2016年4月3日日曜日

【映画】バットマンVSスーパーマン






ダークナイトを初めて見たときに感じたのは、バカみたいにビビットな配色のスーツで世界を救う軽佻浮薄なヒーロー映画がアメコミ黄金時代に量産されすぎて、ここまでデコンストラクトしなければ成立しなくなってきているということだった。

以降ザックスナイダー自身もウォッチメンを通して「監視者を誰が監視するのか」という一歩引きさがったリベラルな考えを映像化し、絶賛された。
ウォッチメンでは最強の男Dr.マンハッタン(本作でいうスーパーマン)と正義でありながら政府のあり方に疑問を抱くリベラルなロールシャッハ(本作でいうバットマン)がヒーローのあり方について見直しており、今後公開されるキャプテンアメリカシビルウォーでもこの考え方を引き継いでいるようだ。


正義の二面性についてはもはや子供でも理解しているように、誰かの正義は誰かの悪であり、万人を救う、万人の正義であることは不可能であるということは世界を見ればわかる。宗教がまさにそうだ。

民族個体に対するご都合主義で作られた宗教の価値観の相違で民族間紛争ないしは内戦が各国で勃発している。さらには主教間の違いはテロを生む。
そういったバックグラウンドを念頭に本作を見ればザックスナイダーの本作に対する意図が見えるはずだ。


自分はワーナーブラザース擁護派の人間なので、色眼鏡で本作を見てしまうが、世界的にはどうやら批判が多いらしい。特に原作を愛しているファンたちの間では一体全体どうなってんのとブーイングしているのがロッテントマトを見ればわかる。
自分は結論から言えばそこまでひどいものだとは感じなかったが、夢落ちとか前半のアクションのなさとか根本的に構成がよろしくない箇所が多々見受けられた。

しかし、9.11を明らかに意識した冒頭シーンや、移民問題を浮き彫りにしたテーマなど、アメリカの現状を反映させながらコミックをベースにして見事に映像化したと感じた。ドナルドトランプがイスラム教徒を入国させないと声高らかに言うのは、移民によるテロの可能性を少しでもなくすためであり、スーパーマンのような宇宙難民が内戦を国内に持ち込むのを恐れているのがまさに現実を反映していた。事実、議会ではテロが起きる。

スーパーマンはクリプトン星の内戦から逃れるために地球にゆりかごに乗せられて田舎の百姓に拾われ、人民を導く存在になる。それはモーゼの生い立ちと同じことであり、作者がユダヤ系だったことに由来する。そして人類を守るため自らを犠牲にする。スーパーマンを下すシーンは名画ピエタであり、後ろには十字架、使うのがロンギネスの槍、埋葬のシーンではアメージンググレイスと超キリスト教的だ。ここまで宗教色を強くするとその方面の人が起こりそうだが(もう怒ってるか)自分は無神論者なので傍観して楽しめた。

なにはともあれ、アベンジャーズのようなコメディ第一ついでに世界救ってますみたいな作風とは裏腹に、終始一貫してくそまじめで、出てくる笑いといえばと言ったらワンダーウーマンをお前の連れ?って言うか、みんなが必死で戦ってるのに一人逃げ惑うバットマンのドリフ感くらいだろう。
おそらくそれはDCとしてのヒット作が一つもなく、どんどん力を強めるマーベルに対する焦りであり、ジャスティスリーグへの布石を意識しすぎた必死感が原因としてある。
一言いうならばWhy so serious?かね。
あとワンダーウーマンイケメンすぎ(5000歳)

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