2015年12月30日水曜日

【映画】2015年トップ10

今年は過去の大作の続編やスパイ映画ラッシュ、SFのAIベース映画ラッシュなど豊作だったといえる。昨年もブダペストホテルやガーディアンズオブギャラクシーなど、印象に残る映画が多かったが、一昨年の悪の法則のような劇場に4度も足を運ぶほどの作品はなかった。

では10位より。


第10位 インヒアレントヴァイス


俺がランキング入れなきゃいけないみたいな半ば使命感を感じながらもランクイン。
映画果樹可能といわれたトマスピチョンの傑作を見事映像化することに成功した本作(原作を読んでいないとわからないというのは成功したといえるのか微妙なところ)。Inherent Vice=”内在する欠陥”という扱いにくいテーマを、マクロとミクロの視点で捉えながらアートテイストに描写した腕はなかなかなもの。結論を急ぐ人には耐え難いフラストレーションが喉に残るけど、それが飲み込める人には楽しめるってワケよ、ドック。
とりあえず60’sカリフォルニアアンティークを基本としたギミックが最高です。

第9位 ビーストオブノーネーション


最近の個人的な傾向なのかわからないがアフリカ物に弱い。特に少年兵とかリアルなやつ。となると否応なしに入ってくるよね。本作はネットフリックスと一部劇場のみで公開された新しい試みで話題になった。結果的には成功し監督はキャリアが浅いのにもかかわらず瞬く間に有名人に。
見所はといえば主人公の少年兵のあどけない少年の顔から殺人鬼の顔、そしてすべてを悟った菩薩のような顔。将来有望です。

第8位 セッション

これはまあ、みんな好きだよね。
Fucking Chimpo!!


第7位 チャッピー


南アフリカものとSFが融合したもんだからこんな上位に来てしまいました。
人間の神経をデータ化して転送するってのが甲殻機動隊のゴーストのそれでありたまらなかったですね。ダイアントワードの演技も素人とは思えないもので完成度は非常に高かったです。


第6位 イミテーションゲーム



カンバーバッチのことはあまり好きではないけどアスペルガーをうまく演じれていたし何よりストーリーの構成が非常によかった。最後のテロップで完全にやられたね。教養の時間にしてはあまりに面白い作品。

第5位 パージアナーキー



俺が入れなきゃ誰が入れるシリーズ。こういうB級なんだけど俺だったら~とか妄想が膨らんで友達と話しこめるような作品は評価高いです。前作パージがテーマがいいにもかかわらず予算の都合で生かしきれてなかったものを本作で爆発できていた感じがとてもグレイト。ちなみに私だったらホームセンターに立てこもってガソリン飲んで火つけて死にます。

第4位 ストレイトアウタコンプトン



N.W.Aを愛しているからかかわからないが冒頭から鳥肌が収まらずとんでもないものを見ていると感じた。知らない人にも楽しめるのかはわからないが、少なくとも世界ではこういった大きなものが渦巻いていることを知るにはいい映画かと。
Fuck THA POLICE!!

第3位 クリード


いいシーンがこれだけ詰まっている映画もなかなかない。名台詞も多いしカタルシスが半端じゃない。とりあえずダイエットがしたいならまずクリードを見てからはじめることをお勧めする。おそらく体脂肪率は一桁に。

第2位 ナイトクローラー

エキセントリックな役はこれまで数々見てきたがこれほどまで温度を感じられないキャラクターはおそらく初めてだろう。それを社会が作り出してるというのも面白い。カメラワークも大きな見所のひとつ。

第1位 マッドマックス
V8V8V8!!!!!(IQ5)


以上トップ10でした。非常に偏りのあるものですが、来年もオデッセイやレジェンド、ブラックマスや白鯨など気になる作品がてんこ盛りなので今から首を洗って長くして待ってるとします。
ちなみにスターウォーズは三国無双でいう呂布なのでランキングからはずしました。

2015年12月27日日曜日

【映画】ディーン、君がいた瞬間



ジェームスディーンの、輝いて燃え尽きるろうそくの最後のような瞬間を切り取った本作。
結論から言うとあまり面白くない。面白くないというか冗長で退屈に感じてしまう
描きたい意図は何となくわかる。時代の荒波に逆行して、穏やかに自分のライフスタイルと原点に向き合うジェームスディーン――それは『ライ麦畑でつかまえて』で描かれた2度と戻らない青春の思い出のような、あるいはジョンスタインベックの『チャーリーとの旅』のようなローカルの味わい深さを感じる喜びであるとか、フロンティアスピリットで西へと急ぐアメリカ人の開拓精神に疲れ地元に回帰する―誰しもが心の底にあるhomeを想う気持ち、そういったものは常にあるべきだ、そうしないと何が起こるか分からないからねと言い残し、若くして世を去ったジェームスディーンの魂を描いているのだと。
映画を見ていてたまらなく懐かしい気持ちにはなる。
かく言う私もオハイオに幾度となく行き、果てしなく続くトウモロコシ畑と、だだっ広い大地で何を考えているのかよく分からない牛や鶏に囲われて、何にも追われずにゆるやかな時間を過ごした。
あの時間を無駄だと感じたことはない。生産性こそ微塵もないが、今のイマジネーションとインスピレーションの原点はあそこにあると言っても良い。少なくともエッセンスはあそこに必ずある。

けたたましい都会に追われる事を宿命と考えディーンの誘いを断り都会に生きることを決めたデニスと、周りに制約され自分をがんじがらめにされるのが嫌でたまらず自分らしくあることをチョイスしたディーン

伝記物のため結論は出ないが、そのせいか結局なんだったの?と思ってしまう。
しかしそれこそこの映画の思うつぼだろう。
私たちはいつも結論を求め、忙しくなくても早歩きで道を急ぎ、情報過多の現代で毎日膨大な情報を取り込んでは捨て去っている。緩やかな時間を体中で味わうことを忘れてしまっている、もしくはその選択肢はすでに捨て去ってしまっているのだろう。
今一度ジェームスディーンの生きかたを思い返してみるのも、いいかもしれない。
PS
しかしまあタバコを吸うシーンの多いことよ。
時代のせいもあるが、これだけ映画に映すのは何らかの意味があるかもしれない(少なくともちょっと前までは害があるからという理由で大幅にカットされてきた)。

2015年11月8日日曜日

【映画】エベレスト




色んな人が色んな場面で美味しいところを持っていく映画。
IMAX隊カッケー!
スコットかっけー!
ロブカッケー!
ダグかっけー!
〇〇かっけー!
ヤスコ「ぁりがとござんます」

まるで極寒のエベレストの中に自分がいるのかと思わせるカットの連続。心なしか体の芯から冷えてくる気すら覚える。
ほとんど真っ白なシーンの連続で退屈になるかと思いきや、どこをとっても美しいこと限りない。これは撮影の腕が光るところだろう。私もつい上ってみようと思ってしまうほど。(金銭的にも体力的にも時間的にも無理)


クルーの記者が登頂を前にして皆に問う。
なぜ君たちはここまで過酷な山に死を恐れず大金をかけて登ろうとするのか?
このシーンが個人的に一番良かった。
一人一人の山への思いを述べる。
メールマンの”美しい山があるのに上らないのは罪だろう”
このセリフはおそらく最後まで頭に残るだろう。

そしてこれは山=目標に対するそれぞれの価値観とも置き換えられる。

スコットなんかは登れないやつは置いていくスタンスでクルーを率いる。一見協調性の無い”ボス”だが、困っていれば喜んで手を差しのばしステロイドを打って山を往復するようなガッツを持ったエキセントリックな役だ。
前張りで大事なところを隠すスコットことジェイクギレンホールのオフショット
一方のロブは、全員の能力を理解し一人一人に声をかけ全員を登頂させようとする”リーダー”だ。決して置いていくような事はなく、自分の犠牲をも厭わない。

ここまで記述して分かったかもしれないが、この映画はただ山を登る映画ではない。目標に対する人間の生き方や美しさを見事に描いている。おそらくトピックスは山じゃなくとも、会社でもランニングでもいいだろう。核になる部分は同じでいい。

しかし山を登るという至極分かりやすい目標、一点にめがけて多くの人の様々な行動パターンがあるという描写は、観客の我々にとって非常にわかりやすく、今後の良い教訓になる。


そして何より感じたのは、無機質で圧倒的な威力を持つ山に対して、ちっぽけな人間の土壇場の粘り強さ。あのメンバーが屈強だった事は勿論あるが、人間てすげぇなと純粋に思わせる。
私事だが、昔は山に登り、ホノルルマラソンを無理やり完走したりしたが、ゴールが見えた瞬間体力が回復して全速力出来たり、応援で疲れが飛んだり、太陽の日差しを浴びた途端動けなかった足が動き出したりと、自分でも驚くことが多々あった。
おそらく過酷な環境に幾度となく挑戦する人はそういったアドレナリンを求めて危険を冒すのだろう。火事場の馬鹿力とはよく言うが、窮地に立たされた人間のパワーと言うものは見ていて感動する。


残念な点として、登場人物の描写が弱い。もっとそれぞれの普段であったり性格や行動パターンにフォーカスを置いていたら凄まじい映画になっていただろう。

それと前半の適応が少し冗長。人間の死はびっくりするくらいあっさり(それだけ無力なのを表しているのだろうが)のに対して無駄が少し多かった印象。
しかしそんなことがどうでもよくなるくらいの緊迫感と圧倒的な山の威力を思い知れる良良良良作

PS
エベレスト麓にある寺院の時点で富士山頂の標高超えてるとか僧侶やべぇな。

2015年9月27日日曜日

【映画】ウォーリアー







超超超アメリカを象徴、暗喩する映画。

この映画が製作された2011年、それはアメリカの混沌の渦中にあった時代。

国民皆保険は無く病気をしたら終わり、ウォールストリートは博打が如く金を儲け、若者はイラクへ意味のない戦争をしに行く…。矛盾とがんじがらめの不甲斐ない時代。

主人公である不器用な三人の男たちはまさにそのアメリカを象徴する形であり、未来である。
トミーは父の酒癖から逃れる為母と家を出るが、金が無いため母は医者にかからず死ぬ。
その後途方にくれイラク戦争に出兵するが味方の誤爆で友を失い喪失感で脱走する。
兄は物理の教師になり幸せな家庭を築くが娘が心臓の病気を患い銀行に借り入れをするも物理の教師では支払いの見込みがないと判断され家を差し押さえられる寸前だ。
父はといえば引き金となった酒を断つため更生プログラムに通いもう間も無く酒を断って1000日経とうとしているが息子たちは今の自分を見てくれず途方にくれる。

そう、変わろうと思えばどうにでもなれるアメリカンドリームの時代は終焉を迎えた。

父はハーマンメルヴィルの白鯨の朗読テープを聴いている。エイハブ船長率いる船が白い鯨を追いかける話だ。三人は追いかけ追いかけられる関係にある。兄はトミーを追い、トミーは父を追い、父は兄を追う。その関係はいつまで経っても縮まらずにいた。


なぜただのボクシングではなく総合格闘技か?
総合格闘技は様々な技が多い。蹴り、ヒジ、関節技、なんでもありだ。だからこそキャラクターの背景を生かせる。

ブレンダンは資本主義にボコボコにされても自己破産せず耐えて立ち上がる。そしてスキをついて関節技で巨大な相手すらも倒してしまう。

トミーはリングに上がれば牽制もせずただノックアウトして足早にリングを去る。社会から孤立した悲しい男がそこにはある。

それに総合格闘技はリングを囲うのはフェンスだ。金融街の大物が金を投資しようが、軍が軍歌を歌おうが、2人には関係ない。二人の兄弟喧嘩には誰も介在できない。二人だけでぶつかり合う。



そしてラストに流れるthe Nationalの"about today"。
「今日
君は遠いところにいた
なぜだか聞かなかった
何が言えるというんだ
俺も遠いところにいた
君はただ歩み去り
俺はただ君を見つめていた
何が言えるというんだ」

周りの音が一切流れずこの曲がただ流れる。

この曲がすべてを物語るかのように。

2015年9月13日日曜日

【映画】キングスマン









ファッキンテンポ!!
まずこれが言いたかった。
テンポがめっちゃいい。往年のハリウッド映画の映画らしい映画のそれを抑えながらも期待を裏切る展開を混ぜ込み予想のできないスタイル。

それに加えメンインブラックのイギリス版と言ってもいい、あのガジェット紹介からスラムからの飛躍、昇段審査で一人だけ育ちが悪いという展開。MIBがマイベストムービー(死語)の私にとってくそブチあがるストーリーライン。

おまけにブラックジョークてんこ盛りで、権力者の頭が七色に吹き飛び(マジックマッシュルームを意識?)、コリンファースは超原理主義的保守派に対して「俺はユダヤ系の黒人男性とヤった、ヘイルサタン」なんてつぶやいて無双する始末。あんたブリジットジョーンズの日記でトナカイのセーター着てたの忘れないからな。

マークストロング(通称つよし)なんかは裏切りのサーカスで絶妙に禿げてたのにイミテーションゲームで移民わかんない髪形になって今回つるっぱげになって、目力強い禿げはすごい怖いということを再び世間に知らしめた。

主演のタロンエドガートンは今回初主演作初映画出演というそれこそ貴族階級の背景を感じさせる話だが、スーツで決めて眼鏡をかけるとこれがまた初代007を感じさせるクールさでその場にひれ伏した。

イギーアザリアが拉致されましたとかイギーアザリアの曲が流れたりとかなんかあんのか、イギーアザリアのバックに。

さみゅえるえるじゃくそんはいつもどおりでした。ゲー。

以上。

【映画】クーデター

国民全員敵。
そんなんロメロのドーンオブザデッドを人生のベストに掲げる以上見ないわけにはいかんわけで。

ワールドウォーZでも、基本的にアメリカではなく異国の地でてんやわんやするという、「言葉も土地勘も風習も知識ゼロで極限の状態」なんてのが増えてきた。個人的に南アフリカとかメキシコとか東南アジアを題材にして、てんやわんやするのは正直大好物である。オンリーゴッドではタイのルールに反して洗礼を受け、ワールドウォーではわけもわからずイスラエルの混沌に巻き込まれ、悪の法則ではメキシコの大麻カルテルに骨の髄まで吸われる。

アメリカとかヨーロッパ圏は見飽きてきた。もちろん絵が映えるしスクリーンとしての効果は相当期待できる。しかしそこであえてハリウッド俳優達を訳も分からないミスマッチな土地に置くと何とも言えない不安感が襲う(全然画と合ってないから)。


今回のクーデターでは、水道会社の中間管理職のオーウェンウィルソンが事業規模拡大の為にアジアに赴任してくるところから始まる。不慣れな生活に慣れないながらも明るく過ごそうとするが、到着後直ぐに突然クーデターが勃発する。大統領が暗殺されたのだ。その瞬間国民の怒りは爆発し外国人狩りが始まる。


はじめは勝手に外国人が大統領暗殺の犯人だと決めつけてキレてるのかと思えば、インフラ整備を名目に国をとことん借金まみれにし乗っ取ろうとするという国家規模の侵略であった。それにいち早く気づいた反乱軍は外国人狩りを行なった、という実はすごい社会派批判交じりの作品。


オーウェンウィルソンが新聞を離れまで買いに行くと突然クーデターが勃発するわけだが、そこからのジェットコースターテイストな緊迫感の連続がとても心地よい。

懇願しようと容赦なく撃ち殺したり、目の前で嫁を犯そうとしたり、ナタとか覆面とか発展途上国らしいエグさ。
何言ってるかも全く分からないし絶望しかない。
昔グランドセフトオートでチートを使って自分以外全員敵モードで何分生きられるか(大抵RPGですぐ死ぬ)を延々やってた私には、この映画はカンヌで賞取ってもいいレベルの面白さに映りました。
自分の子供に撃たせようとするシーンとか最高だよね。その後の母ちゃんの母性と狂気半分半分のノックアウトはなかなかトラウマものだけど。

ピアースブロスナンが全部持ってきすぎだしなんなんすかあのかっこいいラスト。
余談だけどオーウェンウィルソンってくだらない冗談に延々付き合ってくれそうな顔してるよね。




【映画】ナイトクローラー






映画「ダイアリーオブザデッド」で報道か救助かという二者択一の危惧をロメロは早くから警告していた。結論から言うと、この「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」は、映画としては正直言ってあまりおもしろくない。だがジョージロメロ御大が生み出す映画に何をいまさらといった具合に、面白くないのは至極当然なのだが、扱うバックグラウンドやテーマは常にフレッシュなものだった。

報道をとるか、人道をとるかというテーマは人類がレンズ越しに現実を見るようになってから語られてきた。
いわく、戦場カメラマンのような極限の状況下にいる人間たちはファインダー越しに見る世界を現実と思えなくなってしまうらしい。色眼鏡で見るなんて言うことわざがあるように、人は媒体を解すと全く違った認識をするようになるらしい。危険は変わらず目の前にあるというのに。

またこのテーマは何も戦場カメラマンに限らず我々にも言える話だ。
昨年、新宿で男性が陸橋の上で焼身自殺を図った事件も、SNSには多くの画像があふれていたのが記憶に新しい。ほかにも公共の場で起きた事件であれば少し調べれば匿名サイトでその残忍な現場は簡単に見ることができてしまうし、簡単にアップすることができる。

そのためこの”報道の闇”というテーマは長くから語られマンネリしている。しかしマンネリズムとはそもそも、ひとつのジャンルの洗練を意味するポジティヴなタームであり、それは必ずしも悪いことばかりではない。
今回はそのマンネリズムをジェイクギレンホールという役者の鏡が見事に調理した。


人は誰しも狂気を抱えている。
しかしそれを露わにしないギリギリのバランスを保ちながら日々生きている。
何かの拍子にそれは、ストレスであったり怒り、ポテンシャルの爆発、興奮によって解き放たれる。

狂気を扱う映画は実に多い。ダークナイトのジョーカーが大多数には知られているだろうし、アメリカンサイコ、シャイニングなど挙げるときりがない。



バイオレンスを欲する世間、それを金に変えるテレビ局、その歯車に加わる人間性を欠いた合理的マシーン。


タクシードライバーをメタファーとして感じる。が、モヒカンにするとかいうアイコニックなことはしない。しかし鏡越しに狂気を迎える顔や社会不適合者であることをわかっていない余裕の表情は重なるものがある。
世間からの孤立、どちらもあるのは自分に非は一切ないという事。
だからこそ自己中心的で破滅的な衝動に両者は出る。
社会が自分を形成して、悪いのは自分じゃない
自分は適応しているだけであって、悪いのは自分じゃない。



一見自分とはかけ離れた異常者のように聞こえるだろう。
こんな奴いたらやだわ。

だが考え直してみて欲しい。

お前は本当に18禁を18歳になるまで耐えたか?
酒を20になってから飲んだか?
模範的な行動を日々繰り返しているか?
無理やり人と同じ封を装って生きていないか?

誰しも行き過ぎた化け物になる可能性を秘めている。
画面を通じて得るバイオレンスに人は依存している。
誰しもが怪物を内に秘めている。


ジェイクの演技ももちろん素晴らしいが、アクションとしても普通に高まる。あの緊迫感で銀行強盗とかパパラッチしてほしかったな。個人的には邸宅強盗を収めたデータをアップしているギレンホールの武者震いが今年ナンバーワン。

2015年8月5日水曜日

【映画】パージ アナーキー



アメリカはバイオレンスと恐怖でできている。
厳密に言えば恐怖の渦中にいるからこそバイオレンスにあふれている。
ウォールマート(日本でいうドンキのような低俗な連中が集まる大型スーパー)ではお小遣い程度の予算で十分人を殺せる銃が簡単に買える。
デトロイトでは犯罪が後を絶たない。
人々は怒り、恐怖から暴力に走る。
なぜアメリカがそこまで恐怖にあふれているのか?
その理由は挙げればキリがない。
たとえば一つ上げるとするならば、アメリカは移民の国だ。
元はといえばイギリスからついこないだ自由を求めて渡ってきたキリスト教徒たちからできた国であるが故に、我々や何千年も続いている中国のような安定性はない。
それゆえに努力して成果を伸ばし、西へ西へと移動しながら力をつけていった。
それゆえにアメリカ人は成果主義の考えをする人間が多い。主張しなければ生きていけないからだ。はっきりとものを言わなければ土地を乗っ取られてしまうし、明日の食べ物を確保できない。
アメリカ人は膨大な土地を耕すのを奴隷に任せた。何ヘクタールもある広大な、それこそ気の遠くなるような暑さの中で黒人はひたすら働かされ、白人は楽をして金持ちになっていった。

時代は変わる。黒人は解放された。初めは今までの扱いに怒り暴動を起こすと誰しもが思った。しかし平和を好む黒人は何もしなかった。むしろどんどん人口が増えていって、白人は侵略されると恐れた。だからこそ黒人を弾圧しKKKを結成。同じところで食事はおろか、トイレまでできない。さすがに黒人もこれには起こった。平和的に解決を求めるキング牧師や、少し強気な解決を求めるマルコムXが有名だ(今回の反乱分子のリーダーはマルコムXを基にしているとみられる)。KKKを解体した白人はナショナルライフルアソシエーション、いわば銃愛好クラブのようなものに姿を変える。自衛をしてこそアメリカ人だという考えを持つ。パージの主格であるNFFA(ナショナルファウンデーションファーザーズアメリカ)はNRAをディスっているんだろう。それに対してマルコムX率いる黒人たちが戦う。その先にはリッチな白人たちが狩りを楽しむ。おそらく黒人は一人もいなかったはずだ。

なぜオバマが大統領になって差別も鎮静した今改めてこの問題を取り上げるのか?
今といっても公開されたのがおととしなのでホットなネタではないが、アメリカは今再び移民の脅威にさらされていることが理由として挙げられる。

WASP(キリスト教を信じる一般的なアングロサクソン白人)はかつては黒人に脅威を感じていたが、今恐るべきはラテン、アジア系移民だ。メキシコからの移民や不法移民が社会問題になるまで大きく膨れ上がっている。仕事はどんどんラテン系に奪われていく。最後まで生き残っていた女親子はラテン系だった。またハーバード大学はほとんどがラテン系とアジア系だ。アジア人は努力家が多く、中国人なんかは人数が多く競争率が半端じゃないため、頭がいい人はどんどん良くなっていく。白人の居場所がどんどんなくなってきた。このままではまずい。それこそがパージなのだ。そしてそのパージも実は政府が裏でコントロールして数合わせをしていたというわけ。まさに今のアメリカの問題と未来の懸念をうまく描き出している。


ここまでうだうだと頭の固い話をしてきて(まだ格差の話とか医療費の話とかもしたい)映画の話を全然してねえじゃねえかといわれてしまうので適宜入れていきたい。


まず前回パージからのレベルアップについて。

パージではその題材の良さだけにかなり期待してしまったが予算の都合上パニックルームみたいになってしまって非常に残念だった。これどっかで見たことあんなという既視感とイーサンホークが途中からいつも通りに暴れ倒すまとまりのない映画という印象で幕を閉じた。(ラストの近隣ババアをヘッドロックするシーンはgifで延々見てたいが)

ところがどうだろう。前作パージで儲けた金でこれでもかとやりたいことをやってくれた。さすがは破壊神マイケルベイヘムを脇に据えてるだけあって金の使い方が半端じゃなくてとても良い。燃えた消防車流すだけとかもったいなさすぎだろ!
個人的に映画で必要なことだけをいうのは説教であって愚の骨頂であり、自己満足以外の何物でもないが、このシーン全然いらないけど最高!っていう無駄が多ければ多いほど個人的に評価は高い。(マッドマックスの口移しガソリンリレーとか)
パージアナーキーではそれこそ燃えてるパトカーとか、謎にPOV使ってみたり、キリストばりに磔にされる年金搾取業者ワイルド姉妹喧嘩などいらないシーンだらけで最高。

キャラクターについて。有名な俳優は一人もいない。唯一知られているのはNY心霊捜査官とか出てたフランクグリロくらいだ(この時点で有名じゃない)。だがそれでいて一人一人のキャラクターがたっているし、顔がいまいち覚えられなくても話が狂ってるが故にそういうのはどうでもよくなる。
ディセントが至高の映画である一方で誰が出てんのかよくわからないのに似ている。


まとめるとマッドマックスでダグが今更なタイミングで「あの人頭がいかれてるわ!」と言ってしまったのと同じように、気づいたらみんな頭おかしい。さっきまで平気な顔してた人が急にエネミー。誰が頭おかしいの?お勧めです。



2015年7月5日日曜日

【映画】オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分

最近売れに売れまくっているトムハーディ。6月に公開されたマッドマックスを皮切りに、このオンザハイウェイ(原題:Locke)、ゲイリーオールドマンと共演したチャイルド44、双子を一人で演じるギャング映画the LEGENDと方々から引っ張りだこだ。
私もトムハーディの演技はとても好きで、ブロンソン、ダークナイトライジング、ドロップなどハマり役が多い。しゃがれ声で洞穴から響いてくるような声と困った犬みたいな表情がなんとも良い。


今回のオンザハイウェイは映るのはトムハーディのみ。ただひたすら高速を走るだけの画が86分続く。初めは退屈で死にそうになるのかと思ったが一時間半は一瞬だった。それは私がトムハーディ信者故に感じたわけではない。純粋に映画として魅せられた。限られた環境と素材の中で演技の幅を存分に見せつけたトムハーディに今一度惚れ直す。喜怒哀楽に翻弄されるトムハーディはまさに現代に生きる<クラウン>だ。
映画の製作費は1500万ドルとかなり低予算。まあ拘束を走るだけなので金がかかるはずもない。しかし米映画評価サイトRotten Tomatoでは評価90%越えと何とも高い評価である。
アンダーザスキンの恐怖(評論家評がよく期待して見に行ったらスカヨハの乳に対する評価が高かっただけだった2014年最大の災い)の二の舞かと思ったが90パーセント越えは納得。



 あらすじ
建設工事の現場監督を務めるアイヴァン・ロック(トム・ハーディ)は夜のハイウェイで車を走らせている。妻カトリーナとの間には二人の子供に恵まれ、仕事のキャリアも評価され、翌日には大きなプロジェクトを控えている。仕事もプライベートも充実した、順風満帆な生活を送っていた。
そこへ一本の電話がかかってくる。その電話は彼に人生の全てを賭ける大きな決断を迫るのだった。




夜のハイウェイはなんとも言えないノスタルジーと魅惑に溢れていると思う。何台もの車が交差するにもかかわらず互いに無干渉で、無機質で孤独だ。同じ行き先に向かっているはずなのに冷酷なまでに交わることはない。

ハイウェイは人生を表してるように見えた。
トムハーディの信念を貫くという直線を表しているのだと。飲んだくれの父親の遺伝子を過剰なまでに拒否するトムハーディはそれに反発した人生をこれまで送ってきた。努力と選択によりある程度の地位を獲得した。しかし一度の過ちが父との距離を縮めてしまう。嫌悪感を露わにするトムハーディはプライドと意地でその状況をもがき苦しむ。しかしハイウェイを進むBMWは次第にチョイスを迫る。まるで走り出すと後戻りのできない人生のように。ミラー越しに変化するトムハーディの表情、電話になると途端に声が変わる二面性にこの映画内を超えたおぞましさを感じ取れる。


誰々が何をした~というような説明描写は一切無いが会話で容易に読み取ることができるし行動と表情が嫌になる程こちらに状況を理解させる。クラクションを鳴らされてもぼーっと信号を眺め、思い立ったかと思えばナビと逆を行く。<home>との決別だということが後で分かる。


上司の名前をバスタードにしているのも良い。父親がバスタードだったはずなのに嫁からバスタードと言われ父親と自分が重なり腹がたつ。自業自得と一言でまとめてしまえば早い話だがそれでは面白くない。人間の本質的な気質。それは男女の思考回路であったり(感情論と理論)、上司と部下の言い分であったり、あー分かる分かると86分トムハーディに感情移入させられた。しかし見事に電話の相手がウザく描かれてる。同じ事を何度も言うな。行動を起こせ。いいから俺の話を聞け。何度もかけてくるな。キレるのもわかる。


この映画から感じ取るものはおそらく個人個人で異なると思う。我々もまたハイウェイに乗っている一個人であるが、選択を受け入れるか、妥協するか、プライドを貫くか、FUCK!!と叫びハンドルを叩く事もあるだろう。しかし全ては個人の選択からなる。それが喪失の連鎖になるかは誰もわからない。



途中部下にあんた完全にイカれてるよ(insaneではなくMAD)と言われていて、マッドマックスのオマージュかな?と思ってしまった。

2015年6月30日火曜日

【映画】マッドマックス 怒りのデスロード







狂った演技をぶちかます映画は観客を魅了するのにうってつけのエッセンスだ。古くはヒッチコックのサイコであったり、タクシードライバー、時計仕掛けのオレンジ、アメリカンサイコなどなど名作が多い。しかしどの作品も最初から最後まで狂っているわけじゃない。ちゃんと起承転結があり、何かのきっかけで狂ったり、タメをきちんと作っているのだ。それがこれまでは、そしてこれからも暗黙のルールとされてきた。

しかしどうだろう。ジョージミラー監督は長い構想期間とベイブとかハッピーフィートみたいな幸せな映画を挟んで、最初から最後まで狂ってる映画を作ってしまった。

マッドマックスを自身の手で作り直したいといってから10年以上の月日がたった。
当然子どもは大人になり、大人はおっさんになってしまった。もう火薬とかカーチェイスで興奮する年代じゃないと。だが実際にいざふゅーりーロードが幕を開くとおっさんたちは子供のようにはしゃぎ、そのおっさんの子供の代も楽しむことができるようになった。完全なジョージミラーの思惑通りである。


あらすじ
砂漠を往復してどんちゃん騒ぎするだけ。
これ以上も以下もない。


先にこれだけは言っておこう。100点満点中∞点。


何がいいかというと、まずやりたいことをとことんやりすぎなくらいやっているということと、説明がないこと映画ではなく薬物だということだ。


やりたいことをとことんやりすぎなくらいやっているということ
本来であれば客の要望や時代のトレンド、ある程度好きなことをしても空気を読んで控えめにしたりと、映画はバランスを考えて作られてしまう。そうでなければ素人映画のような、あるいはB級映画のようなクオリティに破綻する恐れがあるからだ。
しかしほんとに最初から最後までやりたいことしかやっていない。しかもそれがいい方向に傾いているから驚きだ。

説明がないこと
昨今の邦画にありがちな個人的にダメな部分は、何でもかんでも説明すること。誰々が何々をどうした~~とか、突然自分語りを始めたり、別に言わなくてもわかるしいちいち説明が入ると興ざめする。今作ではそういった説明が一切ない。気づいたら砂漠だし、マックスが誰なのかも明確にはわからないし、フュリオサはなぜか腕ないし。でも見ていくうちになんとなくわかってくるし、勝手にこうだろうと解釈する幅が生まれる。それこそが本来の映画の楽しみではないか?

映画ではなく薬物
観終わった人間のほとんどが言語中枢をやられてやばいしか言えなくなり、一度では物足りない体になってしまう。
その結果私のように2Dでは我慢できなくなり4DXに手を出したりすることになる。4DXは大人料金が3200円と結構高いのだが、マッドマックスは4DXで見てこそ、真価を発揮するといえる。
いくつか挙げるとすれば



・マックス達と同じ車に乗ってる感覚を味わえる
・車内の揺れの感じ、衝突の時の首がガクンてなる感覚(むち打ちになりかける)、空中を舞う車のフワッと感を再現
・撃たれたり串刺しにされるシーンはマッサージチェアーのように背中にでっぱりが飛び出してきて本当に刺さったかのような感覚
・殴った時の血しぶきや浴びるように飲む水も横から本当に顔にかかる
・大量の水のシーンは天井?から小雨くらいの雨が降る
・普通に走行してるシーンはそよ風が、嵐のシーンでは髪が滅茶滅茶に成る程の風が吹く
・爆発したり砂煙のシーンはスクリーン前にスモークが焚かれ字幕が見えにくくなるほど

以上の事象からマッドマックスは4DXで見るべき。アトラクションだと思えばそこまで高いと感じないはず。


あとはキャラクター個々の演技が尋常じゃなく濃い。
マックスが主人公であることを忘れるほどだ。ギター男からジョー、ニュークスに女たち、おばあちゃん軍団。
中でもフュリオサの演技が非常に良い。
シューリーズセロンはマッドマックスの撮影時まだ彼女の子供が小さかったために夜はなかなか寝かしつけられずに眠れない日々が続いていたそうだ。にもかかわらず撮影は片道2時間、14時間ぶっ通しの撮影となれば、最後のほうのつらそうな顔は本物のつらい表情ということがわかる。結果としてフュリオサという役柄にいいエッセンスとなった。



<マックスは最後どこへ行ったのか?>
最初観たときはまた当てもない旅に出たのだと考えた。しかしフュリオサとの出会いでもはやマックスは目的が存在する。
当初のマックスは家族を殺され希望がない状態で(MADあるいはINSANEな状態)あてもなく放浪していた。しかし無我夢中で生きようとするフュリオサを助けたことによってマックスは幻覚にも悩まされず生き生きとすることができる。これは我々にも言えることだろう。目的を明確に定め行動を起こすことはどんなことにも必要不可欠であるし、目的がない人間は屍も同然だ。
フュリオサたちを砦に届け、マックスは当初フュリオサ達が目指した塩の湖の先へ一人で向かっていったのではないか?それが開拓であり進化であり生きる希望になるからだ。これが続編につながるかもしれないが現段階ではまだわからない。

<ニュークスが死んだのに砦で認められたのはなぜか>
当初はニュークスが代弁することで砦で認めらようというプランだったが、ニュークスはしんがりを務め武将のように死んでいった。しかし予定していなかったジョーの死体を持って行ったことで、独裁政治に不満が募っていた人々が立ち上がり、砦で認められた。いわゆる民主主義が革命で完成されるのと同じ形であり、メキシコの独立戦争を思わせた。



ここまで長々と文字を羅列しているがまとめると
有り金全部マッドマックスにつぎ込め
ってこった。

2015年5月24日日曜日

【映画】チャッピー

第九地区のニールブロムカンプ最新作。
前作エリジウムは世間的な評価はあまり高くないが個人的にはかなり好きなSF。
今回のチャッピーはエリジウムで普通に存在していた警備ロボットにフューチャーした話。



----あらすじ----
近未来。ヨハネスブルグの高い犯罪率を減らすため、南アフリカ政府は、兵器メーカーTetravaalから、人工知能を半分取り入れた最先端の攻撃ロボットを購入した。
同社のヨハネスブルグ工場では、ロボットの設計者、デオン·ウィルソンは、オーストラリアのエンジニア、ヴィンセント·ムーアに激しく妬まれている。そんな時、 デオンは感情を感じたり、意見を持ったりすることができるという人間の知性を模倣した新しい人工知能ソフトウェアを作った。しかし、彼の上司、ミシェルブラッドリーは、そのロボットを試作することを許可しなかった。 デオンは、どうしてもあきらめられず、廃棄される寸前だったロボットとロボットのソフトウエアをアップデートするために必要なドライバーとともに家へ持ち帰ろうとした。だが、帰宅途中、強盗を手伝わせるためプログラムされたロボットを欲しがっている、ニンジャ、ヨランディ、ヤンキーの暴力団グループに、デオンは誘拐されてしまう。銃で脅され、デオンは、壊れたロボットに新しいソフトウエアをインストールする。
3人は、7日以内に借金を返済するために強盗をしようとしていた。ロボットの知能はまだ何も情報を持っておらず、見た目は攻撃ロボット、でも中身は純真無垢でまるで子供のようである。デオンは、ロボット「チャッピー」を調教するために、職場に戻り、また、3人のもとへ戻ってくる。その折、アップデートのためのドライバーが持ち去られたことに気付いたヴィンセントは、デオンの後をつけ、チャッピーの存在を知る。一方、ヨランディは「ママ」として、ヤンキーは「パパ」として調教する。しかし、ヤンキーとニンジャの男二人は、借金返済の期限が迫っているので、急いでチャッピーを「最強兵器」にしようと試みるが、思わぬ事態が待ち構える。




----ヨハネスグルグについて----
今回舞台のヨハネスブルグは南アフリカの都市だ。治安が非常に悪いことで有名だが、どのくらい悪いのか調べてみた。
・殺人事件はニューヨークの十倍、レイプは24秒に一回
・赤信号で停車してはならない(襲われるから)
・タクシーの運転手は、強盗と一緒
・防犯対策にハイエナを飼っている
・十分歩けば百パーセント強盗に合う
これだけ見ると日本という国を今まで以上に愛してしまいそうだ。なんてぬるま湯みたいな国なんだ日本は。
どこの国に行ってもこんなに呑気インフラが整備されていてくそまじめな国はほかにない。
海外はタクシーだってすぐちょろまかすし、観光客が多い場所でのスリなんて当たり前、ホールドアップや置き引きなど、普通は気を抜けない。日本なんて半裸で札束手に持って歩いても無事家に帰れるだろう
また今回舞台になったヨハネスブルグには有名な犯罪の巣窟と呼ばれるタワーがある。ポンテタワーと呼ばれるビルなのだが作られた当初はアフリカ初の高層ビルだった。
当時は、治安もよく富裕層の住まいとして人気の高いマンションだったのだが、南アフリカで実行された諸関係を規定する人種隔離政策のアパルトヘイトが終了してからは、犯罪組織などが入り込むようになり、一気にスラム化が進んでしまった。
そのため、富裕層はどんどん離れていき、「コア」の5階部分にまでゴミや瓦礫が埋まってしまっている。90年代には刑務所にしよう、という話も持ち上がったこともあったほどだ。
ポンテタワーが劇中出てくるのだがギャングのアジト感が尋常じゃない。
インドだかの開発途中で捨て去られたビルにギャングが住んだりブラジルの建設現場にカルテルがいたりと物騒な世の中である。




そんなバックグラウンドを理解したうえで今回のチャッピーを見るとかなり面白い。

メキシコもそうだが、ある一定のレベルまで行くと警察がどうこう言っておさまるものではなくなってくる。人間、大衆心理というのか、周りがやってるからいいだろうと一度甘やかすとずるずると犯罪に走る。たとえばボルチモアの暴動ロサンゼルス暴動など、普段はおとなしくしてても何か火種があると一気に犯罪は蔓延する。メキシコはアメリカへの麻薬ビジネスが巨大化し、もはや警察が手におえないレベルに達してしまった(警察署長は年一ペースで変わっている)。だからオバマは大麻解禁の流れを作っているわけだ。
警察を増やしても警察がギャングのダチだったりすると結局買収されたり賄賂で逃げたりと、一向に犯罪はなくならない。

それで今回導入されたのがロボット警備システムだ。
機械は与えられた命令通りに動く。金に目がくらんだりしない。敵の弾丸も喰らわない。これで犯罪は激減した。素晴らしい未来だ!
しかしそれで本当にいいのか?
監督は警笛を鳴らす。それも今までのありがちな機械の反乱を使ってではなく、一つのAIを引き合いに出して、リアルに、近い未来を予測している。



現実の我々の世界を見てみよう。自我を持つコンピューターAIの開発は実は順調に進んでいる。
代表的な例でいえば、ソフトバンクのCMでよく目にするペッパーくん。あれはAIではないが、この手の質問をされたらこうするとかこの場面ではこうするといったような、尋常じゃないIF構文のプログラミングでできている。あるいは医療の現場でも採用されかけているIBMの人工知能ワトソンなんかはこの映画にもろに影響を与えているだろう。ワトソンはもともとクイズ番組で活用にIBMが作ったプログラムなのだが開発が進み人工知能になってしまった。お勧めの料理のレシピを考えたりすごいシステムである。

~以下引用~
ワトソンはAI技術の中でも、いわゆる「自然言語処理」と「機械学習」を最大の特徴とするコンピュータ。つまり人間の話す言葉を理解すると同時に、サーバーに保存された大型データベースやインターネット上に散在する膨大なデータを分析・学習して賢くなる。
たとえば患者を診断中の医師が、病気の症状をワトソンに普通の言葉で伝えると、ワトソンが医療関係の学術論文を大量に漁ってきて分析し、それに基づいて「どうもこの病気かもしれませんよ」と医師にアドバイスする。
国民皆保険がないアメリカは早急にワトソンをメインとした安価な診療所が必要だろう。まあエリジウムと同じで金持ちが独占するか、医師会が断固反対するだろうが。





----内容について----

冒頭の戦闘シーンで一気につかまれる。ロボットの夢想具合がかっこよすぎる。気分は最高潮に。そこからヒューマン(?)ドラマを重ねて最後のカタルシスを得る、という流れなのだが、ここまで完成されたメタフィクションSFはソイレントグリーン以来なんじゃないか?と思わせるレベルの傑作。


次にダイアントワードの演技力の高さよ。ラストのニンジャの演技なんかはかなり感情こもっていて日本の映画業界は見習った方がいいと思う。 楽曲なんかはほとんどダイアントワードが使われ(でもさりげ音楽はハンスジマー)衣装もおそらく私物なんじゃないかと思われる(ライブでよく着ているカタカナでテンションと書かれたスウェットもラストのシリアスなシーンで履いていて爆笑)ダイアントワードワールド炸裂でファンとしてはとても嬉しい内容になっていた。 しかもダイアントワードがギャングで、そこにチャッピーが子供として現れるのだから奇想天外な話である。 ギャングらしい歩き方やしゃべり方、ギャングらしい手裏剣の投げ方(?)等、まるで自分の子供がグレて変な方向に走ってしまうのを見ているかのようである。


そして公開前にグロ描写のカットが話題になっていたが、おそらくここだろうなというシーンはあった。が、そこまで気になるほどのものではなかったし、それがどうこうというレベルではない傑作なので全く気にならない。むしろラストのテンションスウェットの方が何かしらの規制をかけた方がよかったのでは?と思ってしまった(二回目)。


意識と魂の互換性みたいなものがテーマの一つとしてあったのだが、近い将来記憶のデータ化だとか、脳のメモリを増築するとか、感覚の共有などそのテーマに関する夢は無限大だ。意識をデータ化してほかの媒体に入れるなんてのはもはや攻殻機動隊のまさにゴーストインザシェルだし、最近公開され話題になった楽園追放、超越した存在になりすぎてもはや実体がなくなるスカヨハのルーシー、言うまでもなく2001年など、挙げたらキリがないが、非常にロマンがあるテーマだと思う。私自身テスト前なんかに、「この六法全書をダウンロードして脳内に取り込めたらなあ」なんてことは何億回考えたことか。しかし仮にもそれが実現したならば、資本主義の格差はより一層開き、すべての知識を得た金持ちは人間性を失うことは目に見えている。どんなにシステムが普及しようと金持ちは永遠に金持ちなのだ。

名作ロボコップでは犯罪が泥沼化したデトロイトにロボットの警察を導入し撲滅するヒーロー映画だったが、今回のチャッピーのいいところは、さらにその先まで考えている点にある。ロボットを導入したらどうなるか?メリットとデメリットを提示しただけでなく、ある一例を出し、危険性を危惧している。やはり人間のエゴというものはいつの時代も物事をややこしくさせ、トラブルを生むが、皮肉にもそのエゴこそが文明を発達させる一番重要なエッセンスなのだと感じた。


チャッピーの声がシャルトコプリーだったのは驚いた。ニール映画皆勤賞ジャン。
あとあの屈強なジムばっか行ってるヒュージャックマンがボコボコにされる様は圧巻です。