2012年10月5日金曜日

【映画】ダークナイトライジング


映画公開までこれほど心待ちにした映画はスターウォーズ以来だと思う。クリストファーノーランによるバットマンシリーズの最終作。
混沌を擬人化したピエロを逮捕し正義が悪になった瞬間を見届けヒーローごっこを引退したコスプレ男が母のネックレスをネコババされブチ切れ、ムキムキになって極度の民主社会にする話ではない。これはアメリカの煌びやかな幻想リアリティをひっくり返し終焉を危惧した映画である。
すべてにおいて完璧といえば大ホラ吹きになるが、あまりに完成しすぎている部分がある。ただ部分がある、という話であり、それを差し引いたその他は完璧であるといえる。
興ざめするようなCG加工丸出しのようなシーンはなく映像技術においては最新鋭なのであろう。
バットのシーンや警官と暴徒の乱闘のシーンは実際に役者を使って撮っておりノーラン監督のリアリティを求めるハングリー精神に感服である。
大抵規模がでかくなると最近の映画はCGを使う。これをノーランは逃げだと感じたのだろう。
序盤ではハンディカムを使いリアリティのある映像を撮っていたのにもかかわらずラストの正体がCG丸出しのクローバーフィールドなんかが良い例で手を抜けば映画全体の質が下がるしCGに力を入れれば不自然な金のかかったB級映画のようになる。Battlefieldとかね。アバターみたいなもう開き直ってFF映画みたいにしてしまえば話は別だが、ダークナイトを撮る上で少しの欠陥もノーランは認めなかった頑固さがそこから伝わった。
今作のテーマは希望。希望と聞くと甘酸っぱい商業生産的ジャパニーズファッキンポップのリリックを思わせるクサさであるが、今作における希望とは光溢れるものではなく光溢れるものを下から眺める物を指す。空は見えるのに出ることの出来ない"奈落"、自由はあるが原子力爆弾を背負ったゴッサムシティ。ベインは人々に希望を与え殺す。前作のジョーカーが混沌、恐怖を与え殺すのに対し希望を与える方がより残酷であり非人道的だ。
日本の地方に伝わる伝承に犬神というものがある。犬を地面に埋め、首だけ出す。届かない距離に餌を起き見えるのに食えないもどかしさを味わせその後首を落とす。犬には強烈な恨み怨念が宿り村を一つ崩壊させるほどの邪悪なものとなる。
もちろんゴッサムシティの人間が怨念の塊となったわけではないが爆破した場合を想像しふと思い出した。
シリアスなシーンが多い中最高に笑えるのがあれだけ丁重に扱っていた原子力爆弾を緊急事態になったとたん振り回し容赦なく爆撃しおっこどした上に、中からゴードン警部補が小指でも打ったレベルの痛さで現れたことである。あれだけ対物ミサイルの砲弾を上から浴びて四回くらいの高さから落っこちて、「いてててて」レベルの痛さですむものならもはやゴードンが一番強いのかもしれない。犬に腕を噛まれて腫れ上がるどっかのコスプレ野郎とは大違いである。
それと全米で公開当初ベインが何を言ってるのかわからないという声が多く上がった。なぜあんなに聞こえづらいマスクを口に装着しながらロシア訛りの英語で話すのか。おまけにバットマンの病み上がりみたいな声も前作よりパワーアップしており二人の会話はもはや字幕をつけるべきである。どうせなら右下に手話のお姉さんも入れるべきである。
このように文句一つない映画である事は確かだが欲を言うとヒロインは垂れ目じゃなくつり目のブロンドを選ぶべきだぞノーラン。

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