。



あと15年たってんのにブラッドリークーパー変わらなすぎ。

2014年7月10日木曜日

【映画】グランドブダペストホテル






あらすじ
1932年、品格が漂うグランド・ブダペスト・ホテルを仕切る名コンシェルジュのグスタヴ・H(レイフ・ファインズ)は、究極のおもてなしを信条に大勢の顧客たちをもてなしていた。しかし、常連客のマダムD(ティルダ・スウィントン)が殺されたことでばく大な遺産争いに巻き込まれてしまう。グスタヴは信頼するベルボーイのゼロ(トニー・レヴォロリ)と一緒にホテルの威信を維持すべく、ヨーロッパ中を駆け巡り……。


フォレストガンプでは人生はチョコレートだと言っていたが思うに映画もチョコレートだと思う。
その包み紙を開けるまで味も観た目もわからない。包み紙が豪華で宣伝がとてもおいしそうに言っていようが、中に入ってるカカオが高級だろうがまずいこともあるしそれが好きな人もいる。
ダイハードとかは所謂ウォールマートとかで大量に安売りされている袋詰めのチョコレート。
ブダペストホテルは言うならば金の包み紙に包まれた、高級な食べるのが惜しいチョコレート。
ウェスアンダーソン監督の作るチョコレートは箱にみっちみちに凝縮されていて一つ一つがそれぞれ違った味。それもとてつもなくおしゃれな箱に入っている。
食べる年齢によっても味わいは変わりそうだ。


ウェスアンダーソンはテキサスで生まれた。
テキサスなんぞ言うなれば埃っぽい街にTボーンステーキをかっ食らう筋肉バカとバカ騒ぎする若者くらいしかイメージが湧かないが(完全に悪魔のいけにえの影響)、恐らくウェスアンダーソンはそんなステロイド脳に適合出来ずプレッピーに憧れを抱き続けた。そしてダージリン急行ではインドを経てライフアクアティックでは海底を経て、遂に本丸であるヨーロッパプレッピー文化のど真ん中をテーマとして取り上げたのだ。
よくある外人が他国をテーマに取り上げるととんでもないものが出来上がるが(日本と中国がごっちゃになってたり、スシ!ウドン!とか叫んでたり)恐らく勉強し尽くしただけあってヨーロピアンテイストを完全にクリアしている。

やり方としては今までと一ミリも変わっていない。左右上下のパン、横スクロール、キャラクターの濃さ、アイテムのこだわり、ウェスアンダーソン節の炸裂である。
今までと違うのはストーリーがしっかりとある(笑)。まるで今までがなかったというような言い方だが今まではすげえ雑だった。



シュテファン・ツヴァイクの昨日の世界を軸にしているがこの際それは知らなくても問題はない。知っていれば内容がもっと深く知れるという程度だ。これまでの作品と違い興行収入が伸びているのはウェスアンダーソン作品がかなり一般的になりまた一般にも分かりやすく楽しめる作品になったことを物語る。ただだからと言ってウェスのやりたいことを妥協したようには見えず、ヒッチコックやキューブリックの踏襲でありながらもサイレント映画をも匂わせながら、脱走劇、銃撃戦、ストップモーションとありとあらゆる世界を混ぜ込んで絵本的世界を独特の世界観で作り上げている。

まあ難しいことを抜きにしていえばめっちゃオサレ。徹底されたウェスアンダーソン美学。群集劇好きの私にとってこれだけ個性豊かな面々がそれぞれ個性を爆発してくれるとうれしいものだ。

言いたいことが特に出てこなくなってしまうほどいい映画。
オーウェンウィルソンが全然出てこなくて残念。

2014年7月9日水曜日

【映画】escape

https://www.youtube.com/watch?v=xuKwU5awmMM





平成生まれの我々20代、所謂「何か新しいもの」を求めて旧世紀の価値観のまま21世紀にやって来た私たちにとって戦争も経済も宗教も文化も道徳も、総て20世紀のお下がりであり、何一つとして「新しいもの」なんてなかった。
クリエイティブな思考はもはや無く二番煎じが通説であり、ゼロ年代以降のホラー産業は衰退の一途を辿るのみ。降霊、女優霊、リング、仄暗い水の底から、呪怨、らせん、とそれぞれあるテーマを元に日本の土着化された恐怖感を存分に引き出した作品がゼロ年代までに大量に生産され、ジャパホラ産業は一時はエクスプロイテーションかと思われるほど爆発的に業績を上げた。しかし情報飽和社会とあらゆるシステムの利便化により王道ホラースタイルでは味気なくなってしまった。その後POVがノイズでは無く新たな手法として認知され、映像の可能性は大きく広がったものの、大筋としては基本としてあるべきホラーの形にのっとった本質的には同じものの量産でしかなかった。
いずれにせよ目立ったジャパホラはもはや排出されず、海外のエログロナンセンスが先走った低俗な商業ホラーが市場では売れ、おぞましさを骨の芯まで感じさせる日本のホラーは衰退してしまったと認識していた。
過日のジャパニーズ・ホラー粗製濫造の狂騒の影で、リアリズムを追求したシネマヴェリテが如きホラー演出はとんと忘れられてしまったのだ。

しかし今回このアマのフィルムである”escape”ではこれまでのホラーの掟にあくまでも従いながら、尚且つ革新的な良作となっている。90年代後半以降のホラー映画の進捗を踏まえた上でそれを良く考証し、それらの良い部分を抽出して作品に加味したという意味で。
まずストーリーラインは王道のもので、まず何者かに追われ、その原因はわからず、主人公がテンパりながらも自分の砦に逃げ込み安心するも束の間、それが失敗であった、という流れになっている。短い尺であるため再現PVになりかねない。しかしこれはれっきとしたホラーフィルムなのだ。
これを観始めたときは「食人族」同様、「これから何が起こるんだ~」という心地よい動悸がして結構楽しかったのだが、あの感覚はヴィンチェンゾ・ナタリの「Elevated」とか「CUBE」とか、要するに超低予算のアイディア勝負の映画を観てるときのものに近い。低予算であればアイディアを限界まで捻り出し、金では実現できないような無限の高クオリティを輩出することができる。昨今では”クロニクル”がいい例だが金がかかったオールスター作品が良いとは限らない。人は貧困を極めた時、死を前にした時、絶望を直視した時本来持つ潜在的な力を存分に発揮する。


まだまだ役者の卵ではあるが大田優介の演技は近年ありがちな舞台役者的オーバーリアクションで安直な感動を与えるものとは対極に位置し、リアルな一般的な人間を見事演じている。人がパニックに陥った時どうなるか、見事な観察力と独特なオーラにより体現することに成功している。
また撮影、監督である田中大地はフィルモグラフィーは際立って目立つものは無いものの監督のメチエは他のボンクラと比較にならず、十分な可能性を持っているとこの短い尺で感じ取れた。アングルにはしつこいまでのこだわりを感じ、間を上手く使いこなす曲芸師である。基本的にホラーフィルムといえば展開は大体予想がつくが、一寸先は闇という言葉があえて当てはまる程先が全く見えないホラーに仕上がっている。

総合的に見て、量産型の呪いのビデオや本当に怖い~シリーズとは一線を画するクオリティと、異様な空気感を生み出したこのショートフィルムにジャパニーズホラーの未来を感じ取れた。

2014年7月3日木曜日

【映画】トランセンデンス





あらすじ
人工知能PINNの開発研究に没頭するも、反テクノロジーを叫ぶ過激派グループRIFTに銃撃されて命を落としてしまった科学者ウィル(ジョニー・デップ)。だが、妻エヴリン(レベッカ・ホール)の手によって彼の頭脳と意識は、死の間際にPINNへとアップロードされていた。ウィルと融合したPINNは超高速の処理能力を見せ始め、軍事機密、金融、政治、個人情報など、ありとあらゆるデータを手に入れていくようになる。やがて、その進化は人類の想像を超えるレベルにまで達してしまう。


壊滅的に何かが足りない。キャストか?いやキャストはダークナイトトリロジーのほとんどを使用しているしおまけに天下のジョニーデップだ。ストーリーなのか?演出なのか...観終わってから映画における面白いってなんだっけと頭を抱えてしまう。
言いたいことは十分にわかる。今回もノーランのお説教じみた哲学思想は健在だ。テクノロジーが進化しすぎた結果、神以外の我々が新たな生命を創造する倫理的問題、根本的な愛のあたたかさ。それはそれでいい。その見せ方に問題があった。圧倒的に絵が地味だしいまいち全体として盛り上がりに欠けるところがある。それに誰にも感情移入しないし、死人も出てないから何をそんなに焦るのかと取り残された気持ちになる。海外での評価が気になるところだが、ダークナイト狂たちはこぞって叫んだだろう。エグゼクティブプロデューサーなんて単なる宣伝用じゃねえかと。

超越しすぎたノーランの頭に我々がついていけてないから面白くないのか、超越してつまらないのか、再び確認するのも気が滅入る作品。
こいつのインパクトがもうちょい強ければまだましだったのかもしれない。てかジョニデの嫁と距離近すぎて不倫してんのかと思った。

【映画】オールドボーイ







日本原作を映画化しその名を轟かせた韓国版オールドボーイ。あの傑作から10年ほど経ち、差別問題やアメリカのあらゆる社会問題を映画に取り込み世間に歯にもの着せぬ言いようで警笛を鳴らす巨匠スパイクリーがそのオールドボーイをリメイク。本人はリメイクではなく別のものと発言していたが内容の大筋としてはほとんど同じ。突然監禁されて、解放されて、答えを探して、復讐して、罪を知る。そして原点に帰す

まず低俗な親父ジョシュブローリンが監禁室にいれられ浄化される。それは新約聖書に通じる。新約聖書ではイエスは40日間荒野での断食をしサタンに打ち勝つ。サタンから石をパンに変えればいいではないかという誘惑に、勝ち自殺を誘惑されるが勝つ。ジョーは監禁室でイエスキリスト化したのだ。アメリカ版はそのキリスト精神が存分に感じられた。浄化され洗練された復讐心だけが部屋に残る。
解放されたジョーは毎日出されていた中華料理の味を何十軒も店をまわり特定し、敵のアジトに餃子をエクストリーム配達する。
ちなみに私は餃子が一番好きなので他のどんな痛々しいシーンよりもこの餃子のシーンで悶え苦しんだ
餃子を食う!食う!食って食う!これはもはやオールドボーイならぬ餃子ボーイいいんじゃないか?
その後答えを探すべく手掛かりを洗い出す。それはジョーの過去に潜んでいた小さな事件がきっかけだった。


韓国版との違い
・スパイクリー的要素
監禁室のテレビでは案の定俗世の流れを映す。クリントン就任、ハリケーンカトリーナ災害、ブッシュのイラク進攻、そしてオバマ就任。
この二十年でアメリカは大きな変化を迎えた。固定概念からの脱却、WASPの崩壊、アメリカという国のもろさ。テレビで大統領だけを映すのではなく、カトリーナを入れるあたり、やはり未だにスパイクリーはあの時の黒人差別を許していないようだ。


・痛々しさ
グロさが増してる。韓国版での名シーン釘抜きで歯を抜くシーンは無く、代わりに首につけた点線をえぐるという聞いただけでも首筋が寒くなる尋問や、友人の舌が抜かれてジョーのもとに贈られたり、首切りはもはや当たり前で、すぐ流されるといった具合。グロシーンは見慣れていたと思ってたが結構な衝撃だった。


・演出
韓国版の良さとして若干フィクションじみていてアートっぽさがあった。嫁を殺した濡れ衣を着せられた時もグルングルン主人公の周りをカメラが回ったり、巨大なアリがいたり、咥えたタコがウネウネしたり(今回も一応タコの出番は5秒ほどあり韓国版を意識している)。スパイクリー版にはあまりそういったアート性は無く、至極シリアスに不安と緊張感を煽るカメラワークと雰囲気が最後の最後まで続く。だからはっきり言って見終わってからとても疲れる

・アクション
戦闘シーンはやはり天下のハリウッドと言うこともあり、迫力とスリルがヤバイ。てかジョーが解放されてから強すぎる。フックを食らったアメフト選手が半回転して頭から着地する、ドスを背中に刺されながら15人くらいボコす等とても20年引きこもってたとは思えないスーパーマン具合。これはタイトルマンオブ餃子ボーイでいいのでは?日本の艦これヲタも実は鍛え抜かれててこんぐらい強ければWWEが日本人選手だけになるな。敵役のシャールトコプリーさんは第九地区で腕がエビになり、エリジウムで刀を振り回して桜とともに散ったあの人。今回もミステリアスなオーラで常道を逸した悪役を演じており、適役だったと言える。最後の潔いシーンも客を混乱させるいいエッセンスだった。しかし思うに、二つの質問に答えられた報酬として4つの報酬(強姦証拠動画、自白、2500万ドル相当のダイヤ、自殺)を挙げたが、自殺は最後まで言わないでおいた方がラストの衝撃増すと思うんだけどな。あと幼少期のシーンで父親に胸を散弾銃でぶち抜かれながらも生きてるってのがちょっと謎。

 

総合的な評価としてはやはり最初のインパクトが凄まじかった韓国版オールドボーイに軍杯が上がるが、アジアの閉鎖的な絵が嫌いな自分にとってアメリカの雰囲気は違ったエッセンスとして良かった。餃子食いたい