2013年5月3日金曜日

【映画】ダウト

疑いとは確信と同じくらい強力な絆になりえる....



1964年、NY。厳格なカトリック学校の校長シスター・アロイシアスは、まだ年若い教師であるシスター・ジェイムズに、全ての事に疑惑をもって当たれと厳命していた。そんな折、進歩的で生徒達の人気も高いフリン神父が、黒人少年ミラーと性的な行為を行なったという疑いをジェイムズは持ち、アロイシアスに告白する。僅かな証拠からその疑いが確信に変わるのを感じたアロイシアスはフリンを問い詰めるが、フリンは単なる勘違いであると具体的に証明し、ジェイムズは疑いを解く。しかし「神の意に沿う行為を為すためには、神より遠ざかる手段をとることも辞さない」との信念を持つアロイシアスは、執拗にフリンの「罪」を追求してゆくのだった。



ボールペン使うな髪留めするなと口うるさい細かい校長を演じるのはご存知マーガレットサッチャーで鉄のオババを演じたメリルストリープ。質素で固い保守的な時代遅れのカソリックのイメージを体現化した演技。

一方で時代に合わせた新しい子供受けもいい革新的なやり方をする院長はカポーティでおなじみのフィリップホフマン。
子供たちに愛され身近であるがゆえに鉄の女に疑い(ダウト)をかけられる。

全体を通してあからさまにメリルがヒステリーの頭おかしい婆みたいな撮り方がされているがそれは最後の最後で挽回される。


風が吹くシーンは何かが動く、変わる風潮である現れであった。老婆だらけのシスター、黒人少年の母に言われた衝撃的な言葉など、主人公が変わるべきか、もしくはこのままの体制を保持するべきか揺らがせるような強風がたびたび吹く。
しかし最後の最後までメリルストリープは自分の直感を信じ院長を疑う。しかもそれは各省がなかっただけでなく、嘘を交えるほど危険な説得であった。
結果としてその疑いは事実であったのだが、疑うことの苦痛から解放されたメリルストリープは崩れるように泣く。鉄の女の涙再び。疑うということは信じるよりも難しく、非常に息苦しいものだ。

この映画を見て感じたのは疑いを持つよりは信じることの方が楽ということではなく、キリストを信じてこそみたいなことでもなく、年功序列のような古い考えを持ったやり方はどうも陰気くさく狂信的であると感じた。それくらいどうでもいいことを考えてしまうほど今見るべき映画ではなかった。

考えさせる映画である

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