2015年4月11日土曜日

【映画】バードマン  あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)





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ジャズ界の鬼才アントニオサンチェスのテクニカルなドラミングで映画は幕を開ける。
カーヴァーの一節を、ドラミングに合わせてパラパラとセンテンスを出していく。おしゃれだな、NY的、モダンだ、なんて思った瞬間、隕石のCG,そして海岸にあげられたクラゲたち。なんだこれは。




あらすじ
昔はバードマンなんてヒーロー映画で何億も稼いですっかり俳優面してきたリーガンおじさんが完全に自分プロデュースの演劇を始めるも周りはゴミッカスばかりで、自分は幻聴が使えるし(ほんとはただの厨二病)娘も愛人もわけわかんないし、なんて考えてたらだんだん周りも自分もわかんなくなってきてーズドン。な話。





バードマンはアカデミー賞作品賞を受賞した。イニャリトゥ監督の描く人間の葛藤とどん底は正直あまり好きではなかったが(21gではクソみたいな気分になり、バベルは飽きて寝てしまった)、どうやらバードマンは別らしい。ワンカットで繰り広げられる役者たちの演技のようで演技ではないリアルな叫びを、ブラックに、ユーモラスに、一瞬も気を抜けずに最後まで続き、完全にのめりこんでしまった。
撮影はゼログラビティのエマニュエルベルツキ。どうりでといった感じ。あの息苦しい長回しをさらに長くしたんだからさすがとしか言えない。ここでカットしてんだろうな〜なんてのをなんとなく感じるも基本的に全部繋がって見えるから相当な苦労をして撮ったのを感じ取れる。
全体としてキャストもテーマも安定していて間違いないと思う。
ただ日本の宣伝は相変わらずどうかと思う。金しか見えてない何とも胡散臭いPVで、お前は本当にバードマンを見た上でこの予告を作ってんのか?と問いたくなる。なぜならバードマンは安直な金稼ぎのエンターテイメントに今一度疑問を投げかけるメタフィクション的(直接言わずにあえてフィクションにして客観性を出している)ブラックコメディだからだ。
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おそらく今後多くの人がレビューするだろうし誰が見ても分かる部分は割愛して自分なりの考察を述べたい。






クラゲ
まず冒頭にフラッシュバックのようなサブリミナルのような短く映し出されたクラゲについて考える。
誰だかのレビューでバードはクラゲを食べます。だからいわばそういう意味ですとかいうわけ分からんことを言っていたが、

jélly・fìsh



[名](複~, ~・es)
1 《動物》腔こう腸動物;クラゲ.
2 ((略式))煮えきらない人, いくじなし, 根性なし.

まあ2でしょう。Fishが胡散臭いとかlemonがセコハン(中古)とか英語は結構違う意味が多いので覚えるとこういう時役に立つ。
別の意味を考えてみる。
一つは妻に語るシーンでクラゲが体中にまとわりつき痛くて転げまわったら赤くはれたけど日に焼けたと嘘をついたというシーン(エドワードノートン扮するマイクは能動的に日焼けマシーンで日焼けしている)からすると、クラゲは自分にまとわりつくプライドやレッテル、偏見、凝り固まった考えなのかとも取れる。
二つ目は冒頭、隕石が落ちてくる。なんでこのタイミングで隕石が?途中サムが薬物依存から抜け出すために通っていた学校でやっていたトイレットペーパーに地球の歴史を書き出すというシーンがある(マリファナをして怒鳴り散らした時もやっていた)。クラゲは太古の昔から生きている。キチガイホームレスが時間について説教をしている。ドラミングもどこか太鼓を現すイメージだ。
これらを前提に、なぜイニャリトゥがこのシーンを混ぜたかったのか?と考える。万物は太古の昔から生きていて偉大であるのに我々はなぜいつまでもくだらないことで葛藤し死のうとしているのか?なんてスケールのでかい話とも取れる。あるいは自分は神だなんて言い出すリーガンをちっぽけに見せるエッセンスとも取れるし、あるいは変化に適応しないリーガン(周りの人、所謂サムはSNSを使っているし、マイクは変化を楽しんでいる)を進化しない生物として絶滅を表すというシークエンスなのかとも考える。これについては多くの意見があるだろう。



超人(鳥人)
途中空を飛んだりものを超能力で動かしたりするのは、途中のタクシー運転手のセリフで分かるように自身の妄想だと分かる。(なぜか超能力が使える&幻聴が聞こえるのが絶対に日中なのは何か理由が?)
ただそのバードマンの幻聴はどういった意図があるのか。
おそらくバードマンは素直な自分なのだろう。凝り固まったプライドと偏見で(twitterやらないとかカーヴァーなんて古臭いものにこだわるとかいかにもおじさんらしい)視野が狭くなってるおっさんがバードマンの意見を無視し続けたが、いざ自分に素直になってみたら意外とことがうまく進んだなんて意味が含まれてるんじゃないかと読み取る。だから最後鼻を吹き飛ばしたリーガン自身がバードマンになっていて、便所にいたバードマンはなにも言わなかったのでは?と考える。


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ラストシーン
病室から飛び降りたリーガンはどうなったのか?サムはなぜ上を見て微笑んでいたのか?これは見る人によって様々な解釈ができると思うが、自分なりにいくつか考えてみた。
Ⅰ.本当に飛び降りていて(救急車の音が聞こえる)リーガンは死んだ。サムは薬物依存で同じく          幻覚が見えているor現実逃避した
Ⅱ.リーガンはバードマンになり本当に宙に浮いてしまった
Ⅲ.実は銃で撃った時にすでに死んでいて(テレビの映像が回復を祈っているというよりは死を悼んでいる点、評論家がべた褒めしている点)、病室のシーンはリーガンの想像、理想であったという考え
Ⅳ.宙に浮いてるかのように見せたのは意訳的な表現で、またみんなが見上げるような(リーガンが見下げるような)存在に戻ったという考え

どれが間違いとかはおそらくないが好きな解釈ができるラストだったと思う。



まやかし
最後壇上にいるはずのない路上アーティストやマーチングバンドがスローモーションで映される。あの時うつっているのはみんなエンターテイナーであり、人々を楽しませる人間たちだ。リアル主義のマイクやリーガンも、プライドのないナオミワッツ(役名を忘れた)もそう。みんなまやかしである。だからなんだって話だが、おそらく舞台裏と劇場でガラッと顔が変わったりみんな裏では全然きらびやかじゃなく、あの壇上で繰り広げられてる時間だけがきらびやかでそれはまやかしだよっていみなのでは。ナオミワッツといえばリンチのマルホランドドライブがまさにこれなわけだが、泣き女が泣きわめき、メキシコ人のトランペット奏者が録音のショウを終えると胡散臭い支配人がこれはまやかしですと言って、ナオミワッツの理想(妄想)が崩れ現実にたたき戻される。あるいは同じくリンチのインランドエンパイアでは、映画と現実がごっちゃになって、意味不明な展開になる。バードマンの世界に面白さを見いだせたのであればぜひこの二作品を見ることをお勧めする。ちなみにナオミワッツはマルホランドでもレズビアンになる。


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パンツ一丁でNYを歩くマイケルキートンはすごくアイコニックで痺れたし、怒鳴り散らすエマストーンのおぞましい剣幕とか、エドワードノートンのイラっとする自信家っぷりなんてのも一見の価値があるし、全体を通してとてもよく構成された映画である。ティムバートン版バットマンをやって一度は有名になったものの、そっからあんまり目立った作品がなかったマイケルキートンも、インクレディブルハルクやってアベンジャーズは降ろされたエドワードノートンも、アメスパでヒロインやるもあんま目立たなかったエマストーンも、仕事を選ばないで定評あるナオミワッツも、それぞれがリアルで抱えてる悩みとかうっぷんとか葛藤を全部ぶちまける感じが、ドラミングが如くガンガン伝わってきて、俳優って大変だろうけどいいなあなんておもったりしましたまる。


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