2013年12月27日金曜日

【映画】ゼログラビティ







2001年宇宙の旅が公開された1968年からもう40年以上経つ。当時まだ月面着陸すらしていなかった人類にとってその内容は衝撃的なものであった。そして月面着陸してから再び驚くこととなる。なぜならまだ誰も見たことのなかったはずの宇宙をすでにキューブリックは映像化娯楽化していたからだ。驚くべきことは当時まだCGが十分に出来上がってなかった事はおろか電卓すら黎明期の時代。あれらの宇宙の映像は計算尺により人の手で造られたというのだ。
では昨今の科学技術とCGの進化を使い2001年宇宙の旅を再構築し再生させるとどうなるか。
それは2001年宇宙の旅のスタイルを適用しながらも形質的には全く違う新たな宇宙を創造した。キューブリック的にいえばスターチャイルドの誕生である。


ゼログラビティにストーリーはないと言っても過言ではない。一応あるがサンドラブロック扮する博士が宇宙ステーションに新たな技術を埋め込もうとするもソ連の使わなくなった人工衛星が破壊され、その破片が尋常じゃないスピードで移動し破片によってステーションは破壊され宇宙空間に投げ出され漂流してしまうというなくてもあっても変わらないようなもの。キャラクターのバックグラウンドもあるけどないようなもの。キャラクターも二名(エドハリスは声のみの出演)。フィールドは宇宙のみ。
これだけ簡素化しておきながら、どうしたらこんなに世界的に評価される映画が作れるのか。


まず第一にカメラワーク。
トゥモローワールドを見た人なら分かると思うが、主人公が最後の子供を保護して集落から逃げる車のシーン。何度見てもいったいどうやってこれを撮ったんだ?と不思議でしょうがなかった。そのメイキングでそのシーンを確認したが驚くべき手法で撮影していた。
今作ゼログラビティにおいても撮影方法にはかなり凝っているらしく、4096個ものLEDを配置した196枚のパネルで構成された「Light Box」の中に入ったり(液晶に囲まれた箱のようなもの)、12本のワイヤーリグで吊るされた状況、また車の製造工場で使うアームのようなマシーンを人間につけ、宇宙空間に放り出される重力化にある地球で無重力感を見事撮影することに成功した。
また全体を通してカットが少ない。最大で15分シーンが途切れない時もあった。これは通常ならば退屈と感じさせるが、この場合より一層リアルに危機感を感じさせることに成功している。

第二にVFX。
時代は2013年。もはや2001年から12年もたってしまったわけだが当然ながらCG技術の進化は驚くべきものだ。エンドクレジットのCG関係者だけでも300人近くの名前が挙がっていた。あれだけのクオリティを体現するには必要な人数だろう。予告を見るだけでもわかるがホントに宇宙でロケやってんじゃないの?と思うほどにリアルでまるでディスカバリーチャンネルを見ているようだ。途中FPSのように一人称になるシーンもあり、宇宙体験ができる90分を1800円ばかしで味わえると言うべきだろう。ちょうどディズニーランドやユニバーサルスタジオにあるアトラクションのようなものだと想像してもらえればいい。
宇宙の描写やステーションがCGなのは間違いないだろうし、まったくCGには見えなかったのだが、一番驚いたのはさすがにここはセットだろうと思っていたシャトル内のパーツや壁などもCGだったこと。言うならばこの映画でCGじゃないのはサンドラブロックとジョージクルーニーだけ。それを知ってみるだけでも大分面白さが変わるだろう。



冒頭から2001年宇宙の旅を彷彿とさせると多く述べるのには理由がある。
例えば原点回帰の描写。サンドラブロックが危機を逃れ何とかステーション内に入り、宇宙服を脱ぎ疲れで脱力するシーン。身体を丸めまるで胎児のようなポーズをするのだが、おそらく2001年~のラストに主人公が新人類として生まれ変わるというスターチャイルドの描写のオマージュだろうだろう。劇中ライアンは過去の娘を失ったという自己の束縛から解放されるという意味も込められている。また2001年~では黒い石板のようなモノリスが人類を導き木星を指したが、ゼログラビティはジョージクルーニーが導き手の役割をしている。最初から最後までジョージクルーニーは実は宇宙人だったオチなんじゃないだろうかと思うほどに危機的状況にも落ち着いた指示を出しカントリーを聞きながらおしゃべりばかりしている。その様子は神々しさや無機質さすら感じさせ同時にモノリスを思わせた。またキュアロン監督はラストの海のシーンを羊水スープと呼び、40億年前人類が宇宙からの微生物が海に溶けだし進化を経て地上に発つという一連の流れであると同時に再生を意味すると説明した。
2001年もそうだが生命や再生を連想させるメタファーが多くあり、それは海でありまた胎児の姿、へその緒のように身体に巻きつくロープ、水、アニンガの子供(Aningaaq)。それらに気づくことができれば映画をより一層楽しめる。



宇宙からすれば人間なんぞ塵っカスのようなもんで戦争しようが問答しようがお構いなしに冷酷に無表情でただ存在する。冷酷ですら無いのだろうが尋常じゃなく深く恐ろしい。下手なホラーやスプラッタよりも。
それを音でうまく体現できていると思う。無音のシーンが多くあり、そのたび宇宙は無音なんだと毎回気付かされる。またスティーブンプライスによる音楽が秀逸。2001年宇宙の旅ではクラシックを使用し今までの宇宙映画の常識を覆したが、今作では電子音、それも実験音楽的なノイズを多用し、不規則で重苦しく、宇宙の広大さや無表情なイメージを連想させるシーンにあった楽曲を使用。
またフワフワと漂うアイテム達にも遊び心があり、中国のステーションには卓球とピンポン、破滅したISSにはバックスバニーのキャラクターなどともっと目を凝らせば色々ありそうだが3Dだったせいもあり物を非常に捉えにくい!
しかしこれは絶対的に3Dで見るべき作品である。欲を言えばIMAX。

総合的に良いの悪いの?と聞かれればすげえよ!と答える。しかし何度も見たいかといえばそうでもない。衝撃はどうやら一時的なもののようだ。しかし一度は見る価値があるとだけは言っておこう。



最後エンドクレジットに影響を受けた監督みたいな欄にデヴィッドフィンチャーとかある中デルトロの名前が笑

2013年12月25日水曜日

【映画】コンテイジョン





いままでインフェクテッド系の映画と言ったら28日後のような感染し凶暴化し世界は終焉を迎えるみたいな流れが主流であった。所謂ゾンビというジャンルになるわけだがこの映画は凶暴化はせず淡々と感染の部分をクローズアップし、よりリアルに我々の生活に十分起こりうるウイルスの危険性、またそれに伴う人間の心理を映している。
最近スマートフォンでは感染株式会社というアプリが一部で流行っている。それは自分でバクテリアやウイルスをまず選びそれを遺伝子操作や症状などの変化させ保険機関にワクチンで制御されないよう食い止めるという言ってしまえば不謹慎なゲームなのだが、まさにそれの映画化と言ってもいい。残念ながら映画ではウイルス側は負けてしまうが、スペイン風邪や黒死病がごとく治療法が分からず人々は混乱し何千万と言う人間が死ぬ。近年だと豚インフルやSARSなどが記憶に新しいが、目に見えないミクロの殺人鬼ということで見ているこっちもうがいしたくなる映画だ。

あらすじ
香港出張からアメリカに帰国したベスは体調を崩し、2日後に亡くなる。時を同じくして、香港で青年が、ロンドンでモデル、東京ではビジネスマンが突然倒れる。謎のウイルス感染が発生したのだ。新型ウイルスは、驚異的な速度で全世界に広がっていった。
米国疾病対策センター(CDC)は危険を承知で感染地区にドクターを送り込み、世界保健機関(WHO)はウイルスの起源を突き止めようとする。だが、ある過激なジャーナリストが、政府は事態の真相とワクチンを隠しているとブログで主張し、人々の恐怖を煽る。その恐怖はウイルスより急速に感染し、人々はパニックに陥り、社会は崩壊していく。国家が、医師が、そして家族を守るごく普通の人々が選んだ決断とは──?

映画はなぜかDAY2(二日目)から始まる。あれ序盤スキップしちゃったかな?と疑問に思うが心配ない。そのからくりは最後わかる。そんでもってあーなるほどね!と声を漏らす。全体的に言えることなのだが終始無駄がなく、無駄なシーンは三秒ほどのカットの繰り返しをテクノBGMでPVのように仕上げながらさらっと進む。そのためストーリーの重々しさや政府機関などのつまらないと感じさせるエッセンスを飲み込みやすくしてくれるスマートな作り。それが故に拘束で広がっていくパンデミックの恐怖と民衆の恐怖や噂の拡散速度を表す作りにも加担してると言えよう。しかしどこか冷静なまでに第三者的視点で全体を見ている感は否めない。


コンテイジョンで声を大にしてソダーバーグが我々に訴えかけるものそれは、病気<FLU>よりも恐ろしいものは噂<RUMAR>であり、感染は病気よりも遥かに早く、病気よりも恐ろしい暴動という症状を引き起こす。
また近年インターネットメディアの発達によりそのスピードは恐ろしく早くなった。
メディアの信用は地に落ち、ジュードロウ演じるフリーランスのライターのような根拠のないネットブロガー達が人々の恐怖を煽り事態をさらに悪化させるあたりが非常にリアル。
ロメロがいち早くダイアリーオブザデッドで掲示していた信憑性の定かでない情報の嵐の危険性をウイルスが人という媒介を通して繁殖するように、ウイルスという媒介を通してこの映画は我々にその危険性を伝えている。

マットデイモンは唯一抗体を持っており殺人ウイルスに感染しない。だからと言ってヒーローのように政府と戦うわけではなく何もできず立ちつくしまた周りの人間と同じように他人の家に入り銃をパクる。結局最後まで何をするわけでもなく娘と普通の大衆サイドの生き方をする。思うのはやはりこの役、マットデイモンじゃなくてよくね?

余談だがダークナイトでバットマンにアクロバティック強制連行させられた香港のラウ社長がコンテイジョンに出てくるのだが、ラウ社長はマリオンコティヤール扮するCDCの調査員を拉致する。ダークナイトシリーズを見ている人にとっては謎の展開だろう。






最後握手という今まで最も恐れられていた行為をすることにより人々はパニックに陥っても懐疑的になり過ぎてはならないというメッセージを送る。
おそらく誰しもがこの映画を見た後狂ったように手洗いうがいをするだろう。見るもの全部がばいきんだらけに見える不思議!!

2013年12月16日月曜日

【映画】ドライヴ

 



宗教画のような優しい光と物騒なまでに静かな流れがおぞましい決断を今か今かと急かす。
フレームとしての美学で映画を楽しむ私にとってこの映画はかなり高評価。どのシーンをとっても絵になり構図、光、表情やバランスが計算し尽くされており、見応えとしてはかなりある。ストーリーはありがちな復讐劇であるが、それをも忘れさせるようなフレームと、ラテックス素材のグロ描写がこの映画の評価を高めている。
車内から撮った街を流すシーン、一昔前に流行った空撮、カメラワークが秀逸で、どのシーンも切り取って絵になるフレーム。
バイスシティーにそっくりなピンクの筆記体タイトルでオープニングはまるでグラセフ。
選曲もどこか80'sを思わせるポップチューン。寂しくも切ない恋心を歌うような曲がストーリーのやるせなさを物語る。
説明や無駄なシーンを一切省いてるのがスムーズでとてもいい。
またライアンゴズリングが全然喋らず表情で演技するのも高評価。まるで冷たい石のように表情はなく、睨みつけるその目は温度はない。スタントマンと裏の顔を使い分ける演技に脱帽。
なにも言わない静かなシーンが多く、心の奥底にある感情を楽しめる。
また質屋強盗を男だらけではなく女が一人いるってのも斬新でいい。(ハメられるけど)(そっちのハメるじゃない)
モーテルでマフィアに襲われるシーン。脳みそが豪快にぺろりんちょしたり、スカーフェイスばりにバスルームでの流血ファイトするあたり惜しみなく映してくれて評価大。
眉間に弾丸当ててハンマー振りかざすシーン なんかはかなり記憶に残るしドライブと聞いたらあのシーンを連想する人が多いと思う。
またエレベーターで追っ手をストンプしまくって顔面を粉砕するシーン。それを見ていたマニガンがドン引きしてドアが閉まる、二人に壁が出来る、みたいなのもわかりやすくていい。おそらく付き合ってみたら思ってた人と違うパターンの最上級。
リズオートラニのオーマイラブと共に八ッ墓村のごとく不気味なフェイスマスクをして殺すのもかなりそそる。
上記にあげたように印象に残るシーンが沢山あるため、ストーリーは単調でも、何度でも繰り返し見たくなるような作品。絵画もいいものは繰り返し見たいから壁に掛ける。それと同じ事だ。
あとは光の使い方。
顔に反射する赤い光、エレベーターで一度消えてまた光るライト、カラヴァッジョの宗教画のような救済を表すがごとく差し日を浴びる少年など、光が各々の感情、情景、ポジションを表している。結果的に光が効果的にシーンを盛り上げてるおかげでフレームが絵画のような美しさを解き放つ。
ダメな点としては全体を通して静かすぎる。ゴズリングの静かな煮え滾った怒りを表しているのかもしれないが、静かすぎて見てて息苦しい。静寂は耳にうるさいとは言うが少しの環境音だったり、細かいノイズ(例えば悪の法則の不快な低音やハンスジマーがよくやるバイオリンの細かい音など)があった方がもう少し違和感なく見れたかもしれない
 

 


2013年12月13日金曜日

【映画】マチェーテ

 




アメリカが肥満と対中東問題以外に抱える大きなイシューの一つが不法移民問題。多くの移民が低賃金で働くためメキシコから流入するためアメリカ人の雇用体制は崩壊する。しかし同時にアメリカの多くの企業はWASP以外の労働者によって地盤を支えられていると言っても過言ではない。事実、白人はお高くつくのだ。
そんなアメリカの時事ネタを混ぜ込みくだらないの一言で終わらすのもよし、血糊とラテックス満載で最高!と甲高い声を出すのもよし、なエクスプロージョンムービーがマチェーテだ。プラネットテラーとデスプルーフの二本立てで放映されたグラインドハウス(グラインドハウスについてはデスプルーフ参照)の偽CMとして流れたのがこのマチェーテであり、本編の二本よりも評価が高いんだからびっくりである。また2014年公開の続編マチェーテキルズには歌手レディガガが出演するなどかなり注目度の高い作品になってくるだろう。
じゃあ今作マチェーテはどんな内容なのかと言えばマジでしょうもない話。一応ストーリーとしては
メキシコの連邦捜査官のマチェーテは、マチェーテを愛用して犯罪者を狩る凄腕の男だった。だが、その強い正義感ゆえに麻薬王トーレスと衝突し、妻娘を惨殺される。
それから3年後、マチェーテはアメリカテキサスで不法移民の日雇い労働者をしていた。ある日、マチェーテはブースという男から不法移民嫌いで知られるマクラフリン議員の暗殺を依頼される。
みたいな本筋があるが、主演のダニートレホが銃ぶっ放して美女を抱き、メキシコ人の星だ!みたいなノリがあるだけ。そこを楽しめるかどうかで分かれてる。無駄に出演陣が豪華というのはおそらくこの映画に対して言うのだろう。ジェシカアルバに始まり、ロバートデニーロ(よくこの映画出たなってくらい雑な扱い)、天下のセガールにリンジーローハン(乳要員)、タンクトップと銃が似合いすぎるミシェルロドリゲスと出演陣だけでエクスプロージョンフィルム感皆無である。
 
 一番びっくりしたのはロメロ作品でゾンビのメイクアップを施していたトムサヴィーニが殺し屋として出演していたこと。イタリア系だからか分からないが出たがりなのか。

キャストの死にざまやキャラクターはどれも濃すぎるくらいで観終わった後胸やけに似た症状を引き起こすので、一緒にアイスエイジとかを借りることをお勧めする。



グロ描写は多いがへぼへぼなので見ていて何も感じない。おまけに全く感情移入しないので、終始あー死んじゃったー(棒)くらいのテンションである。おそらく感情移入する前にみんな撃ち殺されるからか。

評価すべき点としてはメキシコ人がどんな暮らしをしているか、どんな不当な扱いを受けているかということが良く分かる資料的作品であること、またそれを利用した権力者が多くアメリカにいるということが良く分かる。キリスト教原理主義者だったり、ブッシュのオマージュであろう議員であったり、ナショナルライフルアソシエーションみたいな自警団だったり、もはや黒人差別映画なんかの時代は終わり、ラテンの革命映画がヒットする時代が到来しつつある。それくらいにアメリカは多くのメキシコ系をテキサスから流入しているということだ。

事実白人の人口を40年後にはヒスパニックが上回るという研究結果も出ているしWASPとしては今すぐにでもマチェーテを持って追い出したいだろうな。まあ腹の肉がつかえて動けないだろうが。

2013年12月6日金曜日

【映画】キャプテンフィリップス


ボーンシリーズやユナイテッド93のポールグリーングラス監督による2009年に実際に起きたソマリア沖海賊人質事件がベースとなったノンフィクションフィルム。援助物資として5000トン以上の食糧を積み、ケニアに向かって航行していたコンテナ船マースク・アラバマ号は、ソマリア海域で海賊に襲われ、瞬く間に占拠されてしまう。ベテラン船長リチャード・フィリップスは、20人の乗組員を解放することと引き換えに自ら拘束され、たった1人でソマリア人の海賊と命がけの駆け引きを始める。米海軍特殊部隊の救出作戦とともに、緊迫した4日間を描く。
卒論のテーマがソマリア沖海賊の安全保障問題ということで鑑賞。アカデミー賞有力候補として期待値を高めに行ったからなのか、思ったより展開読めて退屈というのがまず第一の感想。
トムハンクスの演技はラストの安堵の涙や拘束時のにらみなどはうねるような良さでこれが俳優と言うにふさわしいと感じた。しかしトムハンクスが良すぎたこともあってうまい食材を塩で味付けしただけみたいな印象が残る。独創性や深みはなく、終わった後また食べたいと思う料理ではなく、味について深く考えることもない。
アメリカという巨大な存在に生活の糧を搾取された人々は小さなボートとボロボロのAK47を装備し最後の手段である海賊ビジネスで立ち向かうも、巨大な船に梯子をかけた瞬間その大きさを思い知る。しかし戻れど地獄進めど地獄、無謀だと分かっていながらも立ち向かい華麗なヘッドショットを食らって幕を閉じる。もはや語り尽くされてきた感のある正義の反対は正義という善悪二元論を捨て去ったシナリオにしたかったのだろうが、ネイビーシールズと海軍の無双状態で、全くそれは描かれていない。前半ではトムハンクス演じるキャプテンはいつものように起きて、息子の就職難を心配し、一方でソマリアの民は職業を奪われた先進国に対し奪還を行おうと集う対比が出来ていた。しかしながらそれは後半では生かされておらず、こいつ絶対死ぬだろと分かり切った流れとその通りに死ぬソマリア人と仕事を終えてとっとと帰っていくネイビーシールズの作業感とが前半と後半で連動していない。結局我々はこの問題に対して深く考えるわけでもなく、ただアメリカの強さを見せつけられて、傍観するだけであり、トムハンクスの演技がなければバトルシップと同じレベルのつまらなさ。トムハンクスだったから首の皮一枚繋がったものの、独善主義的なスタンスで否応なしに海賊ビジネスを強いられている状況、またそれを強いることとなった先進国アメリカ、またそれを理解したうえで煙たがり、国への支援よりも軍事力の強化を優先するようなアメリカというものをより一層露呈してほしかった。
特筆すべき点としては船酔いする人は酔い止めを飲むことをお勧めする。

P.S.
席番15って伝えたからには15以外はハチの巣にするのかと思いきや律義に全員確認するまで撃たないとかがっかりだよ!

2013年11月18日月曜日

【映画】悪の法則



至高の豪華アンサンブルキャストが、危ういまでにスキャンダルに、息をのむほどセクシュアルに観る者を挑発してやまない、魅惑の心理サスペンス...

このキャッチコピーをつけたやつの首にワイヤーをかけて問いたい。
お前この映画目開けて観てたか?と。


<ストーリー>
若くハンサムで有能な弁護士(カウンセラー)が、美しいフィアンセとの輝かしい未来のため、出来心から裏社会のビジネスに手を染める。一度だけの取引を最後に手を引くはずだった。しかし麻薬取引の運び屋が何者かによって殺されてしまう。偶然にも自分が弁護していた女の息子がその運び屋だったがために、カウンセラーは麻薬組織(カルテル)に疑いをかけられる。またカウンセラーだけでなく恋人、仲介人、出資者と周りを巻き込んでいき、破滅の一途をたどる。




ブラピとキャメロン、ペネロペにハビエル、ファスベンダー。監督に至ってはリドリー御大。脚本はおかっぱキラーのノーカントリーで日本でも有名になったコーマックマッカーシ-。
これだけでなんかすごそうな映画だなぁちょっと彼女と見てみよう♪くらいのノリだと確実に後悔する。実際カップルで観てる客が多かった。そんでもって”キャストは豪華なのに内容はつまらないです^_^”みたいなレビューをつける事になる。スチールとCMだけ観ると大衆映画感があるが、これはどう考えても大多数が観る映画ではない。てか魅惑の心理サスペンス...なんて甘っちょろいもんじゃない。道理というものをみぞおちにぶち込まれる血なまぐさい麻薬闘争が正しい。
まず第一にリドリースコットであるが故なのか、あらゆる説明や人物紹介が無く、非常に頭を使う。これはいったい誰なのか?今何が起きているのか?を判断する術は、会話とルックスと場所だけで、それがすべて理解できれば話が繋がる。この補完力がない人であれば確実に話はわからないので、この映画は退屈だという評価を下す。逆を言えば完全なまでに客観的に観れるし今のドラマのようななんでもセリフで話し出す三文芝居感がなく、残酷なまでに現実的で良かったのだが。悪の法則製作時に弟のトニースコットが飛び降り自殺をして死んでおり、それも少なからず撮影に影響しているのではないかと(展開の雑さとか)。

第二に、謳い文句としてある本物の悪は誰だ?みたいなのはわりと序盤で分かる。というよりは頑張ればCMでわかる。しかし最終地点はそこではない。おそらく対して興味がない関係者がつけたフレーズなんだろうが、この映画においての終着地は、強欲から人間は解放されるかーあるいは自然界の法則を乱すとどうなるか、ということにある。結論は観れば分かるが現実は時に残酷だ。豪華出演陣だからといって安心してステキなラストが見れるとは限らない。

以上を踏まえてもつまらないという場合、それはストーリーがメインの見方をしてる映画好きな人だ。確かに悪の法則はストーリー自体は単調で、斬新でもないし、どんでん返しもない。ちょっと欲張りさんが慣れないことをして周りを巻き込んで、落ちるとこまで落ちるだけなので、つまらないと感じるかもしれない。自分はストーリー全体と言うよりはポイントポイントで感銘を受ければいいし、隙間はああではないこうではないと自分なりに考えてみるのが好きなので、この映画には大きな拍手と菓子折りとユリでも送りたい気分だ。




悪の法則では作品内に説明がなく話を理解するのが難解なため、ポイントごとに自分なりの解釈を。

テーマとしてあるのはなにか。おそらく欲望だろう。ダイヤを買い華やかな新婚生活。そのためにいるちょっとした金。あるいは自宅でパーティをし、昼間から酒を飲み、クラブを作って金を稼いでやろうという欲。あらゆる欲が交差しその末路が描かれるわけだが、結果として一番強欲なのはマルキナだろう。カルテルの麻薬トラックを横取りしようとするも失敗し、仕方がないからブラピがどっかの国に投資していた金を横取りして銀行家にダイヤに交換して香港に逃げると相談する。じゃあなぜマルキナが殺されないのかと言えば、誰よりも頭がよく先が読める人間であり、先を動かすことができる人間、そして何より罪の意識がない性格だったからだ。ブロンドの女を使ってブラピの情報を入手し謝礼を渡すがブロンド女はブラピの末路を聞いて罪を感じ金を受け取らない。これがノーマルの人間の行動であるが、マルキナはそれが理解できない。こういった罪の意識がないのはカルテルと同じで、作業的かつ欲望でこなすだけで躊躇がない。だからこそマルキナは死ななかった。最後顔なじみの銀行家に対してチーターの話をして「私は飢えているのよ」と言い物語は幕を閉じる。マルキナの欲望はこんなものではなく次の獲物をもう狙っているという意味と取れる。


カウンセラーが話をしていたキンキラキンのスペイン語訛りのおじさんは誰なのか。あれはメキシコのカウンセラーで、手数料はいらない同業者だからなという会話から弁護士であることが理解できる。何をしてもらったのかと言えば、彼はカルテルと話が通る人物であり、ペネロペが助かるように交渉してもらえないか頼んでもらっていたのだ。カルテルと通じてるからか家の中はいやらしいキンキラキンの家具ばかり。結果として後日電話がかかってくるのだが、その答えはいいものではなかった。だからこそ人生観や哲学、道徳の類を説教をして物事の摂理や人の歩いてきた道(人生)は変えることはできないということを長々と語る。んで昼寝するからといって電話を切る。そこで話はついたはずだがメキシコ人はジョークが好きということでスナッフビデオを送られる。
あるいはメキシコのカルテルの親玉という見解。主人公に諦めろと示唆する当たりや身なり、他にも電話をかけなければならないというセリフ(おそらく他にも脅しをかけたり殺しの報告をするという示唆)から相当の地位の裏社会の人間と見てとれる。しかし親玉がそうフランクに主人公と話をするのかというのが難点。あくまでカルテルは話の通じない不気味な存在で貫き通しているからだ。


映画におけるダイヤの位置づけについて。フランスの宝石商人が言うダイヤは不滅であるがゆえに人間の命のはかなさや定命を感じることができる。またそれは警告の石でもある。またどの石にも小さな欠点がありそれが個性であると。これは女のことを指すのだろうか。プールサイドで寝そべるマルキナとローラの会話で、そのダイヤいくらか知ってるの?という質問。それに対して知りたくないと。教会も行き、告白もし、おそらくローラは完璧な人間であるとマルキナは感じる。しかし同時にそれが信じられないマルキナはダイヤの観点からして、ローラは面白みのない人間だと感じているのではないだろうか。(その後マルキナは初めて教会に行くがアブノーマル過ぎて神父に見放される)


ドラム缶の死体を見たがっていたスキンヘッドのおじさんは誰か。おそらくあれはシカゴの買い手。メキシコ人が手際よく作業するのを見学していたのだろう。そしてメキシコ人が死体を使ったジョークが面白いと思っているということを我々も知ることになる。正直これを理解するには背景が必要で、実際フアレスで今泥沼化している麻薬戦争でもこのような光景は多く見られる。生首を並べておねんね中と書いたり、死体に包丁を隙間なく大量に刺したり、極悪非道なんてもんじゃない。カルテルで検索すると見れるがお勧めはしない。日本の平和さを実感したいのであれば是非。
ちなみにあのハゲおじさんはスティーブンキング原作の今流行中のドラマアンダーザドームにも出てくる。話していたメキシコ人はランドオブザデッドやプラネットテラーにも出ているメキシコ人。メキシコ人と言ったらこの人というイメージがある。


では、最後に送られてくるDVDが意味するものは何だったのか。正直書くまでもないが、劇場を出た後、あれはお前の居場所はわかってるぞっていう意味だよとかドヤ顔で語ってる彼氏さんがいたのでこれを見てくれることを願う。
概要としては最後にカルテルから逃げ疲れ安宿に隠れているファスベンダーの家になぜか一枚のDVDが届く。
そこには粗末な焼き増し用DVDRにhola!(やあ!)と書いてあるだけ。それを見たファスベンダーは泣崩れ、すべてを諦めるような表情をする。そしてゴミ処理場のカットに切り替わる。
前半でブラピが取引がまずいことになったのを説明する場面で語ったもういいよってくらい詳しいスナッフビデオの話、どう考えてもそれだろう。ペネロペはコロンビアンカルテルに捕まり、ぶっ殺されて弄ばれ、その様子は撮影された。バッキーも真っ青である(調べないように)。そしてゴミ処理場でゴミ当然に扱われる。いまだかつてバニラスカイを見た人間がペネロペがゴミ扱いされるなんて思ったろうか。家に届いたのはそれを記録したDVDであり、妻ペネロペの死とはファスベンダーの死よりも重いため(弁護士との会話からそう判断出来る)ファスベンダーは泣き崩れたのだ。
DVDを再生させず想像させて恐怖を煽るところにリドリースコットの技を垣間見れる。ちなみにこの泣きの演技はなかなかなので一見の価値あり。




良かった点。

話の難解さが目立ってあまり論争に上がってこないが、衣装や車、内装あらゆるオブジェクトが完璧で、こだわりを感じられたし、中途半端じゃないなと感じた。手を一切抜いてない。それはコロンビアンカルテルのタトゥーや袖なしシャツにバットに始まり、ファスベンダーのオレンジジュース、ラップトップ、アルマーニのサングラス。ディアスの鋲付きフーディ、サグい指輪、グラジュアルなクラッチバックなど目を引くものばかり。オブジェクトに関してもプロポーズのシーンでレストランにあった前衛的な置物、ハビエルの家にあるアメリカ国旗、チーターのハンティングの時のファッションや革張りのチェアなど、妥協を一切感じられない。しびれるアイテムだらけだ。
しびれるのはオブジェクトだけでなく血なまぐさい道具にも。ノーカントリーと言えば水素ボンベで風穴をあける武器とサプレッサー付きのショットガンが強烈なインパクトとしてあるが、今回も自動巻き取りワイヤーというおぞましい道具が。しかも餌食になるのはあの人。キリキリと不気味な音を立て死の恐怖を刻一刻と迫る緊迫感を中世の拷問道具がごとく残忍に描いている。あとは道路にピンと張られたワイヤー。バレーコートのネットにダッシュで突っ込んだことがある人は分かると思うが派手なコケ方をする。それと同じ原理で時速320キロで突っ込んだらお分かりの通りアンパンマンは新しい顔を装着することはない。ワイヤー装置を淡々と準備するシーンはかなりしっかり撮られていて、悪趣味な犯罪者予備軍リドリースコットが映画監督の道に進んでくれて安心した。


結果として本当の悪(マルキナではない大元のほう)がどんな人間だったのか、あるいはどんな組織だったのかは最後まで明らかにならない。それゆえにとてつもなく得体の知れないメキシコを覆う暑苦しい蜃気楼のようなモヤモヤした不気味なイメージがこびりついた。ノーカントリーでもそうだったが、南部にはなにか得体の知れない不気味なオーラがある。何を考えてるのかもわからないし、何を話しているのかもわからないし(それゆえか字幕も出ない)、治安も悪くそもそも死生観が根本的に違う。淡々と作業的に人を殺しその後始末をして金を得る。幸い、本作中ではメキシコ人の"作業中"は愉快なラテンビートがBGMとして流れてくれるおかげで陰鬱なイメージはない。どこかよその国の物騒な話を見ているというような完全な客観的立場になれる。主人公が名前がないあたりもおそらく感情移入するような話ではなく、離れからよそで起きてるひと悶着を覗いて見てみよう程度の理解でいいのだろう。だがアメリカという確立されていて金があれば安心が買える国も一寸先には得体の知れない闇が迫っているというWASP(クリーンな白人)的警告としてもとれるのかもしれない。


エンドロールが流れた時、これで終わり?と誰もが思っただろうし、とんでもねえ映画だな!とも思ったが、劇場を出ていつもの現実に戻り、あぁこの平和で素晴らしき世界に生きていて良かったと痛切に感じ、我々はリドリースコットの腕を再確認するのだ。
(おそらくリドリースコットにそんな魂胆はないだろうが)

2013年11月10日日曜日

【映画】セブンサイコパス







おそらく多くの人間がこの映画のタイトルとパッケージを見て、ああ七人のキチガイがハチャメチャなことして結果収拾つかなくなる映画なんだろうなーと思いながら後回しにしてまどかマギカを観ることだろう。前半部分は合っている。頭がはじけ飛んだり脳汁が吹き出るスプラッターが満載でゾンビランドを彷彿させるテンションだ。しかし後半部分は大間違い。なぜならラストは涙腺崩壊モノの感動で尚且つスッキリした終わり方だからだ。


今作の監督であるマーティンマクドナー監督が北野武大好きってことで、冒頭のシーンに「その男、凶暴につき」が使われていたり、”ヤクザ”というセリフや”スシ”も出てくる。映画の脚本作りの映画だが、北野武の監督ばんざいをベースにしているらしく、そのオマージュを垣間見る事ができる。


フォーンブースぶりに見たコリンファレルは相変わらずAKBまゆゆも困る困り眉で、ムキムキキャラではなく、やめてよぉ~みたいなナヨナヨ飲んだくれ脚本家。さすが大物
 


いう感じの演技。
それが最後にはサイコパスに揉まれ続けて性格が激変する。一方でクリストファーウォーケンはこの映画にうってつけなサイコパス具合で、
妻を殺したマフィアに自分の首の傷を見せつけるシーンなんかは正気ではない恐ろしさ。
墓場での銃撃戦シナリオの時にスリーピーホロウオマージュな登場が笑えた。
七人のサイコパスを順々に紹介していき、まさかの重複とかに笑わせられながらストーリーが進行して行く。基本的にはカリフォルニアの排気ガスまみれの都市部とデザートエリアがメイン。しょっぱなから脳天ブチ破りヘッドショットに始まり、途中頭がパーンなシーンもあり、首切り血がどばどばもあり、この映画どうやって結末にたどり着くんだ?なんて心配しながら見て行くが、大どんでん返しがあるわけじゃないのに最後はスッキリ終わる。てかすんげえ泣ける。
クリストファーウォーケンがあそこであんな形で死ぬのはちょっと満足いかないが、妻が見た世界を見れたというのは彼にとっての望む道だったからよしとしよう。
ヒッピーを征伐するシーンが今までにないカットで非常に良い。両手はナイフで机に固定されて椅子に座ったままガソリンをかけられて燃やされる。んで周りには純白無垢なウサギがぴょんぴょん跳ね回ると。あのシーンが一番とびきりサイコパスだ。
あとはウォーケンが荒野をスーツ姿で歩く姿。古い時代の映画を見ているような、そして自身の望んだジーザスと同じようなカット。実に素晴らしい。

おそらく主人公が脚本家ということもあり途中から事実ではなく映画にシフトしているのだろう。その分岐点は明確には示されていなかった、あるいは事実と映画はごちゃまぜで観客にその判断は委ねるスタイルは定かではないが、犬を取り返すシーンはおそらく現実ではなく、ヲーケンもおそらく死んでない。

全体的に笑いがじんわりとあるし、ブラックユーモアと皮肉好きには最高、おまけにお涙までセットでついてくる超お得なバリューセットセブンサイコパス、控えめにいって必見。




2013年11月5日火曜日

【ゲーム】Grand Theft Auto 5

グラセフやろうぜなんていいだしたのはかれこれ8年前の話だ。まだ中二病が抜け切れてないチンチクリンのクソガキだった頃。何にでも影響されやすかった私はそのゲームに一瞬で魅了された。親が仕事でいない時をねらってやりこんだものだ。マップやキャラクター、セリフや曲など今でも覚えているし、それが今の自分に繋がっていると感じている。そんな大きな影響を与えてくれたGTAの最新作が2013年10月10日発売された。ひと足早く発売されたアメリカではそのクオリティに感動し多くのファンが満点の評価とPS3史上もっともすぐれたゲームという評価を下した。私はまるで中学生の時のように前の晩楽しみで寝れず、買ってからもパッケージをまじまじと見たり子供に戻ったような気分になった。私自身GTAは文化的に優れているアメリカを第三者の視点から風刺したプロパガンダソフトであると考えているが、世間での評価は極悪非道な犯罪者予備軍製造ソフトという認識が高いので、その克服と、興味を持ってもらう目的でレビューしたいと思う。
 
 
 
ゲームタイトルは直訳すれば「車両窃盗」といった意味(よく“偉大なる”と誤訳されるが、Grand Theft=重窃盗という意味であり“偉大なる”という意味は含まない)であるが、シリーズでは車に限らず陸海空の様々な「乗り物」がミッションにフィーチャリングされている。非常に自由度が高いがその内容が生き残るためなら誰彼構わず巻き添えにする事も可能であり、暴力的過ぎるという批判も強いため「暴力・出血表現が含まれている」などの注意喚起シールがほとんどのシリーズのパッケージに貼ってある。

Grand theft autoシリーズは今までに10作品出ており、そのすべてが大ヒットを記録しているというモンスターソフトだ。世間では教育上よろしくないゲームとして名を馳せており、神奈川県では危険図書指定もされている。しかしこのゲームはそんな簡単な規制をしてしまうような安直なものではなく、現実を真っ向からとらえたアメリカをカリカチュアライズした文化的作品であると考える。


”バイスシティ”では1986年代のマイアミがモデルだった。中南米から流入する麻薬の中継地点であったマイアミのケバケバしいピンクのネオンや、センスの悪いド派手なファッション(今では逆にサグいが)に身を包む人間たちが織り成すリゾート地のバブルな佇まい。所謂スカーフェイスの世界観だ。


 
”サンアンドレアス”では1992年のカリフォルニアのロス暴動における危険な空気感がLAの暑苦しさとともにしっかりと作り上げられていた。初の黒人主人公と言うのも衝撃的であった。

そしてイラクやアフガンでの戦争が泥沼化し金融バブルがはじけた2008年のNYを舞台にした”4”。移民がアメリカで夢をつかむことのむずかしさ、暴力の果てにある虚しさなどをリアルさの増した新エンジンに体現化した。
このようにGTAシリーズは常に誰かの視点からアメリカの一部分を抜き取り、痛切に批判している。時に残酷に、時にブラックユーモアたっぷりにバイオレンスという軸を置きながらオープンワールドという肉づけにより我々を魅了する。







今作GTAVは前作から4年ぶりのリリースであり、前作の重苦しいいストーリーからか大きく期待された作品だった。そしてティーザーが公開されて以来世界は徐々に湧きあがることになる。
Rockstar Gamesはグランド・セフト・オートVの開発や宣伝・広報の予算にゲーム史上最高となる2億6500万ドル(約264億円)を費やしており、その数字は映画アバターやアベンジャーズをはるかにしのぐ数。しかしながらその莫大なバジェットを3日でクリアし(三日目の売り上げが約996億円)、エンターテインメント分野における世界的な販売記録を達成した。
海外大手メディアではほとんどが9点を超えるレビューをしておりその勢いは未だとどまることを知らない。



GTAVの開発は過去4年に渡って続けられ、1,000ページの脚本、数ヶ月に及ぶモーションキャプチャーとボイス収録といった作業を経た全てがロサンゼルスに密接に基づいた完全に機能する大都市の再現に関係している。そして、都市はこれまでと同様に作品の主役だと言える。Rockstarの中心人物Dan Houser氏のインタビューで最初に行われた都市の直接的な調査について、一晩中奇妙な人達と外を歩き回ったと述べ、おとり捜査を行っていたFBI捜査官やベテランのマフィア達と対話し、スラングをよく知るストリートギャング達に会う為、刑務所まで訪れたと説明している。
。「ロサンゼルスは20世紀におけるアメリカの欲望の体現だ。住宅、庭、日焼け、僅かにフェイクな全て。それは西部の終わりを示している。一日が終わりまた明日がやってくるが、産業は映画、或いは同じようなまやかしである不動産業。それは過去を逃れてそれ自身を徹底的に再構築しようとする人々からなる。Grand Theft Auto IVがクラシックなニューヨークストーリーだったとすれば、Grand Theft Auto Vはアメリカンドリームの終わりだと言える」。(注:フェイクや“まやかし”の産業という言及は、ブッシュ政権下の財政赤字と景気低迷に伴う金融商品の登場に端を発するサブプライム問題の肥大化とその背景に絡むもので、当時はアメリカにおけるGDPの7割近くを個人消費が占め、中国市場との間に膨大な貿易赤字が発生し、経済そのものが金融工学と金融商品により駆動する状況となっていた。この金融商品は信用を持たないサブプライム層への住宅ローンの貸付を主なターゲットとし、結果住宅バブルが弾けた一方で、ハリウッドは“スラムドッグミリオネア”や“アイアンマン3”といった作品でも顕著なように、インドや中国、アラブ資本が次々と介入し産業が空洞化した。)

マックスペイン3で掲げられていた政府の腐敗、信じられる物は自分だけというリアリズムを今回のGTAVでも生かされている。我々の目に日々写っている物は偽りであり偽善がロスサントスを生き生きとさせる燃料であって、それに翻弄される三人を描くのが今回の大筋となる。外から来た理性と明日を持たないトレバー、ロスサントスに取つかれた中年マイケル、多くの人間に左右されながら大人になるフランクリン三人のズッコケ人間模様を映画の如く楽しめる。
それまでのGTAの主人公は無口で与えられたミッションをただひたすらこなす冷酷な殺人マシーンだった。だからこそただの危険図書指定された残虐ゲームという印象が世間についてしまったのだろう。今回ではマイケルは家族という重荷を背負い大黒柱であるという責任がある事に葛藤するミッドライフクライシスであったり、家族の大切さをエンディングを迎えるにあたって理解するフランクリンは地元のサグい仲間との腐れ縁を切れず、また同時に将来の不安や一生このままでいいのかと葛藤する。トレバーにいたってはその性格の反面センチメンタルな面があり自分の理性のなさや人一倍他人の心境を分かる一番人間らしい怪物なのだ
このようにただのゲームとはいえ、生い立ちや生き方について葛藤し思い悩む主人公がいまだかつてあっただろうか?
 

今までの主人公と言えば例えば配管工の男が姫を救うためキノコを踏んで亀を倒してハッピーエンドだったり、長官から与えられた任務にただ答えてナパーム弾でベトナムの森を燃やすくらいだ。
これが示唆するものはおそらくビデオゲームインダストリーの成熟期だろう。PS3が発売して6年近く経ち、あらゆるゲームが発売されコンシューマーはネタ切れに追いやられ、ユーザーはもはやビルディングスロマンを追い求めるようなストーリーに飽きはじめてきた。誰がいまさらお城にさらわれた姫を助けてハッピーエンディングになるストーリーを望むというのだ?
PS3に限った話ではなくGTAにおいてももはや10作目ほどということでもはやアメリカもディスり尽くしたみたいなところはある。現実の背景と拮抗しあうリアルな人物描写を求めることによって今までとは全く違う復讐劇が完成したのではないだろうか。



GTAシリーズの魅力の一つとしてゲーム内にあるオブジェクトは現実にあるものばかりを再現しているので、まるで旅行に行ったような気分になるし、これから行く私にとっても小さな下見のようで楽しい。例えば世界的に有名な劇場グローマンズ・チャイニーズ・シアターを再現した“The Oriental”やサンセット大通りに位置するアメリカ初のディスコ“Whisky a Go Go”を再現した“Tequil La-La”、ソルトン湖にほど近い砂漠にそびえるポップなサルベーション・マウンテンを再現したヒッピータウンなどあげればきりがない。
それらをゲーム内のスマートフォンのカメラで撮影して遊ぶなんてこともできて終わるタイミングがホントに分からない。ちなみにインカメあり。


そしてこれまでのファンに嬉しいのは過去作の要素が沢山含まれている事だろう。
例えば3で公衆電話から暗殺を依頼するエルブッロ。彼の名前のついた住宅地エルブッロハイツや(レスターが住む所)、ハリウッド大通りのような所には歴代のキャラクターがまるで映画スターかのように地面に彫られている。その他にも4のパッキーがストレンジャーとして出て来たり、ニコがライフインベーダーに載ってたりとロックスターさすが分かってる。

GTAといえば目玉なのがカーラジオ。選曲は毎回神がかっており、移動の際ラジオを聴くため自然と曲が身に染み、好きな曲の幅がどんどん増えていく。今回もDJにパムグリアだったり、Wavvesで活躍するStephen PopeとNate Williams、DJ Pooh、親日家としても知られる人気プロデューサーFlying Lotusなどかなりサグい面々。フライングロータス手掛けるFly Lo FMがまたすばらしくあのキチガイラッパーtyler,the createrが参加している。なぜかヒップホップ専用チャンネルradio Los santosではないのだが、radio Los santosにはA$AP ROCKYが参加しているので問題ない。カントリーのラジオ、メキシカンなラジオなども充実しておりこれをipodに入れて持ち歩けば普段の生活がGTAなみにワイルドにかつDOPEになることは間違いない。あとなぜか眉毛が印象的なモデルの
カーラ・デルヴィーニュもDJとして参加しているらしい。



また今回はロサンゼルスをベースとしている事もありかなり映画のオマージュが出てくる。ざっと思い当たる映画を挙げてみよう
【ネタ元映画】
ガントレット
シャイニング
2000人の狂人
アナライズミー
プレッジ
コンボイ
ヒート
アンダルシアの犬
ハングオーバー!
マーダーライドショー
グッドフェローズ
サンセット大通り
ミッションインポッシブル
ノーカントリー
ハートブルー

これらの映画を見ておくとGTAVがより一層楽しめることは間違いない。RED under the BED!!


ロックスターが生み出すゲームはプロパガンダ的でありバイオレンスとレッテルを貼るにはもったいない芸術作品だ。アメリカ社会の縮図を狙っているのはもちろん、サブイベントにもビデオゲームからエコノミクスに至るまで、皮肉めいた台詞が山盛りで作品からの乖離を感じさせない。共和党からネオリベラリズム茶化すアニメが未だかつてゲームであっただろうか。
またそこには数々の映画のオマージュがあり世間を風刺しそれを吹き飛ばす武器と乗り物がある。分かるものにはあざ笑う事ができるし、わからない者には日常の鬱憤を晴らすフィールドとなる。
ここまで語り尽くしてきて言いたいことは、ゲームはあんまりやらないからなんて言ってる場合じゃない。今すぐ腎臓を売ってその金でPS3とGTAVをamazonでポチるべし。

2013年10月23日水曜日

【映画】トランス

 
絵画を探すため、失った記憶の中へ。取り戻したはずの記憶には、大切な“その先”があった。白昼のオークション会場から、ゴヤの「魔女たちの飛翔」が盗まれた。40億円の名画を奪ったのは、ギャングたちと手を組んだ競売人(オークショナー)のサイモン。なぜか計画とは違う行動に出たサイモンは、ギャングのリーダーに殴られる。その衝撃で、サイモンの頭から絵画の隠し場所の記憶が消えてしまった。催眠治療(トランス)で記憶を取り戻させようと、催眠療法士を雇うリーダー。だが、サイモンの記憶には、いくつもの異なるストーリーが存在し、深く探れば探るほど、関わる者たちを危険な領域へと引きずり込んでいく。そしてその先には、サイモンでさえ予想もつかなかった〈真相〉が待ち受けていた。

名作トレインスポッティング、アカデミー賞受賞のスラムドッグ$ミリオネアなど名作ばかり生み出し最近だとロンドン五輪の開催式の演出をするなど模範的な監督の道を歩んできたダニーボイルが久々に原点に戻ったかのような印象を受けた。
おそらく絵画を見つけ出すサスペンスアクション!みたいなダヴィンチコードノリで観た客は拍子抜けしただろう。なんだこの糞つまんねえ頭痛がする映画は、と。この映画の主題は、絵画を探すことはあくまで伏線として出しかなく、脳の真髄にある分子レベルの記憶という宝を現代臨床医学により盗みだすという極めてミニマムかつ超進化的なボイル節全開サスペンス。ボイルと言えば映像センスと音楽の融合においては右に出るものはいないほど巧みで、テンポ、構成、盛り上げなどにおいては娯楽としての映画の極致にあると言って過言ではない。もちろん黒澤明はじめコッポラ、スピルバーグ御大と並べるつもりはないがあくまで娯楽産業としての映画においての話だ。

ここまで聞くと2013年最高の映画なのでは?と思われるだろうが要所要所に理解するのに脳のしわをミイラレベルに寄せないと分からないような展開があり娯楽としての映画と言えど、観終わった後の徒労感あふれるぐったり感は否めない。敵が撃ち殺されて死んだかと思えば夢か...みたいな展開が何度もあり、捻りに捻ったラストシーンに到達してもまた夢か...みたいな世にも奇妙な物語を思わせる落ち着かなさがあるが故、観終わってもモヤモヤが晴れない。
しかも落ちに至ってはな、なんだってー!!というわけでもないし、オチに繋がるヒントがあそこの毛だったりと、これはすでに最強絶叫計画のパロディに到達してしまっているのか?とトランス状態に陥った。

内容に分かりにくいという問題があろうともアンダーワールドのリックスミスの楽曲でカバーされているがゆえに観ていて苦痛になることはない。エミリーサンデーとコラボった曲まであるくらいだから。http://youtu.be/gzM8IdOwwTg


なぜ劇中で盗まれる絵画がゴヤの「魔女たちの飛翔」なのかは謎だが、おそらくゴヤの光の使い方、ふんわりとしたバロック調の色彩がボイルの光使いにマッチしたのだろう。確かにカラヴァッヂオでは重すぎるしゴッホではありきたりすぎる。かといってゴヤの藁人形遊びとかでもバカっぽいし。
おそらく、魔女たちの飛翔の中で魔女とは知恵でありエリザベスであり、人間の男は耳をふさぎ布をかぶって逃げている。捕まった男はその身を委ねてふんわりと浮いている。捕まった男は今まで騙された男で、下でエリザベスから逃げているのはサイモンとフランクを表しているのだろう。

バカっぽい藁人形遊び
個人的にはデューラーとかが盗まれてたら燃えるのだが。
 
 
最高にかっこいいのは間違いない。まるで斬新なPVを観ているかのような。メロウかつエッジの効いた全体に降りかかる光彩。そしてゴヤをはじめとするカラヴァッジオ、ゴッホの色彩美。どんな裏があるのか、オチはどうなるのかということを終始考えて見てしまう。我々はつい誰が悪者で誰がヒーローだったとオチをつけたくなる。だからこそ見終わった後、なんとも言えないわだかまりが残り、もう一度観てみようと思わせる。
今作中の夢か現実かわからないシナリオが終わったあと誰しもが、これは夢か?ともやもやするであろう。それこそがダニーボイルが望んだ我々をトランスさせるという真のエンディングだったのだ。
 
 
追伸
脳天をブチ抜かれたフランクは完全にコンスタンティンのあいつだった
 


 
 



2013年9月24日火曜日

【映画】エリジウム

第九地区で話題となったニール・ブロムカンプ監督がマット・デイモンを主演に迎え、富裕層と貧困層に二分された世界を舞台に描くSFサスペンスアクション。2154年、人類はスペースコロニー「エリジウム」に暮らす富裕層と、荒廃した地球に取り残された貧困層とに二分されていた。地球に住む労働者で、事故により余命5日と宣告されたマックスは、エリジウムにはどんな病気でも治すことができる特殊な装置があることを知り、厳しい移民法で出入りが制限されているエリジウムへ潜入を試みる。エリジウム政府高官役でジョディ・フォスターが共演。エリジウムとはギリシャ神話に出てくるエリュシオンのことでありいわば天国のようなもの。エリートという単語の語源でもある。
監督の二ールブロムカンプは第九地区を撮った時まだ30代で、その若さでアカデミー賞候補になるのはスピルバーグの再来とも言われている。その監督のSF超大作ということで期待大で見に行ったのだが全然面白くない。細かく分解していけば面白いシーンもあるし内容も現代を痛切に皮肉ったプロパガンダ的なポリティカルメッセージ満載なのだが、本筋がしっかりしていないためにで、結局この人は何がしたかったわけ?と疑問に思った。
おそらく監督が言いたかったのは、医療がどんどん発達しもはや直せない病気はガンと馬鹿と風邪くらいで、不老不死の未来はそう遠くないと言えるほどに医療は行くとこまで行ったが、その恩恵を受けられるのは上層部の一握りだけであり、上層部の下には巨大なヒエラルキーのピラミッドが礎として存在する。資本主義でありながら我々は競争することができず、上に行くことは不可能と言える。それは人種であったり職種や運が大きな壁として存在するためであり、世界は進歩しようとも世界の99パーセントの人間は死滅し続けると言った内容であると感じた。事実、アメリカの富の50パーセントはアメリカの人口の1パーセントが保有し、1パーセントの彼らはアフリカで資源を得て莫大な資産を築き上げたり、投資による課税率の低い儲け方で金を増やすというようなケタの違う生き方をしている。先に起きたウォール街を占拠せよ運動がいい例だが上がのさばる限り下は苦汁をすすり続けなければならない。それゆえに人々は家を買って安定した資産を得(事実それは安定していなかったのだが)、医療保険に入れず病気にかかれば莫大な金をかけて病気を治すか死ぬかの究極的なオルタナティブを強いられる。それこそが2013年であり、過去に生きてきた先人達が想像する2013年とは医療や技術の進歩の形式的な面では正しく、内在的な意味では大きく違っていたのだ。
 
戦争はなく、病気もない、安全でクリーンなコロニーに住んでみたいと思いませんか?今なら人気の高い5区に住むことができます。
※ただし金持ちに限る
 
じゃあなぜこんだけ社会に対する痛切なメッセージがたくさん含まれているのにあんまりおもしろくないのか?おそらく全体的にふわっとしすぎてるからだろう。コロニーでの生活をもっとクローズアップしたり、マットデイモンが戦う理由がしっかりあればこの映画はもっとヒットすることができたはず。コロニーのデザインは2001年宇宙の旅的で素晴らしいし、相変わらずスラムの汚く低俗で必死に生きてる感を出す描写はうまい。だからこそ惜しいと言える。パワードスーツの残念感は何とも言えないが。(なんかに似てると思ったらこれだ...)



 
あとはジョディフォスターの使い方をもうちょっとちゃんとしてほしいところ。。。
カメラワークもいいしCGも違和感がないので第九地区というハードルを取っ払って観ればなかなか楽しめるはず。
 
PS
途中から敵がデヴィッドゲッタにしか見えなかったのは私だけでしょうか
 



2013年9月1日日曜日

【映画】マンオブスティール

 




ザックスナイダー監督クリストファーノーラン製作デヴィッドゴイヤー脚本ときたら観ないわけにはいかない。同時に期待しすぎる部分もあったので結果的に満足度は50/50。

ザックスナイダーといえば300、ウォッチメンなど、斬新な映像革命とやり過ぎなくらいド派手な映像効果で子供心を捨てきれない我々の欲求を満たしてくれるが、同時にセーラー服の金髪美女が暴れるだけのくそつまんねー映画にもなりかねない危険があったが、そこは天下のノーランがカヴァーしてくれたようだ。ダークナイトシリーズの脚本を担当したゴイヤーがついた割にはストーリーは割とシンプルかつ王道で、ダークナイトシリーズのようなヒーローの苦悩や善悪の概念みたいな深いアメコミ道徳教室は一切開かれなかった。希望!愛!善!みたいな単細胞感であったが、バカっぽさはない。軸として善は善でもそこに導く手段としてどんなチョイスをするか、がテーマになっていると考える。おそらく苦悩に満ち溢れるヒーローを再びやるのはDCコミックスのイメージが陰湿になってしまうことを考え避けたのだろう。


まず良かった点。とにかくスピード感と爽快感がいまだかつてない。戦闘シーンなんかは瞬きをする頃には地面にたたきつけられていたり、一瞬にして100メートルくらい吹っ飛ばされていたり、気を抜けない。空を飛ぶ描写なんかは誰しもが夢見た、自分の身体で空を飛んでみたいという欲求を満たしてくれる。おそらくこれ以上のスピード感が感じ取れる映画は前にも後にもないだろう。なぜならこれ以上早くすると肉眼で観れない。
またファイトシーンの激しさはザックスナイダーの得意分野である派手な見せ方で非常に興奮する。ビルに叩きつけてビルごと倒したり、地面が盛り上がるほどに叩きつけたり、超人×超人らしい戦いっぷりかつCGらしさがあまりなく違和感なく楽しめた。めずらしくハンスジマーの戦闘シーンでの曲の盛り上がらせようも〇。
それと無駄に建物を崩壊させるシーンの多さ。マイケルベイが無駄に建物を破壊することで有名なことからメイヘムをもじってベイヘムというが、アルティメット・ベイヘムと称していいほどビルが壊れ街が崩壊する。アメリカは自分の国が破壊される描写がお好き。カンザスシティで戦うシーンで、これでもかっていうほどセブンイレブンがぐっちゃぐちゃにされるのだが、おそらくあれはザックスナイダーがセブンイレブンに個人的な恨みがあるのだろう
最後に名優たちの演技。個人的にケビンコスナーの演技に感動した。得体のしれない息子を自分の息子として清く正しく育てる父なのだが、一番かっこいい父親像かもしれない。また本当の父であるラッセルクロウも感情のこもった演技をしており親の愛を感じ取れる名演であった。


逆に悪かった点。早い&CG&激しいで眼がむちゃくちゃ疲れる。気を抜けなさすぎで終わってから放心状態に。3Dなんかはおそらく知恵熱が出るだろう(いそがしすぎて)。またちょいちょいズームするカットがあり、多用しすぎじゃないかと感じ興ざめ。リアリティを出そうとしたのだろうが、クローバーフィールドを思わせるためマイナス。
あとはストーリーがもうひとひねりあってほしかった点。現状では敵はチョイ強いけど頑張れば勝てるスーパーマンでしかなかったのでずっと俺のターン感が少しあり。すんなり事が進むのではなくターニングポイントのようなものが必要だと感じた。人類を救う明確な理由がいまいちない。
あとはもう声高らかに言いたいのがゼッド将軍の髪型。なんだあのワックス覚えたての中学生みたいな束感。ローマ人か。それが気になって仕方がなかった。正直横にいた軍曹みたいな女性が将軍で良かった気もする。





アメコミ作家のほとんどはユダヤ系である。『いかにしてユダヤの歴史と文化がコミックブックを作ったか』という著作が出るほど圧倒的多数がユダヤ系であり、今作のベースであるスーパーマンの作者ジェリーシーゲルおよびジョエルシャスターも東欧出身のユダヤ系だ。そのためストーリーをひも解くと、そこにはただのアメリカ愛国者がお国の為に戦うだけの話じゃないということが分かる。
スーパーマンの本名はカルエル。父の名はジョーエル。ちなみにカルエルとはヘブライ語で"力"、"神"を表す。故郷は銀河の果てにある惑星クリプトン。そこは資源の採掘をしまくりもはや惑星が保っていられる状況ではなくなっていた。そのためカルエルの父は生まれた子供を遠く離れた地球に送る。その際にクリプトンの10万人のデータや記録であるコーデックスをカルエルの遺伝子に溶け込ませる。このコーデックスが後に重要なものとなる。惑星クリプトンは爆発して消滅しカルエルは宇宙の孤児となる。これはユダヤ人が戦争で祖国を失い世界に離散した事実を反映している。カルエルはアメリカの田舎町カンザスで拾われクラークケントという名前で地球人として生きる。旧約聖書に出てくるモーゼも同じように籠に乗せられナイル川を下りエジプトの王女に拾われ後にモーゼの十戒として知られる。またクラークケントという白人的な名前を名乗るのも、ユダヤ系は差別を避けるために偽名を使っていた事実を反映している。ではなぜユダヤ系なのに星条旗を背負って戦うのか?それは遠く離れた星から来た自分をかくまい、チャンスをくれた自由の国アメリカを守るため。いわゆるユダヤ系が60年代移民としてカリフォルニアに移り住み成功を収めてきたように時に右翼的なほどに愛国的な部分を象徴している。
 
 

クリストファーノーランてことで笑える要素は皆無といってもいいのだが唯一笑えたのがカルエルを少年時代いじめてた太っちょが後にIHOPで働いているところ。IHOPとはアメリカの内部(田舎)に多くある簡単なレストランで日本でいうすき屋的なポジションか。所謂田舎の仕事の末路みたいなのを風刺している。WALMARTだと直接的すぎるし訴えられるから避けたんだろうがWALMARTに宇宙船ごと突っ込んでほしかった。
 
マンオブスティール、和訳すると鉄の男。あれ、マーベルがこないだやった映画とキャラかぶってね?そういえばバットマンVSスーパーマンの製作が決まったが。宇宙船を拳で破壊するスーパーマンと脊中にひざ蹴り食らって半年くらい動けない状態だったバットマン、どちらが勝つのか!勝敗はいかに!

2013年8月22日木曜日

【映画】パシフィックリム

180億円という大金を特撮好きなオタクに渡して映画を作るとどうなるか?
パンズラビリンスやヘルボーイを手掛けたキャラメイクには定評あるギレルモデルトロ監督。彼は小さい頃からゴジラやウルトラマンなど特撮映画を見て育ったオタクで、今現在も浦沢直樹のモンスターのドラマ化も決まっている。とにかく漫画や特撮が好きで来日した際には中野ブロードウェイでフィギュアを買いあさったりお台場で等身大ガンダムを見て絶句するなど金がある外人の出来るオタク。そんなデルトロのやりたいことをとことんやってのけた特撮愛に満ちた作品がパシフィックリムだ。


あらすじ
2013年、突然未知の巨大生命体が太平洋の深海から現われる。それは世界各国の都市を次々と破壊して回り、瞬く間に人類は破滅寸前へと追い込まれてしまう。人類は一致団結して科学や軍事のテクノロジーを結集し、生命体に対抗可能な人型巨大兵器イェーガーの開発に成功する。パイロットとして選ばれた精鋭たちはイェーガーに乗り込んで生命体に立ち向かっていくが、その底知れぬパワーに苦戦を強いられていく。

とまあ内容はそんなに深いものではない。社会風刺もメッセージもないがそれがどうしたと言った感じ。そんなことは問題ではない。
まず相変わらずのキャラデザ。デルトロといえばパンズの死神だったり、ヘルボーイの巨人などわくわくするような斬新なデザインのキャラクターが多いが今回も期待を裏切らない。相当なオタクということもあってか映画内ではマジンガーZの頭部の合体シーンであったり怪獣もガメラやウルトラマンの敵を意識したような作りなど日本を意識しながらもオリジナリティあふれるキャラがたくさん。
キャラクターだけでなく景観にもかなり凝っており、香港のスラムな町並みや闇市などは一時停止してじっくり見たくなるほど。またシドニーやフロリダ、東京など各国の都市が崩壊していくショットは廃墟マニアにはたまらない。
次にロボット。ロボットを操るのは二人ひと組でシンクロし人が歩けばロボットも歩くというエヴァ的な要素。そのため各国のパイロットは親子や兄弟、恋人など信頼し合ったパートナーとイェーガーを操る。各国それぞれに特徴があり中国は三本腕で拳法を使った身軽な動きだったり、ロシアは旧式で重いがパワフルな技を繰り出していたりとわくわくが最後まで収まらない。



最後に俳優。あまり有名ではないが個性豊かな面々がそろっている。日本からは天下の名優芦田真菜ちゃんと菊池凛子。真菜ちゃんはハリウッドデビューらしい。へー。ヘルボーイでメイクいらないんじゃないくらいの強烈なつのだ☆ひろ顔のロンパールマン。JJエイブラムスにしか見えないチャーリーデイ。ダークナイトライジングでガニ股で氷河に落っこちた秘書役のバーンゴーマン。サンシャインクリーニングで清掃用具屋の兄ちゃんやってたクリフトンコリンズJr。とまあよく知らないけど見たら一発で覚える系の濃い俳優が勢ぞろい。下手にシュワちゃんとかじゃなくてホントよかった。
ロンパールマンの闇市で怪獣を売りさばいてる役が一番お気に入り。やらしい金の皮靴をはき、金歯をちらつかせナイフ捌きがたくみ。赤ちゃん怪獣に食われるが......

 私は小さい頃からあまり特撮を見てこなかったしガンダムやエヴァなどのロボット系も全然触れずに大人になった。おまけにジブリもトトロとこないだ始めてみたナウシカの二本という非国民。そんな人間でも今作は大いに楽しめたし二度劇場で見てしまうほどだから見てない人間に対してはなんでみてないの?と疑問の念しかない。でかいスクリーンで見れる今のうちに見ることをお勧めする。
どうやら日本中でも興奮してる方がわんさかいるようでこんなゴジラ風の予告を作る人まで現れました。http://youtu.be/y3Qygyy4204
本田猪四郎のゴジラの予告がこちら。
ちなみにパシフィックリムの最後に本田猪四郎に捧ぐというメッセージが。泣ける。


実際萌&健太ビデオって看板が気になって芦田真菜の演技は全然見てない。