2015年9月27日日曜日

【映画】ウォーリアー







超超超アメリカを象徴、暗喩する映画。

この映画が製作された2011年、それはアメリカの混沌の渦中にあった時代。

国民皆保険は無く病気をしたら終わり、ウォールストリートは博打が如く金を儲け、若者はイラクへ意味のない戦争をしに行く…。矛盾とがんじがらめの不甲斐ない時代。

主人公である不器用な三人の男たちはまさにそのアメリカを象徴する形であり、未来である。
トミーは父の酒癖から逃れる為母と家を出るが、金が無いため母は医者にかからず死ぬ。
その後途方にくれイラク戦争に出兵するが味方の誤爆で友を失い喪失感で脱走する。
兄は物理の教師になり幸せな家庭を築くが娘が心臓の病気を患い銀行に借り入れをするも物理の教師では支払いの見込みがないと判断され家を差し押さえられる寸前だ。
父はといえば引き金となった酒を断つため更生プログラムに通いもう間も無く酒を断って1000日経とうとしているが息子たちは今の自分を見てくれず途方にくれる。

そう、変わろうと思えばどうにでもなれるアメリカンドリームの時代は終焉を迎えた。

父はハーマンメルヴィルの白鯨の朗読テープを聴いている。エイハブ船長率いる船が白い鯨を追いかける話だ。三人は追いかけ追いかけられる関係にある。兄はトミーを追い、トミーは父を追い、父は兄を追う。その関係はいつまで経っても縮まらずにいた。


なぜただのボクシングではなく総合格闘技か?
総合格闘技は様々な技が多い。蹴り、ヒジ、関節技、なんでもありだ。だからこそキャラクターの背景を生かせる。

ブレンダンは資本主義にボコボコにされても自己破産せず耐えて立ち上がる。そしてスキをついて関節技で巨大な相手すらも倒してしまう。

トミーはリングに上がれば牽制もせずただノックアウトして足早にリングを去る。社会から孤立した悲しい男がそこにはある。

それに総合格闘技はリングを囲うのはフェンスだ。金融街の大物が金を投資しようが、軍が軍歌を歌おうが、2人には関係ない。二人の兄弟喧嘩には誰も介在できない。二人だけでぶつかり合う。



そしてラストに流れるthe Nationalの"about today"。
「今日
君は遠いところにいた
なぜだか聞かなかった
何が言えるというんだ
俺も遠いところにいた
君はただ歩み去り
俺はただ君を見つめていた
何が言えるというんだ」

周りの音が一切流れずこの曲がただ流れる。

この曲がすべてを物語るかのように。

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