2016年4月26日火曜日

【映画】レヴェナント

復讐劇の魅力。
それはカタルシスを得られることにある。
アリストテレスは悲劇のカタルシスを唱え、医学界でも苦痛を浄化する際に用いる。

映画におけるカタルシスといえば、どう考えても乗り越えられない状況や障害を紆余曲折あった後に乗り越える展開が王道だ。


言わずもがな本作は復讐がテーマだが、その対極にあるものは何だろう。

平和、愛、許し、平穏、神、母性、自然?

復讐は人類固有のものであり、その対極にあるのはやはり自然=神なのかもしれない。

そうなると本作では自然という土台の上で、ちっぽけな憎悪がもがくというプロットだと整理できる。
復讐をガソリンにして過酷な環境下で生き延びたというのも一理あるが、やはりテーマを思えば復讐ではなく自然に帰化する(もともと大地はネイティブアメリカンものでありアイルランド系の移民たちはよそ者でしかない)ために生かされていたとも取れる。
結果としてキャプテンとは違いヒューグラスは妻の顔を最後まで覚えていられたのかもしれない。

ソ連の監督タルコフスキーは、朽ち果てた教会を映画『ノスタルジア』で描き、それを自然と神の一体として表した。
教会が無傷で存在することは人口物と自然体の決別であり、2つは全くの両極端であるが、教会が朽ち果てることで二つが一体化する。タルコフスキーはそういった美学をすべての作品にちりばめた。

タルコフスキーは作品において女性を宙に浮かせる描写を好み、自身はそれをセックス以上の愛と述べている。

『鏡』(1972)『惑星ソラリス』(1974)『サクリファ イス』(1986)にみられる「人が空中に浮かぶ」表象は、彼の映画の本質に迫る 重要な要素の一つである。彼の作品には一見、合理的には意味を掴みにくい表 象が随所に溢れているが、まさにそれが観客を魅了することも事実である。不 意に現れる室内の雨、時間軸の変化、淀んだ水のカット、廃墟に表れる白い犬 といった、唐突だが意味ありげな表象の出現は枚挙にいとまがない。これらは 何を象徴するのかという数多くの問いかけに、基本的に監督は、「それらは象徴 ではなく比喩であり、スクリーンの中で起こっていることは現象である」と答 える。
(出典:アンドレイ・タルコフスキー作品における 空中浮揚の考察―時空の超越)

本作では突然妻が浮いたり朽ち果てたカトリックの教会が出てきたり不可解だとは感じるが、事前にイニャリトゥがタルコフスキーのイメージを撮影監督のルベツキに渡していたあたりからかなりタルコフスキーに寄せていく予定だったのだろう。

唐突な隕石についてもタルコフスキーの『ストーカー』で同じような描写があるし、死んだ妻の胸元から鳥が飛び立つという描写も過去に描いている。
以下動画を見ていただければオマージュということが分かる。
https://www.youtube.com/watch?v=cpcdhNq_VPM

タルコフスキーの描写をここまで用いるのはイニャリトゥ本人が尊敬してやまない監督という事と本作レヴェナントでは自然と愛テーマであるがゆえに必要だと感じたのかもしれない。

ここまで御託を並べてきたが、正直言って
「ディカプリオ先生のここまでやります!サバイバル講座」にしか見えなかったのは言うまでもない。ここまで体を張って主張しないとアカデミーは取れないのか。もはやこの世の嫌な役は洗いざらし、なべて演じたであろうディカプリオを、まるでタオルケットで温めてやるアカデミー会員の爺様たちがが目に浮かんだ。

なぜそうまでしてアカデミーがほしいのか全くわからないが、追い詰められた極限状態の人間の目の演技はいつも素晴らしい。









おまけ
熊の正体


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